第28話

「ざけんじゃないわよ!」

 カーディナルを蜘蛛の巣のように中空に展開した紫。バラトロンの放った稲妻は、カーディナルに阻まれ霧散した。

「言っておくわよ、バラトロン! お前はここから逃げられない! 何故ならあたしが結界を張ったから! だけど、そんな事関係ないわよね! だって、お前は此処で消えるんだもの! 雪路と同じようにね!」


「我が名、稲城紫の名において」


 バラトロンが再び稲妻を放つ。しかし、紫は舞うように紙一重で稲妻を躱していく。簡易結界が突き破られるが、紫は表情一つ変えなかった。


「我が体に宿る聖霊達よ」


 力ある言葉が紡がれる度、清浄な龍因子が場に満ちる。

 バラトロンも感じ取っているのだろう。稲妻と共に火球を放つが、その全てを紫は躱し続ける。


「天に広がる十二の宮に宿りし力を解放せよ」


 飛び掛かってきたバラトロンの錫杖を、槍の形を成したカーディナルで受け止める。バラトロンを押し返した紫は、左手でソロモンの印象を描き出した。

「ラウム」

 ラウムの印象が弾けた途端、小さなカラスが出現し一声鳴いた。その声は、場を振るわし、紫とバラトロンの間に見えない壁を生み出した。

 紫はバラトロンの周囲を回りながら、更にスペルの詠唱を続ける。


「メシャム(白羊宮)、ヴリシャ(金牛宮)、ミトゥナム(双児宮)、カルカタ(巨蟹宮)、シンハ(獅子宮)、カニヤ(処女宮)、トゥーラ(天秤宮)、ヴリシカム(天蠍宮)、ダーヌス(人馬宮)、マカラ(摩羯宮)、クンバー(宝瓶宮)、ミナム(双魚宮)。その力を、今、此処に具現化せよ!」


 紫は黄道十二宮をサンスクリット語で口にした。

 俄に地面が輝きだした。青白い粒子が、至る所から発生し天へと上っていく。そして、紫とバラトロンの対峙する広場を中心にして巨大な魔方陣が浮かび上がった。

 光り輝く林。光に照らされるバラトロンの猿に似た醜悪な顔が歪んだ。叫び声にならない叫びを上げ、ラウムが生み出した壁を錫杖で叩く。執拗な攻撃を受け空間にヒビが走り、砕け散った。バラトロンが猛烈な勢いで紫に向かって駆けてくる。恐らく、これが最後の攻撃だとバラトロンも分かっているのだ。

 場に満ちる龍因子。スペルマスターのスペルを受けきれるだけの力を、バラトロンは持ち合わせていない。


 消えろ! 人間!


 これまでにない強力な龍因子を纏った錫杖が紫の頭部目掛けて振り下ろされる。しかし、紫はカーディナルを一枚の布に変形させると、それを広げてバラトロンの視界を遮った。錫杖が布となったカーディナルを打ち付ける。しかし、錫杖は空気のように軽いカーディナルを地面に叩きつけただけだった。そこに、紫の姿は無かった。


「全ての力が解放された今、黄金郷への扉が開かれる」


 バラトロンの背中に紫の言葉が投げつけられた。振り返るバラトロン。その顔は、恐怖に歪んでいるかのようだった。


「これでトドメよ! 『クリタ・ユガ』!」


 『ヒンドゥの黄金の時代』の意味を持つクリタ・ユガが放たれた。地面に浮かび上がった魔方陣は紫の指さす対象、バラトロンに足元に集約し、一条の光となって天を抜いた。音もなく立ち上る巨大な光の柱は、近隣の住民ばかりではなく、遠く離れた場所からでも視認できるほどの輝きを持って天へと伸びた。

 バラトロンは叫び声を上げる暇もなく、クリタ・ユガの光に飲み込まれ、龍因子の残滓さえ残すことなく、この世界から消失した。

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