その9
あの後父親は、せっかく日本へ帰ったのに一泊すらせず、アドリーヌを連れて即フランスへ行った。
「くれぐれも、くれぐれもまともな食事をするように!」
アドリーヌを飛行場でチェックインさせた後の父親に、弘美と康平はしつこいくらいに電話で言い含められる。
「親父もせわしないな」
「一泊くらいすればいいのに」
弘美も康平も、自宅でゆっくりできなかった父親をさすがに憐れんだ。
そして弘美はというと、あれから一週間寝込んだ。
理由は、徳海の血を飲んだせいだ。
突然美味しい血を摂取したせいで、身体が驚いたらしい。
三日間高熱でうなされる羽目になった。
「きっとあれだな、二日酔い!」
康平がしたり顔でそう例えていた。
――吸血鬼なのに、血を飲んで寝込むとか……。
弘美はズーンと落ち込む。
徳海が康平から寝込んだことを聞かされたらしく、一度様子を伺いに訪問してくれた。
嬉しい反面、彼の血のせいでこの体たらくだと思うと、微妙な気分だ。
そして父親からのメールで、アドリーヌのその後がわかった。
空港で待ち構えていた彼女の母親に、空港の中で大説教大会が始まったらしい。
連帯責任で父親のアルベールも一緒に、空港の床に正座をさせられていたと書いてあった。
――すごく人騒がせ!
けれど、それがきっかけで徳海の血を飲めたことも事実である。
弘美はそれを思うと、微妙な気分になるのだった。
但野姉弟にもアドリーヌの母親から、丁寧な文章の謝罪の言葉がメールで送られて来た。
ちなみにメールを打ったのは但野家の父親だ。
淫魔にメールはハードルが高いらしい。
一週間経ってようやく元気になった弘美は、研究棟にやって来た。
「珍しいね、俺に用とか」
入り口のインターフォンで呼び出された草野は、不思議そうな顔をする。
いつも徳海にまっしぐらな弘美であるので、最もと言えた。
弘美はこれにはなにもコメントせず、恭しく両手に持つほどの大きさの箱を差し出す。
「こちら、お納めください」
「……なにこれ?」
草野は目を丸くしてとりあえず箱を受け取ると、匂いを嗅いだり音を聞いたりして、思いっきり中身を疑っている。
「フランスからの空輸のお菓子」
弘美は中身を正直に話す。
これは淫魔親子からの詫びの品だ。
ちなみに但野家にも同じ菓子箱が置いてある。
「なんで俺?」
いつも弘美からコンビニスイーツを貰えない草野は、疑惑の目を向けてくる。
なにか下心があるのではと、疑っているのだろう。
――まあ、そうなるよね。
草野はアドリーヌに関することを、全く覚えていないらしいので、理解はできないだろう。
「迷惑料だそうです」
「なんの?」
それでも一応お知らせだけはする弘美を、草野はジト目で見る。
「では、そういうわけで」
だが弘美は疑問に全く答えないまま去っていく。
「ねー、怪しい物とか入っていないよねー?」
箱の中身を伺っている声が聞こえてきたが、事態を詳しく言うわけにはいかないのだからスルーだ。
「よし、お勤め終了!」
弘美は次に徳海を探す。
――早速発見!
徳海は休憩コーナーにいた。
「やっほー!」
本日もお約束のコンビニスイーツを手荷物に、徳海の元へ突撃する。
まず初めにお礼からだ。
「先日はお見舞いありがとうございます」
深々と頭を下げる弘美を、徳海がちらりと見る。
「お前は無駄に元気かと思えば長期間寝込んだりと、極端な人生だな」
「へへっ?」
これは弘美自身もそう思っていることなので、笑ってごまかすしかない。
元が栄養不足なので、ちょっと無理をするとすこんと体調が悪化するのだ。
「お見舞いのお礼にさ、甘い物持ってきたんだから! ほら、早く食べよう!」
「……へいへい」
弘美はいつもの保冷バッグをずずいと掲げて、徳海を先導するようにいつもの資料室へと向かう。
その途中で、徳海が弘美に声をかけた。
「そういえばこれ拾ったんだが」
「ん、なに?」
振り返る弘美に、徳海が女物の花柄のハンカチを差し出した。
「お前のハンカチか?」
いつものヨレヨレではなく、洗濯してアイロンまでかけてあるので見違えたが、確かに見覚えのある柄のハンカチだ。
「おお! もしかして資料室に落としてた?」
弘美は「どこで」や「いつ」というキーワードを全く言われていないことに疑問も抱かずに、徳海から素直にハンカチを受け取る。
「ありがとー! じゃあそれのお礼の分もあるね!」
弘美はズンズンと先に進む。
なので、後ろで徳海は変な顔をしていたことに気付かなかった。
「……そうか、但野のハンカチか」
弘美は徳海の血を吸った時にハンカチを巻いて帰ったことを、すっかり忘れていたのだ。
おちこぼれ吸血鬼、理系イケメンに餌付けされるっ!~ついでにその血も飲ませてください~ 黒辺あゆみ @kurobe_ayumi
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