第13話

「はー。目は疼くし寝不足だし最低最悪だぜ、ちくしょー」


朝。

あれから眠ったような記憶もないまま朦朧とした様子で身支度をし、家を出た。

柚希羽も寝不足だろうに、しっかりと起きて質素だがちゃんとした和風の朝食を作って送り出してくれた。

今日は凪斗の方に予定が詰まっているので、買い物や提出せねばならない書類諸々は明後日にしようと決め、彼女には悪いが部屋から出ないように言い置いた。


いつもは車で事務所まで通勤しているのだが、交換した左目がまだ熱を持ったように疼くので、今日は久しぶりに電車通勤にした。


柚希羽によるとまだ目が馴染んでいないので、普通に生活するにはもう少し時間がかかると言われた。

氣を見る云々は更に先。

まずはまともに生活するだけの視力を取り戻さないとならない。


凪斗は電車の車窓に映るまだ眼帯に覆われた左目を見てため息を吐いた。


……これマジで本物の風水師とかになれたのか?

左目が疼くって、どう見てもただの厨二病拗らせたイタいオッサンじゃねぇか。


軽い目眩のようなものを感じてますますため息が深いものになる。

しかしそんな憂鬱を他所に電車は目的の駅へ着いていた。


       ☆☆☆☆☆☆


「おはよー。皆」


疲れ切ったような顔つきで事務所の扉を開ける。


「はよっす。所長。実家はどうでし……って、左目どうしたんすか?」


入ってすぐに声をかけてきたのは和田翔平だ。

彼は凪斗の眼帯姿にすぐ気付き、コーヒーカップを片手に固まっている。

相変わらず茶髪の頭頂部はアホ毛のような寝ぐせがしっかりついている。


「あぁ、ちょっとモノモライ的な?」


まさか彼らに左目は婚姻の証として交換したなんて言えるはずもなく、凪斗はやや顔を引き攣らせながらもそう切り返した。


「大丈夫ですかぁ。病院とかは行ったんですか?」


「いや、そんな大したことないから。もう少ししたら良くなるさ」


凪斗は心配顔の和田の前を通り過ぎ、自分の席へ移動した。

机の上には新しい仕事の案件が山のように盛られていた。


「はい。所長どうぞ。何か眼病のこともありますがかなりお疲れのようですね」


そんな凪斗のデスクの前に熱いコーヒーの入ったカップが置かれる。

置いたのは穏やかな雰囲気の青年、井原智樹だ。

彼は和田と同じく作図のオペレーター担当している。

それ以外では手先が器用なので建築模型の製作等もこなす。


「サンキュ。まぁな……。はぁ。あのさ、皆に一応報告があるんだけど」


「報告?まさかこの事務所ヤバいんですか」


するとすぐに慌てたような声を出して奥の席から女性が立ち上がった。


彼女は湯河原凛子。

この事務所の経理事務を担当する自称数字の鬼だ。

その彼女は必死な顔付きで凪斗に迫る。


「いやいやいや、違うから。報告ってのは俺の個人的なヤツで…」


「個人的な?つまりはもしかすると…」


それを聞いて察しの良い和田は何かに気付いたように笑みを浮かべた。

出来ればここでこんな風に皆に報告したくはなかったが、何も言わずにいるのは不義理というものだ。

凪斗は大きく息を吸い込んだ。


「俺、結婚したわ」


言った瞬間大きな拍手に包まれた。


「うわー。マジっすか!おめでとうございます。だったら連休前にでも何か言って下さいよ〜」


「本当ですよ。こちらにだってお祝いの準備があるんですから。何はともあれおめでとうございます。所長」


「これで所長も一人前の男ですね。おめでとうございます」


三者三様の賛辞の言葉が胸に響く。

本来だったならどれだけ嬉しい事だろう。

凪斗は微妙な笑みを浮かべた。


「あはは…。急で悪かったな。俺もまだ全然実感ねぇし」


「そういうもんじゃないすか?俺もまだ独り身だから分からないっすけど。それより弁護士の妻って最強ですよねぇ」


和田の明るい言葉に凪斗の顔が再び引き攣る。


「所長、どうかしましたか?」


結婚したというのだから大体相手が誰なのかは十中八九、現在交際中の相手だと思うのが定石だろう。

だから和田が言うのは須藤マリアの事だ。

ますます言いにくくなってしまった状況に凪斗は胃の痛みを覚える。


「い……いや。その…あー、何だ。あれだ。相手はマリアじゃないんだよな」


………?


三人の顔に困惑が浮かぶ。


「それってどういう事っすか。まさか実家でマジで見合いしてそのままって事じゃ…」


唯一連休前に凪斗の実家からの電話を取った和田がそう推測してきた。


「えっ、和田ちゃん。それってどういう事よ」


凛子がやや非難するような目を向けて声をあげる。


「いや、俺、連休入る前に所長のお母さんからの電話取ったんすよ。何か苛立ったような声で実家に戻るようにって……だから」


ポリポリと後頭部を掻きながら和田は言いにくそうに説明する。


「つまりその……そこで見合いをセッティングされていたんですか?」


井原の言葉に凪斗は力なく頷いた。

一同の顔に呆れが浮かぶ。


「ちょっ、信じられない。所長。正気ですか?いくら親から言われたからって大人しく結婚するなんてどうかしてますよ。所長には彼女がいるじゃないですか。誰もいないなら別に何も言いませんけど、これは須藤さんへの裏切りですよっ」


「いやっ、だから……その…」


怒りが一気に頂点に達した凛子は高いヒールをカンカン鳴らしながらこちらへ近寄り、マシンガンのように怒鳴りたてた。

それがどれも正論であるから余計に胸に突き刺さる。


「仕方なかったんだよ。強引で……」


「所長。そこで流されますか?一生の事でしょう。大体所長は……」


「おい、凛子。それくらいにしろよ。所長の決める事だろう?」


その剣幕に井原が割って入った。

仕方なく凛子は唇を尖らせて自分の席へ戻る。


「いや。確かに凛子の言う通りだよ。だけどもう俺にもどうする事も出来なかったんだよ」


柚希羽はもう左目を失っているのだ。

これはもう取り返しがつかないし後戻りがつかないのだ。

自分の意志に関係なく半ば親たちの不可抗力のようなもので結婚してしまったが、自分には彼女の今後を守らなくてはならない。

それを彼らに説明出来ない為、彼らの自分への不信感は高まってしまったが仕方ない。

それにこれからこれと同じ説明を夜、須藤マリアにしなくてはならない。


「ま…まぁ、所長にも色々事情があんだろ。それより今は黙って祝福しようぜ。あ、じゃあお相手ってどんな人ですか?」


話題を明るい方向へ転換するべく和田が声を一オクターブ高くした。


「いい子だよ。うん」


「てかそれだけっすか?いくつですか?何やってる人です?」


「…………俺の10くらい下かな。多分家事手伝いだろうな」


「えっ、所長って28ですよね?」


「まだ27だよ」


和田の目が泳ぐ。


「それにしたって17じゃないですか。なにそれ。JKっすか」


「や、学校は行ってないようだから…」


「信じられない」


また凛子が頬を膨らませる。


「それって若い子だから結婚する気になったって事ですか?」


「違うって。たまたまだよ」


まさかここまで全員に責められるとは思っていなかった。

まぁ、これも事務所設立当時からずっと家族のように接していた仲間たちだからこそなのだろう。


「たまたまねぇ……」


「もうこの話はここまでにしようぜ。打合せと確認申請がたまってるんだ」


凪斗は悪い空気を断ち切るように手を叩いた。

3人はまだ何か言いたげに目をしていたが、それ以上何も言わずにそれぞれの業務へ戻る。

その通りすがら井原が凪斗にそっと耳打ちする。


「須藤さんへはもう言ったんですか?」


「まだ。今夜言う。さっきメッセージ送った」


井原は軽く笑みを浮かべた。


「相手は恋人とはいえ弁護士ですよ。訴えられて訴訟モノにならないといいですね」


「ばっ……バカ言うなよ。すげー怖ぇな」


凪斗は時計を確認して溜息を吐いた。


……夜が永遠にこなければいいのに。

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月輪の風水 涼月一那 @ryozukiichina

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