見えない星屑のメタファー (short version)
@elevenoclock
見えない星屑のメタファー
レッスン中、あるフレーズがどうにも上手くいかなかった。苛々する。吹き出す汗が滴り落ちて床を濡らした。次こそ成功させる。雫は前より深く二歩目を踏み込んだ。汗に濡れた床をシューズが滑る。やばい、と思った時にはもう遅かった。雫は転倒した。
すぐに皆が雫の周りに集まった。立ち上がろうとしたが、足首に鋭い痛みが走って駄目だった。
朱里が救急箱を取りにパタパタと駆けていく。雫は鏡に映った自分の情けない姿を見て唇を噛んだ。
本来自分のいるべき場所を外から眺めるのは変な感じだ。幽体離脱でもしているようで、自分がスカスカに思えて来る。
雫の怪我は全治二週間の捻挫だった。新人オーディションが一ヶ月後に迫っていた。完治が間に合うのは不幸中の幸いだが、二週間のブランクは痛かった。
レッスンを見学してみて気付いたが、研修生の間には明らかな巧拙の差があった。
頭抜けて巧いのは詩織だ。動作に無駄が無い。月で踊っているみたい、と雫は思った。フロアに這いつくばった自分と、夜空の月で踊る詩織の間には一体どれ程の距離があるのだろう。
別の意味で目立っている研修生がいた。朱里だ。動きが鈍重で、明らかに他の誰よりも技術的・身体的に劣っていた。必死に食らいつこうとするが、どうしても身体がついて来ない。
雫は朱里の気持ちを想像して、喉の奥を締め付けられるような気分になった。
部屋に帰り、息苦しくなって窓を開ける。見上げると、星のない空が蓋のように街を覆っていた。あれ、今日って曇りだっけ? と雫は思った。しかしよく見ると、小さな光がほんの数個だけ点っていた。
上京して半年、雫は東京の夜空がこんなに星が無いものだという事を初めて知った。地元では百貨店中の宝石をばら撒いたみたいに沢山の星々があったのに。
雫はひとつだけ目立つ明るい星に、詩織の顔を重ねていた。
怪我が治ると貪るように練習した。しかし詩織の姿を目にする度、喉の奥がざわざわと蠢くのを感じた。
自分は都会の空では見えない星屑なのだ。
そんな思いが日に日に増して来る。
雫はこの一週間、レッスンの無い日も含め、スタジオが利用できる一番早い時間から一番遅い時間まで缶詰めになっていた。こんな無理も長くは続けられないと自分でも思うのだが、スタジオにはいつも朱里がいた。黙々とストレッチをし、同じステップを繰り返していた。
それでも朱里は下手だった。見ているこっちが辛くなるくらい、同じ所で失敗し続けた。
「良かったら夕飯でも食べない?」
ある日の夕方、朱里に誘われた。
朱里に先導されて入ったのは、チェーンの牛丼屋だった。券を買って、カウンターに並んで腰掛ける。
「朱里ってさ、いつもあんなに練習してるの?」
雫は気になっていた事を率直に訊いた。
「うん。私、一番下手だから」
躊躇いのない、さっぱりした言い方だった。どう返事して良いものか迷って、曖昧に頷いた。
「一番下手なら、一番練習するしか無い。なのに最近雫ちゃん凄い勢いで練習するんだもん。私のお株がー! って感じだったよ」
朱里はからっと笑った。店員が牛丼を持ってきて、二人は無言で食べた。食べ終わるとすぐに外へ出る。
「朱里ちゃんって、どこの出身?」
歩きながら訊ねる。
「茨城。親に無理言ってこっち来させてもらってるんだ」
「じゃあ私と一緒だね」
「雫ちゃんも茨城?」
「ううん、そうじゃなくて、親に無理言って田舎から出してもらってるってところ」
なるほどねえ、と朱里はいった。
「東京の夜空ってさ、こんなに星が見えないんだって、朱里ちゃん気付いてた?」
朱里は顎を上げて、「確かに、真っ暗だ」といった。
「光が弱い星はさ、負けちゃって全然見えないんだよ」
ふーん、と朱里がいった。雫は胸中から言葉が溢れるのを感じた。
「それでね、私、思ったんだ。自分は東京の空では全然見えない、光の弱い小さな星なんじゃ無いかって。詩織ちゃんみたいな強い光には、全然勝てっこ無いんじゃ無いかって」
雫は想いを吐露しながら、惨めな気持ちになっていた。一方で、そんな哀れな自分を表現するのが快感でもあった。
「詩織ちゃんね。巧いよね」
雫はもっと別の言葉を欲していた。雫は少しだけむっとして、
「朱里ちゃんはさ、どんなに頑張っても、絶対に勝てない相手がいるって思わないの?」
と意地悪な質問をした。
朱里は僅かばかり思案して、
「わからない」
といった。
「でももしそうだとして、それは努力しない理由にはならないと思う。自分を星なんかに喩えるからそんな風に思えて来るんだよ、きっと。私は自分を何かに喩えたりしたくない。明日何が起こるかなんて、誰にもわからない」
自宅に戻って、窓を開けた。空には星がほとんどない。
「でも、私はやっぱり喩えちゃうだろうな」
誰にともなく小さく呟いた。
だけど、せめて磨けば光る原石くらいに、喩えを変えてみるのも悪くはないかも知れない。
見えない星屑のメタファー (short version) @elevenoclock
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます