確かに君は、ここにいた

望月くらげ

確かに君は、ここにいた

 君を失って一ヶ月が経ったよ。けど、僕の心は今でもあの日に取り残されたままなんだ。


 大学生になって初めてできた彼女。それが、麻美あさみだった。彼女は優しくて明るくてみんなに好かれていた。

 それに比べて僕は人と関わるのが苦手で、どうしてあんなやつと?って周りが言っていたのも知っていた。それでも、僕らは上手くやっていた。僕は麻美が好きだし、麻美も僕を好きでいてくれていた。――あの日までは。


「それじゃあ、明日9時に駅の前で。遅れたら電車乗れないからね?遅れちゃダメだよ?」

「大丈夫だって」


 僕らは大学最後のクリスマスを旅行先で過ごそうと計画していた。定番のテーマパーク、背伸びして予約したホテル。――内緒で買った安っぽい石のついた小さな指輪を用意して。



「おっかしいな……」


 待ち合わせ時間はとっくに過ぎた。携帯を何度鳴らしてみても、コール音が鳴り響くばかりで繋がることはない。いつも遅れることのない麻美が、何分、何十分、何時間待っても来ることはなかった。

――いや、来られなかったんだ。だって麻美はその頃、もう……。



 不幸が重なったのだと後から聞かされた。財布を忘れ取りに帰っている途中、子どもを避けた車に轢かれたそうだ。事故の衝撃で携帯が壊れ、身分証明を持っていなかった麻美は家族にも僕にも知らされることなく、一人息を引き取った。


 病院で対面した麻美は死んでいるとは思えないぐらい綺麗で、今にも起きて「ビックリした?」なんて言い出しそうだったのに……触れた指先は氷のように冷たくて、本当に死んだんだと実感させるには十分だった。


たける君」


 明るく僕の名前を呼んでいた麻美の声をもう二度と聞くことが出来ないのだと――そう思った瞬間、僕は麻美の前から走り出した。――現実から逃げ出した。



 何度も何度も僕の携帯が鳴り響いた。麻美のご両親から、数少ない僕の友人から。でも僕は全て無視し続けた。誰の言葉も聞きたくなかった。麻美の死を、肯定したくなかった。

 そのうち携帯も鳴ることはなくなった。なんのことはない、充電器に差していなかった携帯は電源が切れて誰からの連絡も届かなくなったのだ。でもそれでいい。誰も僕に悲しい話をしないでくれ……。



「腹減った……」


 あの日から1週間が経った。どんなに辛くても腹は減る。冷蔵庫の中にあったものを適当に食べながら体中に熱が伝わって行くのを感じる。麻美は――あんなに冷たかったのに。



 さらに3週間が経った。冷蔵庫の中も買い置きしていたインスタント食品も底をついた。


「――くそっ」


 自分自身に嫌気がさす。麻美を失って、こんなにも辛いのに、腹が減って自分自身が生きてることを実感してしまう。ああでも……。


「このまま腹が減り続けたら――いずれ麻美のところに行けるだろうか」


 ニュースで見るミイラ化した遺体。あそこまでなるにはどれぐらい経てばいいのか。

 僕は布団の上に横たわると目を閉じた。このまま眠りについて、目が覚めたら麻美のいる世界に行くことが出来たらいいのに。



 あれからどれぐらい経ったのか。部屋の中に鳴り響く音で目が覚めた。辺りを見渡すと携帯の画面が光っていた。


「なんだ、携帯か」


 無視してもう一度目を閉じる。携帯なんて久しぶりに鳴ったな。


「――携帯?」


 バッと体を起こすと、慌てて床に放り投げたまま充電が切れているはずの携帯を手に取った。そこに表示されていたのは……。


「寝坊してない?待ち合わせ時間まであと10分だよ!」


 死んだはずの麻美からのメールだった。


 どうして――なんて、考える余裕はなかった。麻美が待っている。行かなくちゃ。そう思って僕は携帯を握りしめたままアパートのドアを開けた。そこには――いつもの笑顔を浮かべる麻美の姿があった。


「もー健君遅いよ?全然来ないから迎えに来ちゃった」

「麻美……?」

「なーんて、遅刻しちゃったのは私の方だね」


 舌を出して笑う麻美の肩に触れようとした僕の手は、麻美の身体をすり抜けた。


「え……」

「あの日、待ち合わせ場所に行けなくてごめんね」

「あさ……」

「私、幽霊なの」


 そう言って笑う麻美の顔は、いつもの麻美と何の変りもないのに……向こう側が透けて見える身体に、もう麻美が生きていないことを嫌でも実感させらされた。


「……とりあえず、中入ってもいいかな?」

「あ、うん。……や、ちょっと待って!」


 分かった、という麻美を待たせて僕は急いで部屋のドアを閉める。1か月以上引きこもっていた僕の部屋は、見るに堪えないものになっていた。とりあえず布団をあげてゴミをゴミ袋に突っ込んでベランダに出す。あとは消臭剤を部屋中に撒いて匂いを誤魔化そうと空っぽになるまでスプレーを押し続けた。


「もういいかな?」

「だ、大丈夫だよ」


 ドアの隙間から覗き込むように麻美が言う。


「ごめんね、お待たせ」

「大丈夫だよ」


 微笑みながら麻美は部屋の中に入ってくる。そして、当たり前のようにクッションの上に座る。それは――いつも麻美が僕の家に来た時に座っていたクッションだった。


「あさ……」

「ねえ、健君」


 僕の言葉を遮って、麻美が名前を呼ぶ。


「あの日をやり直したいの」

「どういう……」

「私は、そのために来たの」


 そう言って麻美はいつものように笑った。



 麻美に言われるまま僕はあの日から放りっぱなしになっていたバックを持って家を出た。

 隣では麻美が嬉しそうな表情で歩いている。


「楽しみだよね!私小さなころに一回行っただけなんだ」


 そのために来た、そう麻美は言った。それは所謂いわゆる未練というやつなんだろうか。なら……その未練がなくなってしまったら。そうしたらまた麻美はいなくなってしまうのだろうか。

 せっかく……もう一度会えたのに。


「……」

「健君?ほら、電車来ちゃったよ!」

「あ……」


 麻美の声に促されるように、僕は目の前に来た電車に乗った。平日の電車はがら空きで、僕らはボックス席に二人並んで座った。窓から外を見ながら麻美は嬉しそうに僕に話しかける。僕はそんな麻美に相槌を打ちながら麻美が隣にいることの幸せを噛み締めていた。



「たっのしー!!」


 平日のテーマパークは思ったよりも混んでいなかった。並ぶことはあっても麻美と一緒なら、それすら苦ではなかった。


「ねえ、健君!次はあれ乗ろうよ!」

「ちょ、ちょっと休憩させて」

「だらしないなー」


 ベンチに座り込んだ僕を麻美は笑う。絶叫マシーンに連続で乗ったら誰でもこうなると思うんだけど……隣に座る麻美はまだまだ元気!と言わんばかりに次はどれに乗ろうかな、なんてパンフレットを覗いている。


「……あ」

「雨だ」


 ポツ、と水滴がパンフレットに落ちると辺りが急に暗くなった。さっきまでの晴天が嘘のようにどんどんと雨は酷くなっていく。勢いを増す雨に僕の服はどんどんと濡れて……。


「そうだ」


 僕らはテーマパークの中にあるホテルへと向かった。あの日、僕らが泊まるはずだったホテルへ。



 平日だからだろうか。あんなに苦労して予約したはずの部屋に、すんなりと案内された。


「わあああ!」


 内装の豪華さに麻美が歓声をあげる。


「すごいね!健君!凄いね!!」

「そう言って笑う麻美の姿が見たかったんだ」


 その一心で、慣れないネットを駆使してこの部屋を予約した。女の子に一番人気だって普段買わないようなカップル特集が載っている雑誌だって何冊も買った。そして――。


「麻美」

「え……」


 カバンの奥底に隠してあった小さな小箱。


「ずっと麻美のことが大好きです。今までも、これからも」


 見開いた麻美の目から、次から次に涙が溢れる。


「どんな姿だっていい。触れられなくてもいい。だから――傍に、いてほしい」


 今日一日過ごして分かった。触れなくても、透けていても……麻美は麻美だ。僕が好きな麻美なんだ。もう二度と、離れたくない。


「健君……」

「僕の、お嫁さんになってください」

「――は、い……」


 そう言って僕たちは触れることのできない口づけをした。



「んっ……」


 窓から入ってくる光で僕は目を覚ました。


「麻美……?」

「おはよう、健君」


 朝日が差すカーテンのそばには、麻美が立っていた。その手には……。


「それ……」

「似合うかな?」

「どうやって……」

「内緒」


 僕が送った小さな石のついた指輪が、麻美の指で光っていた。



「ねえ、どこに行くの?」

「んー?秘密―」


 ホテルを出た僕たちは麻美が行きたいとこがあると言うので電車に乗っていた。僕たちの住む町とは違う方向に向かっているようだ。


「いい加減教えてくれても……」

「あ、ここで降りるよ!」


 目的地に着いたようで、麻美は電車から降りていく。その後ろ姿を慌てて追いかけた僕は、駅の看板に書かれた文字から目を背けた。


「着いたよ」

「麻美……ここって……」


 案内された場所は、駅から少し歩いたところにある小高い丘の上の……墓地だった。


「あそこにね、今日私も入るの」


 そう言って麻美はお墓を指さす。


「何言って……」

「私ね、健君が苦しそうな顔をしているのがずっと気になってたの。私が死んじゃって、まるで健君まで後を追おうとしているみたいに見えて……」

「それは……」


 確かにその通りだ。死ねばもう一度麻美に会える、そればかり考えていた。


「本当はね……このまま傍にいたいんだけど……これ以上は、ね……」

「麻美……」

「これ、嬉しかった」


 そう言って麻美は指にはめた指輪を見せた。


「これ貰って行ってもいいかな?健君……私もね、健君のことが大好きだったよ。これまでもこれからもずっとずっと大好きだよ」

「麻美!!」


 麻美の身体からどんどん色が失われていく。


「健君、忘れないで。傍にいられないけど……私はずっと健君の幸せを願っているから!」

「麻美!!!」


 伸ばした手は空を切った。

 そして――麻美の身体は、空気に溶けるように……消えた。


「そん、な……なんで……」


「健君?」

「え……」


 膝をついて泣き叫ぶ僕に誰かが声をかけた。

 振り返るとそこには……。


「麻美さんの……お父さん、お母さん……」

「来て、くれたんだね……」

「え……」


 そう言ったお父さんの腕の中には……麻美の遺骨が入った骨壺があった。



「体は大丈夫かい?」

「はい……」


 納骨を済ませた後、僕は駅までの道のりを麻美のお父さんと一緒に歩いていた。麻美の小さな頃の話や家での様子を聞かせてくれた。

 そして――。


「そういえば、骨の中からこんなものが出てきてね」

「え……」


 麻美のお父さんはポケットの中から煤で汚れた小さな何かを取り出した。それは――僕が麻美に渡した指輪だった。


「それ……」

「やはり健君が贈ったものだったんだね」

「……はい」


 でも、なんで――。


「持っていてやってくれないか」

「いいんですか……?」

「私たちには沢山の思い出がある。だからこれは、健君に持っておいてほしいんだ」

「ありがとう……ございます……」



 お父さんから指輪を受け取ると……僕はその指輪を持ってアパートへと戻った。


「ただいま」


 ドアを開けてもそこには誰もいない。

 けれども、僕はそこにいた誰かに向かって声をかける。


「ずっと、ずっと忘れないよ」


 首から下げたネックレスにつけた、小さな石のついた指輪をギュッと握りしめながら。

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確かに君は、ここにいた 望月くらげ @kurage0827

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