2 犬

 村を出てから、2日経った。

 

 鬼ヶ島へ行くには船が必要だが、鬼ヶ島に近い漁村はとっくに侵略されているだろう。

 俺は鬼ヶ島から遠く離れた漁村を目指して歩を進めていた。


 当面の目的地である隣村は、山をいくつか越えた先にある。とても1日で辿り着ける距離ではなかった。

 そこで、人生で初めて野宿したのだが、とても気の休まるものではない。

 物理的に寝にくいのはもちろんだが、野盗や野犬に襲われないか夜通し不安で仕方がなかった。


 そういう訳で、俺は疲労困憊の状態でふらふらと山を登っていた。


「そこの方」


 突然後ろから話しかけられて、俺は跳ね上がった。

 おそるおそる「はい……?」と振り返ったが、誰もいない。


「下です」

 声に従って目線を下げると、そこには柴犬がいた。

 一応周りを見渡してみたが、柴犬以外は誰もいない。


「いま、喋りました?」

 俺は愚かにも犬に話しかけてみる。

 どうせ木や草の陰に誰か隠れていて、俺に恥をかかせる気だろう。分かっているが、乗ってやることにした。


「ええ」

 しかし、言葉は確かに犬から発せられていた。


「犬……ですよね?」当然確認する。

「あ、すみません。私が話せることに驚かれましたか」


 物分かりが良い犬だ。


じん会話塾に通って練習しました」

「人会話塾……?」

「いーわん、という塾に」

「いーわん……」


 まさか犬の世界にも勉学の概念があったとは……。


「それで、俺に何の用が?」

 犬の言動から察するに、ただ俺を驚かせようとした訳ではなさそうだ。


「何か食べる物を譲っていただけませんか」

 犬は息も絶え絶えに懇願してきた。


「食べ物……」

 ばあちゃんが持たせてくれたきびだんごは、実はもう無くなっていた。本当に少ししか持たせてくれなかったから……。

 この2日間、山を歩いていても食べられそうな物は見つからず、順調にきびだんごは消費され、先ほど底を尽きた。

 犬にあげる分の食糧はない。というか俺が次の村に着けるかすら怪しい状況だ。


「ごめん、何もないや」

 心苦しくもそう言うと、犬はその場に倒れ込んでしまった。

「大丈夫か!」

 犬の返事はない。相当衰弱しているようだ。

 犬のお腹は骨張っており、見ていて悲痛な気持ちになる。放っておけば、この犬は餓死してしまうだろう。


 ああ、面倒だが仕方ない。

 目の前の命を救えなくて何が鬼退治か。

 何より俺も飢えて仕方ない。


 俺は旅立ちの日に時を巻き戻した。



 出発当日。

 ばあちゃんは俺に少しだけきびだんごを持たせてくれた。

「お隣さんがくれたんだけど、多分食べきれないから」  


「ばあちゃん、きびだんご全部くれ」

 思い切って全て要求してみる。


「え?わしらの分は?」

 ばあちゃんはきびだんごが乗った盆を自分の後ろにサッと隠した。

 ここまで業突く張りなばばあだったとは……。


「いやいや、我慢して。旅に食糧は必要だから」

 俺も食い下がる。

「いやいやいや、食糧くらい自分で調達すれば良かろう」

 ばあちゃんも決して退かない。

「いやいやいやいや、実は今2日後から戻ってきたんだけど、道中全然食べ物が見当たらないから」

「雑草とかは?」

 養子とはいえ、15年間育ててきた息子に雑草を勧めてきやがった。


「草じゃ満たされないし、そもそも毒の有無とか全然分からないよ」

「食べて毒だったら時間を巻き戻せばよかろう」

 どんだけきびだんごを食べたいんだよ……。もう何を言っても無駄なことが分かった。


 仕方ない。実力行使だ。

 

 俺はばあちゃんの後ろからきびだんごを奪って、駆け出した。


「どろぼーーーーー!」


 歴史の修正によって、俺の鬼退治は盗人扱いから始まった。



 2日後。

「そこのお方」

 で、犬が話しかけてきた。

「何か食べる物を譲っていただけませんか」


「余ってるので、どうぞ」

 俺がきびだんごをいくつか渡すと犬は「かたじけない」と言って、がつがつと食べ始めた。


 きびだんごを食べ終わると、犬は姿勢を正して俺と向き合った。

 つまり、おすわりした。

「このままいけば私は行き倒れていました……この恩、いかようにして返せば良いのか」


 義理堅い性格の犬のようだ。

 そういえば、犬って、素早いし牙も強力だよな……。


「俺さ、これから鬼退治に行くんだけど」

 俺は犬に手を差し出した。

「一緒に来ないか」


「私の命は既にあなたの物。お供させていただきます」

 犬は即決し、俺にお手をした。

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REPEACH 城多 迫 @shirotasemaru

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