第12話

「……ダメだ。全然眠れねぇ」


凪斗は布団の中で何度目かの寝返りを打つ。

手元の時計を見るとそろそろ深夜二時になろうとしている。

明日からは本格的に仕事が始まるので、少しでも寝ておきたいところなのだが、いくら瞼を閉じてじっとしていても一向に眠気は訪れなかった。


頭は知らずにこれからの事や様々な不安や迷いで一杯になる。

柚希羽はこの寝室とリビングを隔てた先のウォークインクローゼットとして使っていた個室スペースで寝てもらう事になった。

しかし個室とはいっても互いの空間を区切る壁や扉は存在しない。

ただロールスクリーンを下げるだけで、視覚的には遮られているが、聴覚的には何の隔たりはないに等しい。


だから先ほどから定期的に向こうから寝返りを打った際に響く布団の衣擦れの音がダイレクトに聞こえてくる。

どうやら彼女も凪斗同様、眠れないでいるようだ。

気にしないように布団を耳の上まで引き上げてみても、知らずにその音を耳が追っている。

彼女の立てる音全てに全身の感覚が鋭敏になっているようだ。


「………ふぅ。やっぱダメだ」


思い切って凪斗はガバッと起き上がった。

そして薄明りの向こうの彼女に声を掛けた。


「おい。柚希羽。起きてるんだろう?」


すると向こうの方からモゾモゾと動き出す気配がした。


「うん。起きてる」


「……そうか。まぁ、昨日今日で色々あったからな。俺も眠れねぇ。だからちっと話さないか?」


「話?」


すると向こうの方からに起き上がる気配が伝わった。


「ああ。俺たちはまだ初対面に等しいんだ。だからちょっと打ち解ける為に色々知っておいた方がいいと思ってさ」


「うん。わかった」


そう言って二人は薄明りの元、真ん中にあるリビングに集まった。

出来るだけ彼女の存在を意識しないよう、凪斗は視線を天井の方へ向ける。

自分から言い出したものの、何となく気まずい。


「話って、何を話したらいいの?」


「へ?ああ、そうだな。取り合えず重い話題は今は止そうぜ。まぁ…自分の事を知ってもらう為だからなぁ、好きなものとかかな」


「好き?」


柚希羽は戸惑ったような表情で首を傾げている。

まぁ、いきなりそんな話を振られても困るだけかと凪斗は頬を掻いた。


「分かった。言い出しっぺは俺だからな。最初は俺からいくな」


すると柚希羽は嬉しそうな顔で頷いた。


「うん。聞かせて。凪斗のこと」


「あ……あぁ。分かった。俺の好きなものはバイクだな」


「ばいく?」


「ちなみに一応聞いておくが、バイクってどんなものか知ってるよな?」


彼女はずっと京都の山奥で暮らしてきたのだ。しかしだからといって、何も知らずに育てられたわけではないはずだ。

だから一応聞いたのだが、彼女は小さく頷いた。


「うん。ガソリンで走る自転車でしょ?」


「うぐっ……ま…まぁ、当たらずとも遠からずか。それでいいよ。とにかく俺はバイクが好きなんだ」


「ふぅん、でもどこにあるの?凪斗のばいく」


ここに来るまでの間、彼女にはマンションの簡単な説明をしていた。

その時に下の駐車スペースに車がある事は言っていたが、他にバイクがあるとは言っていなかった。


「ああ。今はバイクは持ってないんだ」


「そうなの?好きなのに?」


「まぁな。仕事を始めたらそう趣味で乗り回す暇もなくなってな。そのうちにチューンアップすらしなくなってきて、それじゃバイクもかわいそうだって事で三年くらい前に手放したんだ。その前…大学通ってた時は毎日のように乗り回してた」


「ふぅん…」


言っていて懐かしくなってきた凪斗は、もう手元にない赤い車体を思い出して遠い目をした。


「最初は中学二年の夏に四つ上の従兄弟がバイクで家まで遊びに来たんだよ。そん時、すげぇ格好いいなぁってシビレたなぁ」


「凪斗は格好いいと痺れる病気なの?」


「いやいや、そうじゃねぇって。感動ったって事だよ」


柚希羽は不思議そうに眉を寄せている。

どうやら相当な天然女子なようだ。


「まぁ、それから俺も自分のバイクが欲しくなって高校上がってからは免許すぐ取って、後はバイト三昧だったなぁ。で、バイクが実際に自分で買えたのは大学一年の時。中古だったけどな。すげぇ嬉しかったよ。それまでずっと従兄弟の借りて走ってたから」


「ふぅん。すごいね。凪斗」


「…ま……まぁな。毎日楽しかったよ。自分好みに手を加えて、色んな所に出かけた」


あの頃のことを振り返ると少し恥ずかしさが蘇る。

根拠もない万能感に酔っていた自分を。


「ねぇ、色んなところって、どこに行ったの?」


「うん…そうだな。本当に色々だよ。千葉。神奈川、埼玉方面は自分の庭かってくらい週末に通いまくった。日帰りで遊ぶのが楽しくてさ。海行ったり、レジャー施設行ったり、美味そうなもの食いに行ったり、そういうの全部バイクで行ってたな」


柚希羽はそれを幸せそうな顔をして聞いている。

本当に彼女がこんな話を聞いて楽しいのか半信半疑だが、話を続ける事にした。


「それでさ、大学卒業間近の頃、まぁ将来進む道で親と揉めてさ、結構精神的に追い詰められてた時期があんだよ。ずっとピリピリしてて、遂にはストレスで不眠になってさ、全然眠れない日が続いてて、あの時は苦しかったな」


「凪斗大丈夫?」


「あぁ、今はもう平気だよ。それ、昔の話だから。それでさ、その日もやっぱり眠れなくて、もう眠れねーならいいやって開き直ってさ、バイクに乗ったんだ」


柚希羽はじっとこちらを見ている。


「夜に危なくない?」


「まぁ、多少はな。だけどスピードに乗ってスカッとしたいって気持ちが強くてさ。行き先も決めず、ただ気づけばどこか海を目指してた」


今でも脳裏にあの頃の景色が広がってくる。

やり場のない気持ちを持て余していた自分を何とかしたくて走らせたバイクの感触も蘇ってくる。


「あてもなく夜通し走り続けてフラフラで意識持ってかれそうになったそん時、いきなりパァって視界が開けて海が広がったんだ。それがすげぇ綺麗で感動した。ちょうど朝日が水平線から顔出す瞬間でさ。眩しいってより、神々しいって表現が近い。そんな神がかった景色だったんだ」


凪斗はあの景色を今でも忘れた事はない。

あの景色を見たからこそ、風水師の道を進もうと思ったのだ。


後から後悔してもいい。

その道を進めるのならと。


そんな気持ちを今更ながら噛み締めた凪斗に柚希羽は笑顔で手を重ねてきた。


「え、柚希羽?」


「それ、私も見てみたい。凪斗が綺麗だと思ったもの、一緒に見てみたい」


初めて見た彼女の笑顔に胸が高鳴った。

こんな笑顔が自分に向けらるとは思ってもなかったから、かなり戸惑う。


だからようやく絞り出すように発した言葉は酷く動揺が滲んでいた。


「あ…あぁ。うん。そうだな。そうしよう」


「うん…」


それは2人の心が少しだけ近くなった最初の夜の事だった。

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