第20話
アルトラは一度ベルフェゴールにフラれてから、二日ほど部屋にこもり、そしてある決意をした。
諦めないと。
ノイズは巨大な地下へのエレベーターの中で微睡んだ。
なにか優しげな女性の声を聞いた気がした。自分の後ろに、同じ歳くらいの女性が優しげに自分を見ている。そんな夢を見ている。
かけふとんにしたチェック柄のストールの中でもぞもぞと動いてうっすら目を開ける頃にはその女性の姿は薄れて消えた。母ではないな、とぼんやり思う。
いやそもそも幽鬼の類が自分の、いや、父の使うエレベーターに近寄れるとは思えないし、そもそも母は幽鬼にならなかったのだと……ぐるぐる考えて、また彼はまどろみの中に沈んでいく。
「諦められないの」
「……」
ベルフェゴールは天日干しのツノガエルのツノをいっぱいに詰めたガラス瓶からそれをつまみ出し、鉄鍋へ眼なし蝙蝠の羽根をキッチリ20gと一緒に入れる。鉄鍋を火にかけ子猫の髭三本と人魚の涙色の真珠大玉一つもそこに入れる。
七夜月明かりに晒した蓮の台に溜めた火吹き竜の涙と眼球を入れて
「ベルフェゴール」
……火に樫の木の新芽を焚べると鉄鍋の中は薄く光った。
「あなたが好きよ。
誰かなんか代わりにならないの。
あなたを愛してるんだもの。
私の愛しいひと……あなたの前だと言葉が出てこないけどどんな言葉を尽してもわたしの愛は表せないほど深いわ」
「口説き文句がお上手で」
それならどんな殿方でも参ってしまいますよ。ベルフェゴールは言いながら鍋を見つめている。ガラス瓶や壺や箱やその他様々魔術を嗜むものが見れば喉から手が出るような品が詰まったテーブルの上に乗り出してアルトラは囁くように歌いだした。
それは当時のイングランドの流行歌で、男が女に求婚するような言葉を並べる。
「……その歌だと、最後は私が断ることに」
「あなたは優しいからそんなことしないよね」
「……アルトラ様いけません」
ベルフェゴールはおどおどした目で、でもキッパリと言った。
「わたし達は女同士ですよ」
ノイズの胸がちくりと痛んだ。
「関係ないわ。
私あなたにキスしたいの」
振り向いたベルフェゴールは顔を真っ赤にしていた。
「ベルフェゴール」
「ベルフェゴール」
「ねえ、ベルフェゴール」
べるふぇごーる?
ノイズははっと覚醒した。そんな名前の悪魔は知らない。そしてアルトラ。僕の姉。見たことのない美しい彼女は覚醒した僕の前で歌っている。ベルフェゴールがため息をつく。なんだこれは。
なんだこの夢は。
呟いた途端、姉が振り向いた。
こげくさい。木の焼ける匂い。指先が熱い。微笑んでいたはずの姉が白い顔をぐっとノイズに近づける。何かが炎に爆ぜる音。
「ベルフェゴールを助けて」
そこでノイズの意識は暗転した。
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