第4話  さよならをきみに

「ヘムロックは寿命だったらしい」

 そう、と僕は呟いた。

「どんなものだっていつかは朽ちてなくなる。有機物も無機物も、くみ上げられた形から乖離していく。どんなものでも劣化していく」

 ロイドは庭のお空を眺めていた。浅い鳶色の瞳が、眩しそうに縮んだ。

 風のない庭、無花果の木の下。僕達は隣り合って座っている。

「金属だろうと電気回路だろうと。人間だろうと非人間だろうと。あんただろうと、ヘムロックだろうと、オレだろうと。何も変わらない」

 だが、とロイドは淡々と言葉を続けていく。

「そんなことは何の慰めにもならない。朽ちるまでの時間にオレたちは何かを為し何かを残すよう求められた。意義や意味のある死を迎えるために。頭の痛い話だ。死ぬときにならなきゃ大抵その本質を理解できねぇってのに」

 意味や意義。

 僕は思考する。

 僕であるキアは思考する。

 部屋に眠る兄弟を思い浮かべながら。箱詰めにされ火にくべられた兄さんを思い出しながら。朽ちて崩れていく兄さんを思いながら。保全機能を止めた弟たちを思いながら。

 捧げられるために準備された僕たちは、永遠に対象を欠いた僕たちは。停止し、沈み、分解されるだけだ。この庭に自浄作用がまだ働いているのなら、僕達は再び誰かに開封されるまで悠久に死に続ける。

「あの『ヘムロック』は素体の管理用ユニットだ。守り、保全する知識はあっても、完全に修復したり一から素体を造ることはできなかったらしい。あいつは、それをあんたに聞かせたくなかったようだったがな」

 守ることはできても。

 救うことはできなかった。

 守ることしかできない、という言葉は、そのことだったのだろう。まさしく文字通りに。

 僕達は、ゆっくりと死んでいくしかなかったんですね。

「そうかもな」

 あまりにもロイドは素っ気なかった。

 ええ、と僕は頷く。

 空を見上げた。人工太陽の光が少し眩しかった。空は硫酸銅に曖昧さを混ぜ込んだようだ。雲は、流れるのをやめていた。土が少し乾いていて。無花果の葉が濃く影を落としていた。圧し潰されそうな気がした。空からも、地面からも。僕は自分が息をしているかひどく不安になった。

 他には何かせんせいと話しましたか、と尋ねる。

「オマエのことを、いくらかは」

 僕のこと、ですか。ぽつりと返す。

「最初の約束すらも守れなかったと。あいつは言っていた。最善だと信じていたが己の独善だったのではないかと、ヘムロックは悔いていた。他にも、まぁ、いろいろとな。オレのこと露骨に警戒していたくせに話さずにいられないあたり、ヘムロックもまた人工物だったってことか」

 ロイドは短く息を吐いた。魂まで抜け出してしまいそうなほどに、軽くて、それでいて深い溜息だった。

「この空も。太陽も。草木も。風も。ここにあるものに本物は何一つとしてない。すべてはここで創造され、すべては既存のものの模倣に過ぎない。ここにいた人間すらも。ヘムロックも。あんたもだ。天にある始まりの庭ではなく、ここは外の世界の贄になるべく地下深くに埋められた培養槽なんだから」

 いつか芽吹くことを信じて埋められた世界の種子だ。

 とうの昔に死ぬことが約束されて埋められた棺だ。

 ここは。そういう場所だったのだ。

 まさしく、天の『楽園』でなく、地底にあった『地獄』だ。

「どうやってここへ来たのか、とヘムロックにしつこく聞かれたが。そりゃあ、空に浮いてるものでもねぇんだからな。地下だし。探せば通路なんざ簡単に見つかるんだよ。通路を隠したのはヘムロックだろうけどな」

 口端を引いて笑うロイド。

「追っ手を避けるためとは言え、やり過ぎだろ。外から補給部隊すら来ねえ状況だとしても、ここは完全に内側からも出られない檻に成り果ててしまった。……馬鹿だろ。一人で思い詰めて、自滅してるんじゃあ、話にならねぇ馬鹿だよ」

 ここに人がいない理由がそれだ、って気づいてた? と、僕は尋ねる。

「自分がここに来たことで、この庭の連中が絶滅したんだとヘムロックは悔いていた。だが、時間の問題だったとオレは思うぜ? ヘムロックにとっちゃそんなもんは気休めだろうがな。備蓄資源と循環システムがある間はどうにかなるが備蓄が尽きた端から、膨大なリソースを必要とする人間がまず絶滅していくのは当然だろ」

 ……あなた、本当にどうやってここへ這入って来たんですか?

「瓦礫を壊してセキュリティも壊してきた。腕っぷしには少々自信があるんでね」

 やや得意げにロイドは腕を示して見せる。それほど筋肉がついているようにも見えない。

 少々……? 重機が必要な程度の瓦礫を壊すのに、少々……?

 密かな疑問を抱く僕をよそに、ロイドは話を本筋に戻す。

「信じる信じないはあんたの自由だが……夜更けまで話した後ヘムロックに追い出された。最後は一人がいいと。誰かに看取られる資格はないと。カッコつけやがって。……だから。ヘムロックが死んだのに気付いたのは、あんたが来るよりも1時間前くらいになる。それまで、オレはヘムロックが『楽園』と呼んだこの庭をうろついていた」

 ロイドは膝を抱えた。さらりと、赤い髪が流れる。

「人間が暮らした痕跡と。ここにいた人間同士が殺し合った痕跡と。ヘムロックが造ったであろう墓地と。循環システムに呑み込まれ草木に浸食された居住区域。それをいつか使えるようにと、あの馬鹿はたった一人で整備しようとしていた」

 せんせいが、そんなことを?

「ああ。人間がいなくなった後も、それが己の責任だとしても。オマエたちを守るしかなくなった後でも。社会を再び構成することができるように。何年も、続けていたんだろう」

 そして、その日が来ることはない。続けられた呟きに必死で反論しようとした。けれど、僕からは言葉が出てこなかった。くやしいが、認めるしかない事実だった。

「そこまで気づいていて、あんたはヘムロックの理想に律儀に付き合ったわけだ」

 ええ。

「オマエの代わりが、みな死んだあとも」

 …………。

「三十人の兄弟、ねえ。兄弟。兄弟か。あんな状態に作っておいて、まあ、残酷なもんだよ」

 揶揄するようにロイドは肩を揺らす。

 同情してくれるの?

「いや? ただの感想だ」

 せんせいの遺した管理記録を見たんですね?

「ああ」

 僕達のことも。あなたは知っている。

「記録の限りだが」

 そうですか。

 言葉にすると。もう、知られてしまったのだと思うと、肩の力が抜けてしまう心地だった。

「素体研究なんざやるもんじゃねぇよ。……まぁ、オレが言えた義理じゃねぇがな。けど、これは、ここにいたヘムロックじゃねえ、別のヘムロックが始めたことだ。何年も何年も前に」

 ロイドはその方と知り合いだったんですね。

「厳密には違うが……だいたいそんなもんだ。オレとヘムロックの縁も、何の因果か困ったことになかなか切れねぇようで。……あんたとの縁も、な」

 僕、ですか。

 ぎくりとする。僕の既視感を言い当てられたように思えて。

 昔話をしよう、と。ロイドが切り出す。例の、淡々としたあの調子で。遠くを見つめていた。すぅ、とロイドの呼吸音。薄く、形の良い唇が開かれた。

「ずっと昔、ある少年がいた」

 謳うように。よく通るロイドの落ち着いた声が響く。

「今と同じか、それよりも多い怪物が地上をうろついていた。少年は、NGOが管理するレジスタンスに所属して怪物と戦っていた。生まれつきヒトよりも身体能力が高く、姿かたちこそヒトそのものだったが遺伝子構造は怪物のそれに近かった。まるで、怪物を殲滅するために生まれたかのような。最後の怪物になるべくして生まれたような、少年だ。そして、自身がヒトであることを証明するためだったかのように、少年は人類に尽くした。怪物の猛威は抑えられたかのように思えた。間もなくして、少年は死んだ。あまりにもあっけのない死だった」

 ロイドは唇を噛みしめる。

「死んで初めて少年は認められた。皮肉だろう。人々が彼の献身に気付いたときには、とうに灰になっていたんだから」

 ロイドはしかめっ面で、そこからが問題だ、と続ける。

「少年が死んだ後、再び怪物は猛威を振るった。……ただの偶然だろうがな。人類は追い詰められ、そんな時に少年を知る者が、彼がいてくれれば、などと妄言を吐いた。人々は少年の再来を願った。縋られ、希望の象徴として祭り上げられた。彼ほどの力と、彼ほどの精神力があれば、と。あいつは英雄なんてガラでもねぇし、絶対にそんなものになりたくはなかっただろうに」

 そうして僕の方を向く。しっかりとした口調で、ロイドは決定的なことを僕に告げる。

「少年の再来を目的に、遺伝子構造と思考回路を模して造られたのがあんた達、共有ID『ジャック』の素体郡だ。ロールアウトされた十一号と、組み込まれた十八号は唯一の成功例だった。オマエら兄弟は『ジャック』のために造られた生贄だ」

 言葉を選ばないでくれてよかった。

 僕は、ありがとう、とロイドに告げる。

「なんでそこで礼の言葉が出てくる」

 言いたくないことだろうから。ロイドにとっても。

 ロイドは瞬いた。何を言ってるんだと言い出しかねない表情になる。案の定、渋面でロイドは「はー……呑気な思考回路してるなぁ、オマエ」と、感想を寄越してくれた。

 でも、これが僕達なんだよ。ロイド。

 ロイドはばつが悪そうにそっぽを向く。「知っていたか」と苦々しく呟いた。

僕は、そうなるように成長するはずだった。

 少年の肉体は怪物と戦うために最適化されており、そして、その精神は人類を助けるために最適化されていた。

「悪夢みたいな研究だ。一個人を再現しようだなんて、それに人類の救済を押し付けようだなんて、神様でも作る気だったのかもしれねぇな。だが、神様にも、ヒーローにも成れない。……『ジャック』は、最後まで、ただの人間だったんだからな」

 それじゃあロイドは……『ジャック』に会ったことがあったの?

 尋ねてもロイドは気づかないか、気づかないふりか、答えてはくれなかった。再び僕の方を向いたときにはまた、皮肉げな表情に戻ってしまっていた。

「あんたの内部にある『少年』はある時期で停止してしまった。それ以上の思考構造の分化は見られなかった」

 思考構造の分化停止。つまりは、僕は、『少年』の幼い頃のままで止まっている。ということ。そこにいくらか知識を上乗せしただけの、誰がどう見てもわかる、失敗作だった。

 僕よりも後に造られた弟たちの方が、よっぽど、『ジャック』らしかったのだと思う。

「再現されるのはあくまでも思考回路。記憶構造までは本来再現されねぇはずだ。トレースするのは電気的なつながりだけのはずだから。それがどういうわけかジャック素体郡には、ジャック――これすらも本名じゃねぇんだが、『少年』の記憶を持つ者が複数いた」

 ロイドは僕を見眇める。浅い鳶色の瞳がしっかりと僕を見据えている。

「それで? オマエはどうだった?」

 ジャックの記憶を持っているか。

 僕は。ためらいを覚えながら伝えようとする。

 記憶はないよ。だけど、僕はあなたを多分、知っている。あなたに会ったことがある。今よりももっとずっと前に。記憶らしいものは、それくらい。

「そう」

 ロイドは目を伏せた。諦念の混ざった溜め息。諦念というよりは覚悟かもしれない。

 ロイドは、ジャックを――僕を知ってたという確信に変わる。それを尋ねる前に、ロイドが口火を切った。

「だが、それでよかった。ジャックの記憶を持つ者は、決まって死んでいる。本来怪物を殺し人類を次の時代に導くのに最適化されたはずの少年の記憶か、感情に耐えられず、死んだ」

 ロイドは一呼吸置いた。

「ここへきたのは、そうして死んだ、十一号との約束だ」

 僕は信じられない思いでロイドを見上げる。十一号。兄さんが? 本当だろうか。僕達のことなどとうに忘れたものだと思っていたのに。ロイドは気休めを言っている? だが、嘘を吐いているようにも見えない。それに。もう、十一番目の兄さんが死んでる? まだ、僕は生きているのに?

「……信じてくれなんて言うつもりはねえ。だが、約束しちまったからな。生き残ったあんたらを。『少年』を。助けてほしいと。十一号曰く、それが『ジャック』の願いなんだそうだ。オレじゃなきゃ、駄目なんだと」

 わからねぇや、と。ロイドは自嘲気味に笑う。

「オレは。……私は。そんなこと、覚えてないし、知らないのに」

 傷ついたときにも笑うのだ。ロイドは。

 ああ。僕は。

 こんな表情に見覚えがある。けれど、僕も知らない。

「まぁ……オレのことはいいんだ。今のは、忘れてくれ」

 そんなことを言わないで。僕は必死で訴えた。けれども、目を伏せるロイドには認識されていない。

「十一号はこんな世界がマシになると本気で信じていた。だから、自分たちも、救われるべきだと。他人の勝手な願いで、他人の望んだ平和のために用意された、あんたや……オレのような存在にも救いはあるべきだと」

 十一号がそんなことを?

「我ながら馬鹿みてぇだと思うだろ」

 ええ。……恥ずかしいくらいに。

 僕は笑い出しそうになった。十一号が考えていたことは、つまりは僕でも考えられることだから。十一号は、自分にそういった嘘を吐き続けたのだろう。

 外に放り出された、個人として確立し得た、『僕』の導き出した答えだ。

 僕はロイドに告げる。

 いつか報われると考えることが意味になると思っていた。希望に応えることが何かを遺すことになるのならそのために命を懸けてもいい。その後で残るものに、僕は意味が欲しかったから。

 そうか、と。ロイドは短く答えた。張り裂けそうなくらい、悲痛な笑顔だった。

「作り物でも、こんなにここは綺麗なんだな」

 思い出したかのようにロイドは呟いた。

「地獄だとしても。このすべてが生贄だとしても」

ええ。と僕は応じる。

「この庭は、最後の楽園なんだと、ヘムロックは幸せそうに言いやがった」

 いつだって、その話をする時のせんせいは幸せそうだったから。

「最初の約束を覚えているか」

 ええ。

 僕は穏やかな気持ちでそれを思い出していた。

 何があっても僕を守ると言ってくれたせんせい。

 僕を、守ってくれたせんせい。

「無意味な約束だと思うか。あんたは怒ってもいいんだぞ。最初からあんたらに救いはなかったんだから」

 おこらないよ。

 誰かのためになれたのなら。きっとそれでいい。今日まで僕が生きたことがせんせいのためになったのなら。僕たち兄弟は無意味じゃなかったはずです。

「兄たちのように造られてから一度も目覚めることなく、とうの昔に朽ちていても?」

 ええ。

「弟たちは未来のない作り物の人類に絶望し自らその機能を停止させたとしても?」

 ええ。

 僕が守られて生きることが、せんせいの意味になったのなら。

「それも、今日で終わった。オマエは託された身だ。ヘムロックの遺言、見ただろう」

 ええ。見ました。

 先生の言葉は嘘だと言うことも。

「なら、分かるだろう。兄弟でなく、ヘムロックが託したのは、キア、オマエ自身の意味の行く末だ」

 風のない庭で。死にゆく庭で、ロイドは迷いを振り払うように。意を決し、僕へと向き直る。

「オレと一緒に来るか」

 白い手が、差し伸べられる。傷跡だらけの手。細くとも、しなやかで、強い。この手を。僕は恐らく知っている。

「オレは、訳あって長くは生きられない。明日死ぬかもしれない。半年か、一年か。オマエを連れ出すとは言うが、明確にどうにかしてやれるという保証もない。あんたが望むかは別として素体が見つかるかもわからない。だが、一緒にいることはできる」

 そして、と。ロイドは続ける。

「私は、あんたと一緒にいたい」

 ずっと昔にも。ロイドはこうして僕に手を差し伸べてくれたことも。僕が、その手を取らなかっただろうことも。過去に、ロイドの手を取っていれば。今、僕がこうしてここにいることもなかったのだろうか。人類のために、僕の救えなかった人たちのためには、この手を取ってはいけないと、僕は自身に硬く言い聞かせていた。キアであるぼくには、理由の分からない罪悪感ではあるけれど。とても苦しい。苦しい。

 今ならば、『ジャック』を知らない僕ならば、この手を握り返していいのだろうか。

 だが、僕には。

 僕には、ロイドの差し出した手を握る手も、縦に振るための首も、存在しない。

 

 僕はここから、どこにもいけないから。

 僕はわがままを言っては、いけないのだ。

「我慢強いというか……そうでも思わなければ、オマエに命はなかったんだろう」

 憐れむようでもなく、淡々と言ってくれることが、救いだった。

 僕の水槽に取り付けらたモニタは、全て、僕の思考を書き出している。

 僕の視界はカメラユニットで。

 僕の感覚は感覚素子で。

 地を踏む脚は、二本のアームだ。

 それらはきっと、この庭の清浄な空気でしかまともに作用できない。そうでなくとも、僕に備えられた浄化装置はそろそろ限界だ。命を縮めることにもなるだろう。

 僕は、ロイドに応えた。

 行けないよ。こんな姿じゃ、きっと、どこへも。

 僕は笑おうとした。それすらも、できなかった。笑うための顔が、僕にはない。

 悲しくはない。悲しくなんかない。

 でも。

 あなたに置いていかれることが、とてもさびしいことなのだと。僕の中身がそう訴えているんです。

 ずっとずっと昔に、差し伸べてくれたあなたの手を取れなかった僕が。

 あなたに救われたかった僕が。

「オレは、ヘムロックのようにオマエを守ることはできない。外へでても、替えの装置か素体がなければ長くは生きられない。お前の知らない『ジャック』の約束に応じる必要もない。ここでヘムロックが守ってきたものを、オマエが守り続けてもいい」

 僕は庭を見渡す。

 ロイドの言ったとおりだ。

 ここは、とてもきれいだ。

 僕はここが大好きだ。せんせいのことも。兄さんのことも。弟のことも。

 いつか人類がここで生きられるのなら、それを助けるべきだとも、思ってる。

 だけど。それでも。

 連れて行ってくれますか、ロイド。

 僕は、あなたの助けにもなれない。

でも、どうしても、あなたと一緒に歩いてみたかった。

 僕は、身体を傾けてアームを伸ばし、ロイドの手に触れた。

たとえ、限られた時間だとしても。

 好きに生きていいなら。

 好きに死にたいのだ。

「……ありがとう」

 この人は、嬉しい時には泣きそうな顔をして笑うのだと、僕は知った。


 保全機能が稼働する中、僕は大きな水槽を見上げた。

 少しだけロイドに待ってもらっている。振り返ると戸口では林檎のような赤い髪が覗いていた。

 僕は兄さんの眠る培養槽にアームを当てた。感覚素子がほのかなぬくもりを伝えている。だが、兄さんたちが目覚めることはない。この中で、ずっと前から朽ちているのだから。

 奥の部屋へ行き、弟たちを運搬ユニットに接続する。そっと撫でた。電気信号は帰ってこない。自ら命を絶った、弟たち。電力はわずかだが、機械類は無事に起動した。よかった。アームと感覚素子から切り離されて、脳と脊髄を包む十基ばかりのポッドが、運ばれていく。弟たちが揺れて、運ばれていく。

 それを確認した後、僕は再び、メインルームに戻った。兄さんたちの眠る、培養槽の前。ポッドから解放された脳髄が、培養槽へと解放される。僕達が一緒に生きることが叶わないのなら、せめて一緒に眠れますように。

他人の希望もない、自分の望みのために。

 おやすみなさい。

 さよなら、兄さん。

 さよなら、弟たち。

 いってきます。


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羊の沼 日由 了 @ryoh_144

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