ある二人の話

秋空 脱兎

痴話喧嘩と恋

「おい、陽香はるか


 短い黒髪の青年の優樹ゆうきが、リビングのソファに座ってリンゴジュースを飲んでいる、長い金髪の女性の陽香に話しかけた。


「んー? どしたの優樹?」

「あのなあ、毎回毎回……」


 優樹はそこで一瞬溜めて、


「窓から入ってくるなよおおおお!!」


 腹の底から叫んだ。


「あのさあ、お前もう二十一だぞ!? いい加減どこかの二千の技を持つ冒険家みたいな事すんなよ! インターホンが鳴ったから出てみたら玄関には誰もいなくて? いざリビングに戻ったらスニーカー片手に大事にとっといてたリンゴジュース飲んでる幼馴染みの女がいるのが日常となっている男の気持ち考えろよ!? あれだろ? また二階の窓から入ってきたんだろ?」


 優樹は陽香に詰め寄り、一気にまくし立てた。


「おお、名探偵だねえ、ワトソン君。このリンゴジュースおいしいよ」


 陽香は、優樹がとっておいてたリンゴジュースをガブガブ飲みながら言った。


「そりゃそうだろうさ、青森に単身赴任してる俺の親父が買って送ってきた五千円のリンゴジュースだぞ!? 大事にとっといてたのに!!」


 優樹は腕をシャカシャカ振りながら言った。


「おーおー、消費期限一日前までとっといてる位だもんねえ。ごちそーさま」

「あああああ全部飲みやがったあああああ!!」


 優樹は頭を抱えて叫んだ。


「んー、糖度は16位だったよ。メロンより甘かった」


 陽香はキッチンにリンゴジュースの瓶を置きに向かった。


「どこぞのリーダーみたいな事までやるなよこのビックリ人間……」


 優樹はヘナヘナと崩れ落ちながら言った。


「でさあ、後でちょっと相談があるんだけどさ、いい?」

 陽香は振り返って、爽やかな笑顔を優樹に向けた。

「話聞いてくれよお……」


 優樹は半泣きになりながらぼやいた。



「気になってる人がいる?」

「…………うん」


 陽香は、顔を赤らめて言った。


「何だ、陽香にもそういう感情あったのか?」

「そういうって何よ、私だって人を好きになるような感情はあるよ」


 陽香は軽くむくれながら言った。


「いやだって、スカートなのに家の壁登って窓から人んに入ってくるような奴だぞ?」

「あー、確かに。ちょっと控えようかな……」

「止めるとは言わないんだな」


 優樹は呆れた様子で言った。


「それで、どんな人だよ、その男って」

「…………え? 男だなんて言った?」


 陽香がキョトンとした表情で言った。


「…………え?」


 優樹は陽香の言葉がどういう意味か悟り、一瞬フリーズしながらも言った。


「ん?」

「いや、まさかお前がそっちの気があっただなんて……。幼馴染みでもわからなかった……いや、別に愛の形は人それぞれだしな、うん」


 優樹は、中学二年生の時に両親がSMプレイ――ちなみに母親がM側だった――に興じているのを目撃してしまった時と同じ位の衝撃を受けていた。


「どういう意味よそれ?」

「だからさあ、あれだろ? その……レの字なんだろ?」

「冗談で言ったんだけど?」

「…………」


 優樹は沈黙した。


「……ま、まあ、冗談はさておき、幼馴染みにはちゃんと相談しておきたいって思ったのよ」

「お、おう。そうか。んで、どんな人なんだ?」

「えーっとねえ……」


 陽香は一瞬考えて、


「まず、顔がカッコ良くて、声も素敵で、話上手で聞き上手でしょ? 誰とでもある程度対等に接する事が出来て、私の冗談にも笑顔で付き合ってくれて、私が夜通しで二千個の特技を披露しても寝ないで付き合ってくれて、怒る時はちゃんと怒る人……かな」


 頬を赤く染めて言った。


「成程、とりあえずレの字じゃなくてホの字だってのは良くわかった。んで、俺はどうすればいいのさ? 仲人なこうどなんて出来ないぞ?」


 優樹は『無理無理』と手を振りながら言った。


「いや、そうじゃなくて……、こういう時ってさ、どうやって声かければいいのさ?」


 陽香は困ったような表情で首を傾げた。


「うーん……どストレートに、『好きです! 付き合ってください!』……とか?」


「それが出来てたら今こーやって優樹に相談してないよ」


 陽香は苦笑いしながら言った。


「それに、いきなりそういう風に言ったら確実にその人困るよ」

「う、それもそうか……。じゃあ、二人でアイディア出し合う?」

「オッケ、私の脳細胞がトップギアだぜ!」


 三十分後。


「だーかーらーさーあ……窓から花束持って入ってきて『大好きですっ❤』って言うのが一番だと思うのよ」


 陽香は、缶チューハイ片手に言った。


「いやいやいやいや……お前、アイディアがループしてるぞ。ていうかいつの間に缶開けたんだよお前」


 優樹は陽香から缶チューハイを取り上げながら言った。


「あーん、私のお酒ぇー」

「『あーん、私のお酒ぇー』じゃない! ていうか人ん家の冷蔵庫漁るのも止めろっつの!」

「控えまーす……」


 陽香は適当に敬礼の真似をしながら言った。


「あくまで止めないんだな……ったく」


 優樹はこの日何度目かわからなくなる程呆れていた。


「でもさあ……ここまで考えて全部ボツにするなら、いっその事ダイレクトアタックすればいいんじゃないか?ラブレターも駄目なんだろ?」


 優樹は缶を軽く振りながら言った。


「うん、だって私は文才ないし、優樹は小説投稿サイトに小説投稿しててもラブロマンスどころかラブコメすら書いた事ないんでしょお?」


 陽香はジトッとした目で優樹を見て言った。


「……まあ、確かに恋愛モノは書いた事ないなあ……」


 優樹は軽く頭を掻きながら言った。


「流石の『夏之夜空之獅子なつのよぞらのしし』先生でも恋文は苦手ですかあ……」

「ちょっ、何で俺のペンネーム知ってるんだよ!?」

「だって、優樹のPC覗いたんだもん。異世界ファンタジー部門の『エルゴ・スムの放浪』は面白いねえ。私大ファンなのよぉ」


 陽香がニヤニヤしながら言って、優樹は目を覆った。顔が真っ赤になっていた。


「…………って、人のPC覗くな!」


 優樹は陽香の頭にチョップを落とした。


「いったーい、何すんのよぉう」

「自業自得だボケ」


 優樹は手を持ち上げながら言った。


「えー、だって、暇だったんだもん」

「覗かれる方の気持ちにもなれよ……」


 優樹は半泣きになりながら言った。


「でさあ、どうやって告白するかなんだけどさあ……」


 陽香が唐突に話題を戻した。


「お、おう、忘れてなかったのか」

「失礼ねぇ。……やっぱり、色々手順が必要だと思うのよ。例えば酔った勢いでー、とか、押し倒してみるー、とか」


 陽香が両手を組んで、うっとりとした様子で言った。


「その台詞が出た時点でもう駄目な空気しか出てないけどなあ……」


 優樹がげんなりした様子で言った。


「……あれ? ていうかさあ、陽香が好きな人って誰なの?」


 優樹が、そもそもの疑問を思い出して言った。


「うっ、あっ、そ、その、それ、は…………よ」

「えっ? 何て?」


 優樹には、肝心の好きな人の部分が聞き取れなかった。


「い、いい言える訳ないじゃない!!」


 陽香は立ち上がり、半ば怒鳴り気味に言った。


「はあ!? 何でだよ!?」


 優樹も立ち上がり、半ば怒鳴り気味に言った。


「だって……、だって、今目の前にいる人だもん……」

「…………え?」

「あーもう察しが悪いわね!」


 陽香は、大きく息を吸って、


「私は、優樹が好きなの!!」


 はっきりと、優樹に聞こえるように言った。


「…………ま、マジで?」


 優樹は、かなり驚いた様子で言った。


「…………あっ…………あ、あああああ……!」


 陽香は、顔を下から上に向けて真っ赤に染め上げて、


「き、きゅう……」


 その場に倒れ込んだ。



「…………ん…………」


 陽香は、ゆっくりと目を開けた。上体を起こして周囲を見渡すと、陽香は薄いタオルをかけられて、ソファーに寝かされていた。


「あれ、私って、どうなったんだっけ……」


 陽香は軽く頭を振りながら言った。


「お、起きたか?」


 ソファーの後ろから、優樹が陽香に声をかけた。


「あ、優樹……」


 陽香は言いかけて、記憶が途切れる直前の自分の行動を思い出して、顔を真っ赤にした。


「う、うあああ……!? そ、その、ゆゆ優樹、あ、ああの、さっきのは、そ、その……」


 陽香はしどろもどろになりながら何とか言い訳をしようと思ったのだが、上手く言葉を紡げなかった。


「あー、その、……何だ、陽香」

「は、ひゃいっ!?」


 陽香は、ビクリと震えた。


「ありがとうな」


 優樹は、陽香に見えないように、そっと微笑んで言った。


「…………へっ?」

「なん、ていうか、さ……その、嬉しいよ、ありがとう」

「…………」


 陽香は、そっと俯いた。


「私じゃあ、やっぱり駄目だよね……」


 陽香は、泣きそうになりながら言いかけて、


「…………いいや」


 優樹は、それをはっきりと否定した。


「嬉しかった。はっきり言ってもらえて。だって、俺からは、言えなかったから。こう見えてヘタレなんだよ、俺って」


 優樹は、軽く肩をすくめて言った。


「俺もさ、陽香の事、好きなんだよ。家にいる時はさ、いつもいつも、『窓から来ないかな』って楽しみにしてるんだよ。ふふっ、今日来た時にはああ言ったけどさ」


 優樹は、軽く笑いながら言った。


「…………優樹…………」


 陽香は、身を乗り出して、ソファーの後ろの優樹を見た。 


「……まあ、何だ、その……よろしくお願いします、だ」


 優樹は、陽香を見上げて言った。


「…………はい」


 陽香は、涙を流して、笑顔になった。



「…………あ、あのさ」

「ん?どした、陽香」


 優樹と陽香は、ソファに並んで座っていた。


「私達、恋人同士なのよね?」

「あー…………うん、そうだね」

「も、もっと、こう……ロマンスみたいな、ないの?」

「…………えっ?」

「いや、だって、ドラマとか映画とか、アニメとかだと、もっとこう、ラブラブな事するでしょ? き、きき、キスとか」


 陽香は、顔を真っ赤にして言った。


「いやいや、お前、それはテレビの見過ぎだっての」


 優樹は、優しく突っ込んだ。


「え、ええー……? だ、駄目かなあ? キスしても」


 陽香は、もじもじしながら言った。


「…………ゴメン、歯ぁ磨いてくる」

「あ、じゃあ、私も行っていい?」

「ん、じゃあ、新しい歯ブラシ開けるかな」


 恋人となった幼馴染みは、同時に立ち上がると、洗面台に向かった。

 リビングには、一緒に飲んでいた缶チューハイが残った。

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