第29話



「…………」

 空高く、何処までも天へと伸びる光の柱が徐々に力を失い収束していく。そして、僅かな残光を残してクリタ・ユガの光は消え去った。

 林を流れてくる風が桜の枝を揺らし、桜吹雪を生み出す。

「終わったわよ、雪路……」

 紫は風に揺れる髪を押さえながら、元来た道を戻ろうとした。しかし、歩き始めてすぐ、足を止めた。足元には、雪路が引き千切ったミサンガが落ちていた。月光を受けてキラキラと輝くミサンガ。

 紫は指先でミサンガを拾おうと手を伸ばした、そして、指先が触れた瞬間、動きが止まった。

「…………ったく」

 最初はぷくっと河豚のように頬を膨らませたが、すぐに口元に笑みを浮かべた紫は、ミサンガを拾い上げた。

「ちょっと、もう出てきても良いんじゃない?」

 紫は林に向かって叫んだ。気配も視線も感じない。だが、彼らがこの場にいるのは間違いない。それは、感ではなく確信に近い物だった。数秒後、予想通り兄弟子達が林の中から登場した。

「バレちゃったか? 完璧に気配を消していたんだけどな」

 頭の後ろで手を組んだ大地が笑う。

「感に決まってるだろう」

 カルトは紫の手に握られているミサンガを見て、バツの悪そうな表情を浮かべた。その表情は、悪戯がバレた子供のようだった。

「はい、返すわよ」

 ミサンガを差し出す紫だったが、カルトはそれを矯めつ眇めつすると、プイッと顔を背けた。

「何だい、そのミサンガは?」

「何だいって、これはアンタのでしょう? 龍因子はカルトのだし、結界は大地が……」

 怪訝な表情かべる紫。大地を見ると、彼も「さあ? そんな結界張った憶えないけど?」と肩を竦める。

「それ、火野雪路が持っていたやつだろう? だったら、お前が貰っておけよ。形見、としてさ」

 明らかに嘘をついていると分かる二人のリアクション。しかし、その馬鹿馬鹿しい嘘がとても嬉しかった。

「……うん、ありがとう」

 そう言って、紫はミサンガを左手首に巻いた。大地が張った強烈な結界は、紫の龍因子を体の奥底に押さえ込んだ。きっと、この結界の力で雪路は最後の最後まで自分を失わずに済んだのだろう。そして、その強力な結界のベースとなったカルトの龍因子は、このミサンガが耐えきれるギリギリまで注ぎ込んであった。

「ほら、紫」

 突然、カルトの手から何かが放られた。紫は弧を描いて飛ぶそれを両手でキャッチした。

「缶コーヒー?」

「そ。お前も少しは大人になったんじゃないか? ブラックの良さが分かる素敵なレディーにさ」

 そう言って、カルトと大地は同じ缶コーヒーを口元に運ぶ。

「もちろんよ。生まれてこの方、彼女の居ないあんた達よりも、恋愛経験は豊富になったんだからね」

 紫は温いコーヒーを口の中に入れる。苦みと同時に酸味が口内を刺激した。

「うぇ、苦い…………」

 紫の言葉に、兄弟子達は声を上げて笑った。

「もう、笑うな! だって、ホントに苦かったのよ~……」

 もう一口コーヒーを啜る紫。彼女の目からは、何故か涙がこぼれ落ちていた。

「ホントに……、苦かったんだから…………」

 止めどとなく溢れる涙。紫の涙を見て、カルトも大地も顔を歪ませた。

「………そうだな。まだ、お前には少し早かったかもな………」

 そう言って、カルトは紫の頭を撫でてくれた。

 言葉が出なかった。声を出して泣く事も、弱音を吐くことも出来なかった。これが、仕事なのだ。これが、ハンターという職業なのだ。第三種生命体を倒し、人々に喜ばれるだけが仕事ではない。時には、悲しく辛い思いをするのだ。

 歯を食いしばり、涙を拭った紫。ムリに作り笑いをした紫は、二人の兄弟子に頭を下げた。

「カルト、大地、ありがとう!」

 この仕事が百点満点だったとは言えない。しかし、紫が仕事を終わらせたのは紛れもない事実だ。この結果に至るまで、様々な事があった。そして、初めて仕事を終わらせて、改めて二人の兄弟子の凄さが理解できた。例え戦闘能力での差を埋めたとしても、この二人にはまだまだ敵わない。そう思わせてくれる二人が、とても心強かった。

 きっと、紫はこれからも二人に迷惑を掛けるだろう。しかし、この兄弟子達は紫を優しく見守り、気がつかないところで手を差し伸べ、サポートをしてくれるだろう。

「あ、ああ……、うん……」

 二人の気配が遠ざかる。不審に思って顔を上げた紫。カルトも大地も、空を見上げていつでも逃げられる体勢を取っていた。

「……ちょっと、なにやってるのよ?」

「え? いや、紫が変なことを言うからさ、雨とか槍が降ってくるのかな、と」

 良く晴れた星空を見上げ、大地はそんな事を呟く。

「雨とか槍なら、まだマシだろう。俺は、クリタ・ユガの残滓が降り注いでくるんじゃないかと思ってるんだが………」

 カルトに至っては、今にもマクシミリオンを手元に呼び出しそうな勢いだった。

「………たまには人がしんみりしたいと思っているに! アンタ達二人、ほんっっっっっっとうに、バカね!」

 紫の怒声が、静まりかえった林の中に響き渡った。この最後の叫び声が、今日、このテーマパークで生じた一番大きな声だった。

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