Stage 5-5

 木々が生い茂る斜面にも大小様々な間欠泉が存在した。どうやら間欠泉の密集地帯らしい。突然、爆発音と共に水柱が飛び出してくる。岩の間から今まで見た中で一番大きな間欠泉が水蒸気をもくもくと生み出していた。

 噴き上げた熱湯はしばらくの間、そのままの状態を保ち、次第に収束する。それが普通の間欠泉なのだが、この間欠泉は何かがおかしかった。

 ギャァギャァとけたたましい烏の鳴き声が森の中に響く。間欠泉の熱湯の柱は弱まるどころか量を増しながら、自然にはあり得ない動きをし始めた。大蛇のように大きなとぐろを巻いて白い柱は天に昇っていく。そして、不規則に動きを変え、急降下して秋依たちに襲いかかる。

「逃げろ! かたまるな、分散しろ!」

 素早く指示を出し、必登は自ら前方で大刀を構える。少年の宝天を葛城王が背後に庇い、広人が武器を持たない浜奈と楓の身の安全に気を配る。その間にも、間欠泉は不気味な動きを見せ、それだけでなく先ほどまで白かった柱が紫色に変化していた。

「何なんだこれは。朱雀か!?」

 千夏と並んで立っている老が叫んだが、否定的な答えが浜奈から返ってきた。

「違う、よくわからないけどすごく邪悪なものの気がする! 三保で襲ってきた妖魔と同じ感じ!」

 浜奈が言い終わると同時に、シュッと風を切る音がした。必登が放った矢が続けて2本、妖気に満ちた間欠泉に吸い込まれる。

「くそ、やっぱり駄目か」

 実態があるように見えても熱湯には矢は刺さらない。これでは大刀も無駄だろう。葛城王の宝剣も手応えなく、水をかき分けただけだった。

 その時、またもや急に動きを変えた熱湯の柱が浜奈と楓に向かってきた。千夏が急いで楓の上半身を抱えて横に飛ぶ。兄の必登が浜奈に手を伸ばそうとする前、浜奈は咄嗟に自分の右手を左の腰にやり帯に下げていた団扇を掴んで、迫りくる柱を振り払うように大きく上から下に扇いだ。

 すると団扇から送られた風が瞬間的に膨張し、盾となって熱湯の柱を押し戻した。浜奈は続けて団扇を、今度は左から右に動かした。

「……やった、消えた!」

 一時的にではあるが、柱はまるで硝子の器が砕け散るように水滴をまき散らしながら消えていった。しかし、間欠泉は死んだわけではない。再び水蒸気が溢れ出し、みるみるうちに紫色の柱が復活してしまった。

「浜奈、もう一度、やってくれ! お前が水柱を消したら、間髪入れず、俺が間欠泉の根元の岩を叩き割る」

「わ、わかった」

 無我夢中で団扇を振った浜奈は、兄の簡潔で力強い指示を聞き心を奮い立たせた。子供の頃から兄の背中を見てきた。いつもは優しい穏やかな兄ではあるが、武器を持たせたら無敵だ。

 大蛇の挑発のように柱がうねる。浜奈は目を見開いて、縦に横に団扇を動かした。完全に柱が消えるまで続け、最後に必登が愛刀を間欠泉の岩に叩きつける。刀で岩を切るなど、本来は無理な話だ。しかし、氷高皇女の儀式で授かった力が宿った大刀にそれが不可能とは思えなかった。現に団扇の風が有効な武器となったではないか。

 果たして大刀は衝撃音を発生させながら岩にめり込み、妖魔の苦しむ悲鳴のような不愉快な音と共に砕けていく。

 とりあえず、妖魔からは逃れられると誰もが安心したその時、間欠泉が紫色の熱湯を血しぶきのように噴き出して最後の抵抗を示した。そして、思いもかけなかった対象に向かって落ちていく。

「危ないっ」

 被害を回避すべく秋依は反射的に体を前方に飛ばしたが、秋依が助けようとした文字通り狐色の小さな獣は、何を思ったのか自ら危険へと突進してしまった。

 秋依はそのまま地面に転がり、容赦なく魔の手は狐の全身に覆いかぶさった。狐は甲高い声で絶叫し、火傷を負った身でのたうち回る。とどめを刺しに来た紫色の変幻自在な柱を視界に捉え、秋依は今度こそ狐を救出するために腕を伸ばした。

「――っ」

 技官が武人よりも身体能力が高いはずもなく、秋依は右肩から腕にかけて熱湯をかぶってしまった。だが、その腕には狐がしっかりと抱えられており、なんとか二度目の一撃をかわすことができた。

この間、やるべきことを認識した浜奈の団扇が振るわれ、抵抗していた邪悪な間欠泉は完全に干上がった。

 ぴくりとも動かない狐と共に蹲る秋依を仲間たちが囲んだ。千夏と楓は固く唇を結び、浜奈は泣きそうになりながら様子を見守る。

「なんて無茶なことを……!」

「すぐに冷たい水で冷やさないと」

 葛城王と必登が秋依を抱き起し、二人がかりで運ぼうとすると、秋依は痛みに耐えながら狐を見た。

「あいつも……助けてやってくれ。どうも、ただの獣って気がしない……」

「ああ、わかってる。愛着がわいてきたのはお前だけじゃないよ」

 そう言って広人が狐を持ち上げようとしたが、それを制した人物がいた。

「無理に動かさないでください。秋依さんもそのままに」

 今まで間欠泉から最も遠い位置で千夏から守られていた宝天が静かに言う。宝天は彼らの傍らに跪き、右手を掲げた。

「楓さん、笛を吹いてくれませんか? あなたの笛の音は人を癒す力があるでしょう?」

「え、ええ、わかったわ」

 不意に名指しで指示を受けた楓は、一呼吸置いてから演奏を始めた。まだ昼間ではあるがとても静かで柔らかい、夜に相応しい曲を選んだ。そうして宝天は口の中で真言を唱えていく。秋依の命に別条はないことは明らかだが、狐の方はぴくりとも動かず息をしているのかもわからない。羽音も高らかに喚いていた烏も狐の顔をおとなしく覗き込んでいる。

「オン・マユラ・キランディ・ソワカ――」

 一心に真言を発していくうちに、宝天の手の周りに暖かい空気が集まってきた。十分に力を感じた宝天は右手を秋依と狐の上で撫でるように動かし、念を込める。すると、秋依の苦し気な表情が和らぎ、黒い前脚をくったりと投げ出して固くなっていた狐の鼻先と耳が動き出した。

「大丈夫なの、秋依?」

 体を起こそうとする秋依の後ろから、浜奈が手を差し伸べて背中を支える。楓も笛をしまって意外に勇敢な技官の回復を待った。秋依の横では狐がゆっくりと立ち上がり、ふるふると胴体を震わせている。

「ちょっとごめんよ、狐くん」

 広人が狐の皮膚の状態を確認すると、赤く爛れた様子もなく毛並みも良さそうだ。問題ないと広人が仲間に告げると、ようやく張り詰めた空気がなくなった。

秋依は不思議な狐をそっと抱き上げ、鼻先を突き合わせる。

「もうあんな無茶するんじゃないぞ。俺を助けてくれようとしたんだろう? ……お前、近くで見ると美人だな。狐の郎女か」

「あら、化かされないようにね」

 楓の言葉に皆が笑い、老でさえも声を出して楽しんでいる。狐を地面に下ろすと、秋依は立ち上がって恩人に頭を下げた。

「本当にありがとう、宝天。こんな大きな怪我も治癒できたんだね」

「いえ、礼には及びません。ですが、私も少し驚きました」

「楓もありがとう。笛の音を聞いていたら痛みが引いた気がしたよ」

「お役に立てて良かったわ。まだあなたにはたくさん働いてもらわないといけないしね。雑用係がいないと困るのよ」

「うわ、出たよ。上から目線のお言葉が! 将来偉くなる女官はこれだから……」

 そう言いつつも秋依は、短期間で楓と軽口を叩ける間柄になれたことを嬉しく思っている。まだ身分と能力に引け目を感じているし、これからもその感覚がなくなることはないだろうが、こうやって格の高い若者たちに受け入れられていることは素直にありがたいのだ。

 それにしても、と葛城王は考えた。今のご時世こうも妖魔が頻出するものなのだろうか。それとも、秘宝を集めようとしている東征隊を敢えて狙っているだけなのか。だとしても、なぜ妖魔がそれを知り、なぜ妨害してくるのか。わからないことだらけだ。

「おい、葛城。そろそろ移動しよう」

「そうだな」

 必登と葛城王が先頭に立ち、間欠泉が多く集まるこの場所から早く立ち去ろうとする。もう今日はこのまま寺に戻ってもよいのかもしれないと皆が思った時、前を行く2人が立ち止まった。

「す、朱雀……」

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万葉RPG メトロポリス2.0 ~四神の秘宝と乙女の羽衣~ 木葉 @konoha716

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