ちかくの扉が開けたら、今世できっと会えるよね

SATAカブレ

二人ならきっと大丈夫

 

 今日まさに今この時間、皆さんはどんなかっこうで、

 どこでなにをしていますか?


 えっと……と考えていただいた方、

 もしいらっしゃいましたら、ありがとうございます。



 今その、あたしに言われて認識をしようとして、まずきっかけにしようとしたのは目から入ってくる視覚という情報だと思います。

 なぜなら、知覚において視覚が有する情報処理の割合は約8割にも及ぶからです。


 目という感覚器官で外界の対象物を捉えて、知覚に基づいて、そして経験と知識に基づいて、その上で自分で答えを導き出して、それぞれのものを決めつけているって感じです。

 案外、曖昧なものです。


 ええと、話を進めます。

 その視覚をはじめとした五感は低次元なものであると(今回は)考えます。


 知覚によるものである以上、

 その目から入った情報は本当は勘違いかもしれない。


 それはあなたの主観に基づいた決めつけに過ぎないから。

 それを勘違いしないでいる事はとってもむずかしい。


 あなた一人しか見ていない状態で、あなたの目の前の透明のグラスが、水玉模様なんかあしらわれていない、と証明することくらいむずかしい。


 けっきょく、物の本質は視覚なんかでは感知できないようになっているっぽいんです。多分ね。


 あなたのあたまの後ろ側で起きている出来事は実際に起きている事ですが、あなたはそれを目で確認する事が出来ません。

 あたまの後ろには目がついてないからです。

 なのでもしそのあたまのすぐ後ろ側で起きている事こそがでありであるとすれば、

 あたし達はみんな、それを知り得る事が出来ませんね。

 確認ができないのだから。残り2割の知覚なんざ、たかがしれてます。




 ――さて、はなし、かえていいですか。それも思いっきり。


 『美しい物』は目で眺めて、要は視覚で感じることが出来ますよね。

 美しいなあ、と。

 でも、

 『美しい』という、そのものは視覚で感知しようがないんです。

 『美しい』そのものはなかなか知覚出来るようなものではないと思います。


 視覚ではあくまで『美しい』とゆうものに似ているもの、

 と言ったらいいのかな、

 それを各個人が対象に対して当て嵌め決めつけているに過ぎない。

 美しいに限り無く似ているものほど美しいと。


 自分がイデアのみだったころ、なんてものがあったなら、その時知っていた『美しい』というもののイデアを思い出して、いまこの世界で当てはめている感じ。あぁ、美しいってあんなだったな。って。


 それを人より思い出せる人は、きっと芸術家として才能があるでしょう。


 結局のところ、なにが言いたいのかというと――


 ――――いつか、

 いつかあたしのこともそのくらい、思い出してもらいたい。



 そして、あたしはあなたのことを思いだそう。

 時間がかかっても、きっと思い出すから。


 どんなに馬鹿と言われようが、あなたに隠されようが。

 壁に映ったただの影を、あなただと勘違いすることもあるかもしれない。

 勘違いしている間は、それに夢中になってしまうかもしれない。


 ――でもちゃんと、こっちじゃない、こっちは影だ、って向かいのあなたに気付いて思い出す。思い出すから、あなたもあたしに思い出させる手助けをして。


 空から降り注ぐ無数の光。

 もし、たとえあなたがその中の単なる一筋の光になろうとも、

 それがあなただって気付いて見せる。

 あたしが気付いて見せるから。


 太陽から延びているその光を、

 あたしは決して離さないから。

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