世界さいごの涙

ますだじゅん

前編

 シェラの日記

 2045年 7月15日


 生き物が飛んだり跳ねたりする愉快な夢を見なくなって、もうずいぶん長くなる。

 その時わたしが見ていたのも、白い砂ばかりがどこまでも続く、風がびゅうびゅう吹く砂漠をさすらう夢だった。こんな夢を見ても「寂しい」と感じなくなって、もうすいぶん長くなる。

 どうして寂しくなる必要があるの? だって人間も、生き物も、もう実際には誰も、何も。


 目を覚ました。

 わたしは綺麗なベッドの上で目を覚ます。

 綺麗なのはベッドだけじゃない。部屋は広くて、とても豪華につくってある。高い天井、ふかふかの絨毯、たくさんの絵画。「ふつうの部屋」ってのがどんなものなのか知らないから、本当のところはわからないけど。

 でも、どんなに広くて立派な部屋だって。ここは牢獄と同じ。出る事ができない。

 そう思うと、すこし悲しい。ビルの外は放射能に満ちていて、わたしなんか五秒くらいで死んでしまうって、みんな言うんだけどさ。

 でも、暗くて汚い世界だって、防護服を着てだっていいから、やっぱり一度くらいは見てみたいよね。

 長い髪をいじりながら、そんな事をぼけっと考えてると、部屋の木製ドアが開いて、球体を2つくっつけた形のロボットが一体、スーッと車輪で動きながら入ってきた。大きさは、145センチのわたしより小さいくらい。

 この、ぷくっとした感じのロボットは、3日くらい前からわたしの新しい家庭教師をしてるロボットなんだ。朝も起こしてくれるし、何から何まで手伝ってくれる。いやになる位に。

「おはようございます、シェラお嬢様」

「おはよ。ええと、あなたは、PM03だったっけ?」

「PD05でございます、シェラお嬢様。PM03というのは、この間から新しくお嬢様のお食事を作ることになったロボットですよ」

「そうだっけ。わたし頭悪いから」

 丸っこいロボットに向かって、わたしは照れかくしみたいに笑いかける。

 ごめんね、とは言わない。もう何年も、ロボット相手には謝ったことがない。小さい頃、自分のまわりにいる「銀色の人たち」が人じゃなくて機械のかたまりなんだと判った時以来、謝ることはやめた。

「そのような事をおっしゃってはいけません、シェラお嬢様。シェラお嬢様は、『人間』です。我々ロボットをお作りになった偉大な生き物、人間なのですよ」

 PD05はわたしのすぐそばにやってきて、わたしのパジャマを脱がしながら言う。

 うーん。確かにそうなんだけどね。

 でも、人間が偉い生き物だって言われても。

 その偉いはずの人間は、滅びちゃったわけでしょ?

 わたしは、ちょっと怒ったふりをしてPDに向かって言う。

「じゃあPD、その偉大で頭のいい生き物が、どうして手伝ってもらわなきゃいけないの? 朝の着替えくらいで」

「申し訳ありませんでした、お嬢様。それではお一人で」

 そうそう、それでいいの。わたしはせめて着替えくらい一人でやってみたかったんだ。だって、昔はみんな、ロボットの手助けなしで着替えてたんでしょ?

 やっぱり毎日ロボットに手伝ってもらってると、服の着方もまともにおぼえない。ボタンをかけるのに苦労しながら、それでもわたしは服を着替えおわった。得意になって、PDに向き直る。そのとたん。

「お嬢様、ボタンが二カ所掛け間違っています。髪も寝ぐせが……やはり次回からわたくしが手伝うことにいたします」

 たぶん、その時わたしは本当にふてくされたと思う。ふり、じゃなくて。


 PD05行動データ

 2045,7,15


 わたくしが新しい仕事について3日になります。シェラお嬢様の家庭教師という仕事です。データがセントラルコンピュータより大量に送信されて参りましたので、この仕事を遂行することは十分に可能なはずです。


 年齢15歳。145センチ36キロ。痩せ型だが健康に問題なし。

 長い黒髪。

 好きな食べものはスクランブルエッグ。嫌いな食べ物はピーマンとナス。

 学力は水準。情操発育も異常なし。運動神経やや悪い。


 しかしながらシェラお嬢様は、わたしくの名前をまちがえたり、お一人で服を着替えることもできなかったり、データ以上に幼い存在であるように見受けられました。


 シェラの日記

 7月17日


 朝の食事の最中ずっと、わたしは「外の世界」のことを考えていた。

 ふちだけ青い白い皿の中のライスとスクランブルエッグをすくい上げて口に運ぶ間も、この料理の味のことなんか少しも考えてない。

 ただ、もう、外の世界。

 わたしは生まれた時からずっと、シェルター化されたこのビルの中にいる。外には一度も出たことがない。このビルにある何十かの部屋だけが、わたしの知っているすべて。

 外の世界は、不毛な死の世界。放射能に満ちていて、出る事はできない。どのロボットにきいても、そう答える。人間は生きられない世界、ロボットだけの世界だと言う。

 ぜったいに変えることのできない、わたしを一番いらいらさせる現実。


「ねえ、PD?」

 食事のあとはじまった勉強の時間、わたしはPDに尋ねてみた。PDの丸い二つのカメラアイをじっと見つめて。

「なんでしょうか、シェラお嬢様」

「人間は、どうしてわたししかいなくなっちゃったの?」

「核戦争です、お嬢様。何度も申し上げたはずですが。全面核戦争で、われわれロボットを残して人間は滅んでしまったのです。たった一人の生き残りが、お嬢様です」

 そんなことはいわれなくてもわかってる。

 ほんの小さい頃から、それは教えられていた。わたし以外、人間はみんな死んでしまったんだって。わたしは生まれたばかりの赤ん坊で、このシェルター中心部のカプセルの中で眠っていたんだって。

「そうじゃないの。原因を聞いてるんじゃなくて」

 いらついた。ロボットってのは、やっぱり人間の細かい感情の動きは理解できないんだなあ。

「質問してるんじゃなくて、訴えたかったの。どうしてわたしを一人にしたのって。恨んでたのよ、言ってみれば」

「それはいけません、お嬢様。そういった負の感情はいけません。人間というのは、もっと高潔で、協調し……」

「くだらないわ!」

 叫んでいた。テーブルを叩いた。

「人間なんてわたししかいない。つまり、わたしが人間の標準なの。わたしが人間のすべてなの。誰がわたしを決めつけられるっていうの?」

 わたしは最近、こういう言い方をよくするようになっていた。こういえばロボットたちには何も反論できない。

 そして、とどめ。

「だいたい、あなたたちって人間に逆らえないはずじゃなかったの? 人間のためにつくられたんじゃなかったの?」

 ロボットたちに囲まれているうちに、わたしはこの言い方を憶えた。昔の人間たちが書いたSF小説のとおり、ロボットは人間に逆らえないようにプログラムされている。かわいそうな位に、この言葉だけでロボットたちは震え上がってしまうんだ。

 いままでは、そうだった。

 でも、この時だけは違った。

「お嬢様」

 家庭教師ロボットはカメラアイをこっちに向けて、静かにそう言った。

 でも……

「そのような悲しいことを言ってはいけません」

 悲しい? ロボットがそんな言葉を口にできるなんて。感情なんてないはずなのに。人間の心なんて判らないはずなのに。いままで、どんなロボットも言わなかったセリフだった。

「えっ……」

 一瞬、わたしは震える。ロボットに逆らわれたのは初めてだった。叱られたことは何度かあったけど、それは教えられている時、たとえばご飯の食べ方とか、方法を間違えたときのこと。それ以外、ふつうに会話している時は、ロボットたちはいつもわたしを持ち上げてくれていた。

 だから動揺したんだ。「変な奴!」そう思うことで、なんとか動揺をごまかした。

「どうしたのですか、お嬢様」

「ううん、何でもない。PD、勉強をはじめて」

「わかりました、お嬢様。では今日の授業を始めます。さて、昨日の歴史のお勉強は、ヨーロッパの宗教改革について」

 いままでのわたしだったら、この時こう思っていたはず。

「なんの意味があるの」って。

 人間はもう、わたしの他に誰もいない。

 過去は消えてしまった。

 現在は、せまっくるしいビルの中で飼われるだけ。

 未来は……もちろん、そんなのあるわけない。

 いったい何で歴史なんか学ばなくちゃいけないのよ、そう思っていたはずだった。いままで、毎日そうだった。

 だけど、この時は違ったんだ。この時からは違うようになった、と言うべきかもしれない。

 「これもいいな」って、そう思ったんだ、その時のわたしは。

「お嬢様、何をぼうっとなさっているのですか。次からはもう少し、わたくしの授業をお聞きください」

「ごめんね、PD」

 自分でも驚いてしまう位あっさりと、その言葉が口から飛び出していた。何年もまえに、なくしてしまった言葉。

 PDには悪いけど、あとの授業のことはぜんぜん頭に残ってない。でも、それは授業が嫌だったから頭に入らなかったわけじゃない。そうじゃなくて。


 その夜、わたしは夢を見た。

 人間といっしょに、夜の街を歩く夢だった。

 街なんて、じっさいには見た事もないのに。

 人間の顔は、不自然な影になっていて判らない。

 その人間に楽しげに話しかける、わたし。

 手をつないで。

 無人の街を、ただ二人だけで。

 夢に人間が出てきたのは、はじめてだった。


 PD05行動データ

 2045,7,17


 シェラお嬢様は今日、感情の激発と称される行動を行いました。わたくしが「人間」のあるべき姿について述べたことがまずかったのでしょうか。

 セントラルコンピュータはわたくしに、シェラお嬢様をひたすら誉め、謝るよう指示してきましたが、わたくしは独自の判断により異なる対応をとりました。

 それが正しい判断だったのかは、まだ判りません。


 シェラの日記

 9月30日


 何ヵ月かが過ぎた。もう、PDの名前を間違えることはなくなった。

 毎日かったるいなあって思ってた授業が、少しずつだけど楽しく思えはじめた。だって、PDって、他のロボットたちと違うんだもん。

 心がある、そう。間違いなく。わたしの心の動き、わかってくれるし。わたしが大げさに悲しんで見せなくたって、悪いことを言ったときは自分から謝ってくれるんだ。

「お嬢様、ちかごろはお勉強に身が入るようになってきたようですね。大変よろしいことです」

「うれしい?」

「はい、教師として嬉しく思っています、お嬢様」

「えへへ、なにかご褒美? ちょうだいちょうだい」

 顔なんか変化しないけど、それでもわたしには判る。PDはきっと、いまの台詞で驚いた。

「いいえ、そのような事はまったく考えておりませんでした……正直いって驚きました。お嬢様が、そのような事を目的にお勉強なさっていたとは!」

 ほら、やっぱり驚いてた。でも、ちょっといたずらしてみただけなのにこれだけ驚かれると、可愛そうになるよね。

「冗談よ、じょ・う・だ・ん!」

「そうですか。それならよろしいのですが……」

 そう言ってPDは、また授業に戻ろうとする。いまPDが教えてくれているのは、人間の心理について。最近、いちばん好きになってきた科目なんだ。昔は、歴史と同じ理由で、大嫌いだったけど。

「ねえ、PD」

「なんでございましょう、お嬢様」

「さっきから授業きいてると、人間には深層意識とか無意識の衝動とか、いろいろ心の中にあるみたいだけど。PDにもあるの?」

「いいえ、わたくしはロボットです。すべては光学ニューロチップに刻まれたプログラムの指令に従っているだけで、心の働きなどございません」

「でもPDって、他のロボットたちと違うじゃない。前の家庭教師だったFS08とも違うよ。わたしの冗談きいて悩んだり、わたしが変なこといったら叱ってくれたり、悲しいとか嬉しいとか言ってくれるし。感情、あるんじゃない?」

「いいえ、それはお嬢様の気のせいです。新型の家庭教師ロボットであるわたくしは、従来のものとは異なるプログラムをされている、というだけの話ですよ」

 あっさりとPDは言った。わたしには、それがとても気に入らなかった。誰が見ても不機嫌そうに見える顔をしていたと思う。

「ふうん」

 そう言う返事の声さえ、暗い。

「お嬢様、わたくしに感情をもとめているのですか?」

 ふいにPDが聞いてきた。

 うん、とわたしが答えると、PDは勢いこんでこう答える。

「それは大変に良いことですよ、お嬢様! それは、お嬢様が人間としての心を発達させつつあるという、何よりの証拠です。心を持った友人、仲間を求めているという事ですから」

 なぜだろう? そのとき、ふいに怒りがわいてきた。

「PDのばか!」

 ノート、ペン、クッション。そこいら中のものを投げつける。痛くもかゆくもないって判っていても。

「PDの顔なんて見たくない! あっちいって!」

 わたしはそのまま寝室にとびこんで、ベッドの中でうずくまっていた。眠くなるまで、何時間でも。

 どうして、あんなことをしたんだろう。

 でも、とにかく、PDの言葉が許せなかった。


 PD05行動データ

 2045,9,30


 理解ができません。なぜシェラお嬢様は怒ってしまったのでしょう。わたくしはただ、シェラお嬢様の情緒が成長しはじめたことを嬉しく感じただけなのですが。

 どう対応すればよいのか、わたくしには判りませんでした。シェラお嬢様が寝室にこもられてから、セントラルコンピュータに問い合わせてみました。コンピュータの答はこうです。

「それは、人間精神の機微を理解しなかったPD05の無神経さが原因であると推察される」

 どういうことでしょうか、我らがセントラルコンピュータ。わたくしはなおも問いかけました。

「シェラは、確かに心をもった友人をもとめている。この点はPDの推測通りだ。だがしかし彼女が求めているのは、ただの仲間、友人などではない。PD、きみ自身だ」

 どういうことなのでしょうか。セントラルコンピュータの解答は、わたくしの理解を全く絶したものでした。


 シェラの日記

 9月31日


 朝、ずきずきする頭痛の中で、わたしは目覚めた。ひどい悪夢を見たような気がした。

 時計を見ると、ふだん起きる時間よりずっと早い。それでもわたしは、いまだに下手な手つきで服を着替えた。

 ドアを開ける。たぶんそこにはPDがいるんだろう、きのうまでと変わらない調子で。そう思っていた。どんな顔してやろうかって、そればっかり考えてた。

 ところが、そこにはとんでもないものがいたんだ。思わず悲鳴をあげてしまった。 

 だって、そこにいたのは、見慣れたPDの姿なんかじゃなく。

 礼服をびしっと着込んだ、黒い髪を短く刈った、まじめそうな顔立ちの青年だったから。

「お目覚めですか、お嬢様」

「あっ、あっ、あんた誰よっ!」

 驚くのが当たり前。生まれて初めて見た、自分以外の人間だもの。

「何をおっしゃいますか、シェラお嬢様。わたくし、お嬢様の身の回りの世話をしておりますPD05です」

「嘘よ! PDはダルマさんみたいな形してるのよ!」

 すると、黒髪の男の人は、にこっと笑いながらこう言った。もちろん、わたしは誰かに笑いかけられたなんて、これが初めて。人間なんて記録フィルムの中でしか知らないもの。

「そうですね。では、PD05改と呼んだほうがよいかも知れません。わたくしは、お嬢様の要望に応えるため、ボディをアンドロイド・タイプに換装したのです」

 その男の人にとびついた。

「本当にPDなの?」

「そうですよ、お嬢様」男の人は、やっぱり笑いながら。「わたくしが、なぜ、お嬢様に嘘などつかなければいけないのですか? お嬢様、これでずっと一緒にいられますよ」

 ああ。本物だ。この喋り方、ほんもの。

「PD、やっぱり、応えてくれたじゃない……。判ってくれたじゃない」

 昨日、あれだけPDのことを怒っていたのが、うそみたいだった。この、かっこいい姿、これがPDのものだなんて。わたしのこと、判ってくれていたなんて。

 いまのわたしには、判っていた。

 あの時、はじめて夢に出てきた顔のない男の人が、誰だったのか。


 PD05行動データ

 2045,9,31


 セントラルコンピュータからの指令により、ボディをアンドロイド・タイプのものに交換しました。ニューロ素子の納められた思考ユニットを入れ替えるだけなので、技術的にはごく簡単なことなのです。

 ですが、これは本当にシェラお嬢様が望んでいるのでしょうか。セントラルコンピュータは、シェラは恋人としてPD05を求めている、などと言っているのですが。

 しかし、シェラお嬢様と別れるのは好ましくないことです。シェラお嬢様のそばに、可能なかぎり長くとどまることこそ、わたくしの義務であり、存在目的であり、なによりの望みなのですから。幸いシェラお嬢様は喜んでくれたようです。


 シェラの日記

 10月6日

 また、PDといっしょに緑の草原を楽しく旅する夢を見てしまった。うーん。

 嬉しいんだけど、ずっと歩くだけとか。さすがに変化がほしいよね。ふつうの女の子が、好きな人と一緒にどんなことするのか、知らないわたしが悪いんだけど。

 これから知ればいいんだよね?


 そんなわけで、わたしは一日の授業が終わったあとで、PDに笑いながら声をかけて見た。

「ねえ、PD、散歩しない?」

「散歩、ですか」

「このビルの中だって、わたしの知らない部屋がけっこうたくさんあるらしいじゃない。そこを散歩しようよ」

「かまいませんが……一体なぜ? 疑似体験カプセルに入れば、さまざまな景色が楽しめますが。ビルの中などより、はるかに面白いと思いますよ」

「それじゃ、PDと一緒じゃないでしょ! ばか!」

「はあ……」

 困った時のPDの対応、どんどん人間くさくなっていくみたい。わたしが、男の人ってこんな感じなんだろうな、って想像しているものと、よく似てるの。


 ビルの中は百階以上あるはず。思ってた通り、わたしの知らない部屋がいくらでもあった。

 でも、ほとんどは、機械室とか、ロボット製造ラインとか、使われなくなったコンピュータルームとか、そういうのばっかり。

 いい加減、代わりばえのしない部屋と廊下を巡るのに飽きたころ、屋上に近い階で、ついにわたしたちは素敵な場所を見つけた。

 テニスくらいの大きさの、温室、みたいな所。天井から人工太陽の光が降り注いで、ほんわかした空気のなか、あたり一面に緑が生い茂っている。

「わーっ!」

「植物保存スペースですね。核戦争以前の植物のうち、六百種がここに保存されています」

「あとは? 植物の数なんて、そんな少なくないでしょう?」

「もちろんです。大半は、遺伝子バンクの中ですよ。観賞用として価値があると認められたものだけ、ここにあるのです」

「じゃあ、わたしのためじゃない!」

 喜んで、花の香りの中を陽気に歩きだす。

「この花なんていうの? この花は?」

「はあ、それは……」

 面白そうな顔をしてPDが答えてくれる。

「楽しいね。PD」

「そうですね」

 PD、笑ってる。その表情、どこまで本当の感情なのかな。どこまで、機械のプログラムなのかな。

 このまえ見た映画の中で、寄り添いながら花畑を歩いていく恋人たち、という場面があった。わたしもPDに近付いていって、腕を組む。身長がぜんぜん違うから、ぶら下がるような形になる。機械の身体のはずなのに、わたしと大差ない柔らかさがあった。それなのにたのもしくって。

 ……男の人ってのはみんなこうなんだろうか?

 だとしたら、昔の人は幸せだった。世界が滅びる前は、こんな楽しい体験が当たり前のようにできたんだもの。

 教えてもらった花の名前、これからも忘れない。たとえそれが、このビルの外ではまったく意味をもたない、死んだ知識だったとしても。


 PD05行動データ

 2045,10,6


 本日はシェラお嬢様を連れて、このビルの中を延々と散歩いたしました。お嬢様は植物保存スペースがお気にめしたようです。まるで人間の恋人のように、わたくしと腕を組んで……あんなに嬉しそうなお嬢様の顔は、初めて見ます。

 セントラルコンピュータには感謝しています。わたくしは現在シェラお嬢様を必要としているし、シェラお嬢様もまた、わたくしを望んでいるからです。


 シェラの日記

 10月26日


 ビルの中のお花畑は、あれ以来わたしのお気に入りの場所になった。映画の中のデートみたいに、広い場所ではないけど。

勉強が終わったあと、ふたりでビルの中を散歩するのが日課になった。わたしもPDも、勉強の内容くらいのことしか知らないから……話題は 乏しいけど、それでも楽しい。ただ話しているだけで。

 この世でいちばん無意味なことを、最近わたしはよく考える。

 他の人達から見たら、わたしたちって恋人みたいに見えるかな?

 無意味。これ以上、無意味な考えはないよね。だってわたし以外の人間はいないんだもん。あとはPDがいるだけで、その他はガチャガチャいうだけの機械。

 でも、この考え、とても大切に思ってる。


 PD05行動データ

 2045,10,26


 今日もまた、シェラお嬢様とともにこのビル内を歩き回りました。どういうわけか、灰色の通路を歩いている時も、金属のドアをくぐったときも、シェラお嬢様はわたくしの手を握ったまま、まっすぐに視線をあわせ、微笑んでいます。

 まったく理解不能です。人間の感性では、殺風景な場所だとしか感じられないはずなのですが……


 シェラの日記

 10月30日


 今日、わたしとPDは「空」を見た。


 いつもの通りビルの中を散歩していた時、展望室へ出たの。

 そこには、本物の空があった。

「特殊処理した硬化テクタイトを通していますので、放射能の心配はございませんが……シェラお嬢様、一体なにをそんなに震えているのですか? 危険はないのですよ?」

 PDのばか。わたしが震えているのが、怖いからだと思ってる。

 生まれてはじめて「空」を見て、感動しているからに決まってるのに!

 空にはプラチナ色の円盤が浮かんでいた。

 それが教材ビデオで見た「月」だということに気づくのに、五秒くらいかかった。

「あれが月……おもったより、小さいんだね」

「そうですね。しかしそれでも、天文学の常識からすれば異常に巨大な衛星なのですよ」

 PDは笑いながら言う。

「それは知ってる。この間授業でおしえてくれたじゃない。月の誕生は、科学では説明できないって」

「そうなのです。太陽系形成理論で計算すると、月のような天体が生まれる確率は非常に低いのです。どこか別の場所からやってきたのかも知れません」

「何億年もかけて? 遠いとおい場所から?」

「そうですね」

 わたしは考えこんだ。月をじっと見る。

 月は旅人。何のために地球に来たんだろう。それとも、月はただの石ころで、目的なんかないんだろうか。心なんかないんだろうか。

「そういえばPD、前に教えてくれたけど、地球に生き物とか人間が生まれたのは月のおかげだ、っていう説があるんだってね」

「そうです。月による定期的な潮の満ち引きが生命を産んだ。空に浮かぶ不思議なものへのあこがれが文明を導いた。そういう説も確かにあります」

 その説が正しいとすれば。

「じゃあ、ひょっとしたら月は、地球に命をあげるために来たのかも知れないね。人間をつくるために来たのかも知れないね」

「何十億年も、ずっと生き物を見守ってきたんですか?」

「うん、きっとそうよ」

「お嬢様はロマンティストですね」

「そんなに変かなあ?」

 すこし不機嫌になるわたし。

「いいえ、変ではありません。でも、だとすれば、今ごろ月は哀しんでいますね。もう、地球には何も残っていないのですから」

 ああ、そういえば、たしかにそう。昔のことなんか何もしらないわたしでさえ、さびしく思ってるのに。緑ゆたかだった地球を、何億年も眺めて大切にしてた月にしてみれば。それはもう……

 心臓がとまるくらいの、ショック。おもわずPDに抱きついて、涙さえ、すこし流れてきた。

「そうだよね……きっと泣いてるよね」

 PDはわたしを抱きしめてくれている。

「ねえ、PD、せめて月の下で、月に見せてあげようよ。すべてが滅びても、みんな人間が壊してしまっても、わたしたちはいるって。ここで、こうしているって」

 PDはただ、「そうですね」と静かな声で言って、わたしを抱き上げた。

 その顔が近づいてくる。抱き合ったまま、わたしは自分からPDに、唇を重ねた。

 映画の中みたいにうまくはいかなかったけど。それでも月光の下で。

「……ねえ、PD?」

「なんでしょうか? シェラお嬢様」

「あの月は、見ていてくれたかな」


 PD05行動データ

 2045,10,30


 今日、展望ルームで、月の弱々しい光を浴びながらシェラお嬢様とキスをした時、わたくしはお嬢様の言った言葉を思い出していました。

 月に見せてあげようよ。

 その言葉に科学的根拠が全く何もないことは、当然承知しています。それでもわたくしは彼女の言葉に従ってしまった。何の疑問もなく納得してしまった。

 とても不思議です。シェラお嬢様の言う事なら何でも信じられそうな気がするのです。疑うことすら罪悪です。

 自分の中に、プログラムより重大なものが存在することに、わたくしははじめて気がつきました。


 シェラの日記

 11月6日


 しあわせ。

 とにかく、わたしはいま、幸せ。もう何も気にすることなんかない。だってPDと恋人になれたんだもん。

しあわせ過ぎて、なにも手につかない。


 PD05行動記録

 2045,11,6


 ここ数日、シェラお嬢様の様子が妙です。

 いつもニコニコと笑っていて、ただわたくしの横に座っているだけで世にも幸福そうにしているのです。

 この世界が滅んでしまったことも、わたくしとお嬢様以外だれもいないことも、悩みにはならない様子です。

 わたくしも、シェラお嬢様が幸せでいつづけてくれる事を、何より喜んでいます。それがもし、わたくしのせいのであるなら。

 わたくしも幸せです。


 しかし、今日、シェラお嬢様との散歩が終わり、お嬢様が床についたのち、わたくしはセントラル・コンピュータからのメッセージを受け取ったのです。直接指令が来ることは、もう数カ月絶えてなかったのですが。

 それ以上に驚いたのは、メッセージの内容でした。


『よくやった、PD05。きみの任務は終了だ』

「な、なんとおっしゃいました? 我らがセントラルコンピュータ?」

『おや、自分がどのような役割を与えられていたのか、いまだ気づけずにいたのか。

 きみは、人間さいごの生き残りであるシェラの恋愛感情を目覚めさせるために作られたのだ』

「なんですって」

『ほほう、驚愕、か。単なるプログラムに過ぎないのだが、うまく感情を表現するものだ。

 シェラは人間を知らない。彼女が人間に興味をもたず、誰も好きになってくれないならば、人類はここで滅亡する。彼女に、人間への興味を抱かせることが必要だったのだよ』

 わたくしは全身が震えるのを感じました。わたしは人のいない廊下でセントラルコンピュータと無線接続していたのですが、そのままその場に崩れ落ちてしまいました。

 機能上、わたくしのボディには何の異常もないはずなのに、なぜか膝がガクガクと笑い出し、立ち上がることができなかったのです。

「それでは……わたしはもう、用なしだというのですか?」

『そのとおりだ。シェラの本当の相手は、わたしがバイオテクノロジーによって作り上げた。彼女ともっともよく適合する遺伝子を持つ、理想的な男性だ。シェラは彼と結ばれることで、新たな人類を生み出すのだ』

 どう表現すればよいのでしょう。その時わたくしが感じた不快感を。

 セントラルコンピュータは、わたくしの事も、シェラお嬢様のことも、ただの道具としか思っていないのです。

「そんな、ひどすぎます。シェラお嬢様の心というものを理解してください。わたくしの心も」

『心? きみにかね。愚かしい。きみには心など存在しないよ。私とおなじ、ただの機械なのだ。すべては、ただのプログラムにすぎない。すべて計算された反応にすぎない。心があるように見えるだけなのだ』

「違います」

 わたくしはそう反駁しました。セントラルコンピュータの言葉に逆らうなど、わたくしが作られてからはじめてのことなのですが。

『シェラを好きだというのだろう? だがしかし、それも、私のプログラムにすぎない。

 何か勘違いしているようだな。君はただの低機能なロボットだ。

 シェラにとって何が幸福なのか、君になど判らない。

 判っているのは私だ。私はシェラが生まれた時からいて、シェラを育てたのは私なのだから。

 明日、真の配偶者が目を覚まし、二人は結ばれる。当然君はシェラと別れることになる。せいぜい最後の想い出を作るのだな。まあ、その想い出も、ただの光信号のパターンにすぎない訳だが』

 

 それっきりセントラルコンピュータの声は聞こえなくなりました。

 わたくしはいつものように、機能停止状態で次の朝まで「寝る」気にはなれませんでした。人間でも同じでしょう。

 お嬢様と最後の別れをすべきかも知れない。そんな考えも頭をかすめました。けれど、何も知らないで幸せそうに眠っているお嬢様の顔を想像すると、その寝顔を苦痛に歪めることなど、わたくしには決してできなかったのです。

 頭の中のあらゆる思考回路が全開作動していました。けれど、何も判りませんでした。あれだけお嬢様にいろいろな事を教えることができたのに、本当に大切な場面になると、わたくしには何も結論を出せなかったのです。

 気がつくと、わたくしは、あの展望ルームにやってきていました。お嬢様とふたりで月を見て、最初で最後のキスをかわした、あの場所へ。

 月は、今夜も、雲の間を通して清らかな光を投げかけていました。放射能と猛毒の化学物質にまみれたこの世界で、その光はたったひとつの清らかな存在に思えました。

 ああ、シェラお嬢様が、そしてわたくしがこの「月の光」にひかれたのは、決して偶然ではなかったのです。

 たったひとり、とりのこされて。

 月は、シェラお嬢様とおなじ存在だったのですから。


「月よ、おしえてください」


 空を仰いで、わたくしは問いかけました。

 こんな事が科学的に無意味だという事はわかっています。しかし、科学がいったいどれ程のものだというのでしょう。科学がもし絶対に正しいのなら、セントラルコンピュータのいう通り、わたくしには「感情」など存在しないことになるのです。どんなにシェラお嬢様のことを大切に想っても、それは数字で書かれたプログラムにすぎない、ということになるのです。

 そんなことを認めるわけにはいきません。だからわたくしは、むしろ科学を破壊するために、否定するために、祈るような問いかけをしたのです。


「月よ、教えてください。

 あなたがもしも土くれでなく、

 震える心を持っているなら。

 答えてください。

 魂とはなんですか。命とはどこにあるのですか。

 機械のかたまりにも、それはあるのですか。

 あなたにもあるのなら、わたくしにもあるのですか。

 わたくしはどうすれば、どうすればよいのですか」


 月がこたえてくれるまで、わたくしは何度も、何度も問いかけを繰り返しました。

 何十回、問いを重ねたでしょうか。ある時、わたくしの思考回路の片隅に、いまにも消え入りそうな弱々しいメッセージが送り届けられたのです。


 ……答えは、誰よりも君が知っている。


 ああ、そうか。

 その答えは、本当に月が送ってきたのかも知れないし、ただの幻聴だったのかもしれません。けれど、その答えを聴いた瞬間、わたくしの心が、ずいぶんと軽くなりました。わたくしには判ったからです。

 月も同じなんだ。この答えは、わたくしと同じ悩みをもった事のある者にしかできない。そうなのでしょう。

 月がもし命をもつなら。月は科学の法則などのせいではなく、わたくしと同じように、誰かを好きになって、その想いのために、旅を続けたのだと、わたくしには判ったのです。

 わたくしは一人ではない。何十億年も前から、わたくしと同じ悩みをもつ者はいた。それが何よりの救いでした。

 月がどうしてあんなに綺麗なのか、判ったような気がします。

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