ぼんくら坊っちゃんの放蕩レストラン

一白ケイ

第1話


 私は奴隷だ。物心ついた頃にはこうして売られていた。そしてずっと売り残っていた。自分でいうのも悲しいが、顔も体も頭もよくないからだ。毎日かろうじて生き延びることができるくらいの食事を与えられ、地面に座り込んで生きてきた。だけど今日、悪意になんて触れたことなどまるでないような純真そのものといった見た目の、少年から卒業したばかりくらいの年齢の男に買われた。余談だが、商人はただ飯食らいがいなくなって、涙を流して喜んでいた。緊張感などまるでない。だけどこれが、私の人生を変える出会いだったのだ。


 屋敷に連れ帰られた後は、とにかく大変だった。暖かな水で髪を洗われ匂いのする液をつけて櫛で梳かれる、汚れも解れもない美しい服を着せられ、甘い香りのする粉やクリームを顔に塗られた。世の女子たちは若い顔の良い男にここまで世話をされれば、頬を染めて喜ぶのかもしれない。だが色恋どころか、今日のご飯の心配ばかりだった私は疲れ切り、食材の下準備をされているような気分にしかならず、まるでこれから食べられてしまうような気さえした。

 だけど今、座らされた椅子の前のテーブルには湯気の立つ豪勢な料理が並んでいる。真っ白い柔らかそうなパンと具沢山のスープ、何より目を引くのは大きな焼いたお肉。私に分かるのはそれ位で、でも他にもお肉で野菜を巻いたようなものや、上にチーズの掛けられた焼き物、なんかいろいろ乗ってるサラダ。見ているだけでお腹がぐうぅ~と鳴った。すぐさま辺りを確認するが誰にも聞かれてはいないらしい。一安心だ。そもそもこの屋敷に来てからご主人様以外の人を全く見ていないし、いる気配も感じない。そこそこ大きな屋敷のようなのに、変な話だ。でもまぁとにかく、ご主人様がいない時でよかった。奴隷が不快音をたてるなど許されないことだ。

 なのに、なんでこんなに美味しそうなものを目の前に並べるんだ。あのふわふわした感じのご主人様は、実はとんでもなく性格が悪いのだろうか。私の目の前で見せびらかせながら食べるつもりなのかもしれない。今度はお腹がきゅるると悲しそうに鳴る。と、とにかく、こんなにも素晴らしい料理がたくさんあるのだから、私なんかを食べるわけがない。それだけは確信できる。

 それにしても、椅子に座ることなどないからどうしても今の状況が落ち着かない。やはり奴隷なのだから、立つか、少なくとも床に座るべきなのではないか。でも座っていろと言われたのだから勝手な行動をとるわけにもいかない。そわそわと落ち着かずにいれば、開け放たれていた出入り口から私を買ったその人が現れる。お風呂やその後のさんざん世話を焼かれてしまった時にも思ったけれど、とても綺麗な人だ。金の髪に銀色の瞳。比べるのも失礼だけれど、奴隷商人の所にいた時に見た一番高い奴隷でもこんなにきれいな顔はしていなかった。

「やぁお待たせ、食事の準備ができたよ。口に合うかは分からないけど、遠慮せずに食べてね。」

 彼は持ってきたボトルの中身を二つのグラスに注ぐと、一つを私の前に置いて自分も席に着いた。食べてね、そう言われてもどうすればいいか分からない。まさか奴隷に主人と同じ食卓に着いて同じ物を食べろと言っているのだろうか。意図をくみ取れず固まっていれば、すでに食事を何度か口に運んでいたご主人様が不思議そうに私を見つめる。

「食べないの?」

 基本的に発言は不要とされている奴隷でも、聞かれたことには答えることが許されている。

「その、ご主人様と同じものをいただくわけには。」

「んー、その説明は後でするね。だから今は気にせず温かいうちに食べてよ。」

「…はい。ではいただきます。」

 二度も食べろと言われて、これ以上渋るわけにはいかない。一般的な奴隷の扱いと違ったとしても、買われた以上自らの主人こそが規則なのだ。そのご主人様が良いと言っているんだし、気が変わらないうちに頂いてしまおう。こんなに良い食事、次はいつありつけるか分からないんだから。しかし、新たな問題が発足した。

 これはどう使うのだろう。

 今までの食事は殆どが固いパンとスープだった。パンは手で千切っていたし、口に運ぶための食器はスプーンしか使ったことがない。ナイフとフォーク。名前は知っているけれど、使ったことはない。だけど主人は両方を器用に使い、次々と料理を口に運んでいる。同じように使うべきなのだろう。見よう見まねでその二つを手に取り、主人と同じように焼いてある大きな肉を切ろうと試みる。カチャカチャカチャ。音はなるのに上手く切ることができない。それでもしばらく格闘していれば、ご主人様がじっとこちらを見ていることに気づく。背筋を冷たい汗が流れていく。私は何かしでかしてしまっただろうか。そういえば御主人様は一切音などたてていない。お腹の音こそ鳴ってはいないが、この食器があたる音も不快だったのかもしれない。すぐさま謝罪の言葉を口にしようとするが、御主人様の方が早かった。

「ナイフとフォークは使ったことがないの?」

「はい。申し訳ございません。」

 謝罪と共に頭を下げ、叱責の言葉を待っていれば、人が移動してくる気配を感じる。打たれるのかもしれない。そう身構えていれば、かけられたのは予想外の優しい声だった。

「いいから、顔をあげて?」

 その言葉に従い顔をあげれば、先ほどまで格闘していた肉が一口サイズに切られ目の前に差し出されていた。

「はい、あーん。」

 あーん。言われるがまま口を開けば、その肉が口の中に入れられる。ふわりと鼻に抜けるソースの香りに、反射的にそれを噛みしめれば今までに味わったことのない旨みが溢れ、つい言葉が漏れる。

「おいしいっ。」

「そっか!まだまだシェフが作った物には劣ると思ってたんだけど、君が美味しいならよかった。」

 なにやらご主人様は言っていたけれど、耳になんて入ってこなかった。なんなのこれ、噛むのがもったいない。口の中が唾液と肉汁で溢れ返る。今まで食べたことのあるお肉なんて、干し肉を戻したものだけだった、それもカスのような物のみ。それが最底辺のものだってことは分かってはいたけど、まさかここまでの差があるなんて。私が感動に身を震わせるその間に、彼は全ての料理を小さく切ってくれていた。

「これならフォークだけで平気かな?マナーなんて今は気にしなくていいから、自由に食べてよ。」

「ありがとうございます。」

 反射的にお礼の言葉を口にしたはいいものの、口の中のお肉のうまみが消えるとともに、言われた言葉の意味がじわじわと衝撃を与えてくる。彼は、私用にナイフで小さく切ってくれた。ということは、この目の前の料理を全て私が食べていいということ?こんな、今までの人生18年の食費を足してもまだ足りないくらいの豪華な料理を、奴隷の私が?おそるおそるフォークを手にし、ご主人様の顔を窺う。にこりと微笑んだ彼を見て、もう一度、今度は小さく切られた肉を突き刺し口に運ぶ。やっぱりおいしい。世の中にこんなに美味しいものがあるなんて。夢中になってお肉を全部食べ終えると、次に目についたスープの入ったカップを手に取る。ごろごろと大きく切られた野菜だけでも私にとってはご馳走なのに、こっちにまでお肉が入っている。そのことに感動しながら、器に口をつければふわりと香る野菜の甘い香り。口に含めば、野菜を丸ごと溶かしたのかと思うくらいの濃い野菜の甘味が口いっぱいに広がる。普段食べていたスープとのあまりの違いに、今度は同じく口にしたことのあるパンに手を伸ばした。これはどのくらい違うのだろうか。

「ふっ、」わふわだ。

 思わず口から飛び出しそうになった感想を慌てて押しとどめる。持っただけで分かる。これは私の知るパンとは別物だ。これがパンなら私の食べていたあれは石だ。そのくらい違う。思わずそのまま齧り付けばふんわりと唇が沈む。ふんわり、それでいてもっちり。ほんのりの塩気と噛めば噛むほどの甘みを感じる。私、このパンがあればもう他におかずなんていらない!そう思えてしまうほどだったけれど、目の前にはまだまだ料理がたくさん用意されている。サラダには色々な種類の野菜が使われていて、触感が楽しい。その上、かけられたドレッシングの酸味がさらに食欲を掻き立てられる。正直サラダなら、野菜そのままだからそこまでの衝撃はないだろうと舐めていた。種類や切り方を組み合わせることで、こんなにも充実したものになるなんて驚きだ。チーズのたっぷりかかった焼き物は熱々でクリィミー。その熱さに、はふはふと息を吐き出すけれど、吐き出すその息までにも濃厚さが移っているかのようでもったいなく感じるほどだ。野菜をお肉で巻いてあるものも、当然文句なくおいしい。絡められているソースはもちろん、中の野菜にまでしっかりと味が染みこんでいて、これだけでも美味しく食べられそうだ。

 その様子をご主人様がにこにこと見ていることにも気付かず、私は生まれて初めての美味しい料理に、感激と興奮を繰り返しながら次々とお皿を殻にしていったのだった。


「はい、これデザートのシャーベット。」

「あ、ありがとうございます。」

 美味しいご飯をお腹いっぱい食べて幸せに浸っていれば、いつの間に席を立ったのかご主人様が透明な器に入ったそれを持って来てくれたところだった。本来使われるべき人間は奴隷である私の方なのに、致せり尽くせりで恐縮してしまう。しかし、美味しいものの味を覚えた今の私に、目の前のこれまた美味しそうなものを食べないという選択肢はなかった。小さなスプーンですくい口へと運べば、冷たさと果実のさわやかな甘さが染み渡る。指先がちぎれそうに痛むから寒い冬は嫌いだった、あぁ、同じ氷でもなんて幸せな冷たさなんだろう。『冷たい』=『嫌い』だった私の概念をあっという間に変えてしまった。そんな私を見て、ご主人様が笑みをこぼす。

「ふふっ、そんなに美味しそうに食べてもらえると作り甲斐があるよ。」

「え!これはご主人様がお作りになられたんですか?」

 仕草や見た目から気品が溢れているからてっきり貴族の方だとばかり思っていたけど、料理人の方だったのだろうか。だけど、料理人なら何のために私のような奴隷を買ったのだろう。驚いて、つい彼の顔を見つめていればにこやかな笑顔が返ってくる。

「うん。まだまだシェフのようには上手く作れないけれど、今日の料理は全部僕が心を込めて作ったんだ。」

 こんなにも美味しい料理が作れるなんて、私のご主人様は何とすごい人なのだろう。でもシェフのようにはということは、シェフではないということなのだろうか。

「ご主人様は、シェフではないのですか?」

「僕は一応貴族の息子だよ。三男だけどね。あーでも、追い出されたから今は違うのかな。」

 思いきって尋ねてみれば、奴隷からの主人の身を探るような質問という本来なら逆鱗に触れてもおかしくない行動だったが当の本人は大して気にしていないようで、気軽に答えてくれた。その答えは予想通りでありながらも予想外のものであった。貴族というのは当たっていた。それに、どこかのほほんとした、言い換えれば緊張感の似合わない雰囲気を持っているから嫡男ではないんだろう、とは思っていた。だが追い出された?どういうことだろうという疑問が顔に出ていたのだろうか。彼は、相変わらず何でもないことように説明を付け加えてくれる。

「僕はずっと料理をするのが好きだったんだ。だからいつも調理場に忍び込んで、料理ばかりしていた。ううん、料理しかしてこなかったんだ。そうしたらついに父上に『もう勝手にしろ!』って怒られちゃって。だけど、お金とこの屋敷をくれてね。」

 何だかんだ応援してくれているみたい、と言ってご主人様は笑うけれど。いやいやいや、ちょっと待って。それって手切れ金とか餞別っていうものなんじゃないんですか。そして、もしかしなくてもそのお金で私のこと買いましたよね。いったい何のために!?この能天気さと計画性の無さ、早々にお金を使いきって路頭に迷う姿が簡単に想像できてしまう。そしたら、私もまた奴隷商人のもとに逆戻り?嫌だ。絶対に嫌だ。何も知らなかった昨日までならまだ耐えられた、だけどこんな幸せを知ってしまったらもうあんな生活には戻れない。戻りたくなんてない。

「ご主人様はこれからどうするおつもりなんですか?」

 出来るだけ冷静に尋ねたつもりだ。もし本当に何の計画もないのなら、自分の力でどうにかしなくてはいけない。このふわふわを放っておいたら主従ともども、落ちるところまで落ちてしまう。だけどその心配は無用に終わる。

「僕はやっぱり料理が好きだから。ここでレストランをやりたいんだ。君というウェイトレスもいてくれるしね。」

 思いがけず真剣な表情で目標を語られたものだから、その夢に自分が巻き込まれていることに気づくのが少し遅れた。

「私が、ウェイトレスですか?」

「うん。あ、だからそのご主人様っていうのも止めてほしいな。」

 普通、ウェイトレスとは買うものでなくて雇うものなのではないか。やはり、このご主人様は世間知らずで抜けているところがある。少々どころでなく、未来の私の処遇が心配になる。だけど。こぶしを握り締めて覚悟を決める。

 明日の美味しいご飯のため。

 私はこのご主人様を料理人として必ず成功させてみせる!

「頑張りましょう、ご主人様!いいえ、シェフ!!」

「うん、頑張ろー」

 気合の入った声掛けに、気合の抜けるような返事。これではどちらが主人だか分からない。だけどきっと、これがこの二人のなるべくしてなった形であり、出会うこと自体が運命だったのかもしれない。

 こうして始まった元貴族のシェフと元奴隷のウェイトレスの物語。二人のレストランが開店を迎えるのは、またいつかのお話である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ぼんくら坊っちゃんの放蕩レストラン 一白ケイ @kazusirok

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ