ゲームとは労働と対価の連続である。
これって、すべてのジャンルに当てはまるのではないだろうか? RPGなら戦闘やイベントをこなし金や経験値、アイテムを獲得するが、SLGでは戦争に勝つことで領土を広げることができる。格闘ゲームなら勝利の先にある満足感。ギャルゲーではイベントCGの獲得と適切な選択肢の果てにある愛(笑)。
無論、現実も同様なわけで、ジムに通えば筋肉がつく。足しげく通えば飲み屋のお姉ちゃんと仲良くなれる。そして……仕事をすれば給料が貰える。
しかし、本作『私は貝になった』の主人公、貝原守が生前、置かれていた境遇は違った。彼はブラック警備会社に勤めていたが、給料はロクに支払われず、休憩時間すらない。辞めようにも上司に脅され叶わず……労働に対する対価が見合わない中、守は只々疲れ果て、“生まれ変わったら貝になりたい”と願う。それが、とある事件で現実になってしまう……
戦闘に勝利することでスキルと食事を得られる。まさにRPG世界のフィールドのような海中で守は生まれ変わった。生前、願ったとおり“貝”として……生き延びるため、彼は戦術と“新装”したスキルを駆使して、巨大な敵(怪魚とかw)に立ち向かう……
労働に見合った対価……例え死と隣り合わせであっても、それが得られるのなら海の中のほうがはるかに道理的ではないか……理不尽だった人間社会を経験していた守は次第にそう思い始める。
“一つだけ分かった事がある。この世界での貝暮らしは最高過ぎる。眠いと思ったら寝れば良いし、腹が減ったら適当に捕食して腹を満たせば良い。”
“自然界では当たり前かもしれないけど、法律を始めとする柵に雁字搦めにされた人間界では絶対に出来ない暮らしだ。ましてやブラック企業に勤めていた前世に比べたら、夢のようだと断言出来る程に幸せだ。”
という彼の思いは、人間を辞め、生まれ変わった先……つまり完全な成果主義の海中世界のほうが人間社会よりはるかに自由なパラダイスである、という風刺ととれる。これは作品が掲げるテーマのひとつなのだろう。
だが、ならばこの作品がタイトルから連想できるような人生哲学観を濃縮しているか、と問われれば、私は違うと思う。本作は十三話までを一章とするが、少なくともそこまではアクションを中心とした娯楽要素が強い。そして、その根幹をなす戦闘シーンは素晴らしい出来になっている。
自分より強大な敵に挑みレベルアップする、というRPG的もしくは少年漫画的なコンセプトがあったのだと思うが、とにかく読者の緊張を呼ぶ“間のとり方”が熱い。海中という特殊なバトルフィールドで繰り広げられる戦いは当然に縦横無尽の動きを実現しているのだが、タイガーマスクの四次元殺法ばりの“立体感”があるのだ。そこに駆け引きの要素をプラスすることで強敵に勝利する理由、つまり説得力を持たせている。
“レベル上げして強くなるストーリーが大好物なんですよね”
作者、黒蛹氏はそう語っている。たしかにステータスを向上させ、スキルを獲得し、練度を上げることで主人公の守が強くなっていることは事実だ。だが、本作の戦闘シーンがケレン味と現実味を両立させている理由は絶妙な“距離感”にある。もちろん“貝だから”のひとことで比類なき独特唯一無二の個性を持つ本作の特徴を説明することができるが、卓越したバトル描写の完成度は間合いを“生命線”とする。
まだ黒蛹氏に確認していないが、戦闘シーンを書く上で“対象物間の距離”を最念頭に置いているのではないか、と思う。剣豪小説にも似た緊張感は近さ遠さの表現を重視した結果の産物である、と。抜き身の鋭さも遠距離からの狙撃も間合いがもたらした理詰めの描写だ。小がスキルをもって大を制するケレン味と、それと融合しうる現実味。両者を接着させているのは“間合い”なのだ。
だが、よくよく考えてみれば現実的ってことは四次元ではなく“三次元殺法”と呼ぶべきなのかもしれない。タテ、ヨコ、高さ。ああ、でもそこに駆け引きが加わるわけだから四次元殺法でいいか……ともかく! 奥行きのあるディメンションバトルの完成度は読者の皆様の目でたしかめていただきたい。本作の戦闘描写の“本物度合い”がよくわかる。私は良い勉強をさせていただいた。怪魚並みの分厚い鱗が目から落ちましたよ黒蛹さんッ!
その黒蛹氏、戦闘だけでなく風景の表現にも長けている。忘れた頃に突然現れる幻想的な一文は、殺伐とした暗黒の海中戦国にも宝石に似た光がさすことを示す一方で、やはりその光源がある地上との関わりを避けることはできない、というシビアな未来の予兆だったと思わざるを得ない。六月から第二章が開幕した! 貝原守の運命やいかに? 皆様、ぜひ本作を手にとって、ヤツの行く末を見届けていただきたい! エンダァァァァ!!!(笑)