第2話 仄暗い社長室

社長は私と目が合うと、まるで悪戯が見つかった少年のように笑った。

「君が新しく秘書室に入った子かな?」

「は、はい…」

私はあまりにもあの冴えない写真と違う社長の姿にドキドキして声が小さくなってしまった。

身体にフィットしたランバンのスーツ。そして細すぎず太すぎない適度に鍛えられた身体。そのくせ人好きのするような笑顔に、涼しい声。

イ、イケメンすぎる…

私はバルミューダの電気ケトルを手にしたまま、動揺してしまい、くらりと倒れそうになった。

「危ないっ」

社長は私を身体ごと抱き支えてくれる。抱きしめるような体制になり、私は社長の広い胸板に顔をうずめることになってしまった。鼻腔に香水と、仄かに香るのはーーーー魚の匂い?

「魚?」

私が思わずつぶやくと

「気づかれちゃったな」社長はくすりと笑った。

私はその笑顔に終始ドキドキしっぱなしで、このうるさすぎる心臓の鼓動が社長に聞こえるんじゃないかと思っていた。


「ここにね、エサを置いてるんだ」

社長は私の頭の上の棚に手を伸ばす。棚から「クラゲのえさ」という水色の袋を出した。パッケージにはかわいいクラゲの絵がかいてある。ニコニコ顔したクラゲの絵と、社長が噛み合わなくて私は笑うのを堪える。

「見にくる?社長室に来て。綺麗だよ」

「えっ でもコーヒーは?」

「そんなのいいよ おいで」社長が手を出して来たので私は思わず握り返していた。


*********


「きれーい」

仄暗い社長室にぼうっと浮かび上がるクラゲの水槽はとても綺麗だった。私はクラゲの種類にもアンティークにも詳しくないが、透明なクラゲの水槽とアンティークの調度品とで社長室だとはとても思えない不思議な部屋だった。

あやかがじっとクラゲを眺めてみると、後ろから社長に話しかけられる。

「絵麻さんからは熱帯魚にしろって言われてるんだけどね」

「えっなんでですか?」

「クラゲはすぐに死んじゃうから」

整った社長の顔が歪む。

そういえば、どうしてこの部屋はこんなに暗いんだっけ?

「クラゲは死んでも美しいのにね…理解されない」

やけに調和のとれたこの部屋と社長…あやかは思わず後ずさりした。

すると突然

「社長!」と男性社員が飛び込んで来た。

「なんだい?伊東くん」

ノックもせずに入って来た伊東、というメガネの男性社員の非礼に動じることなく社長が答える。

「うちの部署のテストの成績が、平均よりダントツだったので急いでご報告を、と思いまして!」

ニカッという体育会系のような笑顔で伊東は答えて社長にグラフを渡した。

テスト、というのは弊社に定期的にある社員のための試験のことだ。その試験に合格すると、給料があがるので受験する人は多い。


「ですから、前からも言っていたように優秀な人が多い我が部署の予算を増やして欲しいんですよね」

「この平均点、おかしくないか?他の部署がやけに成績が0点の人ばかりだ」社長が話し続ける伊東を遮って言う。

「もしかして、他の部署はわざと0点を取ったんですかね…」

あやかは思わずつぶやいていた。そんなあやかを見て社長はニヤリと笑う。

「そうかもしれないね、伊東くん、調べてもらえるかな?」

「えっ、あっ、はい」

思いもよらぬ返答にあからさまに伊東は狼狽えた。慌てて社長室から出て行く。

大きな音を立ててドアが閉まった。


「生意気な女だな…」ドアの向こうで伊東は唇を噛み締めてつぶやいていた。

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新妻社長秘書 あやか ちなみ @tinami

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