後編
その後、アメリカの心理学者マーフィーが、欲求・動機と、それを満足させる手段の間の特殊な結びつきや、趣味・嗜好・習慣・価値観などが固定化していく過程を説明する際に「水路づけ」という概念を使用しました。(G.Murphy、1895~1979)
彼は、パーソナリティ研究の過程で、人格形成に「水路づけ」が重要な役割を果たしているとも提唱しました。(G.Murphy、1947「Personality: A biosocial approach to origins and structure」、New York: Harper & Brothers.)
この「水路づけ」は心理学でいうところの「条件づけ」に似ています。
「条件づけ」というのは、おおざっぱに言いますと「犬やイルカに芸を仕込む時に使われる餌付け」です。
これも、同じ行動を引き起こすための理論ですが、「条件づけ」が具体的な行動と報酬の関係を行為者が意識しており、それが失われれば行動が見られなくなるのに対して、「水路づけ」の場合、行為者自身が意識していないことがあります。
実際は全く異なる性質のものであり、マーフィーは「水路づけ」されたもののほうがなかなか消去できない、と考えていたようです。
「条件づけ」は、アメリカの心理学者であり、行動分析学の創始者でもあるバラス・フレデリック・スキナーによって「オペラント条件づけ」という方法で有名になり、以降の心理学の発展に多大な影響力を及ぼしました。(Burrhus Frederic Skinner、1904~1990)
スキナーは「自由意志は幻想であり、人間行動は過去の行動の結果に依存する」と考えておりました。
過去の行動の結果が悪いものであれば、その行動は繰り返されない確率が高くなり、良い結果であれば、何度も繰り返して行われるようになるという「強化理論」を提唱しています。
それに対して、「水路づけ」理論がそれ以上に発展することはありませんでした。
少々専門的な内容が続いてしまいましたので、元の話に戻しましょう。
「水路づけ」というのは、具体的にはこんな風に行われます。
会社に入社した頃は、誰もがいくつかの通勤ルートを試しに歩いていたものと思います。
その時、自宅の隣にあるマンションの敷地を横切ると駅に向かう最短ルートであることに気がつきます。
マンションは敷地内への居住者以外の立ち入りを禁止していますが、平気な顔で歩いている人は大勢います。
そこで、実際にそのルートを歩いてみました。
すると、僅かではありますが早く会社に着きます。
朝のあわただしい通勤時間であれば、僅かな差でも非常に重要です。
そのため、次第に「部外者立ち入り禁止」の看板は、無視されるようになります。
さらには、酔っ払っていても間違わずに歩くことが出来るようにもなりました。
生き帰りのルートを意識することもなくなり、時間が読めますから非常に便利です。
心理的な負担がなく、かなり楽です。通勤以外の時も、そこを歩くようになります。
他の道を使う必要を感じないので、以降二十年近く同じ道しか使わなくなりました。
今では他のルートにどんな店があるのか、まったく分かりません。
さて、どうでしょう。
今の話を聞いて「普通のことじゃないの?」と思った方は、正直に手を挙げて下さい。
次に「ちょっとおかしいけれども、自分もそうしているなあ」と思った方も、正直に手を挙げて下さい。
続いて「あれ、ちょっとおかしくない? まずくない?」と思った方、正直に手を挙げて下さい。
最後に「別に何も考えなかった、感じなかった」方――手を上げる必要はありません。
何も考えなかった方――あなたは今、完全に運河で溺れています。
普通のことじゃないのと思った方は、運河で溺れかけています。
先ほどの具体例の中には、いくつか気になる点があります。
駅への近道だからといっても、私有地に立ち入ることには問題があります。
これが一軒家だったら「不法侵入」以外の何物でもありません。
また、意識せずに歩けることは、楽かもしれませんが安全とは言えません。
普段とは異なる点があっても、意識されることはないでしょう。
そして、他の選択肢が放棄されております。
時間的には効率的かもしれませんが、空間的な広がりがありません。
「水路づけ」がかなり進んで、水路は広くて深い運河になってしまいました。
そこから出ることすら出来なくなっています。
通勤・通学のルートの話なのに大げさだな――そう思う方がいるかもしれませんが、他の面で同じ現象が起きていないかどうか、考えてみたことはありますか?
日常生活の中で、意識せずに自動的にやっていること。
毎日の繰り返しの中で、すっかり慣れてしまっていること。
他の道筋ややり方があることを意識せずに、同じことを同じように繰り返すことに何の疑問も感じなくなっていること。
それは確かによく見られる人間の行動ですし、考える手間がかからないので楽です。
しかし、それで本当に大丈夫でしょうか。
本当にそのやり方で正しいのか。
潜在的な危険性はないのか。
状況は変わっていないのか。
より効率的なやり方があるのではないか。
そして、他のやり方を試みてみたら、楽しいのではないか。
毎日通勤ルートを変更したほうがよい、とは言いません。それは非効率ですから。
ただ、現状に立ち止まるだけでなく、時には自ら変化させることは必要です。
それによって、失敗することがあるかもしれません。いつものレストランのほうがおいしいこともあるでしょうし、寄り道したせいで会社に遅刻しそうになるかもしれません。
しかし、新しい発見をすることもあります。
家の近くに実はすてきなレストランがあるかもしれませんし、思わず心が洗われるような風景が見られるかもしれません。
*
「自分を変えるためにはどうしたらよいか」
「人生を変えるにはどうしたらよいのか」
研修でよく耳にする言葉ですが、私はそんなに難しいことではないと思います。
今までずっと同じように続けていることを、あえて変えてみる。
それだけのことで、貴方が見ている世界は簡単に変わります。
例えば、月に一回ぐらいは通勤経路の行きか帰りのいずれかをあえて横にそれて、そこに何があるのかを見つめてみる。あるいは、起きる時間を十分間だけ早めてみる。または、食事に行く場所を変えてみる。
貴方の中にある水路の流れを、たまに変えてみる。
それだけのことを意識し、実践するだけで、人は確実に変わります。
なんだか締めの言葉が「こうすれば絶対にあなたの人生は変わる」という、どこかで聞いたような宣伝文句になってしまいましたが、私のお話はこれで終わります。
とりあえず今日の帰り道に少しだけ寄り道するのはいかがでしょう?
なお、交通事故にはくれぐれも気をつけてくださいね。
寄り道が過ぎると通勤途上災害に認定されなくなりますので。
( 終わり )
運河で溺れないためにはどうしたら良いか? 阿井上夫 @Aiueo
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