それはあるいは、彼女について

せらひかり

それはあるいは、彼女について


 彼女のことを聞きたいんでしょう。僕が彼女に会ったのは、この喫茶店でした。ほら、そこの奥。いつも薄暗くて名前も分からないクラシック音楽が流れている。バーみたいなテーブルはマホガニーだったかな。僕らが座っていたのは、二人掛けのボックス席の手前席と、一番奥の席で、接点なんて全くなかったですよ。僕がふうふう言いながらイスに上着を置いてどすんと座るときに、衝立の陰にいる彼女がちらっと見えたくらいで。

 でも、何でだったかなぁ。僕はシステムエンジニアみたいな仕事をしてたんですけどね、今もですけど。クライアントに無茶を言われて、喫茶店でコーヒーを飲みながらスタッフに連絡を入れて、自分でも端末を操作して、セキュリティ規定に引っかからない程度に、問題箇所の洗い出しをしていたんです。そのとき、奥の席から女の子が出てきて。高校生だったかな。泣いてたんです。確かその前に、この恋愛は問題があるとか、女の人が丁寧に丁寧に、根気強く諭す声がしていて。何かの相談事かなとは思っていたんです。聞いてないふりをしていたから本当にはっきりとは聞こえなかったんですけど。

 それで、その日はつい、振り返っちゃった。女子高生がいなくなった、一番奥の席。昔のイギリス映画みたいに、黒い帽子とレースで顔を隠した女の人が、一人で座っていた。顔は見えなかったけど、背筋はぴんとしていたし、黒づくめだけど暑苦しくないし。きれいなひとだなって思いましたよ。

 そのときだったかな、彼女の手元には見たことのない絵札がずらりと並べられていて、僕はまじまじと見てしまった。そうしたら、彼女が、ちょっとだけ非難するような感じで、カードを集めてしまい込んだ。それから小さな革表紙の手帳に、彼女自身の指みたいな細い銀のボールペンで書き込みをした。

 あんまり見ていられなかったのは、そこで喫茶店のボーイが紅茶を運んできたからです。彼女に。彼女、一回もコーヒーは飲まなかったなぁ。それから何日かして、彼女の前にたびたび、人が座るのを見ていたんですけどね、みんな、彼女に何かを話して、カードを並べてもらって、話をして、帰っていきました。その後、彼女は決まって紅茶を飲んでいる。

 マスターが言うには、彼女は占い師なんだそうです。数年前からやっていて、元々はマスターが違う店で出会ったんだって。マスターが頼んで、店に来てもらってるって話でした。おおっぴらには看板を掲げていなかったけど、彼女の占いが当たるのかはずれるのか、口がうまいだけなのか、分かりませんけど、本当によく、彼女の前には人が行きました。

 僕もね、二回だけ、占ってもらいました。いつも見てるひとね、って言われた。あはは、そんなに貴方も笑わなくたっていいじゃないですか。まぁ見てましたけど。

 一度目は、仕事でいつもより無茶を押しつけられたっていう、愚痴だったんですけどね。上司の管理するサーバーに問題があるって言われたんで、調べてみたら当たりでした。でも、僕としては単なる愚痴で、コーヒー代に上増ししてマスターに払ったけど、まぁ、占い代って感じでもなかった。

 カードにはいろいろ種類があって、えぇと、エジプトとか、ドイツとか、ギリシャとかオランダとか、イギリスとか、好きなのを選んでくださいって言われるんです。

 どれでもいいよって言ったら、そんなふうに言ってはいけません、って静かに睨まれた。何でも、カードには耳があるそうですよ。目と耳。何でもお見通し。あるでしょ、新年に神社で不埒なこと考えてからおみくじをひくと、叱られるような文面が書いてあるやつ。あぁいうのかな。明日の晩飯何にしよっかなーとか、ここでお願いごとしても通ったためしがないなーとか、そういう不真面目を、カードも嫌うんですって。

 でも、好きなカードの種類なんて、今まで考えたこともなかった。

 適当に、きれいな青空の写真を指さしたら、彼女がしかつめらしく頷いた。

 短い話を整理して話しながら、カードを細い指先がくるくる、くるくる、かき混ぜていって。

 ほら、貴方、フェリーに乗ったことは、あります? 僕はあるんですけどね、出張で。無人島みたいなとこに行く途中で、フェリーに乗ったんです。あれは不思議ですね、鉄柵にもたれながら海を見下ろしていると、船の本体に、ずぶずぶ、ずぶずぶ、波がぶつかるんです。白い泡を見てると、どんどん体が前のめりになって、あの中に落っこちてしまいそうになる。彼女のカードをさばく手つきは、まったく、あんなものでしたね。

 半信半疑で一回、占ってもらって、それが的を射て。それ以降はまた、喫茶店の隅に座る二人の、ただの彼女と、ただの僕ですよ。話をすることもない。僕はお礼を言うべきかなって思ったんですけど、マスターに聞いたら、当たっても外れても、次の占いのときについでに言うくらいで、お礼のためだけに接触するのはよくないんですって。あぁいうルールって、どこでどう作られるんだろう。他の占い師もそうなのかな? 人によりますかね。

 彼女がいなくなったのは、僕が二回目に見てもらって、すぐのことです。一回目のときは当たってましたよって、言うのも忘れてた。僕はカフェインドリンクの飲み過ぎでコーヒーは禁止されていて、震えていた。

 上司にね、不正を頼まれたんです。大したやつじゃありませんよ、そんな険しい顔しないでください。ちょっと、他のやつのやらかしたミスを、僕がかぶるようにってお願いを、されたんです。それだけです。まぁ、それが、ハックじゃなくてクラックものだったんで。そんな変な顔してメモしないでくださいよ、ほんと大したことじゃないですから。

 それでまぁ、彼女に相談したんです。後腐れのないただの他人なら、僕のことを案じたりしないから、多少は冷静なことを言ってくれるような気がしました。そうしたら、カードがないんです。使えるカードが、ないって言われました。この間のやつは、こういう問いには向いてないって言うんです。仕方ないんで、彼女の持ってる中で、いちばん、こういう、いやな予感がするネタに使うカードを、引っ張りだしてもらいました。

 僕でも見たことがあるような、分かりやすい絵柄。タロットカードって、言うんですかね。

 手品みたいでしたよ、彼女が表に返して、裏にして混ぜて、また表に返したら。

 どのカードも白紙。一枚だけ、稲妻みたいな絵が描かれたものがテーブルに載って。

 あぁ、だめです。病気にでもなったふりをして、しばらく休職して逃げるか、それとも本当の犯人に自首させてください。

 わりと、占いとか関係ない気もしていたんだけど、手品みたいだったから。あっ、分かりました、って思った。

 僕はその足で、職場に戻って、上司に言いました。僕には彼女がいて、まぁ実際はいないんですけど、何かあったら、彼女からひどい目に遭わされる、後生ですから、他の方法を考えましょう、って。

 他の方法が何とかなったんで、僕はこうしてまた、血色がよくなって、体重も増えて、喫茶店で新型の端末をいじってるわけなんですけどね。

 彼女、僕以外にもたくさんの人を見ていたけど、大丈夫かなぁ。結構いちいち、気持ちを入れて、占っていたようですから。気を病んだり、するんじゃないかな。

 ねぇ刑事さん。彼女のことが見つかったら、教えてくださいね。彼女今頃、どうしているんだろう。

「変な話だよなぁ」

 喫茶店を出てから、男は煙草に火をつける。

「誰も、あの女の顔も、名前も知らない。それなのに、不倫だの横領だの、殺人だの事細かいことを相談していやがる」

「知らないから、できるんじゃないですかね」

 若い相棒が答えて、喫茶店近くの街灯を見上げる。辺りはまだ明るく、電球は沈黙している。その近くに、見えづらいけれど、町内会がつけた防犯カメラがあるはずだ。

「確かに、さっきのやつが見た通りの姿の女が、この喫茶店に出入りしていた。でも、付近の防犯カメラでは、ここから遠ざかっていくほど、該当者が映らなくなる」

「着替えてるのかと思いますけど、目撃情報もないですよね」

「外見で検出できないにしても、背格好でピックアップできそうなもんなのになぁ」

 探してください、と、最初に頼んできたのは、手足の細い女子高生だった。姉を、探してください。血のつながった人ではないんです、でも、姉みたいに、何でも聞いてくれた。

 それが、何人も来た。老若男女を問わなかった。

 彼女って、いうのは、何なんだ?

 警察だって、そんな意味不明なもののためには、動けない。でも。

 彼女はどうやら、多くの、知ってはいけない秘密を抱えて消えたようだ。

 探してほしい、そういう声が多すぎて、上から頼まれて動かされるのは、男にも、男の相棒にも迷惑な話だった。

「彼女、ねぇ」

 煙草の煙みたいに、吹けば消えてしまうような存在を、足を使って探しに出かける。

 今日も、また。

「ねぇ貴方、彼女を、知りませんか」

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