第23話
「チヒロ!」
北極基地に戻った俺を一番最初に迎えてくれたのは、ドクダメさんだった。
「チヒロ!チヒロチヒロチヒロ、チヒロ!」
「ちょ、急に抱きつかないでくださいよ! 『ローレンス』で汚れちゃいますよ!」
「チヒロはバカデス! 危うく死ぬところだったのデス!」
「いや、それは分かってますけど」
「全然分かってないのデス! ワタシが、ワタシがどれだけ心配したと思っているのデスか!」
「それだったら嘘なんかつかずにちゃんと、痛っ! 痛いよドクダメさん!」
「チヒロは、ホントに、ホントに……!」
「うん。ゴメンね。ドクダメさん」
泣き出してしまったドクダメさんを抱きしめながら、俺は先ほどのジャクソンとの戦闘を思い返していた。
『見事である。チヒロ』
俺が切断した左腕を抱えたジャクソンの声は、すがすがしいものだった。
『また左腕を切られてしまったのである。まさか、狙ったのであるか?』
『左手首の先がない状態じゃ、その槍槌も持って帰りにくいだろ』
『……流石であるな。我輩の完敗である』
肩をすくめて、俺は答える。
『いや、この『白獅子』ってやつのおかげだよ。乗った瞬間に分かった。性能が格段に上がっている。いつも以上に『レディベスティエ』に俺が溶けやすかった』
いつも以上に馴染んでいる『レディベスティエ』の稼動状態を確かめながら、俺はジャクソンに答えた。
『まぁ、そのおかげで『通信』の使い方もだいぶ分かってきたんだけどな。これでこの会話はドクダメさんに聞かれなくてすむ』
『通信』の状態を確認する。俺はドクダメさんとの『通信』が切れていることを認識していた。
『チヒロよ。分かっておると思うが、我輩を退けたとしても、シブキがセンジン様のご遺体を『レオーネ』から持ち去った事実は消えないのである』
『ああ。ドクダメさんが生きている限り、ドクダメさんは『ギガク』と『フウリュウ』間で結婚した責を問われる。また『レオーネ』から地球に誰かが来る可能性があるってことだろ?』
『その通りである。チヒロよ。その時お前はどうするのであるか? 別の星に行くのであるか?』
『馬鹿なことをいうなジャクソン。経緯はどうであれ、俺はこの星で生まれて、この星で育ったんだぞ? 友達だっているのに、離れられるかよ』
『世界』は狭い。
『世界』っていうのは、地球がどうとか、『レオーネ』がどうとかそういう話ではなく、自分の見えてる範囲で、自分が触れている範囲のものを、俺たちは仰々しくも『世界』といっているのだ。
だから俺にとっての『世界』は『ホシノカケラ』と北極基地で仲良くなった人と、友達と、松井博士と、ドクダメさんなのだ。
だから、俺が守る人はこれでいい。
俺の『世界』はこれで閉じている。俺の『世界』は狭い。
でも、本当にそれでいいのか?
俺の『世界』の中にいる人だって、自分の『世界』がある。
もし友達の友達が死んだとしたら、きっと俺の友達は悲しむ。そうすると、俺の『世界』が悲しみの色で染まる。そして友達の友達の友達が死んで友達の友達が悲しめば、俺の友達も悲しむかもしれない。そうするとやはり、俺の『世界』が悲しみの色で染まる。
俺の『世界』は狭いが、俺の『世界』は、俺の『世界』の中にいる人の『世界』で、別の『世界』につながっている。
だったら、俺が守るべき『世界』はこのつながっている『世界』全てということになる。俺の『世界』にいる人が悲しむのは、俺も悲しい。
だから、俺はジャクソンにこう答えるのだ。
『どこの誰がこようとも、俺は地球を、『世界』を守るよ』
『ドクダメさん。一つ聞いてもいいかい?』
『何? チヒロ』
抱きしめていたドクダメさんが顔を上げ、俺を見つめる。
『ジャクソンとの初接触の時、『クリニエーラディレ』の打ち上げを遅らせたのは、わざとですよね?』
『……ええ。そうよ。親衛隊隊長のジャクソンなら素手の状態のチヒロに戦闘で簡単に負けるとは思わなかったし、二回目の接触でチヒロとの通信に成功する可能性が高いと分かっていたわ。だから間違ってもチヒロがジャクソンを倒してしまわないように、打ち上げを遅らせたの』
ドクダメさんは、俺を寂しそうに見つめていた。
『アナタが記憶を失くしていると知ってから、ワタシを『レオーネ』の追っ手に引き渡すように誘導しようって決めたわ。それしか、地球とアナタを救う方法はないと思ったから。アナタがセンジンだと『レオーネ』に知られたら、ワタシだけでなく、チヒロも『レオーネ』に連れ戻されてしまう。記憶を失くしたアナタを、巻き込むわけにはいかないから』
『なるほど。分かりました』
俺は今まで自分が乗っていた『レディベスティエ』を見上げた。
既に『レディベスティエ』の鬣と『クリニエーラディレ』の刀身は元の黒色に戻っている。『レディベスティエ』は、センジンは生前はどんな『シシ』だったのだろうか?
『それからもう一つ』
『何かしら?』
『ドクダメさん。本当は俺の脳に、ドクダメさんに好意を抱くような『調整』はしていないんじゃないんですか? 『調整』なんてしていない、何のデータも俺の脳に注入していない、センジンの脳から俺の脳を創ったままの、プレーンなままなんじゃないですか? それどころか、本当は脳の『調整』なんて出来ないんじゃないんですか?』
創られた想いだの何だのと叫んだが、冷静になって今考えればドクダメさんはそんなことをする必要がない。
『何故、そう思うの?』
『だって、意味がないからですよ』
そう、その意味がないからだ。
どうせ一つの脳しか作れないのなら、『調整』して俺の脳が壊れるリスクを負えるはずがない。
『それにそもそも本当に『調整』できるのなら、俺の脳にドクダメさんのセンジンの記憶を注入して俺をセンジンに近い状態にだって出来たはずです。それをしなかったって事は、『調整』は出来なかったんじゃないかと思ったんですけど』
『……正解よ』
ドクダメさんは、まだ俺を見つめていた。その潤んだ瞳は決して俺から離れることはない。
『だから、正直戸惑ったわ。目が覚めたチヒロが、その、ワ、ワタシのことを、その……』
『……きっと、センジンの思い出ですよ』
『セ、ンジンの?』
『ええ。センジンが一番残しておきたかった想い。それを、俺が引き継いだんだと思います』
『……それだったら、本当にアナタはセンジンの生まれ変わりね』
そう言って、ドクダメさんは頬に流れそうになっていたしずくを拭いた。
でもきっと、それが俺がドクダメさんに一目ぼれして、執着していた理由だろう。
これは、センジンの残り香だ。
死んだセンジンの脳がどうしても残しておきたかった想いを、俺がこうして引き継いだんだ。
それは、まったく何の根拠もない俺の想像だけれど。
それは、センジンが俺の脳にドクダメさんへの想いを創ったともいえるのだけれど。
俺は、それでもいいと思えた。
創られた想いでも、俺の『ナカ』のドクダメさんへの想いを貫くと、決めたから。
『そういえばチヒロ。ワタシもチヒロに聞きたいことがあるの』
『何ですか?』
『チヒロは、『ロミオとジュリエット』を読んだことがあるの?』
『いいえ。ありませんよ』
『……読んだことがないのに、あのバラの名前と香りの台詞が出てきたの?』
そこでまたドクダメさんは涙ぐんで、
『本当に、アナタは……』
そこから先は、言わせなかった。
そもそもドクダメさんが泣いていたから、それを止めるために俺はドクダメさんの下に帰ってきたのだ。
それなのに、こんなにぽろぽろドクダメさんに泣かれては、何のために俺が帰ってきたのか分からない。
『じゃあ、何でチヒロはあの台詞を?』
『ドクダメさん。白バラの花言葉って、知ってますか?』
『白バラの?』
俺たちは、このままの姿勢で『通信』を続ける。
ドクダメさんと離れる必要がなかったので、この時だけは自分の体が『レオーネ』仕様であることに感謝した。
『白バラの花言葉は、確か『尊敬』よね? でも何で普通のバラじゃなくて白バラにしたの?』
『ドクダメさんのドクダミの『白い追憶』にかけて白にしたんですよ。白バラには『尊敬』以外にももう一つ意味がありまして』
『もう一つ?』
『ええ』
『どういう意味があるの?』
『白バラのもう一つの意味は、』
それは、
『『私はあなたにふさわしい』です。ドクダメさんの心を奪うと言った俺には、ぴったりでしょ?』
『……もう。バカ』
俺はドクダメさんをさらに抱きしめ、ドクダメさんもそれに応えてくれる。
その行為は、元々一つのパーツから出来た二人が一つに戻ろうとしたものなのかもしれない。
その行為は、拡張パーツの中に入っている二人の『ヒト』と『シシ』が一つになろうとしたものなのかもしれない。
俺の脳はセンジンの脳で出来ていて、体はドクダメさんの体で出来ていて、創られてからは地球人として暮らしている。
俺の『ナカ』には、俺の精神が『シシ』なのか『ヒト』なのかは分からない。
いや、俺の『ナカ』に『ヒト』など、イヤしない。
俺の『ナカ』には、ドクダメさんの想いで一杯なんだから。
二人の唇は、しばらく離れる気配もなく。
初めてのキスが終わるのは、もうしばらく後になりそうだった。
ナカにヒトなど、イヤしない!? メグリくくる @megurikukuru
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