最終話 ミライに生きるサーバル


 あの日から、どれだけの時が経っただろう?

 サバンナでは幾度も雨季と乾季が廻り、いつも昼寝をしていた木は太く枝を張って、前よりも少し逞しくなった。



 けれど、一番親しかったあのフレンズは、まだ帰ってこない。

 現れたら真っ先に飛び掛かってやろうと思っているのに……。




 あの日から今日まで、いろいろな事があった。

 人間達が乗っている「ひこうき」というやつが沢山飛んできたり、サンドスター火山の周りで大きな爆発が何度も起きた日もあった。


 後で博士に訊いてみたら、どうやらあれは「くうばく」というもので、人間がセルリアンと戦った事による現象らしい。

 でもそっちの説明よりも、博士達が、2人をゴコクエリアへ連れだそうとした人間を追い返したという自慢話の方が長くて、結局よく判らないままおわってしまった。





 親友の姿をさがして、いろいろなちほーを廻ったりもした。



 さばくちほーで────


「ねぇ、そこの子!」

「おっ?」


「サーバルを知らない?」

「サーバル、ですかぁ?」

「そう、すごいドジっ子なんだけど……」

「……みてませんね。見かけたら、声をかけてみますね」



 じゃんぐるちほーで────


「ねぇ、あんた。サーバルをみてない?」

「ん? サーバル? 見てないわねぇ……。どんな子なの?」

「こんな感じの大きい耳で、きれいな斑点があって……。あ! あと、さばんなちほーのトラブルメーカーね!」

「うーん、そっかぁ、残念だけど、この辺りには来てないわね……」




 けれど結局、彼女の姿は見つけられず、各ちほーで「サーバルはドジっ子でトラブルメーカー」と言いふらしただけに終わってしまった。


 手掛かりすら、ほとんど見付けられてない。






 スカートのポケットに突っ込んだジャパリコインを握りしめ、その感触を確かめながらカラカルは空を見上げる。


 さばんなの大地を照らす太陽は、相変わらずあの子の瞳と同じ色で、彼女の存在のように、眩しいくらいの輝きを放っていた。



 ひとりぼっちでさばんなに立ち、目映い太陽を見上げながら、カラカルはサーバルの笑顔を思い出す。

 それと同時に、右手が少し痛んだ。


 もう傷など当に治っているのに、なぜだか、痛みだけが消えないのだ。



 火山での決戦の後、小さなサーバルキャットを膝に抱きながら、カラカルは最後まであの場所に残っていた。

 サーバルは確かに言った。絶対に忘れないと、みんなを忘れないと、サンドスターの光の向こうに消えていく、最期の瞬間に。


 だから、カラカルは待っていた。

 彼女が目を覚ますのを。


 きっと、目を覚まして誰も居なかったら、サーバルは悲しむ。

 だから目を覚ますその時、近くに居てあげたいと、そう思ったのだ。


 そして、そろそろ夕日も沈もうかという頃、サーバルキャットが、小さく唸りながら目を開けた。


「サーバル、あたしよ、カラカル! わかる?!」

 そう呼び掛けた瞬間、驚いた様子でカラカルを見上げたサーバルキャットは、少しだけ、何かを思い出そうとしているように見えた。


 しかし、────


「シャーッ!!」


 サーバルキャットは鋭い声を上げると、勢いよく飛び退いて、牙を剥き、耳を後ろへ向けてカラカルを威嚇した。


「……サーバル? 冗談よね? 忘れないって────」

 そう言って伸ばした手に、焼けるような痛みを感じた。

 次いで見えたのは、鋭い爪を伸ばしたサーバルキャットの前足。


 目の前のサーバルキャットに引っ掛かれたのだとカラカルが認識するまで、そう時間は掛からなかった。



 唖然と手の傷を見詰めるカラカルを背に、サーバルキャットは走り出す。

 フレンズだった記憶も、大切な仲間との思い出も置き去りにするように……。



 そして、遠ざかる小さなその背中を、カラカルは血の滲む右手を抑えながら静かに見送ったのだった。



 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 ̄ ̄ ̄ ̄

 ̄ ̄

 あの出来事を思い出す度、カラカルは辛くなる。

 忘れないって言ったのに、絶対に覚えてるって約束したのに。

 ────ばか。


 見付けたら真っ先に飛び付いてやろう。

 そして言ってやるのだ。あの時はよくも引っ掻いてくれたな、たべちゃうぞ。と。


 そう思いを馳せ、カラカルは歩き出す。



「さて、と。あの子はどこにいっちゃったのかね?」


 きっと、この広いパークのどこかに居るはずなのだ。

 探せばきっといつか見付かる。

 だって、あんなにドジで、おっちょこちょいで、太陽みたいに眩しい存在は、他に居ないのだから……。




 さばんなちほーは今、乾季を迎えている。ジリジリと照り付ける太陽は大地を焦がし、沸き昇る蜃気楼が草と一緒にユラユラと踊っていた。


 カラカルは額にじんわりと浮いた汗を拭いながら、さばんなちほーのゲートへと向かう。


 今日は少し足を伸ばして、しんりんちほーまで行ってみようか?

 ついでに、途中で図書館にでも寄って博士達に情報を訊いてみよう。


 ……あんなにじゃぱりまんを前払いであげたのだ。

 何の成果もない事はあるまい。



 さばんなのゲートを抜けると、その先はじゃんぐるちほー。

 ゲートを潜った瞬間、さばんなの暑さとは違う、じめっとした暑さが全身に纏わりつく。


 ずっと前、初めてサーバルと訪れた時は、暑さの違いがおもしろくて、何度もゲートを往き来して楽しんだ。

 そして、2人とも気付かない内に熱中症に掛かって倒れたものだ。


 ここには、そんな苦い思い出もある。



 サーバルを見付けたら、またここに連れてきてやろう。

 そしてまた、2人でゲートで遊ぶのだ。

 もちろん、倒れる前には切り上げる。



 そんな事を考えながら、すっかり草に埋まってしまったじゃんぐるちほーの道を歩いていると、後頭部に強い衝撃を感じた。


 あまりの衝撃にその場に留まる事ができず、カラカルはそのまま前方に吹っ飛ばされるように転がっていった。



「っいったぁーーーー!!」


 そして、あまりの痛みに頭を押さえながら地面を転げ回った。



「博士、やはりサーバルと同じ反応ですね」

「そうですね、助手。やはり同じですね」


 そんな声に顔を上げてみれば、そこにはふわりと羽を広げたコノハ博士とミミちゃん助手の姿がある。

 その様子から2人が音もなく背後から忍び寄り、カラカルに攻撃した事は想像に容易いことだった。


「いたいじゃないのっ! 何するのよ!!」



 じんじんと痛む後頭部を擦りながら、カラカルは2人を威嚇する。

 そんなカラカルを無表情に見詰めながら、博士と助手は得意気な声で言った。


「ただの挨拶代わりなのです」

「我々はお前の探しモノを見付けて来てやったのですよ?」


 博士の言葉に、カラカルの思考が一瞬止まる。


「それに、我々はわざわざ料理を中断してまで伝えに来てやったのですよ? むしろ感謝してほしいくらいなのです」


「まだ食べてない料理がたくさんあるのです。手短に話すからよく聞くのです」



 探しモノが見つかった。

 博士たちのその言葉の意味を理解した瞬間、カラカルは食い付くように博士に迫った。


「どこっ?! サーバルはどこに居たの!?」


 そんなカラカルに気圧されるように、博士は後方へ下がる。

 心なしか、身体が少し細くなった。


「お、落ち着くのです、ちゃんと案内してやるのです」



 カラカルに詰め寄られてしどろもどろな博士に代わって、助手が説明を始める。


「サーバルは今、セントラルパークの遊園地にいるのです。しばらくは─────あっ! 待つのです! カラカル!!」


 しかし、カラカルは助手の説明が終わる前に走り出した。


 カラカルは、かつてミライとの旅でパークを廻り、最近はサーバルを探してパーク中を歩き回っていた。

 セントラルパークの場所は、良く知っている。


 セントラルパークまでの1番近い道も、知っていた。




 帰ってきた。

 1番会いたかったフレンズが。


 やっと見付けた。

 ずっと探していた親友が。


 やっと会えるんだ!

 サーバルに!



 カラカルは、走った。

 じゃんぐるを抜け、湖に架かる橋を突っ走り、小川を飛び越えて、丘を駆け抜け、ただひたすらにセントラルパークを目指して走り続けた。




「まったく……。カラカルはサーバルの事になると、直ぐこうなのです」

「忙しないのです」


 博士と助手は愚痴をこぼしながらも、全速力で駆けるカラカルの姿を後ろから見守った。


 そんな2人の姿にすら気付かず、カラカルは全速力で走り続ける。

 いつもの通り慣れた寂しい道も、今日は何故だか明るく見えた。



 やがて森を越えれば、小さな丘に出る。その向こうに、セントラルパークの入り口が小さく見えた。


 セントラルパークの入り口に架かるアーチは、雨風に削られ塗装が剥げた今でも、静かに、そこを訪れる者の姿を見守っている。



 カラカルはその下を駆け抜け、セントラルパーク外縁の森へと飛び込んだ。

 まるでこちらを誘うように続く森の中の道は、左右にうねりながら森の奥へと続いていく。


 しばらく森を走ると、視界の先に大きく開けた景色が見えてきた。

 カラカルは速度を落とさないまま、様々な色が散りばめられたその景色の中へと飛び込んだ。


 その瞬間に飛び込んでくる色鮮やかな遊園地、人がいなくなり、少し寂しげに佇んでいたその場所は今、たくさんのフレンズ達で賑わっていた。



 どこからこんなに集まって来たのか、じゃんぐるちほーやへいげんちほー、果てはさばくちほーに居るはずのフレンズまで、輪の中に混じっていた。


 カラカルは、その中からサーバルの姿を探す。

 そして、サーバルではないが見覚えのある背中を見付けた。


 ワイシャツに重ねた薄いピンクのカーディガン、ひらひらのスカートの下のフサフサの尻尾、そして、大きな耳と、その下からみょんっと伸びる黒い房毛がチャームポイントのフレンズ。


 間違いなく、フェネックだった。



「フェネックっ!!」

 久しぶりに見付けた背中を、カラカルは反射的に呼び止める。

 その声に、大きな耳がぴこぴこと反応した。



「ん? やぁやぁ、私に何か用かなぁ?」


 振り向いたその姿は間違いなく、かつて共に旅をしたフェネックだ。

 のんびりしたしゃべり方も、どこか余裕そうなその表情も全て、カラカルの記憶の中の彼女と重なる。


「初めましてで何のフレンズかわかるなんてすごいね~。もしかして、何処かで会ったことあったかなぁ~?」


 しかし、フェネックはカラカルのことを覚えてはいないようだった。

 やはり、フレンズから動物に戻ってしまった時に、それ以前の記憶は全て失ってしまったのだろうか。



「え? えぇ、まぁ、ずっと前に会った……、かな?」

 忘れられてしまった事に悲しみを覚えながら、カラカルは不安を誤魔化すようそうに答えた。


 フェネックは記憶を失っていても、もしかしたらサーバルは……。

 そんな淡い期待を抱かずにはいられなかった。



「ところでぇ、私になにか用があったんじゃないの~?」

 不意に首を傾げながら問い掛けてきたフェネックの言葉にカラカルはハッと我に返る。



「あっ、そうだったわ。サーバルを知らないかしら?」

 カラカルがそう尋ねると、フェネックは大きな耳をぴくっと動かし、少し考えるような仕草をしてから答えた。


「うーん。サーバルなら、あっちのベンチに居たと思うよ~。かばんさんと話してたからぁ、しばらくはあそこに居るんじゃないかな~」



「わかった。ありがとう!」

 フェネックに礼を言いながら、カラカルは教えて貰った方向に走り出す。


 もうすぐだ。もうすぐ会える。

 ただその事だけが、彼女の心を満たしていた。




 そして、ミライがパークを去る直前に乗っていた観覧車ちかくのベンチで、遂にその姿を見付けた。


 心の隅で、別個体から生まれたフレンズだったらどうしようかと、どこか不安に思っていたが、どうやら、その心配は無用だったようだ。


 太陽の色の瞳も、眩しい笑顔も、成獣になったら消えるはずなのに消えてないとからかった額のM字形の模様も全て、間違いなくあのサーバルのものだった。




「いろいろあったけど、もうすかっりパークで暮らせてるよね」


「サーバルちゃん達のお陰だよ。ゴメンね。結局、さばんなちほーに戻らないで、一緒にいてくれて……」


「大丈夫、大丈夫っ! 後片付けたのしかったし! すごいよね! ようがん!」




 しかし、1つ違う事もあった。

 それは、カラカルではない誰かの隣で、彼女が笑っていること。


 あの子が、フェネックがいっていた「かばん」というフレンズなのだろうか?

 それにあの帽子は、記憶の中のそれよりも随分とボロボロになってしまっているが、間違いなくミライが被っていた帽子だ。


 夕焼けのような赤の羽と、海のような碧の羽が風に揺れている。



 2枚の羽根が飾られた帽子と、その隣で笑うサーバル。

 その景色に、ミライと旅をしていた時の事を思い出した。


 ミライの頭の上で誇らしげに揺れていた帽子の羽根と、ミライから何かを教えて貰う度にすごいすごいとはしゃいでいたサーバル。

 忘れてしまった訳ではないが、なんだかひどく昔の事のように、記憶の中の景色は曖昧に滲んでいる。


 だけど、サーバルの笑顔だけは、何故かはっきりと覚えていた。




 記憶の中の彼女と同じ無邪気な笑顔で笑うサーバルは、本当に楽しそうに、隣のかばんと話している。

 すぐに声をかけようと、あわよくば飛びかかってやろうと思ったのに、これでは入り込める隙もないじゃないか。

 



「あ、あれに乗ってみよう!」

「えっ? どうしたのサーバルちゃん」

「いいからいいから」

「なんか、サーバルちゃん変だよ? 大丈夫?」



「あっ……」



 カラカルがサーバルに話しかけるタイミングを掴みきれずにいると、2人はベンチから立ち上がり、観覧車の方へと歩いていってしまった。

 何かを求めるように伸ばした手が空を切る。



 サーバルの姿を追いかけようとしたが、どうにも身体が動かなかない。

 少しずつ遠ざかる2人の背中を見送るカラカルの脚は、僅かに震えていた。



 こわかった。忘れられてしまうのが。

 その事実を知ることが……。


 観覧車へ向かうサーバルの背中が、火山で見送ったサーバルキャットの小さな背中と重なる。


 ずっと友達だったのに、互いにかけがえのない存在だと、ずっと思っていたのに、今でもこうしてその姿を追ってしまうほど、大好きなのに。


 そんなカラカルの思いとは裏腹に、サーバルの背中は冷たく遠ざかっていく。

 カラカルの存在など、そこにないかのように、ゆっくりと遠ざかっていく……。





「カラカル、なにをしているのですかぁ?」

 背後から聞こえたどこか間のぬけた声に、振り向くと、そこにはスナネコの姿があった。

 不思議そうに首を傾げながら、カラカルの顔を覗き込んでいる。


 彼女と会うのは、サーバルを探してさばくちほーを訪れた時以来だ。

 まさか、こんな所にいるなんて思いもしなかった。



「サーバルに会いました。あなたが言った通りのどじっ子ですね」


「あはは、そうだろう? まぁ、そこがかわいいんだけどね」


 スナネコの言葉に、カラカルは取り繕うような苦い笑顔でそう答えた。




 サーバルは今、カラカルの目の届く所にいる。

 少し手を伸ばせば届く所に、彼女はいるのだ。


 でも、その姿を捕まえる事はできない。

 あの子は、確かにカラカルの探していたサーバルだけれど、カラカルが知っているサーバルではないから……。



「あの子は本当におっちょこちょいだから、近くで守ってあげなくちゃって思ってたんだけどね……。もう、必要ないみたい」


 そう言って、カラカルは自嘲気味に笑う。




「それに、あの子の隣は、もうあたしの居場所じゃないみたいだからさ……」


 悲しげな笑顔のまま、カラカルが視線を向けた先には、観覧車に乗り込むサーバルとかばんの姿があった。

 どこか違う雰囲気を纏う2人だけれども、楽しそうに話をしていて、その表情は、とても穏やかだった。



 2人が観覧車に乗り込むのを見送って、カラカルはかつての親友に背を向ける。

 サーバルの元へ行こうとしても震えて進んでくれなかった脚は、逆の方向には素直に進んでくれた。



 カラカルは、そのままセントラルパークの出口へ向かう。

 今すぐにでも泣き出したいような気分だったが、不思議と涙は流れる気配もなかった。


 ふらふらと遊園地を出ていくカラカルの背中を、フレンズ達の賑やかな声が追い越していく。

 その中に聞き覚えのある声を見つける度、カラカルの頭の中をその姿が過った。



 ミライとの旅の道中で出会ったフレンズ、戦う事を決意し、ハンターとして群れを成した仲間たち。

 断片的に甦るその記憶を振り払うように、カラカルは走り出した。


 行き先はわからない。

 ただ、こうして何かをしていないと、気が狂ってってしまいそうだった。




 カラカルは独りでセントラルパークを飛び出す。

 セントラルパーク外縁の森を抜け、風に踊る草を蹴散らすように丘を越え、カラカルは、親友の姿を追って駆け抜けてきたその道を、今度は逆方向へ走り抜けた。


 セントラルパーク入り口のアーチを越えたその先は、遊園地の喧騒がうそのように静かだった。




 やがて、走り疲れたカラカルはゆっくりと立ち止まる。

 そこは、柔らかな木漏れ日が寂しげに緑を写し出す、来たこともない静かな森の中だった。


「なにしてんだろ、あたし……」


 カラカルの口から零れたか細い声は、誰もいない森の中で小さく消える。



 なんだか、疲れてしまった。

 ここまで走ってきた疲れだけではない。


 何もかもどうでもよくなってしまうような、大切なモノを失ってしまった喪失感にも似た、そんな疲れだった。



 これからどうしようか?

 サーバルを探すためにここまでやってきたが、彼女を見付け、もうカラカルの元には戻ってこないとわかった今、目的も希望も、何もかも失ってしまった。


「でもまぁ、元気そうだったから、いいかな……?」


 カラカルは、心の中で小さく「さよなら」を告げる。

 もう帰ってくる事のない、大好きだった親友に。


 きっともう会えない、その笑顔に……。




 丸い木漏れ日の照らす柔らかい緑の上にカラカルは寝転がる。

 木の葉の隙間から覗く太陽は、やっぱりあの瞳と同じ色で、あの存在のように眩しかった。



 薄く閉じたカラカルの瞼から、一粒の涙が転げ落ちる。

 その滴は静かに肌の上を伝い、音もなく草の葉を濡らした。


 次第に襲ってくる眠気に身体を任せ、カラカルはゆっくりと眠りの中へと落ちていった。




  ̄ ̄

  ̄ ̄ ̄ ̄

  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


「……────る……。────かるっ。……からかるっ! カラカルってば!!」


 まるで嵐の空のように騒がしい声で、カラカルは目を覚ました。

 深い海のそこから一気に引き上げられるように、急激に周りの情報が意識の中に入り込んでくる。



「ねぇ! 起きてよ! カラカルっ!!」


 そして、耳で捉えたその声に、カラカルは目を見開いた。

 飛び込んできた光に目が眩み、目の前の世界が光の色に塗りつぶされる。



 やがて明るさに目が慣れてくると、真っ白だった世界に色が散りばめられ、1つの形を成す。


 そして、カラカルの目の前にあったのは、大好きなフレンズの今にも泣き出しそうな顔だった。


「……ごめんね、カラカル。わたし……、わたし……!」


 突如として現れたサーバルの姿にカラカルは驚きを隠せず、ただ唖然と目の前の親友の顔を見つめていた。


「サーバル……? どうして?」



 目の前の景色も、頬を撫でる風の感触も、全てが曖昧だった。

 何が起きておるのか理解できず、まるで夢の中にいるようなフワフワした感覚の中、カラカルはどうにかその言葉だけを押し出した。



「わたし……。わたし、ずっと、ずっと、みんなの事、わすれちゃってて、……ひどいよね、カラカルの事も、ミライさんの事も、みんな、みんな、ずっとずっと、ずっと一緒にいたのに……!!」


 遂に涙を堪えきれず、泣き出したサーバルの目尻から大粒の涙が溢れる。

 太陽の色の瞳から流れる涙は頬を伝い、雨粒のように静かに大地を濡らした。



 それからサーバルは、それまで彼女が何をしていたのか、どんな事を考えて過ごしてきたのかをぽつりぽつりと話し始めた。


 サバンナで見付けた新しいフレンズ、かばんと出会い、旅をしたこと。

 何のフレンズかわからなくて、図書館まで聞きに行ったこと。

 その道中で、いろいろなフレンズと出会ったこと。


「────それでね? ロッジへ行った時、ボスがえいぞう? を映しはじめてね、そこにミライさんとわたしが写ってて、それから、何かへんな感じがしてて、ずっと思い出そうとして、かんがえてて、そしたら、カラカルの事、思い出したんだ……」


 どこか切なそうな表情のままで、サーバルは話を続ける。


「それで、カラカルの事をみんなに聞いたら、助手がカラカルのこと教えてくれて、ニオイを辿って、ここまで来て、カラカルをみつけて……」



 驚いた。

 サーバルがここまでカラカルを追ってきた事もそうだが、それよりも、フレンズから動物に戻って失ったはずの記憶を取り戻したなんて、これまで聞いた事がなかったから。


「ホントに、あたしのこと……」


 思い出したのか。そう尋ねようとした瞬間、カラカルの後ろの草むらがガサガサッと揺れた。

 その中から姿を現したのは、全身葉っぱまみれのアライグマだった。


「やっと見つけたのだ! サーバル、速すぎるのだ!」


「やぁ、へんな方向に突っ走ったアライさんを呼びにいってたら見失っちゃったよ~」


 そして、不満げな声をあげたアライグマの横から、彼女と同じように葉っぱと枝を全身にひっ着けたフェネックがひょこっと顔を出す。

 どうやら、2人ともサーバルの後を追ってここまでやって来たようだ。



「2人とも、どうして────」


「あら? わたしだっているのよ?」


 突如として現れたフェネック達を前に、カラカルが困惑を隠せずにいると、空からトキの声が聞こえた。

 その声を追って空を見上げると、そこにはフワリッと羽を広げたトキが優雅に佇んでいる。


 トキはそのまま地上に降りてくると、頭の上の羽を小さく羽ばたかせた。

 鮮やかな朱鷺色の羽から虹色のサンドスターが舞う。




「ファンを泣かせるなんて、わたしもまだまだ頑張らなくちゃね」


「やぁ~、正直まだあんまり思い出せてないんだけどねぇ~。不思議とあなたと一緒にいろいろな所に行った記憶は、何となくあるんだよね~」


「うおぉー! アライさんのスゴい武勇伝を聞かせて欲しいのだ!!」



 やいのやいのと好き勝手にしゃべるフレンズ達の姿に、ミライと旅をした時の記憶が呼び起こされる。

 おっちょこちょいなサーバルも、歌が好きなトキも、猪突猛進なアライグマも、いつも冷静なフェネックも、みんな、みんな変わっていなかった。




「あのね、カラカル。わたし、パークの外へ行こうと思うんだ」

 皆の話が一通り落ち着いてから、頃合いを見計らったかのようにサーバルが話はじめる。


「かばんちゃんがね? パークの外にヒトを探しに行くんだって。だから、こっそり着いて行っちゃおうかなって! それに、もしかしたらヒトを探す中で、ミライさんとも会えるかもしれないよ!」



 たしかにサーバルの言う通り、ヒトを探すという事は、ミライを探す事にも繋がる。

 ヒトの集まる場所を探せば、そこにはパークの職員達も、集まっているはずなのだから。


 でも、それには危険が付きまとう。

 慣れないエリアへ行き、知らないちほーを廻るのは、身体に大きな負担がかかるのだ。



「────あのね、それでね? カラカルにも、着いてきて欲しいなって、おもうんだけど……」



 ────だからと言って、諦めるのか?


 そんなの、最初から決まっている。

 だいたい、サーバルが「着いてきて」なんて言う時はいつも、彼女の言う通りにしなければ、手がつけられないくらいに拗ねるか、とんでもないトラブルを起こしてくれるのだ。


 それに、ずっと探し続けてやっと見付けた太陽なのだ。

 もう絶対に失わないように、ずっと側で見張っておかなくては。



「そんなの、決まってるじゃない。あたしを置いて行こうとしたら、それこそ地の果てまで追い掛けて噛み付いてやるわよ!」









 カラカルの元にサーバルが帰ってきてから、数日が経った。

 かばんに着いていきたいのなら、本人にそう言えばいいと思うのだが、サーバル達はどうしてもサプライズというかたちで着いていきたいらしい。


 更に、カラカルの事は隠しておいて、後で紹介して驚かせたいらしく、バスの後部フロアを改造した船に隠されている始末である。



 ただじっとしているのは何とも退屈だが、波止場の波に揺られてユラユラと揺られる船の中にいると、なんだか楽しい気分になってくる。


 それに、今は別の楽しみもある。

 今頃、港から必死でかばんを見送っている(フリをしている)であろうサーバル達を待っているのだ。

 これから一緒に冒険に出掛ける仲間を待つ。

 これほどにワクワクする事が他にあるだろうか?



 やがて、解放されたバスの天窓から2つの大きな耳がひょこっと現れる。


「おまたせ、カラカル! わたし達もしゅっぱつするよ!!」


 とびっきりの笑顔で笑うサーバルの声に、カラカルの耳がぴくりっと反応した。



「サーバルはやく乗るのだ!」


「まぁまぁ、あんまり焦ることないよ~」


 バスの前方からアライグマのはしゃぐ声と、それを制するフェネックの声が聞こえる。

 博士達の助言により、バランスを取る為にと、食糧と水を船の前と後ろに分けて置いている。

 その都合で、動力を担当するアライグマとフェネックの姿はカラカルのいる位置からは見えない。




「アルパカから紅茶をもらってきたから、後でみんなで飲みましょ」


 空を飛べるトキは、バス後部の開けたデッキからフワリと乗り込むと、人数分の水筒を食糧の脇に並べた。


 それを合図にするように、サーバルがバスに飛び移り、天窓から頭だけを出すようにして乗り込んだ。



「それじゃあ、しゅっぱーつしんこーう!」

「「「「おぉーっ!!」」」」


 サーバルの掛け声に、皆の声が揃う。


 バスの後部フロアを改造した簡易的な船は、フェネックとアライグマが漕ぐ力を動力とし、カラカルとトキが舵をとって、かばんから貰った帽子を被ったサーバルが天井のハッチから指揮を執って進んだ。


 船は小さな波を越える度に踊るように揺れ、太陽の光で煌めく海原をどんどん進んでいった。



 フッと上を見上げれば、天窓から頭を出しているサーバルと目が合う。

 その瞬間、どちらからともなく、笑顔になった。


「ちゃんと前向いときなさいよ。あんたしか前見えないんだから」

「わかってるよ。だいじょうぶだいじょうぶ」


 しかし、サーバルがちらりと前を確認した瞬間、彼女の表情が焦りのそれに変わった。



「うわわ、前とまったよ! こっちも止まらなきゃ。ストップ! ストーップ!!」


 そんな事言われたって、勢いのついた船はそう簡単には止まれない。

 アライグマとフェネックが必至にペダルを逆方向に漕いでいるが、船が止まる様子はかった。


 少しでも減速する距離を稼ごうと、カラカルとトキが必至に舵を切ったのも虚しく、船の前方からゴンッと何かにぶつかったような鈍い音が聞こえてきた。



「あぁ~あ、なにやってるのよ。まったく」


 やれやれと、カラカルは優しいため息を吐く。

 天窓のサーバルは、どうしていいか分からずにあたふたしていた。




「うわぁ、サーバルちゃん?! どうして?!」

 外からかばんの驚く声が聞こえる。

 どうやら、サーバル達のサプライズは、半分成功といった所のようだ。




「えへへ。やっぱり、もうちょっと着いていこうかなって!」


 そう言って、サーバルは嬉しそうに笑う。

 その笑顔を見ていると、なんだかカラカルまで嬉しい気持ちになった。



「ぷはっ! なになに? どこにいくの?!」


 サーバルとかばんと笑い合っていると、その間に割って入るように、海中からフレンズが姿を現した。



 カラカルは、海洋生物のフレンズがいる事は知っていたが、実際には見たことがない。

 だからつい海から現れたフレンズの姿が気になって、バスの側面の窓からひょこっと顔を出してしまった。


「あ……」


 その瞬間、バスの運転席から身を乗り出していたかばんと目が合う。

 ミライとは違う、どこか弱そうだけど、強い意思を宿したその目は、けものとは違った、優しい光を宿していた。




「あなたは、何のフレンズさんですか?」


 小さく首を傾げ微笑みながら、そう訊ねてくるかばん。



 カラカルはその問いに、ずっとサーバルの側にいると、もう絶対に見失ったりはしないという思いを込めてこう答えた。





「あたしは、カラカル。なにかあったら、あたしに任せて! 少なくとも、サーバルよりはマシだから!」






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ミライに生きるサーバル 十匹狼 @nekotokotatutomikanbako

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