第3話 初めて会った日
メロスの恋人は暴君ディオニスだった。
二人の出会いは2年前。
妹に家を追い出され、セリヌンティウスに会うためにシラクスに来たが、家がわからず迷っていた。
その頃の繁華街は人があふれ、活気に満ちていた。
「あの……」
途方に暮れたメロスが通行人に声をかけた。
「間に合ってるよ」
それだけ言って、男はメロスの顔も見ずに去っていく。
「え? 何が間に合って……」
よほど急いでいるのか、メロスの問いは空に消える。
メロスはその男を目で追う。
王都にいる人間は、みんなてきぱきしていた。前日まで呑気に羊を追っていたメロスではどうすることもできなかった。
誰もが忙しそうで、田舎者のメロスなど目もくれない。
邪魔だとばかりに、足早に立ち去る。
(道を聞こうとしただけなのに……)
メロスは周囲を見回す。
自分のように、オロオロしている人間などいない。
(えっと……、どうしよう……)
途方に暮れていると、
「どうしたんだ?」
と、二人連れの男が声をかけてきた。
シラクスに来て初めて声をかけられ、メロスは嬉しくて嬉しくて、その男たちの方を向くと、いつも以上に愛らしい笑顔を向けた。そして、慌てて状況を説明しようとした。
「あの、ボク、ひとりでシラクスに来たことがなくて……、でもせっちゃん……」
と言って、"せっちゃん"では通じないことに気づく。
「じゃなくて、えっと、あれ? せっちゃんの名前って、なんだっけ?」
とっさに思い出せなくなっていた。
「あ……、う……、せっちゃんの家に行きたいんだけど……」
瞳を潤ませて男たちに言った。
普段はもっと活発でずうずうしいのだが、都会の王都シラクスで気後れしていたメロスは、気弱でおとなしそうに見えた。
そして、とても美少年だった。
男たちは顔を見合わせ、互いにニヤっと笑う。
「知ってるよ。ついてこいよ」
柄が悪そうな男は言った。
そもそも、そんな情報で伝わるはずがないのだが、メロスは
(やっぱりシラクスの人ってすごいな)と思い、
「ありがとうございます!」
と、満面の笑顔で頭を下げた。
メロスは嬉しかった。
この上なく愛らしい顔で、二人の男に笑顔を見せた。
その顔を見て、男たちはニヤニヤしている。メロスもその顔が目に入ったが、(人は見かけによらないんだ)と自分に言い聞かせ、その危惧を消した。
とても怪しい二人組だった。
セリヌンティスのことなど伝わっていないはずなのに、メロスを連れていく。
(せっちゃんでわかるなんて、やっぱり王都の人は違う)とメロスは思う。
シラクスに来てようやく会話をしてくれた人に感謝をし、いそいそとメロスは王都のスラム街までついて行った。
(ずいぶん荒んだ感じのところだな)
細い路地にゴミが散乱し、腐ったような臭いもする。ボロボロな大きい物があると思っていたら、うつろな瞳をした人だった。それが一人や二人ではない。
(せっちゃん、こんなところに住んでんの?)
真面目で働き者の友がこのようなところにいるとは思えなかった。
田舎者が都会に来て、変なところに堕ちたのかもしれない。
そういう噂は聞いたことがあった。
(いやいや、せっちゃんに限って……)
メロスが不安になっていると、彼らは本性を現した。
「持ってる金を全て出せ」
メロスは何を言われたのかよくわからず、目をパチパチさせた。
そして、わかっていなかったのに
「無理」と答えた。
大切な妹のために羊たちは置いてきた。追い出されたのだから、置いてきたというのもおかしいが。賢い妹ならメロスがいなくても切り盛りができるだろう。
ただ、メロスはそうもいかない。
家を追い出され、セリヌンティウスにも会えず、金もなくなったら途方にくれるしかない。
けれど、そう言われてもまったく構わないかのように男はニヤっとする。
「やれ……」と、もう一人の男に目で合図した。
メロスの背後から手が伸びてきて、押さえつけられそうになる。
「え? えっ!」
思わず手を払ってすり抜ける。
「金がないなら、体をよこせ。大人しくしていればいい思いをさせてやる」
そう言われ、メロスは首を傾げる。
「いい思い、したことないんだけど」
淡々とメロスが言うと、二人の男は黙り込んだ。
メロスはその隙を見逃さなかった。
直感と逃げ足だけは自信があった。
とにかくやみくもに走った。細かい道をちょこまかと。
そして、逃げた先にディオニスがいた。
「わ!」
路地を出たところで思い切りその胸に飛び込んだ。
まるで導かれたようだったと、メロスは後になって思った。
「なんだ?」
不意に飛び込んできた少年のような愛らしいメロスを、ディオニスは不機嫌な顔で見下ろした。メロスはぶつかった男を見上げ、少しの間、見惚れた。
(めちゃめちゃカッコいい……。)
それが、暴君ディオニスに対するメロスの第一印象だった。お忍びで街に来ていたために普段よりも粗末な格好をしていたが、ディオニスの美貌は隠せなかった。
(もし襲われるんだとしても、あっちの二人より、こっちがいい……。)
という下心があったが、とりあえず、
「助けてください、男に襲われているんです!」と言った。
メロスの半泣きで必死な様子は、わざとらしさがなくて愛らしかった。
「なに?」
正義感の強いディオニスは、怒りを露にする。普段はそうでもないが弱々しく見える美少年に助けを求められ、やや舞い上がった。そして、メロスが言うように追ってきた二人をディオニスは睨み付けた。
暴君の前に現れた二人はあっさりと倒された。
ディオニスはその二人を一般市民のふりをして役人に突き出してきた。
「強いんですね」
ディオニスにメロスは言った。
「大したことはない」
素っ気なくディオニスは答える。
(かっこいい……)
一目ぼれだった。
「あのような輩になぜついて行ったのだ」
責任感の強い暴君は、今度はメロスに非難の目を向けた。
「友達のせっちゃんの家に行こうとしてたのに場所がわからなくて、困ってたらさっきの二人が連れて行ってくれるって言ったんです」
しかめ面のディオニスに、一所懸命に言う。
「せっちゃん?」
もちろんそれではわからない。
「石工をしてるんです。とっても長い名前で覚えるのが大変なんです」
幼い少年なら、そういうこともあるかもしれないとディオニスは思った。そして、頭の中にあるシラクス市民のデータを確認する。
「石工のセリヌンティウスか?」
石工でせが付く名前が見つかった。
「そう! セリヌ……ティス」
メロスは慌てて言って、やっぱり言えなかった。
「長くて難しいから、いつも言えないんです」
恥ずかしそうにメロスは言った。
「だから、せっちゃん」
成人しているくせに、無邪気に笑う。
ディオニスは頭の中にお花が咲いているように笑っているメロスをじっと見つめた。あんなことがあったのに、とても嬉しそうだった。
放っておいたらまた被害に遭うかもしれない。
「送って行こう……」
ディオニスはシラクスの王になる前にシラクスの役人をしていた。その頃の知識でセリヌンティウスの住所もだいたいわかっていた。
「せっちゃんの知り合いなんですか?」
さすが王都なだけはある。えらくカッコいい友達がセリヌンティウスにできたものだとメロスは思った。
そして、セリヌンティウスの友人ならこの男にまた会えるとも。
「いや、名を知っているだけだ。腕のいい石工らしいのでな」
情報としてなので、ディオニスは会ったことがなかった。
「そうですか」
でも、セリヌンティウスが腕のいい石工と言われ、メロスも嬉しかった。
「せっちゃんは幼馴染なんです」
まるで自分が褒められたかのようにニコニコとメロスは言った。
おとなしくしていれば美少年で、黙っていればお高くとまっているようにも見えるが、実は愛想がよくてよく笑う。
「小さい頃から、いつも面倒をみてくれる、とっても大事な友達なんです」
セリヌンティウスはいつもそっとメロスを助けていた。本当の友だと思えるのはセリヌンティウスだけだった。
他の知り合いは身の危険を感じた。
その点、セリヌンティウスは安心して厄介になれた。
だから、わざわざ10里も歩いてシラクスへ来た。
メロスを少年だと思っていたディオニスは、年の離れた友達だと思った。愛らしく笑うメロスは、思わず面倒をみてやりたくなる感じがあった。
兄と弟のような感じだろうとディオニスは思った。
そして、黙々と歩く。
ディオニスに愛想はない。
「すみません。道案内までしてもらって」
黙っているディオニスにメロスは話しかける。
さっきもそうだったが、メロスは何の警戒もせずについて行った。
辺りは夕暮れが近くなっている。
ずっとこのまま着かなくてもいいとメロスは思った。
「道を聞いても誰も教えてくれなかったんです……。やっと親切な人がいたと思ったら……」
道すがら、ずっと黙っていたディオニスに絶えず話しかけていて、ほんの少し、愚痴が出てしまった。
すると、
「すまない……」と、眉根を寄せ、辛そうにディオニスが言った。
メロスは驚いた。
「どうして謝るんですか? あなたは助けてくれたのに……」
悪いことを言ってしまったと後悔した。調子に乗ると、いつも余計なことを言ってしまう。
ディオニスは立ち止る。
「私の統治がうまくいっていないから、お前のような少年が苦しむのだ」
悲しそうにディオニスはうつむき、
「私の責任だ……」と言って立ち止った。
「あ、そんな……、別にボクは、そういう意味で言ったわけじゃなくて……」
メロスも止まり、慌ててディオニスに言う。
道に迷っても誰も助けてくれなかったし、近寄ってきた男には襲われかけ、シラクスのことを嫌いになりかけていたけれど、そこから救ってくれた男にそんな顔をさせるつもりはなかった。
「だがいつか、大人も子供も笑って過ごせる
ディオニスは顔を上げ、夕陽に誓うように言った。傾き沈みかけた陽の朱色の光が、ディオニスを照らす。
メロスは不思議そうな顔でその顔を見つめた。遠い理想を追うことの困難を知りながらも、折れない不屈の魂を瞳に宿した男を。
「はいっ!」
メロスは嬉しくなって、元気にその言葉を肯定した。ディオニスは何も考えていないかのように笑っているメロスを見て、フッと鼻で笑う。
「おかしなヤツだ」
そう言うと、小さな子供にするように頭をなでた。さすがにそんなことをされたのはかなり昔のことだったが、メロスは嬉しくなった。
そして二人は、夕闇迫るシラクスの街道を、付かず離れずの距離を保ってセリヌンティウスの家まで歩いた。
ほんの少し、少年と言われたことはメロスも気になってはいた。
(別に、今に始まったことじゃないし)
成人しているのに子ども扱いされることはよくあった。
走れメロスを『BL』にしてみた 玄栖佳純 @casumi_cross
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