朝涼の傾国

葦元狐雪

朝涼の傾国

 早朝の境内の掃除は僕の日課である。

 雨の日も風の日も、雷の日も嵐の日も怠たることはなかった。

 人は皆、僕を勤勉だと言う。そんなことはない。いや、謙遜ではない。ただ、当たり前のことを当たり前のようにこなしているだけなのだ。


 例えば寝る、飯を喰う、排泄をする、息を吸う、ホクロに生えた毛を気にするなどの至極当然のことを、厭わしく思うだろうか。いや、思わないだろう。僕にとって、境内の掃除とはある種一時的欲求と同義である。


 ゆえに七月二十八日の午前五時の境内にて、僕は箒を持ち石の床を掃いている。天気予報曰く、日がな一日晴天らしい。それを如実に表している明け離れた青空の果てには、薄く赤い流線形がいくつも伸びている。まるで空をキャンパス代わりに筆で描いたみたいだ。そのまま目線をちょっと下げると、両脇を家家に挟まれた、片側一車線の道路がまっすぐ続いている。果ては金波銀波を散らした海が広い。この長い参道の石段を登ったところに構える宮地獄神社からよく見える。普段参道の掃除は父の担当なのだが、夏休みなどの長期休暇の場合は僕が代わりを担う。幼少期からのならわしである。


 三つの大きな鳥居をくぐり、一段目に取り掛かる。隅に追いやるように塵芥を掻き寄せてゆく。早起きのアブラゼミが鳴きはじめているが、幸い未だ涼しい時間なので、鳴き声に暑さを増長させる効力は発揮されていないようだった。僕は無心に掃いた。


 やがて石段の終わりまでたどり着くと、集めた塵芥をビニール袋に入れて口を縛った。振り返り、腕で額の汗を拭いながら頂を仰ぎ見れば、そこに女性が座っていた。

 日傘をさしている白皙の女性は僕を見ているようだ。目が合う。


 花柄のタックロングスカートに白のシャツ。狭い肩にミントブルーのジャケットを羽織っている。スラリと伸びた長い脚を組んでいる。


 気の毒なほど美人だ。僕は未だかつて、これほどまでに造形の整った女性を見たことがない。蜂蜜色の髪の毛の先から、黒のパンプスの先まで素敵だ。凛とした顔に微笑を湛えている様は、地上のすべての男性を魅了できるのではないかと思った。それほど彼女は魅力的かつ蠱惑的だった。


 僕はゴミ袋を片手に石段を登った。途中、どうして今の今まで気がつかなかったんだろうとか、どうしてあんなところにひとり座っているんだろうとかを考えた。ゴムのサンダルがザリザリと音を立てる。一歩一歩、数えるように登る。

 するといつの間にやら、僕は女性の目の前に立っていた。彼女は依然として僕に婀娜めく眼差しを向けていた。


「おはよ」

 小さい顎を手のひらに乗せて微笑んだ。僕も「おはようございます」と応じた。

「お散歩ですか?」

「そうねえ、そんなところかしら。キミは、神主さんの息子さん?」

「はい、そうです」


 僕は肯いてみせたが、いつもより挙動が大きくなっているように感じた。舞い上がっているのだろうか。緊張しているのだろうか。

 近くで見ると、ますます美人に見えた。無理もない。健全な男子高校生として当然の反応だ——と自身に言い聞かせた。


「嗚呼、やっぱり。よかった」

 と、女性は「パンッ」と両手を合わせて言った。その言葉にはまるで、はじめから僕に用向きがあるようなニュアンスを帯びていた。


「よかった?」

 僕は訊いた。

「ええ。私、キミに用事があって来たんだもの」

 思った通りだった。

 女性は答えると、すくと立ち上がった。


「私、千鶴っていうの。この後、もしよかったらなんだけど、付き合ってくれない?」

 千鶴と名乗る女性の冷やりとした柔い手は、僕の両の頬をそっと優しく包み込んだ。

 手慣れたような仕草とその甘美な言葉に、心臓が爼上の鯉もかくやと暴れ回ったことは自明である。



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 僕のいたいけなハートをぐわしと掴んだ傾国美人は大学生であった。

 曰く、宮地獄神社の界隈に建つ、十三階建のマンションに住んでいるらしい。およそ五ヶ月前に分譲を開始した新築である。トンテンカンテンと工事の喧しい音が日中鳴り響いており、登下校の度に「いつ終えるのやら」と思っていたが一年ほどで完成した。僕は昨今の建築技術力の高さに瞠目した。さながら大規模な変身マジックショーである。


 千鶴さんは一人暮らしだという。かくのごとき豪奢な一端の大学生がひとり暮らすにはあまりに広い三LDKオール電化の一角に鎮座する彼女は只者ではない。おそらく、どこぞの富裕者の娘であろうことは想像に難くない。僕は尋ねてみたけれど、千鶴さんは微笑むばかりで、いっかな返答に応じることはなかった。


 僕は芬々と香る花に誘われるミツバチのように千鶴さんに惹かれると、市街地の路地裏にあるうどん屋の前にたどり着いた。

 店名は『秋月』という。千鶴さんはここの常連客であるそうな。この街に二十四時間営業のうどん屋は秋月だけらしいが、客足は芳しくないと言う。


 僕たちは奥から二番目と三番目のカウンター席にめいめい座った。店内を見回すと、なるほど人の気配を感じられない。とうもろこし色の砂壁に掛かる古めかしい時計は、午前六時を示していた。空調が効いていた。


「いらっしゃい。何にいたしましょう?」

 カウンター越しから店主らしき男性が訊いた。千鶴さんは「冷酒をもらえるかしら」と答えた。


「ねえ、キミは何にする? お腹空いてるでしょ。遠慮しなくてもいいから、なんでも好きなものを頼みなさいな」

 僕は逡巡したけれど、やがて漂う美味しそうな匂いに屈して肉うどんを頼んだ。しかし千鶴さんは「それだけじゃ足りないでしょ」と言って、親子丼を追加で一つ頼んだ。


 五分後、卓子の上に三本の徳利と肉うどんと親子丼が並んだ。

「なんだか、すいません」

 僕は一揖してから箸を割った。

「いいのよ、気にしないでちょうだい」

 千鶴さんは御猪口に冷酒を注ぎ、ぐいと飲んだ。それに合わせて、僕もうどんを啜った。


「食べながらでいいから聞いてほしいのだけれど」と千鶴さん。

「なんでしょう?」

「無理に返事しなくてもいいのよ。ゆっくり食べなさい。キミは私の話に耳を傾けていればいいの。ちょうど食べ終わるタイミングで質問をするから」

「わかりました」


 そして僕は忌憚なく肉にかぶりついた。

 千鶴さんは二杯目を飲み干すと、話はじめた。

「私ね、太陽がとっても嫌いなの。暑いし、日焼けするし、汗をかくし、とにかく鬱陶しいのよ。綺麗な空にどっかと偉そうに居座って何様なの? って感じよね。おかげ様で私はいつも日傘を持って出かけなくちゃいけないのだわ」


 やれやれだわ、と千鶴さんは言った。


「しかも、太陽の表面の温度は約六千度って言うじゃない。とてつもなく熱々の球体がこっちをずっと見ているなんて嫌よ。特に夏季は日照時間が長いから困るわ。そんなに暑いなら外に出ず、引きこもってしまえなんて言う失敬な人がいるのだけれど、大学一回生の私が日がな一日薄暗い部屋に閉じこもるなんて、どだいできるはずがないのよ。サークルのイベントを逃したり、必修の単位を落として後々泣くことになるのは自明だわ。それに、私という国色天香が逼塞するのをよしとする男がどこにいるのよ。きっと、私の住むマンションに長蛇の列を成す男たちの写真が朝刊に載るに違いないわ。だから私は男たちを安心させてあげるために、毎日外へ出ているの」


 嗚呼、悩ましい。千鶴さんは、ガラスの御猪口を陶然たる面持ちで眺めている。ふと、ため息を吐いた。


「ただ、外にいる時間が長いとトラブルに巻き込まれる日もあるのよね。この間は、危うく海賊船の船長と結婚させられそうになったし、その三日前には何の気なしに入ったラーメン屋さんでゴリラが働いていたり、一月前なんて厚化粧をしたロンドンブーツの女に呪われちゃって大変だったんだから」


 そう言うと、千鶴さんは再び太陽に罵詈雑言を浴びせ捲り、夜がいかに素晴らしいかを説いた。

「その点、月や星は控えめでいいわね。特に月。日々形を変えてゆくのがいい。尖ったり、丸くなったり、ときに見えなくなったりしてね。まるで、あの人みたいで可愛い」


 あの人とは、千鶴さんの意中の人だという。

 僕は思わず食べかけの親子丼を吹き出した。すると、それを見た千鶴さんは腹を抱えて笑った。

「あらまあ。ちょっとキミ、大丈夫? 気管にお米が入っちゃったのかしらね、ふふ」


 彼女は僕の背中をさすりながら笑う。なんだか居た堪れないような気分になった僕は、「すいません、大丈夫です」を反復した。

 水を何杯か飲んで落ち着いた頃、千鶴さんは十本目の徳利を空けた。白皙の頬が桃色に上気して艶かしい。


「ねえ店長さん、もうなくなっちゃったの」

「そいつは残念だねえ」

 破顔した店主は、いがらっぽい声で答える。

「ついでに、その辺でやめといたらどうですかい。それに大嫌いなお日さんの下じゃあ美酒も悪酒と成り果てましょう。また今夜にお越しください。幸いにも、今宵は満月ですから」


「それは楽しみだわ。ところでキミ」

 千鶴さんはちょうど僕が食べ終えて一息ついたところで訊いた。

「常世の儀をご存知かしら?」



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 全国に点在する宮地獄神社の総本山である、ここ福岡県福津市宮司元町に位置する宮地獄神社は、開運商売繁昌の神社として人口に膾炙しているなどと抜かす輩が近頃あとを絶たない。


 彼らは「みやじだけじんじゃ」と言うが、正しくは「みやじごくじんじゃ」であるし巨大な注連縄はない。参道や境内は閑散として人気がなく、常に土産物屋などが居並ぶのは無理がある。よしんば居並んだとて、大量の招き猫やダルマ、松ヶ枝餅を抱え込み、差損に頭を抱えること請け合いである。年に一度の秋祭りの際は屋台が並び、人もそこそこ集まるがその日以外にわざわざ足を運ぶ者は少ない。


 そもそもここは福岡県ですらないのだから、なにゆえ間違えるのかと疑問に思った僕は訊ねてみたところ、彼ら曰く「平行世界に迷い込んだ」と言う。パラレルワールドとはなにか。


 いや増す疑問に懊悩する僕は、現前する非現実的な問題に早々に踏ん切りをつけ、一種タイムトラベラーの類であると断じた彼らを十把一絡げに放逐した。


 後悔はしていない。可及的速やかに問題解決に至るには、我が子を谷底へ蹴り落とすごとく無慈悲的手段が最善であると思ったからだ。あて推量にモノを言ってはいかんのだ。ゆえに、僕は確固たる根拠を得るまでは彼らに具案を呈することをよしとしない。しかし匙を投げたなどと思わないでいただきたい。必ずや僕が端緒を開いてやろう。誰かが困っているならば、その人を助けるのは当然である。僕はただ、当たり前のことを当たり前のようにこなすだけである。

 僕は豪然と立ち上がった。


 千鶴さんとトラベラーズのために奔走する一週間だった。

 『タイムトラベル』ならぬ『パラレルワールド・トラベル』を引き起こした原因を探るのは至難であるように思われたが、それは思いのほか簡単に解決した。時空の歪みがもたらした怪異であることは、宮地獄神社の敷地内にある蔵の中、埃をかぶっていた書物によって明らかになった。


 文治元年。時空の歪みを生じさせる人形が存在し、パラレルワールド・トラベルを実地に体験し生還を果たした者の当時の話が、恐ろしく達筆な文字にて記されていたのを、いつの間にやら背後に立っていた千鶴さんが読み解いたのである。


「驚かせてごめんなさい。でも、錠をかけ忘れていたキミが悪いのよ。不用心にしていると、悪い人に悪戯されちゃうんだから。——あら、それって平安時代のパラレルワールド・トラベルについての記録じゃない? ちょっとみせてくれるかしら」


 唯々諾々に手渡すと、ものの数分で「よし、わかった」と言って本を閉じた。

「福魔駅に行くわよ。困ってる人、助けるんでしょ?」

 千鶴さんは微笑んだ。



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 福魔駅は宮地獄神社から二十五分くらい歩いたところにある駅である。駅構内には禍々しい悪魔の風貌をした、巨大なマスコットキャラクター『くふくふ』が往来を見守っている。


 時刻は午後二時。


 僕たちはくふくふの前に集まり、悄然たる面持ちをした五人のトラベラーズに帰還の方法をレクチャーした。すると、彼らは欣喜雀躍して喜んだ。


「本当に、この人形の金的を蹴り上げればいいんですか?」

「はい。存分に蹴り上げてくださいまし」


 千鶴さんが答えた。

 社会通念上、マスコットキャラクターの金的を蹴飛ばすのは非難の誹り免れないことではあるが、一朝有事の際であるため御寛恕を乞う。


「では、どなたからでも構いませんので随時にどうぞ」

 僕はそう言うと、狸のように垂れ下がった巨大な陰嚢を手で示した。

 トラベラーズはめいめいジャンケンをして、勝った順から蹴り上げることに決めたようだ。


 まずは、神奈川県からやってきた男が渾身の力で蹴った。紫色の膨らみは、『凹』の字を逆さにした形に歪んだ。

 瞬間、神奈川県の男は霧散した。跡形もなく、まるでプリンセス天功のマジックのごとくその場から消え失せた。歓声が上がる。

 次いで、愛媛県の女がスカートを手で抑えながら蹴った。消えた。小さな歓声が上がった。


「どういう仕組みなんだろう」

 僕は独り言のように呟く。すると、千鶴さんが答えた。

「昔はね、この場所に妖怪を摸した人形があったらしいの。その人形は誰が作ったのか、また何の目的で作られたのかが分からなくて、たいそう不気味に思われていたそうよ」


「どんな妖怪なんです?」

 僕はおどろおどろしい河鍋暁斎の描く妖怪をイメージした。しかし次の瞬間、それは否定されることになる。


「へんてこりんな姿だったらしいわよ。酩酊した恵比寿さんが、鞠を食いちぎろうとしているみたいな。それを見た人たちは「けしからん!」と言って、その人形の金的をこぞって蹴り上げたの」

「どうして金的を......」

「大きくて、立派だったからじゃないかしら。蹴りやすそうだし。ちょうど、こんな風にね」


 千鶴さんは怪しげな笑みを浮かべている、紫色の悪魔を顎で示した。急所を攻め続けられてなお、顔色一つとして変えない彼を見ていると、こちらのこちらが痛くなる錯覚に陥る。僕は下腹部に微かな鈍痛を感じながら問うた。

「それで、その人形はどうなったんですか?」

「甚振った人たちが次々と謎の失踪をするものだから、とうとう焼き払われたみたいよ」


「え」


 僕は絶句した。あんまりだと思った。

「ひどいことをしますね」

「あら、優しいのね。まあ自分の理解しがたい未知の物体に対して攻撃的になるのは、一種生き物としての本能だろうから、仕方ないのかも」


 千鶴さんは困った風に言った。そして続けた。

「でもね、何日か経って失踪した人たちが帰ってきたの。その人たちは帰るなり、「あの人形はどこある」と言う。「燃やした」と答えると、ものすごい剣幕で怒ったそうよ。彼ら曰く、あちらの世界にもあったその人形のおかげで帰ることができたんだって。あれは、神様に違いない。我々は罰を受けたが、慈悲深い神様が許してくれたのだと」


 喫驚仰天した人々は、すぐにそっくりの人形をこしらえると、敬虔に信仰したという。人形は時代の変遷とともに姿形を変え続け、現在は福魔駅のマスコットキャラクターであり、何故か悪魔である。そんなくふくふは魔除けとして、たいへん人気がある。人気であるゆえに、僕たちのやっている行為を見た人たちは快く思わないだろうし、ともすれば激昂したファンによって僕たちの金的が危ない。


 僕はあたりを見回した。幸いにも、僕たちを気にする者はいなかった。千鶴さんを見やる。


「じゃあ、金的を蹴り上げるとパラレルワールド・トラベルが起こると、例の書物に記してあったんですか?」

「そうね。正しくは、『蹴り上げると神隠しにあう』だけれど——」


 最後のトラベラーズである、沖縄から来た男が消えるのを見届けるや、千鶴さんはくふくふに向かって歩きはじめた。

 まさか——


「千鶴さん!」


 僕は叫んだ。千鶴さんはいつの間にか取り出した古い本——あの蔵に納められていたであろう本で口許を隠し、肩越しにこちらを見た。微笑しているのか、目を細めていた。


「それは......」

「ありがとう。キミのおかげで目的を果たせたわ。御察しの通り、これは『常夜の儀』について記された本よ。そして何を隠そう、私もパラレルワールド・トラベラー。

 本当はきちんとしたお礼をしたかったのだけれど、時間の関係でちょっと無理そうなの。ごめんなさい」


 言うと、千鶴さんは細く長い右脚を後ろに大きく引いた。黒のパンプスが臀部のあたりでピタリと止まった。


 このまま帰ってしまうのだろうか。そう思うと、なんだか胸のあたりがジクジクと痛んだ。帰ってほしくない。というか、このあと彼女をご飯に誘う予定だったから、気勢をくじかれたようでなんだか悔しい。僕も一緒に連れて行ってくれないだろうか。言いたいけれど、言葉が喉に絡みついて出てこない。素気無く断られる気がしたのだ。


 胸に手を押し当てると、拍動の音が激しく踊るようであった。

 思えば、これが僕の初恋ではなかろうか。今まで異性に好意を向けられたことはあっても、自分はそれに応えることも向けることもなかった、ときめかなかった、しかしときめいた。理想の女性は彼女以外ありえない。僕の鉛色の心を、鮮やかな紅梅色に染め上げたのは他でもない——千鶴さんなのだ!


 僕は大きく息を吸い込むと、眦を決した。

 しかし、僕が鬱勃たる胸臆の想いをブチまけようとする寸前、千鶴さんはくるりとこちらを振り返った。肩に掛けたミントブルーのジャケットと、花柄のタックロングスカートがふわりと翻る。

 千鶴さんは莞爾と笑うと、こう言った。


「私、女の子しか愛せないの」


 稲妻に脳天を貫かれるごとく衝撃が疾った。

 豈図らんや、千鶴さんが同性愛者だったとは。僕の胸の裡にあった燃え盛る想いは瞬く間に鎮火した。


 女の子しか愛せない。女の子しか愛せない。

 千鶴さんの科白を、驚天動地の渦中にある脳内で反芻する。しかし何度咀嚼しようとも、飲み込むことはできなかった。吐き出そうにも、やり場がない。

 半ば人事不省の状態にある僕をまんじりと見る千鶴さんは、やおらこちらに歩み寄ると、「しょうがないわねえ」と言い僕の鼻頭になにやらこの上なく柔いモノを押し付けた。


「はい、おしまい! じゃあ、元気でね」


 一歩後ろに飛び退くと、千鶴さんは左足を軸に回転し、格闘家さながらのキックをくふくふの金的にお見舞いした。

 千鶴さんは、跡形もなく霧消した。



      $



 一週間後、僕の鼻頭はニキビに犯された。

 

 

                                   <了>

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朝涼の傾国 葦元狐雪 @ashimotokoyuki

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