ピンクのゾウが飛んでいるので絶望的だと思った

五条ダン

ピンクのゾウが飛んでいるので絶望的だと思った

 ピンクのゾウが飛んでいるので絶望的だと思った。残された時間は少ない。

 学校の帰り、友人とサーティーワンに寄ってアイスクリームを食べていた。友人は抹茶が、私はベリーベリーストロベリーがお気に入りだった。


「ねぇ、好きなアイスが、その人にとっての理想の恋の味なんだって」


 他愛のない会話をしていたはずだったのに。抹茶味の恋愛とはどのようなものなのかについて、これから盛り上がるところだったのに。

 台無しだ。店から出た私たちを待ち受けていたのが、ピンクのゾウだったからだ。


 呆然と立ち尽くしている。ふと横を見る。

 友人の、肩まで伸ばした長い黒髪から覗くその瞳は、怯えよりもあきらめのようなものが混じっていた。


「もうすぐ、鐘が鳴るね」


 友人が消え入るような声で言った。まるで幽霊が成仏する寸前のような。私はそんな言葉を聞きたくなかった。

 ぎゅっと彼女の手を握る。二度と離すものか。


 遠くの空で、ピンクのゾウが雲から雲へ跳ね回っている。ゾウはときどき鼻を竹とんぼのように回転させて、くるくると宙返りを披露してはニタニタと笑う。ゾウは空を跳ねたり回ったりしながらもこちらへ近づいてくる。今は一匹だけだが、やがて大群になるだろう。嫌な予感がした。


(じきに本降りになる)


「逃げよう」


 私は友人の手を強く握り締め、駈け出した。友人は息を切らせながらも引っ張られてついてくる。


「ムリ、どうせ間に合わないよ」


 彼女の言葉を無視して、ひたすら丘の上を目指した。じきに鐘がなる。セカイの内側でしか存在できない私たちは、多分消える。でもセカイに投げ込まれたときから私たちは、不条理さと戦わなければならないのだった。それが生きるということだから。


「きゃっ」


 友人が短く叫んだ。振り返ってみると、すでに無数のゾウが眼前の空へと広がっていた。ゾウは雲を食べ過ぎたのか、ゴム風船のようにパンパンに膨れている。ゾウの真っ赤なお腹がゴロゴロと鳴り出した。ゲリラ象雨にならなければいいけど。


「もう終わりだよ。こんなことなら死ぬ前に大納言小豆味も食べておけば良かった」


 友人はさめざめと泣いているようだった。私は最後の晩餐に食べるなら大納言小豆よりもラムレーズンのアイスが良かった。


「まだわかんないじゃん。生きることをあきらめない」


 言っていて、おっ、これは少年漫画の主人公の台詞っぽいな私かっこいいと思ったが、友人が本気で泣いているのを見てすぐに言ったことを後悔した。

 慰めの言葉をかけようとして、私は慌てて親友の名前を口にしようする――、も、言葉が出てこない。あたりまえだ。名前なんて最初から無いのだから。


 彼女は私から手を離した。私は必死に抵抗したけれど、走ったせいで手が汗でヌルヌルしていて、駄目だった。彼女は自分の手のひらを食い入るように眺めている。手の形をグーにしたりパーにしたりして、感触を確かめているようだった。


「わたしたちって、ほんとに生きているんだよね」


 懇願に似た彼女の問いかけにしかし、曖昧に頷くしかできなかった。

 生きるってなんだろう。存在するってどういうことなのだろう。

 ピンクのゾウが空を飛び回っているようなセカイで、どうやって、自分が今ここに生きていることを証明できようか。


「わたしたちって、ゾンビじゃないよね」


 私は黙って首を横に振った。ゾンビよりもっと酷いかもしれない。ゾンビには少なくとも確かな実体がある。

 絶望する友人が居たたまれなくなって、思わず抱きしめる。身体のぬくもりを、彼女がたしかに存在するという証拠を、確認しておきたかった。

 よしよし、と頭を撫でる。心臓の鼓動も、胸のあたたかさも、シャンプーの香りも、たしかにそこには在った。けれども現実感だけが、ジグソーパズルのピースが零れ落ちるかのように、どんどんと欠落していった。ゾウが空をピンク色に染めていた。


 踊りつかれたゾウが、地上に落ちてきた。あちこちで爆発が起きて、そのたびに地面が震える。悔しいけれど、逃げられないことを悟った。もしも生きて戻れたらダサピンク撲滅運動をしてやろうと思った。


「わたしたちって、親友だよね」


 耳元で彼女が言った。最期に友人の顔が見たかった。顔を見せて、と言うと、彼女は顔をあげてくれた。前髪をそっと掬ってみる。

 彼女は努めて笑おうとしていたが、それは笑顔と呼ぶには悲しすぎる表情だった。


「帰ったら絶対、また一緒に――、――」


 アイスを食べに行こうね、だったかもしれない。恋をしようね、だったかもしれない。言いかけたとき、友人が私を強く突き飛ばした。

 瞬間、彼女の居た場所を目掛けて降ってきたゾウ、ゾウが友人を圧し潰した。ゾウは満足げに微笑んで、私が助けようとする間もなく、爆発した。


「――ッ!」


 私は友人の存在しない名前を呼ぼうと、ただ音にならない声を空に向かって叫んだ。

 ゾウが、ゾウが。

 頭に血がのぼる。沸騰する。

 激情が炎となってセカイを燃やす。燃やせ。灼熱。熱さ。この張り裂けそうな痛みだけを紛れも無い現実と実感し、決して忘れぬよう胸に刻み付ける。

 友人が、消えた。そしてもう二度と会えないことを、私は知っていた。


 ピンクのゾウが飛んでいるので絶望的だと思った。その瞬間に、セカイが《夢》であると気づいてしまったのだから。セカイは崩壊し、夢は醒めることが運命づけられている。

 友人が消え、私が生き残った。つまり彼女が思考を持たぬ(哲学的)ゾンビであり、私が夢見者だったということ。

 でもたとえ彼女が、夢のなかの幻に過ぎなかったとしても――。


「私の親友だったんだッ!」


 目の前にいるゾウを殴り飛ばした。怒りのすべてをぶつけてやる。

 ゾウは破れた風船のように空の彼方へ吹っ飛んでいった。また別のゾウが飛び掛ってきた。あたり一面がゾウに覆われていた。切りがない。

 そしてゾウも怒っているのだった。ピンクのゾウが、真っ赤に燃え上がる。セカイが炎に覆われる。熱い、痛い、苦しい。でも戦わなければダメだ。

 これは友人の弔いであり、現実への復讐であり、私が今ここに生きていることの証明だった。


 一撃、ゾウの鼻を掴み投げ飛ばす。炎が私のセーラー服にも燃え移った。どうして夢のなかなのに、これほどに熱さにリアリティがあるのだろう。

 おそらく目が覚めたら私は、友人のいない、孤独な女子高生なのだ。

「友人がほしい」という願望が、私にこんな夢を見せたのだ。

 多分ほんとうの私は、クラスで孤立している。ぼっちだ。

 それが現実、だとしても。

 忘れたくない。このセカイに親友がいたことを。


 一撃、ゾウの突進を受け止める。白いキバが胸を貫いた。ぱっと見、ゆるキャラにしか見えない、このふやけたピンクのゾウが、こんな牙を隠し持っていたとは、不覚だ。

 おそらく目が覚めたら私は、夢を見たことも忘れてしまうのだろう。誰と話すこともなく一日が過ぎてゆく、憂鬱な高校生活。そんな私が夢見た友だち。

 それが空想、だとしても。

 忘れたくない。彼女が最期に見せた悲しい笑顔を。


 一撃、たくさんのゾウがのしかかってきた。

 全身が押し潰される。骨がきりきりと軋む。薄れる意識のなか、ゾウも寂しいのかな、とふと思った。

 おそらく目が覚めたら私は、立ちはだかる現実に絶望するのだろう。でも、もう逃げない。諦めない。戦うんだ。不条理なんてぶっ飛ばしてやる。

 消えたくない、消したくない、記憶も、感情も、感覚も、友人の顔も、友人の声も、友人の言葉も、私の想いも、絶対に、忘れてなるものか。

 私は現実で、生きるんだ。




 遠くで鐘の音が鳴る。




 そのとき大音量で、携帯電話のアラーム音が鳴った。


「ふわぁあぁ」


《僕》は大あくびをする。

 随分と寝苦しい夜だった。熱帯夜マジ勘弁。

 いつの間にか胸の上に乗っていた『萌え抱き枕』をベッドから投げ飛ばす。

 寝苦しいはずだ。寝違えたのか、首の辺りが痛かった。

 うーんと伸びをして携帯電話の時刻表示を見ると、午前六時を表示していた。


「やれやれ、今日も出勤か」


 お盆休み欲しい。切実に。

 僕はそれから髭を剃り、シリアルを食べて、スーツを着て、いつもどおりの電車に乗った。お盆なので普段の通勤列車が空いていてラッキーだったが、よくよく考えてみれば通勤列車に乗っている時点であまりラッキーとは言えなかった。

 車窓から雲を眺めていて、ふと思い出した。


(そういえば今朝はエキサイティングな夢を見たような)


 そうだ、ピンクのゾウが空を飛ぶ夢だ!

 何か肝心なことを忘れている気もするが、とにもかくにもピンクのゾウだけは確かだった。


(ふっ、ピンクのゾウとは縁起が良いな。いや、良い、のだろうか……)


 なんだか今年はサマージャンボが当たりそうな気がするぞ。僕は六億円の使い道を妄想しながら電車のなかでニヤニヤとほくそ笑んでいた。

 一瞬、脳裏に女子高生の悲痛な顔が浮かんだが。


(恐ろしい恐ろしい)


 僕は綺麗さっぱり夢を忘れることにした。

 ああ、でも、生まれ変わったら女子高生になりたいなぁ。



(了)

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