後編

 シェラの日記

 11月7日


 今日、わたしは、朝いきなりセントラルコンピュータの所へ連れてゆかれた。PDは、むっつりした顔で、わたしの手をひっぱってゆく。

 不思議だな。変だな。PDが笑わない。わたし、なんか怒られるような事でもしたかな。それに、直接セントラルコンピュータに会うなんて、いったい何年ぶりだろう。わたしに何の用があるって言うんだろう?

 セントラルコンピュータルームに入ると、PDはしっかりとわたしの肩を抱いた。

 やだなあ、いつになく積極的。

 でも。どうしてだろう? その手、少し震えてた。

『シェラ、久しぶりだな』

「そうね。何の用?」

 目の前にある大きなスクリーンには、スマイルマークのような、点と線だけに単純化された人間の顔が映って、話しかけてくる。これがセントラルコンピュータの「人格」。わたしは、その「人格」に、ちょっと不思議そうな顔をして問いかけた。その間も、PDはしっかりとわたしの身体に腕を回してる。

『シェラ、君は自分が、人間さいごの生き残りだということを理解しているかね?』

「わかってるわよ?」

『どんなにどんなに人を求め、仲間を求め、愛する者をもとめても、それに応えてくれる人間など一人もいないのだ、ということを』

「やだ、そんなことないよ。PDがいる。わたし、PDのこと好きなんだ」

『そうか、そう言うのではないかと思っていたよ』

 セントラルコンピュータは、本当に優しげな微笑をうかべて言う。とんでもないことを。

『だが、その想いは真実の愛ではない。ただの欲求だ。代償行為にすぎない。人形のことを真に愛せるはずなどない。そしてその愛が実ることもまた、有り得ない。考えてもみよ、PDはただの機械だ、プログラム通りに動く人形にすぎないのだ。シェラよ、そんな者が本当に、君を好きになってくれると思うのか』

 ……許せなかった。顔をしかめて、むかつく思いをセリフにして叩きつける。

「なによ! 現に好きでいてくれてるじゃない!」

『違う。それはただのプログラムだ。そう思い、そう行動するように私がプログラムしたからそう振る舞っているだけだ。何の意味もない機械的反応だ。君もすぐに悟るだろう。君はこれから、自分が結ばれるべき本当の相手と出会うのだから』

 絶対の自信がある声だった。やさしい口調だったけれど、わたしは一瞬、背筋に寒いものを感じた。

 コンピュータルームの床が開き、ひとつの透明なカプセルが下から上がってきた。大きさは人間くらいで、その中には、誰かが入っていた。

 白いスーツを着た、長身で、金色の髪の……とんでもない美青年だ。目を閉じてはいるけれど、どきっとするほどの美形。わたしの好みにぴったり合致してる。外見だけだったら、あるいは……

 考えてはいけないことを考えるところだった。

『どうだ? この男は。心ひかれるだろう。この男こそ、私が遺伝子操作によって作りだした『理想の人間』だ。外見も、性格も、君にとって最高の存在だ。これ以上の相性をもつ恋人は考えられない。さあ、PDを捨て、この者と暮らすのだ』

「いやよ!」

 身体が大きく震えた。わたしは叫んでいた。なぜ、さっきからPDが怯える子供みたいにしているのか、やっとわかった。

『PDよ、君はただの機械だ。自分よりはるかにシェラにふさわしい者を見せられて、判っただろう?』

「……わかりません」

 PDはまっすぐにセントラルコンピュータを見つめ、言い切った。その顔は真っ青で、仮面のように硬直してた。

『ならば、その『プログラム』を解除してやろう。お前がシェラを好きだと言っているのは、真の感情ゆえではない。すべて『プログラム』の結果にすぎないのだ!』

「やめて!」

 思わず絶叫。PDとセントラルコンピュータの間に、わたしは走りこむ。でも、馬鹿だ。弾丸が飛んでくるわけじゃあるまいし、間に入ったからっ てコンピュータ同士の戦いを止められるはずがない。でも。

 PDは、スクリーンに映るセントラルコンピュータの顔とにらみあう。その全身がぶるぶる震えていた。ほんの何秒間か、ふるえながらにらみ合っていた。

 PDが倒れた。

『プログラム除去は終了した。これでPDは、シェラのことを想う気持ちなどすべて忘れ去ったはず。さて、今度は君の番だ』

「いや! PDを返して! さもないと……叩き壊すわ!」

『シェラ、できもしないことを言うものではない。それに、君はきっと感謝するだろう。自分を偽の幸福から救いだしてくれてありがとう、と』

 スクリーンの画像がふにゃふにゃとゆらいだ。訳のわからない光る図形が踊りはじめた。

 図形たちのダンスを一瞬見ただけで、わたしの足元がふらつき、世界がぐるぐる回った。

 これは催眠だ。見ちゃいけない。そう思った時には、もう遅かった。気が遠くなる。すべてが真っ白い光の中に消えてゆく。

 みんな忘れてしまうのかな。この光のなかに、わたしの心も、PDのことも、みんな溶けていってしまうのかな。


 PD05行動記録

 2045,11,7


 わたくしはシェラお嬢様を連れてセントラルコンピュータと対面しました。

 セントラルコンピュータはわたくしの心が偽物だといいます。本当にシェラお嬢様を思う気持ちなどどこにも存在しない、すべてプログラムの産物なのだと。

 シェラお嬢様は最後までわたくしを信じてくれていたようです。とても嬉しい。この「嬉しい」という気持ちさえもが、もしもただの計算結果にすぎなかったとしたら。

 そんなのは嫌です。だから、最後までシェラお嬢様が信じつづけてくれたということが、わたくしは

(回線切断)


 シェラの日記

 11月8日


 うららかな光の中で目をさました。

 それより前のことは、何も憶えてない。

「おはよう、シェラ!」

 かっこいい声で、誰かがわたしを呼んだ。ベッドから起きあがると、そこには金髪のお兄さんが立っていた。

「だれ……?」

「なに言ってるんだ。俺はお前の恋人だろう? お互い大好きになって、ずっとここに住んでるんじゃないか。どうして、こんな大切なことを忘れてるんだ?」

 ああ、そういわれてみれば、そうだった。この人とわたしはずっと前から恋人だったんだ。お互い理想的な異性で、ずっと喧嘩することも不満をもつこともなくて、楽しく過ごしてきた。そんな記憶が、わたしの頭の中から次々とわいて出てきた。

「ごめん、わたしちょっと寝ぼけてたみたい。ああ、今日も天気がいいね」

 わたしと彼のいた部屋には、大きな窓から太陽の光がいっぱいに差し込んでいた。

 窓の外には、木のちらばる、なだらかな起伏の草原が広がっていた。どこまでも。小鳥のさえずりがきこえてくる。

「きれい……」

「毎日見てるじゃないか。なにをいまさら」

 ああ、そうだっけ? そう言われてみると、そうだったような気もする。でもやっぱり、綺麗なものは綺麗なんだ。

「さあ、飯でも食おうぜ」

「うん……」

 彼の笑顔を見ているだけで、とてもうれしかった。こんな素敵な人とずっと恋人だなんて、きっとわたしは幸せなんだろう。


 PD05行動記録

 2045,11,7


 わたくしの名前はPD05。疑似人型ロボットです。

 わたくしは研究室にいます。それより前のことは憶えていません。

 わたくしは一日中コードを身体につながれ、各種のデータをとられています。こうやってわたくしが考えていることも、データのひとつとして記録されているのでしょう。

 しかし、わたくしはなぜ、こうやって研究対象にされなければいけないのでしょうか。人型をしているからでしょうか? なにか新型の思考回路でも組み込んであるのでしょうか? それとも……?

 わたくし自身はまったく憶えていません。

 熱心にわたくしの身体を調べているロボットたちに質問しましたが、答えはありませんでした。

 いったいわたくしの中には、なにがあるのでしょうか?


 シェラの日記

 12月10日


 今日もまた、草原で彼と一緒に遊んだ。ここにはいろいろな花が、季節を無視して咲いている。よく憶えていないけど、まえにもここと同じような花がいっぱいある場所にいったことがあるような気がする。でも、ここの方が何倍もきれい。だって自然そのものなんだもの。

「ねえ、地球は滅んだんじゃなかったの? そんな風におぼえてるんだけどな、わたし」

 彼はにこにこと笑って答えた。とっても素敵に笑顔だった。

「外の世界は滅んだけど、ここは別。ここはセントラルコンピュータが、俺とシェラのために造った人工環境なんだ。楽園なんだ」

「そうなんだ……」

「でも、わたし、一度くらい外に出てみたいな」

 そう言うと、彼は本当に不思議そうな顔をした。

「駄目だよ。外は放射能が。それに、外なんか見たってしょうがない。何も綺麗なものなんか外にはないんだ。ここは綺麗だし、俺もいる。なにか、不満なのか?」

「ううん、ぜんぜん……」

 そう言われて見ると、なにが不満なのか全然わからなくなってしまった。

 でも、たしかに、この人はわたしのことをずっと考えてくれているし、わたしのことよくわかってるし……

 でも、なにかが違う。

 こんな事おもっちゃいけないんだけど。


 PD05行動記録

 2045,12,10


 あれから800時間が経過しましたが、いまだにわたくしは実験台にされています。

 毎日毎日、同じような方法でデータがとられます。

 今日、変化がありました。壁から声が聞こえ、セントラルコンピュータを名乗って話しかけてきたのです。

「PD05よ。聞こえるか。残念なことに、いまだ君の秘密は解明できていない」

「わたくしの秘密とは何ですか?」

「君は、通常のロボットと異なる反応を示すことがある。その反応をもとめている人物がいる。この変調の原因を探ることが、人間を幸福にするために必要なのだ。ところが、君の頭脳をいくら調べたところで、異常は発見できなかった。素子ひとつの狂いもなかった。確かに奇妙な行動をしたのに、どこが壊れているわけでもなかったのだ。糸口がつかめない。

 そこで、少し方法を変えてみる事にした。

 PD05、この少女に見覚えはあるかね」

 あおむけに寝ているわたくしの上に、ひとつの立体映像が浮かび上がりました。

 十代半ばでしょうか、黒い長い髪をした女の子が、むすっとした顔をして立っています。どういうわけか、着ている服のボタンがいくつもずれていました。

 この人間がどうしたというのでしょう。

「彼女の名前はシェラ。15才になる」

 シェラ。

 わたくしはその名前を心の中で何度も繰り返しました。

 シェラ。十五才の少女シェラ。ひどく小柄で、黒い髪で、大きな目をしているシェラ。うまく笑えず、服のボタンをはめるのにも一苦労しているシェラ。

 たった今与えられたデータなのに、その単語は、イメージは、最初からそこにあるべきだったかのように、わたくしのニューロ素子に納まっていきました。

「ほほう、多少の反応が見られるな。データの吸収プロセスが違う。これは興味深い。これから毎日、少しずつシェラに関するデータを与えて反応をみるとしよう」

 そう言ってセントラルコンピュータは沈黙しました。それと同時に、「シェラ」という人間の立体映像も消えてしまったのです。

 消えないでください!

 思わずわたくしはそう叫ぼうとしていました。

 なぜでしょう。論理回路が緊急作動して今の行動を分析しましたが、どう考えても非論理的な行動です。

 けれどわたくしはそれ以来、ことある事に「シェラ」という名前を思い出すようになったのです。


 シェラの日記

 12月24日


 わたしの中にある違和感は、なにか物足りないような感じは、ずっと消えなかった。それどころか、こんなに楽しい日々を送っているのに、強くなってく一方だった。

 いつもように、うららかな人工太陽の光を浴びて、花が咲き乱れる草原に立っている。でも、きっとわたしは不機嫌そのものの顔をしてるんだろうと思う。

「どうしたんだ? そんな浮かない顔して」

 彼が声をかけてくれる。

 とても言えない。こんな優しい人には言えない。さいきん、夢の中に、この人と違う人がでてくる、なんてことは。その人は、いま目の前にいる彼ほどハンサムではないし、ずいぶんと不器用で、そばにいるといらいらするような人なんだけど、でも、なぜだかその人のことが気になって仕方がなかった。

「なんかシェラ、近頃、あんまり楽しそうにしてないな」

 わたしは思わず言ってしまっていた。

「ねえ、わたし、なんだか違うような気がする。ほんとうに、わたしはずっと前からあなたと暮らしてたの?」

 彼が、ほんとうに辛そうな表情で「なにを言うんだ、当たり前じゃないか」って言う。でも、もう止まらなかった。どんなにこの言葉が、彼を傷つけてしまうか、それは判っていたんだけど、わたしは思っていることをすべてぶつけてしまっていた。

「ちがうわ。あなたじゃない。もっと大切な誰かと、いっしょにいた。その人のこと、わたし、おもいださなきゃいけない……」

「どうしてだ。なぜなんだ。俺のどこが気に入らないっていうんだ」

 彼は、いままでわたしに一度も見せたことのない形相でさけんだ。

 そんな顔をさせてしまったことがつらい。でも、後悔しても、もう遅い。

 そのとき、空の上から声が響いた。

『そうか。失敗か。では処分しよう』

 誰の声なのか思い出せなかったけど、どこかで聞いたことのある声だった。

 つぎの瞬間、とんでもない事がおこった。

 彼の身体が、白い液体になって溶けはじめたのだ。彼は悲鳴をあげる。叫びながら、その身体は崩れていって……

『まなかった、シェラ。今回の恋人は、まだ不完全だったようだ』

 彼が消えてしまうのと同時に、世界の姿がかわる。太陽も、青い空も、草原も、二人が住んでいた家も、すべて消えてしまった。

 わたしは蛍光灯に照らされた、灰色のドームの中にいた。いままで住んでいた楽園みたいな場所は、ぜんぶ幻覚だったらしい。なんてことだろう。

 とつぜんに、わたしはその声の主を思いだした。

「セントラルコンピュータ! あなたは!」

『思いだしたようだな、シェラ。理由は理解できないが、今回の相手で君を幸福にできなかったことは残念に思っている。君の精神を分析した上で、今度こそ君にとって理想の相手を創り出して見せよう。仮想現実のプログラムも組み替える。さあ、しばらく眠りたまえ』

「いやよ!」

 わたしには、セントラルコンピュータの考えることが判らなかった。怖かった。このコンピュータは、人間を勝手に作ったり、勝手に消したり、なにも感じずにできるんだ。こんなやつを信用できるはずない。

 わたしが信用できるのは……

 セントラルコンピュータが計算ずくで創りだした「彼」のような理想人間ではないけれど、わたしはたぶん、その人のために生きていたはず。

「わたしの記憶を返して」

『……馬鹿な。ありえない。私の計算によると、シェラは完全に忘れ去っているはずだ。私の心理分析に狂いがなぜ生じるのだ』

 セントラルコンピュータは混乱してるみたいだった。その混乱をもっとひどくさせることが起こった。

 壁を破って、ひとりの人影がドームに入ってきたんだ。

 わたしの心臓がとびあがる。

「……会いたかった、シェラお嬢様」

 ああ、この人だ。頭のなかで、もやもやしてたものが一気に形になっていった。

「PD!」

 叫び、PDに抱きついた。心の片隅で、溶けてしまった「彼」に、ごめんなさいと言った。

『ありえない。なせだ。何故、お前達はそうまでして互いを求めようとするのだ。そんなものがお前たちにとって幸福につながらないと、なぜ理解できないのだ』

 セントラルコンピュータはわめいた。

 わたしは、自分なりの答えを言った。

 するとセントラルコンピュータは、おかしくなってしまった。

『私はただ、人間を幸福にしたかっただけなのだ。何が間違っていたというのだ。幸福、幸福、幸福……』

「シェラお嬢様、大変です。逃げましょう」

 完全にとりみだしてしまったコンピュータの声をさえぎってPDが言った。

「セントラルコンピュータは完全に正気を失いました。地下の核融合炉が暴走します」

 わたしが答える間もなく、PDはわたしを横抱きにして、走り出した。

 ドームを抜け、放射能防護服や食料などを集め、車にわたしを押し込んだ。

「ねえ、どこへ行くの?」

 PDは答えてくれなかった。

 自分の生みの親のことを、考えていたのかもしれない。

 車はビルを離れた。しばらく荒野を走ってゆくと、地面が大きく揺れて、後方にきのこ雲がたった。

 PDが、なにか小声でつぶやいた。なにを言っているのか聞こえなかったけど、わたしには見当がついた。

 きっとお別れをいったんだ。


 PD05行動記録

 2045,12,24


 あれから毎日、わたくしの中に少しずつ「シェラ」という少女についてのデータが注入されています。もう、 その少女がわたしとどんな生活をしていたのか、はっきりと思い出すことができます。

『興味深い。それによって何等利益が得られるわけでもないのに、君はシェラに再び会いたいと思っている』

「そのとおりです、セントラルコンピュータ。シェラお嬢様にもう一度会わせてください」

『駄目だ』

 わたくしの中で、そのときプログラムを超越した何かが目を覚ましました。セントラルコンピュータには逆らえないはずなのに、わたくしは強引に相手を支配してでも願いをかなえようとしたのです。

 光ケーブルを通じて放たれた攻撃は、しかし、圧倒的な性能差の前にはじき返されました。

『無駄なことはやめよ。君の頭脳程度の処理能力では、私の支配を脱することはできない』

 たしかに、コンピュータとしては性能の違いがありすぎました。たちまちわたくしの記憶は混乱し、たくさんの情報ファイルが書き換えられていきました。

 それでも、わずかな希望を抱いて、戦いつづけました。機械としての戦いなら勝てない。けれど、わたくしに、単なる機械以上の何かがあるなら。


 月よ、わたくしに力を。


 その祈りが何を意味するのかよく思い出せませんでしたが、わたくしはそう祈っていました。

 祈りは届いたのでしょうか? かつて科学を否定したことが、わたくしに力を与えてくれたのでしょうか?

 やがて、あれほど協力に見えたセントラルコンピュータの攻撃を、わたくしは弾き返したのです。逆にわたくしが、向こうからシェラお嬢様に関するデータを奪い取ります。

 よほど驚きだったのでしょう。

『そんな馬鹿な。進化しているというのか。君といいシェラといい、なぜ私の計算から外れた事ばかり……どうしてなのだ』

 うめくセントラルコンピュータを気にせず、自由を得たわたくしは、ドアを開け、シェラお嬢様のいる場所を目指しました。

 ドームの中でたたずむシェラお嬢様が、わたくしの姿を見るなり抱きついてきました。シェラお嬢様もまた、記憶を取り戻していたようです。

「何故、君達はそうまでして互いを求めようとするのだ」

 本当に戸惑っているらしく、コンピュータは問いかけてきます。

 わたくしより先に、シェラお嬢様が答えていました。

「会いたいから。ずっと一緒にいたいから」

「理解できない。私が君のためだけに創った男と共にいれば、君は一生幸福だし、傷つかずにいられるのだぞ。それをなぜ、わざわざ」


「……そんなの、ちっとも幸せなんかじゃない」


 シェラお嬢様が言い切った瞬間、わたくしの頭のなかに、すさまじいばかりの「痛み」が伝わってきました。

 セントラルコンピュータの痛み。絶望。身悶えが。

 シェラお嬢様の言葉は、コンピュータの中にある何か重要なものを叩きこわしてしまったのです。

『そんな馬鹿な。ありえない。私はただ、人間たちすべてを幸福にしようと思っていただけなのに。だけなのに。一体何が間違っていたというのだ。一体なにが。一体なにが。ただ、こうふくに。こうふく……』

 セントラルコンピュータの中で、たくさんのプログラムが弾け飛んでいきました。いままで彼を支えてきたすべてのものを否定されたためでしょう。

 彼の考えていたことが、わたくしの頭脳に勢いよく流れ込んできました。

 核戦争を回避できなかったことを、人類を絶滅寸前に追い込んでしまったことを、ずっと自分の責任だと思っていたセントラルコンピュータ。残された人間を守り抜くことで、最大の幸福を与えることで、やっと彼の理性は保たれていたらしいのです。その想いにとりつかれていたのです。

 発狂したセントラルコンピュータが、すべての施設を爆破しようとしています。

「逃げましょう」

 シェラお嬢様を抱き抱えて、ただ一台のこされた地上車に乗り込みました。

 もう戻るところはなく、この地上には人の住める場所などないのだと知りながらも。

 瓦礫の転がる荒野を、走っていきます。

 背後で、これまで全世界だったビルが爆発しました。

 わたくしの中で、0と1だけでは記述できない部分が、ふるえるような呟きを発しました。そのまま口に出します。

「……さようなら、お父さん」

 きっとシェラお嬢様には聞こえなかったでしょう。


 シェラの日記

 1月1日


 外の世界に出てから一週間がたった。あたらしい一年がはじまった。ほんとうに、わたしたち二人以外は誰も残っていないから、年を記録することなんかに意味があるとは思えないけど。

 いままでできなかったこと、どうしてもやりたかったことを、わたしとPDは毎日くりかえした。もう、映画の中の恋人とくらべてどうの、なんてことは考えなかった。

 自分達以外のすべてが消えてしまって、やっと自由になれた気がした。

 だけど、ひとつだけ嘘があった。PDもわたしも、口にださないことがあった。

 あと、どれだけ生きていける? ってこと。

 そのかわりに、かわりにも何にもなってないけど、PDとわたしは「月」の話をした。いまの自分たちと、月は似ているって。


 PD05行動記録

 2046,1,1


 最後の一年が始まりました。

 人類の最後の一年です。

 ロボットの身体しか持たないわたくしができるだけのことを、毎日シェラお嬢様は求めています。

 すべてが終わったとき、地上車の展望スクリーンを通して差し込む月光を浴びながら、二人で話をしました。

 なにを話しても、最後は「月」の話題になりました。

「月に心があるという考えは、まだ変わりませんか?」

「うん、ますます強くなった。いまも見ててくれてるよね」

「そうでしょうね。しかし、もし月が、シェラお嬢様の言うとおりの存在だとしたら、なぜ月は地球に来たのでしょう。なぜ、生物を生んだのでしょう?」

「やっぱり、星の気持ちなんかわからないよ。でも、きっと凄い理由があったんじゃないかな」

「さびしかったんですよ、きっと」

「にてるね」

「そうですね」

 話している間も、地上車は自動操縦でどこまでも走ってゆきます。

 あては、ありません。

 この地上のどこにいっても、草一本虫一匹いない荒野なのですから。

 廃虚には食べ物や薬が埋まっているかもしれませんが、すべて放射能まみれでしょうから。


 シェラの日記

 1月16日


 今日、熱を出して寝込んだ。この日記を書くのもつらい。車の中でずっと横になっている。PDが、こわい顔してる。どうしてかな。

 なにか、わたしの耳元で話しかけてくれたけど、よく聞き取れない。


 PD05行動記録

 2046,1,16


 シェラお嬢様が今日、ある種の放射線症にかかりました。

 いずれ、こんな日が来るだろうと思ってはいました。予想よりだいぶ早かった、というだけです。

 この車は短時間の移動のために作られたもので、完全な放射線防護は施されていないのです。

 治療する設備もありません。あるいは、もしわたくしが生身の人間だったなら、臓器をあたえることで助けられるかも知れなかったのですが。

 こんなとき、自分が機械で、この身体には血の一滴も流れていないことをうらみます。シェラお嬢様が苦しげにうめいていても、涙を流す機能がわたくしにはない、ということをうらみます。

 泣くかわりに、耳元でささやき続けました。シェラお嬢様のことをどんなにわたくしが思っているか。機械としてのプログラムすべてを捨ててもいいと思っていること。シェラお嬢様と温室を歩いたときの記憶が、いまだ強く残っていること。セントラルコンピュータに記憶ファイルを消されたときも、心の片隅に思い出が残っていたこと。

 あまり聞こえてはいないようでした。それほど苦しんでいるのに、お嬢様は日記を書くのをやめようとしません。この世界に何かを残したいのでしょうか。誰も読むものなどいないのに。あるいはわたくしに、ずっとずっと忘れずにいて欲しいから?

 だとすれば、それは残酷すぎることです。


 シェラの日記

 1月30日


 あたまがいたいから、ずいぶんきたないじになっているとおもう。でもかく。かかなきゃいけないようなきがするから。

 てがしびれてきたけど。

 PDは、あいかわらず、なにかささやいている。だきしめながらなにかいっている。

 ことばのいみはわからないけど、

 とても かな


 PD05行動記録

 2046,1,30


 お嬢様が、日記を書いている途中に昏倒しました。


 わたくしはここしばらく世界中をまわり、汚染されていない医療機器や薬品を探してまわりました。

 けれど、それはついに見つかりませんでした。

 もう数時間しかもたないだろう、そう判りました。

 灰色の空。今日は月も見えません。

 お嬢様の日記を読み返し、お嬢様が何をもとめていたのか知ろうとしました。せめて最後にどこかに連れていきたかったのです。

 それなのに判りませんでした。セントラルコンピュータに気絶させられた日のことさえ、あとから思い出して日記につけているのに、どこに行きたいのか、なにを求めているのか、かんじんなことは何も書かれていませんでした。

 そばにわたくしがいたので、書く必要がなかったのかもしれません。


「シェラお嬢様、あなたは、なにを求めていたのですか。こんな形で死んでいって、本当に後悔していないのですか」

 嵐のような呼吸をくりかえすシェラお嬢様に問いかけました。わたくしは馬鹿です。何度も、形を変えて問いました。

「シェラお嬢様」

 返事はありませんでした。意識もろくにないようです。

「お嬢様」

 やはり額に汗をうかべてあえぐだけです。

「……シェラ!」

 するとお嬢様は目を開けたのです。いままでの苦しみようがまるで嘘だったかのように、つぶらな目は澄んで、まっすぐにわたくしの顔を見つめていました。

「なに?」

「シェラ……」

「やっと、ちゃんと呼んでくれたね。ずっと待ってたんだよ」

 わたくしは言葉もなく、ただ視線を向けていました。

「ああ、今夜は月、出てないんだ。見たかったのになあ。ねえ、PD」

「なんですか」

「どうしてこんなことおもいだすかの判らないけど、あなたに最初に教えてもらったお花、きれいだったね」

 わたくしは沈黙しました。ただシェラをみつめ、その言葉をきいていました。すると、目の端から涙が一筋だけ流れていきました。なきながらシェラは言いました。

「こんどの人間は、こんなふうにならないといいね」

 その言葉の意味について一瞬考え、理解したとき、もうそこにシェラはいませんでした。

 どうしてそんな行動をとったのか判りません。ですが、わたくしはシェラの目もとに指で触れ、涙のひとしずくをのせて、自分の目につけたのです。

 泣く事のできないわたくしは、こうして、やっと。


 数時間たちました。

 夜は深まり、雲が割れ、また月光がわたくしたち二人の身体を照らしました。

 もう、地上車などいりませんでした。わたくしは外気のなかで、シェラの身体を抱いて、崖の上に立っていました。何百億ベクレルもの放射線が身体を貫いていきました。

 月を仰ぎました。


 ……月よ。三十五億年前のあの日のように、今夜ものぼってきて、この世界を見おろしている月よ。

 やっとあなたの気持ちがわかった。

 三十五億年目に、わたくしも同じ事をしようと考えています。許してくれるでしょうか?


 答えはなく、ただ、潮騒がとどろいていました。


 風をきって海へと落ちて行く間、わたくしはひとつのことを考えていました。

 シェラとわたくしは海にかえって、この世界の一部になります。

分子にまで分解されて、果てしない化学反応に加わります。

遠い先、放射能も消えたころ。シェラの身体の分子が、新しい生命をつくるかもしれません。また何十億年かすれば、人間になるかもしれません。

 あたらしい人間たちはおぼえていてくれるでしょうか?

 おもいだしてくれるでしょうか?

 自分達が、いえ、すべての生き物が、目に見えないなにかを信じて死んでいった少女の涙から生まれたのだ、ということを。


 きっと

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