エピローグ 真相は満月と新月なの?

第30話

 紫の事件が終わった翌日、カルトはいつもの如くアルルーナを訪れていた。

「はい、今日も一日補習と訓練お疲れ様」

 麟世はエスプレッソを入れてくれた。半分のカップという意味で『デミタス』とも呼ばれるエスプレッソに、シュガースプーンで砂糖を三杯ほど入れてカルトはちびりと口にした。強烈な苦みの中から浸みだしてくる甘みが、疲れた体と心を癒してくれる。

 閉店間際。いつものように人気のない店内を見渡したカルト。飴色の光が満ち、クラシックの優しいBGMが流れた空間は、カルトにとってお気に入りの場所の一つだった。

 顔をカウンターに向けると、麟世と目があった。麟世はカルトを見て嬉しそうに口元に笑みを浮かべると、食器を洗う手を休めることなく、独り言のように呟いた。

「紫ちゃんから話を聞いたわよ。頑張ったみたいね。これが、良い思い出になれば良いんだけどね」

 カルトは何も答えず、麟世の横顔をジッと見つめていた。

 白河麟世。美しい女性だと思う。天真爛漫で、その明るさはいつ如何なる時も、カルトの支えとなってくれている。半年ほど前までは、同じクラスであるにも関わらず話したこともなかった。しかし、今はこうして二人きりで話す時間が増えている。いや、カルトは麟世と二人きりになれる時間を狙って、閉店間際のアルルーナに来ていた。

 カルトにとって、彼女が特別な存在なのは間違いない。しかし、それが恋か愛かと問われれば、答えることが出来ない。世間一般で言う「好き」と「愛してる」は、カルトにとって若干違う。どちらかかと言えば、異性に抱く感情と言うよりも、友人などに向ける親愛の情が強いのかも知れない。しかし、それでも麟世と二人になれることはカルトにとって嬉しくもあり、時折見せる艶やかな顔は、グッと胃の辺りを重くすることもある。

「私も、紫ちゃんみたいな恋が出来たらいいな」

 恥ずかしそうに目を細める麟世。

「ふ~ん………」

 カルトは悪戯な笑みを浮かべ、麟世の艶っぽい横顔を見つめた。カルトの視線に気がついたのか、麟世ははにかんだ笑みを浮かべる。

「何? カルト君、何か言いたそうね」

「紫から話を聞いた麟ちゃんは、今回の事件をそういう風に思ったんだね」

「だって、良い話じゃない。第三種生命体と人間の恋。それも、叶うことのない恋だと尚更ね」

 そう言って笑う麟世は、年相応のお話好きの高校生だ。

「そう。だけど、俺の見解は違うね。火野先輩、アイツは、くせ者だよ?」

 カルトの言葉に、麟世は柳眉を曲げる。

「俺が、『妖術の暴露』って本を探していたのは知っているよね?」

「知ってるわよ。そう言えば、最近は騒いでないけど、あれは見つかったの?」

「見つけた。場所は火野先輩の部屋だ」

「え…………?」

 食器を洗う麟世の手が止まった。カルトは指で隣に座るように指示をした。麟世はエプロンで手を拭くと、カウンターを回ってカルトの横に座った。

「最近、この辺りで起きていた悪魔の召喚事件、知ってるよね?」

「ええ……数日前まで騒いでいたけど」

 様々な悪魔が街中で召喚され、人々を襲った。妖魔攻撃隊では手が終えず、カルト達に依頼が舞い込んだのだ。カルトは悪魔を召喚するに必要な手順などを記した本、『妖術の暴露』と、それを扱える人物を探していた。悪魔や天使を召喚するには、手順や魔方陣を書いただけではダメなのだ。それ相応の龍因子を使わないと、悪魔は召喚できない。

「その犯人は火野雪路。先輩は、妖術の暴露の写本を作って、売りさばいていたんだ。悪魔を簡単に呼び出せるって触れ込みでね」

「そんな、嘘でしょう……? 火野先輩が、そんな危険な写本を売っていたなんて」

「本当だよ。思い出してみて、紫と先輩が最初に出会ったのは、パナルカルプを倒す時だろう? パナルカルプは、妖術の暴露で召喚できる悪魔の一体だ。そして、その現場には、分厚い黒い装丁の本を持った火野先輩が居た。あの区域は、妖魔攻撃隊によって閉鎖されていたんだ。第三種生命体が暴れている所に偶々居合わせていたなんて、あり得ない。ましてや、第三種生命体が見たいからって、普通の人間が妖魔攻撃隊の監視の目をくぐり抜ける事なんて不可能だ」

「だって、火野先輩は…………普通の高校生だったのよ? 確かに第三種生命体だったけど、火野先輩が出ている時は、悪魔のバラトロンの意識も記憶も無いはずよ?」

 「カルト君、そう言ったわよね?」と、麟世は縋るような眼差しをこちらに送ってくる。確かに、カルトはそう言った。しかし、それは火野雪路という人格があればの話だ。

「もし、最初から火野雪路という人格が無くて、常にバラトロンの意識だとしたら? 奴は、潜伏成長型の悪魔だ。姿を隠すのは得意中の得意。俺たちの想像を上回るほど、バラトロンが人間に化けていたとしたら、俺たちは気付くことが出来るかどうか分からない」

「紫ちゃんが好きだったのは、火野先輩じゃなくて、バラトロンが作りだした火野先輩の幻影だって事?」

「バラトロン自体、妖術の暴露に記されている悪魔だ。自分で写本を描くこと自体、それほど難しいことはないだろう。俺と妖魔攻撃隊は、悪魔を召喚した人物、と言っても、そいつ等は自らの召喚した悪魔の最初の被害者になったんだけど、彼らのお金の動きを探った。そしたら、火野先輩に行き着いたんだ。丁度その時、火野先輩が現場にいたから、俺は確信したけどね。

 それに、火野先輩は気がついていたんだよ、自分を妖魔攻撃隊が見張ってることに。そして、紫と妖魔攻撃隊の日下部さんを戦わせようとした。俺は、紫がバラトロンと追いかけっこをしている隙に、部屋に忍び込んで妖術の暴露を失敬した。仕事の内容は写本の始末だからね、本は先生の家の庭で燃やしたし、写本自体を創り出す火野先輩もこの世から消えた」

「ちょっと待ってよ! それじゃ、紫ちゃんは何? 最初から最後まで、ずっと騙されていたってわけ? そんな、酷すぎるよ………!」

「火野先輩は、最後の最後で俺の渡したミサンガを引き千切った。あれは、逆だったんだよ。火野先輩は紫に殺されるためにミサンガを外したのではなく、紫を殺すためにミサンガを外したんだ。紫は、火野先輩を殺す事が出来なかった。それを知っていたからこそ、無防備な紫を殺そうとした。まあ、結果は麟ちゃんの知っての通りだけどね」

「…………」

 麟世は黙ってしまった。

 カルトの話は、紫の話と正反対の内容だ。結果は同じだが、過程が違う。それぞれに視点で見れば、事件は全く別の様相を描き出す。セリスは、このことを言っていたのだ。

「その話が本当だとするなら、紫ちゃん、可哀想すぎるよ」

「別に、俺の話を麟ちゃんが信じることはないよ。麟ちゃんは麟ちゃんの視点で、事件を見てきたんだから。自分の描いた内容で事件の過程と結果を結びつければいい。これはね、月と同じなんだよ」

「月?」

 麟世は外を見るが、生憎と店内からは月を見ることは出来なかった。

「月は一つしかないけどさ、見る時間と場所によって、見え方が違うでしょう?紫は光の当たる満月を見続け、俺は日の当たらない新月、闇を見続けた。麟ちゃんは、紫の描いた結末と、俺の結末を知った。たぶん、麟ちゃんは満月でも新月でもない、半月を見ているんだよ。大地は大地で別の形の月を見て、先生も違う月を見ているはずだよ」

「じゃあ、火野先輩は? 火野先輩は、何を見ていたの?」

「それは……」

 カルトは言葉を切った。火野雪路が何を考え、何を思ったのか、それはカルトには分からない。恐らく、紫にも分からないだろう。

「火野先輩は、恐らく、全てが見えていたんじゃないかな。同時に見る事は出来ないけど、満月の部分も、闇の部分も、見ようと思う場所を見られたんだと思うよ。と言っても、もう結果は導かれているからね。今更それを知ることは出来ない。だから、紫には紫の結末があって、俺には俺の結末がある。それで良いんだよ」

「それぞれの結末か。なんだか、マルチエンディングっぽくなったわね。これって、バットエンドって奴なのかしら?」

 麟世の言葉に、カルトは「ハハハ」と笑った。長い髪をかき上げたカルトは、これまでにない意地悪な笑みを浮かべた。

「見方の問題もあるけど、並べ替えの問題でもある」

「?どういう事?」

「麟ちゃんは、最初に紫の話を聞いたんでしょう? まあ、小説にするなら、これがエピローグで、麟ちゃんは紫から最終章の話を聞いた。そして、良い終わり方だと思ったわけだよね?」

「うん。まあ、そうね。そして、エピローグで大した活躍もしてない人に別の真相を聞いて、ちょっと消化不良になったの。なんて言うのかしら、悪い意味で期待を裏切られたムカムカするような感覚よね」

「大して活躍してない人ってのは置いといて、もし、俺の話が最終章の手前で語られていたなら、これはまた違う終わり方だと思うんだ。本当は火野雪路という人格があって、紫のためにミサンガを外した。ってなるかも知れない。同じ結果になるとしても、順番が大事なんだよね。

 占いと同じだよ。同じ内容を筋道を追って話すのではなく、順番を入れ替えてあたかも凄いことを言っていると錯覚させる」

 「良くある手口だよ」と、カルトはすっかり冷えたエスプレッソをチビリと飲んだ。

「そう、その良くある手口って言うのを知っていて、あえて私の気分を損ねたって事ね」

「…………」

 図星だった。麟世の幸せそうな笑顔を見て、何となく悪戯してみたくなったのだ。話の内容は嘘ではないが、これは『言わなくても良いこと』、『知らなくても良いこと』に分類される。

「ねえ、カルト君。知らぬが仏、って言葉知ってる?」

「…………うん、まあ。人間、知らない方が幸せだったてことも、あるよね」

「そうよね」

 麟世は立ち上がると、カウンターの向こうに戻り、再び食器洗いを始めた。そして、ヒョイッと飲みかけのエスプレッソを手にすると、それを洗ってしまった。

「あっ、飲みかけなんだけど」

「カルト君、もう閉店です!」

 ツンッと不機嫌そうにそっぽを向いた麟世は、ガラスに映ったカルトに向けてベーッと舌を出した。

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三日間の恋人 天生 諷 @amou_fuu

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