パパバッハにパパシューマン

沓屋南実(クツヤナミ)

パパバッハにパパシューマン

 日本の少子化は、どこまでいくのでしょう? 外国人労働者に頼れないとなると、やがて、日本は静かに沈んでいく。高名な学者の予測にも、実感は乏しくて。いやいやしかし、何か考えねば。難しいけれど、手を打たないと子どもたちやその後の世代に、恨まれます。

 さてどうしたら良いのか。ズバリ、お金の問題は大きいですね。フランスで、子ども関連手当を増やしたら(手当や減税含めるとひとり月5万とも)出生率が上がったことからも実証済み。ではお金があれば、すべて解決でしょうか? お金持ちが子沢山かというと、むしろ貧乏人の子沢山のほうが事実として語られます。

 時代がとんで恐縮ですが、クラシックの歴代作曲家の子沢山といえば、1685年生まれのヨハン・セバスティアン・バッハが群を抜いています。子どもたちも作曲家になっているので、区別のために大バッハなどと呼ばれますが、パパバッハでも良いかもしれません。最初の*1との間に7人、再婚の*2との間には13人。結婚したのが22才で、若くして父親になりました。

 大バッハを生涯師として仰ぎ見た、1810年生まれのロベルト・シューマンも子沢山で有名です。8人というのは大バッハの半分にも満たないですが、13年ほどの間ですから、ハイペースぶりは大バッハに負けていません。病気がちで作曲が途絶えることはあっても、可愛い天使を迎え続けました。

 ふたりは、今でこそ大作曲家として知られていますが、生前は報われたほうではありません。ただ、比較的安定した収入を得て、家庭生活が落ち着いていたことは共通しています。大バッハは、宮廷や教会に雇われ俸給で暮らすことができました。シューマンのほうは、*3がピアニストを続けたので、高額の稼ぎがありました。ふたりとも、ほかの女性に気をとられず、妻への愛情が絶えなかったことが、作品からもうかがえます。

 音楽家はそこそこの容貌があれば、けっこうモテる職業です。天才の作品にうっとりする観客、仕事で接する美貌のプリマドンナにソリスト。出会い多く浮名を流す作曲家は数知れず。大バッハもシューマンも妻の傍らで仕事に没頭し、人生を終えました。

 つまり、私は家計とパートナーとの関係が安定していることこそ、子どもを迎えるのに何より重要だと言いたいわけです。

 パパバッハにパパシューマンが、どれぐらいイクメンであったかは不明ですが、ふたりとも作曲家なので在宅で仕事ができました。子どもの成長を間近に見守り、ときには一緒に遊んだり音楽を楽しんだりしたに違いありません。音楽の中に父親としての幸せを感じることがあ*4、私の心はほっこり温まります。




*1 大バッハの最初の妻は、一つ年上で従姉のマリア・バルバラ。結婚生活13年で死別。

*2 大バッハの2番目の妻、アンナ・マグダレーナは16才年下のソプラノ歌手。「アンナ・マクダレーナ・バッハの音楽帳」は妻の鍵盤楽器の練習のための、夫からの贈り物である。

*3 シューマンの妻、クララ。旧姓ヴィーク。9歳からおよそ60年もの間現役で、最高峰のピアニストだった。初期のシューマンのピアノ曲はほとんどクララへのラブレターのようなもの。クララコードと呼ばれる音型が、随所に織り込まれている。

*4 大バッハのゴルトベルク変奏曲の第30変奏には、「長いこと御無沙汰だ、さあおいで、おいで」と「キャベツとカブが俺を追い出した、母さんが肉を料理すれば出て行かずにすんだのに」という俗謡が使われている。日常のなかで、バッハの子どもたちも口ずさんでいたことだろう。

ロベルト・シューマンには、「子どものためのアルバム」というピアノ曲集があり、長女の誕生日祝いとして書きはじめられた。ピアノの上達に合わせた内容になっており、今日も発表会の場などで弾かれている。ほかにも、子どものためのピアノソナタや歌曲集がある。



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パパバッハにパパシューマン 沓屋南実(クツヤナミ) @namikutsuya

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