想いを、花に乗せて
凛
想いを、花に乗せて
アパートのエントランスに設置されたゴミ箱に、無造作に入っていたものを見つけ、思わず足を止めた。
色褪せた、赤いカーネーションの花束。
少し萎れかかったそれを手に取り、私はその時何を想ったのか――そのまま何事もなかったかのように自分の部屋へ向け、歩を進めた。
手近なグラスに水を注ぎ、適度な長さにカットした数輪の花を浸けてやれば、ほんの一時間ほどで元気を取り戻したらしい。相変わらず、その色は鮮やかとは程遠く、寂しささえ感じさせるけれど……きっと、そういう種類なのだろう。
――いや、そうでなかろうとも。
誰からも必要とされず、ただその目的を失った花は、無感情に瞬く私の双眼に、哀れなほどくたびれて映った。
気紛れに買ってはみたけれど、やはりいざ面と向かって渡すとなるとどうにも照れ臭かったのか。
周りの浮かれ具合に当てられたものの、何らかの理由でどうしても相手への愛情よりも憎しみの方が勝ってしまったのか。
純粋な愛情ゆえに一度は贈ってみようとしたけれど、予想以上に無慈悲だった相手から冷たく拒否されたのか。
或いは、もういない相手のことを想い、急に虚しくなってしまったのか。
もちろん捨てた人間側の事情など、知ったことではないけれど。
一度は誰かに贈られるはずだった存在に、後ろめたさを感じながらも、自分のとっさな行動に対して不思議と後悔はなかった。
◆◆◆
翌日は休みだったので、近所の百貨店に向かった。
一階の端の方でひっそりと開店していた、花屋に足を踏み入れる。
遅れていることを自覚しながらも店員に声を掛けると、今年は紫陽花が一番人気でしたよ、とにこやかな顔で教えてくれた。
「カーネーションはもちろん定番なんですけどね」
何でも、今年は紫陽花を贈りましょうだなんてメディアがこぞって報道していたらしく、その影響でよく売れたのだそうだ。どこにどういった経済効果があったのか、私にはさっぱりわからないが……。
ひと通り話を聞いたあと、ごゆっくりお選び下さい、とそのまま放置されたので、どうしようかとしばらく辺りを物色してみることにした。
自分こそが主役だと売り場で誇らしげに咲いているのは、カーネーションの鉢植え。その横で気取っているのは、贈り物に最適の、華やかな薔薇。そこから少しばかり離れたところでは、一枚の花弁が茎にくるんと巻きついたような、ラッパみたいに一風変わった形をした、カラーとかいう花が凛と佇んでいる。
けれどそこで何より目についたのは、大きな咢の中でひしめき合う紫陽花の小さな花弁たちだった。
一見贈り物には向かなそうなこの花が、そのように大々的に取り上げられていることに、何か理由があるのか――背中を向けている店員にそう問うてみれば、花言葉がぴったりなんですね、と簡潔な答えが戻って来た。
紫陽花の花言葉。
そう言われてパッと思いつくのは――。
「……あなたは美しいが、冷淡だ」
誰に聞かせるでもなく、小さく呟く。
多分私が知らないだけで、他にもあるのだろうとは思うのだけど。
結局五分程度迷いに迷った末、濃いピンク色の紫陽花を購入した。
さすがに大きすぎただろうかと一瞬考えたが、これでも紫陽花にしては小ぶりですから、と店員が言ってくれたので、まぁ別に構わないだろう。どこか、玄関の空いたスペースにでも置いといてくれればいい。
一応、それなりの想いは乗せているつもりだ。
どうかこの花は、ちゃんと目的を果たせますように。
送り状を書いて、送料も込みで五千円ほどの金額を支払う。
普段あまり花屋に来ることなどないから分からないが、花というものの相場は意外にも高いみたいだ。安めのを選んだつもりではあるが、どれもだいたい、最低でもこれくらいはするものなのだろう。
メッセージカードに何か書くか、と聞かれたけれど、今更こっぱずかしいからやめときます、とそっけなく答えた。
店員は気を悪くした様子もなく、じゃあカードだけ入れときますね、と相も変わらずにこやかに言った。
「それでは、ラッピングして郵送させてもらいます」
「お願いします」
もう一度丁寧に礼を言って、店を後にした。
帰り道、携帯を取り出してラインを入れる。
『荷物を送ったので、明日か明後日くらいに受け取りお願いします』
ほどなく、返事が届いた。
『荷物?』
どうやら、何のことだかわかっていないみたいだ。
美しくはないけれど、冷淡でもない――そんな、離れて暮らすごく普通の純朴な母親に、引き続いて返事を打つ。
『母の日だから』
その一言でようやく理解したらしい母親は、一転して嬉しそうに
『そっかー、ありがと。楽しみにしてる』
るんたった、と何とも明るい効果音がつきそうな絵文字が添えられている。あまりに現金な反応に、思わず笑みが零れた。
「そんなに嬉しいものかね」
子供を持ったことがないから、まだ私にその気持ちは分からない。でも、いつか分かる時が来るのだろうか。
ならば、その時は――……。
一瞬だけ、家で待つ哀れなカーネーションが頭をよぎる。
どんな理由であれども、あんな悲しい想いは、せめてさせないようにしなければと考えた。
想いを、花に乗せて 凛 @shion1327
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