1章 山の通は何処へと続く5
「っなあ!?」
足の拘束が外れた韻之介はいち早く部屋の隅にある棚を掴んで身を寄せ、落下を逃れる。落ちるアンメラと目が合う。視線で笑ってやる。
「おのれ……!」
『欠片』の発動を組み直したか、再び書板記述が光を発する。しかし、
「ッチェイリアァァ!」
怪鳥音とでも言おうか。気合いの叫びと共に階下から床材を突き抜けた影が、その足をアンメラの背に叩き込んだ。
落下状態にカウンターで受けた格好になり、音のない叫びをアンメラが発する。
鮮やかな直上蹴りの主は朱馬だ。
あらかじめ朱馬とティアを部屋の真下に配し、朱馬の『欠片』である毒角蛇バシュムの発動準備をさせ、さらにティアをその制御の補助とする。韻之介の合図と共に、バシュムの万物浸食毒により床を落としたのだ。
意識の外から不意を打たれたアンメラは悶絶している。朱馬のことはキングーになったと言うことは知られていても、それを使えるかどうかは把握されてはいないはずだった。
表情を歪めてアンメラが朱馬をにらむ。それに先んじて、韻之介が床の穴へと飛び込んでいた。
正面から攻めかかれば攻撃を扉で無効化、もしくは転用される。ならば意識の外からの攻撃か、他に能力を使おうとしている隙を突く。今をおいて他にない。
「!」
アンメラが気づくが、もはや遅い。落下する勢いのまま、韻之介の拳が頬にめり込んだ。拳を捻り込み、叫ぶ。
「床弁償しろよこの野郎!」
殴り飛ばす。アンメラは吹き飛んでソファに突っ込む。韻之介も態勢を崩したまま階下へ落下。蛙の潰れたような声を発した。
「ぐええ……! 全身痛い……!」
「うわ、痛そ……ちょ、平気?」
「大丈夫か、韻之介!」
朱馬とティアが駆け寄る。韻之介はしばらく床でのたうってから二人に支えられ、ほうほうの体で起き上がった。アンメラは……倒れたソファに埋もれている。
「よしティア。あいつの『欠片』に支配かけるぞ」
傍らの少女へ声をかける。気は進まないが、敵対する相手にいちいち遠慮してはいられない。
ティアも頷く。しかしそこで、韻之介のポケットの携帯端末が呼び出し音を発した。発信者だけ確認しようと手に持つ。
「誰だこんな時に……理事長?」
学舎内の派閥状況ではこちら側の人間であるセッシャー・深水。状況的に無関係とは思えなかった。アンメラをにらみながら通話状態にする。
《ああ、出てくれたか。おそらく鉄火場だろうが、大丈夫かい?》
「お・か・げ・さ・ま・で! 叔母さんちなんですよここ」
電話の向こうの深水は、少なくとも音響的には沈痛な声を発した。
《いやもう申し開きのしようも無い……。こっちから十分な補償はさせていただくよ。とりあえず話は付けた。向こうにきっちり落とし前は付けさせるんで、ここでお開きだ》
それを聞いて、韻之介は用心深く口を開く。
「お開きだってさ、まあその……アンメラさん」
「え?」
後方から朱馬が聞き返すが、韻之介とティアは足だけ見せて倒れている彼から目を離さない。ややあって、
「……やれやれ」
がばりとアンメラが上半身のみの力で起き上がった。口の端から血を垂らして笑う。
「だまされて近づいてきてくれたらさらえたんだけどねえ。理事長も中々手が早いわ……よっ、と」
倒れたソファの上に座り直す。実際どうかは置いても、少なくとも余裕があるように見える。彼がぷらぷらと手で揺らす携帯端末にメールの着信を示す振動があった。
退却の命令であったのだろうか。アンメラは軽い手つきで確認し、ふんと息をついた。
「ここまでね。まさかDクラスのひよっこに一泡吹かせられるなんて屈辱よ。……少し気に入っちゃったわ。次会う時を楽しみにしてて」
「その、そういう趣味ないんで……」
「そこのお嬢ちゃん2人も」
「む……」
ティアと朱馬がぴくりと体をふるわせた。
「青い髪のお嬢ちゃんは知らないけど、奥の子は地栗朱馬ちゃんね。『バシュムの欠片』……そこまで使えるなんて計算外よ。おそらく、学舎の誰にもね」
知られた。「札を一枚切っちゃったわね」とアンメラの表情が告げている。思わず表情が厳しくなった。
こちらの様子に溜飲を下げたか、
「うふふ、チャオ」
笑って再び体をソファの後ろに倒す。そのまま、アンメラの姿は消えてしまった。能力で去ったのだ。
「……ぐはあ、疲れた……」
韻之介はへなへなと座り込む。そこへ、
「無事ですか太母様!」
勢い良く玄関を開ける音と共にイムルが居間に駆け込んでくる。崩落した天井に一瞬絶句したものの、部屋にいる3人を確認して笑顔を見せた。駆け寄ってティアの手を取る。
「御無事でしたか……!」
「んむ。韻之介と朱馬ちゃんがようやってくれたわ」
「ああ……。無茶をさせたね、朱馬君」
「いやいやー。やっちゃってよかったのかなこれ……」
天井に目を向ける朱馬に頭を下げてから、今度は韻之介の方を向いた。何とも深刻な表情である。
「すまない、真っ先に戦線を外れてしまうとは……。良く頑張ってくれた」
悄然として謝る彼女をよく見れば、服は乱れてあちこちが汚れ、髪には木の葉などもついている。
意地悪な一言でも、などと考えていたが、それで霧散した。
「ま、そっちも苦労したろ。たぶん俺が飛ばされてたら助からなかっただろうしな。お疲れさんだ」
ねぎらいつつ、イムルの髪の葉っぱを取ってやる。
「あ……」
そこからのイムルの表情は見物ではあった。
まずぽかんと呆けた顔をし、次に顔を赤く染め、さらに落ち込んだ顔を見せた後、そのまま涙を浮かべた。
「うおっ……ちょ、おい」
「どうしたのイムルさん! どこか怪我!?」
慌てる韻之介と朱馬に、イムルは目頭を押さえ顔を振った。
「あー……。ほれ韻之介、イムルちゃんの面倒は妾が見よう。ちと朱馬ちゃんと片づけを頼む」
それを見たティアは得心した様子で、黙り込むイムルを抱くようにして退室していく。
「どうしたんだ、イムルは」
「あ……あー」
朱馬が、何か納得したような声を出した。
「なんだよ。分かったのか?」
「だいたい。でも言いたくない」
言って、朱馬は散らばった床材を片付け出す。毒自体はすでに解除済みである。
こうなるとまず教えてはくれない。あきらめて、韻之介も片付けに加わった。叔母への謝罪を考えながら。
天命の書板2 佐伯庸介 @saekiyou
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