異国への道
そして――。明治三年の春、金太郎に転機が訪れた。
無事に沼津兵学校の三等教授に雇われ、フランス語や砲術の教鞭をとることができた金太郎は細々と平穏な日々を送っていた。
旧幕臣が多く住む静岡藩は知り合いも多く、やはり居心地が良かった。
そして兵学校の教授陣や所蔵品は文句無しに一流だった。徳川の旧幕臣たちは逸材の宝庫だったのだ。金太郎はビュランの勧めに従ってよかったと心底思った。
風の噂によると、箱館政権の下で戦い、投獄されていた者たちが次々に釈放されているらしい。まだ幹部たちが出獄したという知らせは耳にしていないが、金太郎の心は逸った。
今までは新政府から隠れるようにして生活してきたが、旧幕府軍の士官や兵士たちが放免されたということは、金太郎ももうお咎めを恐れる必要はないということだ。
ある日、金太郎がフランス語の講義を終え教員室に戻ると、学校の責任者である頭取からの呼び出しがあった。
何か問題でも発生したのだろうかと不安に思いながら頭取の部屋の扉を叩く。
「どうぞ」
「失礼いたします」
一礼して進み出ると、頭取は微笑んで椅子から立ち上がった。
「田島くん、君にいい話が来たよ」
どうやら呼び出しの理由が悪いことではなさそうだとわかり、金太郎は安心した。しかし、いい話とは何だろう。
「新政府に出仕する気はないかね? 大坂の兵学寮の教師だよ。まぁ、今とそれほどやることに変わりはないが、そろそろ大きな舞台で活躍するのも一興だよ」
「兵学寮……」
新政府は富国強兵政策のため陸軍士官を養成する学校を大坂に設立していた。
「是非、行かせてください!」
考えるよりも早く、言葉が飛び出した。ようやく道が開けるのだと思うと、金太郎の胸は高鳴った。
フランスの軍事顧問団から教えを受けた自分が、沼津で旧幕臣として兵学校に勤め、そして今度は新政府の軍人として日本人を育てる――。まだ二十歳にもなっていない未熟な自分が!
なんだか奇妙な感じがして笑いが込み上げてきた。慌てて顔を引き締め、軽く頭を下げる。
「では承諾の返事を出しておくよ。そうそう、横浜兵学校のビュラン氏も大坂兵学寮へ移るそうだ。君はビュラン氏の生徒だったね?」
「はい」
これは僥倖だと金太郎は思った。今度は教える側として先生と一緒に働くことができる。金太郎は大坂行きがますます楽しみになった。
正式な国の軍人ともなれば、外国に行く機会もあるだろう。語学力と砲術の知識を活かして出世すれば、フランスでの任務もあるかもしれない。そうすれば、箱館で運命を共にしたブリュネたちにも会える可能性だって出てくる。
(椿、俺は徳川の家臣の誇りを持って新政府に身を投じるよ。いつか、俺は軍人として君と約束したパリへ行く。日本の軍人がヨーロッパの軍人に恥じることのない技量と気概と気高さを持っているんだってことを見せてくる。だから、おまえは綺麗な空の上から俺の行く末を見守っててくれ)
兵学校から帰宅する途中、金太郎は天高くそびえる富士山を仰ぎ見ながら椿に誓った。
この年の夏、ヨーロッパではフランスとプロイセンの戦争が勃発し、シャルル・ビュランは六年間の日本勤務を中断する形でフランスへ帰国することになった。また、普仏戦争では、箱館政権に加わり、金太郎と親しかったアンリ・ニコールが戦死している。
金太郎は大坂兵学寮で多数のフランスの教練書を翻訳し、着実に陸軍士官としての歩みを進めた。
それから十年後、名を
「田島応親陸軍少佐、在仏駐在武官として本日着任いたしました」
フランスの日本公使館の中に、歓迎の拍手が沸き起こった。
【完】
<参考資料>
特別展
日仏修好通商条約締結百五十周年記念特別展示
「維新とフランス――日仏学術交流の黎明」 展
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/web_museum/ouroboros/v13n3/v13n3_tanikawa.html
「静岡移住後の徳川家の家臣と氏族授産」静岡県立中央図書館
http://www.tosyokan.pref.shizuoka.jp/data/open/cnt/3/50/1/ssr4-42.pdf
降伏あるいは自由 木葉 @konoha716
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