鉄人ヨーコ

ユウト

鉄人ヨーコ


僕とヨーコは、私立東綾瀬高校の校門を遅刻ギリギリでくぐった。

急いで二年一組の教室に入ると、朝のホームルーム開始まであと二分少々だというにもかかわらず、クラスメイトの半数以上はまだ登校していなかった。相変わらずゆるいクラスだ。

僕「佐藤忍」とヨーコ「佐藤洋子」の席は、教室の窓側最後尾で隣同士だ。

僕とヨーコが一緒に席に着くと、すでに登校してきていた男子生徒たち数名がヨーコのもとに駆けつけてきて、「おはようございますヨーコ様!」と最敬礼で挨拶してきた。

 ヨーコの熱烈なファン『ヨーコ様親衛隊』の連中だ。

 ヨーコは、いつも通り軽く片手を挙げて「おうっ」と応えた。

 親衛隊たちは、このたった一言の返事に心底ありがたそうな顔をする。連中がヨーコを見つめる視線は、まるで宗教の教祖様を崇める信者のようだ。

 ヨーコにはこういうファン(信者?)がクラスのみならず、全校中どころか日本中、いや全世界に山ほどいる。

 今までヨーコがしてきたことを考えれば、こういう熱狂的なファンがいるのには納得できなくもないのだが、ヨーコの実態を知っている僕としてはこういうファン心理は理解できない。

 僕は隣に座るヨーコをまじまじと見た。

ヨーコは高校二年生にして身長は一四〇cmしかなく、見た目は小学生なのだが、胸はやたらにでかい。トレードマークとも言えるのが腰まで届く真っ赤な長髪だ。この赤髪は地毛だ。医者曰く、非常に稀な毛髪色素の突然変異らしいのだが、ここまでバッチリ真っ赤な色の突然変異は世界でも例がないという。

 顔立ちはたぶん可愛い。僕にはよく分からないが、ヨーコのファンの多さはビジュアル面によるものが大きいという話はよく聞く。若干吊り上った猫目が愛嬌があるかなとは思うけど、僕はヨーコが可愛いと思ったことは生まれてこのかた一度もない。

ヨーコの前から親衛隊が散っていくと、僕の前の席の赤城さんが登校してきた。

「ヨーコちゃん、シノブくんおはよう」

 赤城さんは僕とヨーコにニコッと微笑みかけてきた。

 僕は「おはよう」と応えながら、赤城さんの笑顔にキュンとなった。

 赤城さんは黒髪のボブカットが可愛らしい童顔の女の子だ。赤城さんはヨーコと違ってごくごく普通の女子高校生だが、僕はヨーコよりも赤城さんの方がずっと可愛いと思う。ファンになるならヨーコより断然赤城さんだ。

 ヨーコは元気よく片手を上げて「おうリョーコ!」と応えた。リョーコとは赤城さんの下の名前「良子」だ。

 ヨーコは赤城さんの顔をのぞき込んで言った。

「んー、お前顔色悪いなー、生理か?」

「ヨーコ……」

 僕はたしなめるように低い声で言った。なんてデリカシーのない娘なんだお前は……

 しかし赤城さんは嫌な顔をするどころか、楽しそうに笑いながらヨーコに応じる。

「うふふ、生理ではないけど顔色は悪いかもね。私、今日朝ご飯食べてきてないの。だからかな? 二人は朝ごはんちゃんと食べてきた?」

 もちろんだ、とヨーコが頷く。

「俺は、朝食は『あんこトースト』と決めている」

「あんこトースト?」と聞き返す赤城さんに僕が説明する。

「ほら、うちってたい焼き屋でしょ? ヨーコはたいやきに使うあんこをトーストにのせて毎朝食べてるんだよね」

ヨーコは毎朝食パンを五斤は食べているのだが、あんな量を朝からよく食べられるなと思う。

「へー、甘くておいしそう。シノブ君も朝はあんこトーストなの?」

赤城さんの質問に僕が答える前にヨーコが答えた。

「いや、シノブは『うんこトースト』食ってるぞ。ほら、人ってケツからうんこ出すだろ? シノブはケツから出したうんこをトーストにのせて毎朝食べてるんだ」

「僕はそんなおぞましいもの食わないよ!」

「なんか人糞ダイエットとか言って、俺がいくら止めてもやめないんだ……」

「なんで、ちょっとリアルっぽい嘘つくのっ!?」

「シノブは毎朝便器五杯分は食べているんだが、あんな量を朝からよく食べられるなと思う」

「やめないか! 僕は毎朝フツーに食パンを食べてるよ! ってあれ? 赤城さんはなんで僕を汚物でも見るような目で見ているの……?」

「う、うん……私は大丈夫だよ?」

「何が大丈夫なの!? 僕は赤城さんの反応が大丈夫じゃないよ!」

たわいもない世間話(?)をしていたところでチャイムが鳴った。

ギリギリ登校組の生徒たちが教室へ駆け込んでくる。

 それとほぼ同時にクラス担任の本田教諭も教室に入ってきた。

二年一組の担任である本田教諭は高校教師のくせに金髪でシルバーアクセをジャラジャラ身につけた不良教師だ。私立高校とはいえ、こんな教師許されるのだろうか……

本田教諭が出欠確認を省略し、連絡事項の告知を級長の空山君に丸投げして、自分はスマホで遊び始めるいつも通りの朝のホームルームが始まった。

 級長の空山君が本日の連絡事項を告知している最中に携帯電話の着メロが教室に鳴り響いた。

 着メロはベートーヴェンの『皇帝』。ヨーコのケータイの着信音だ。

 ヨーコは平然と制服のポケットからケータイをとりだして画面を確認する。

 もちろん誰もそれをとがめたりはしない。

 基本的に校内での携帯電話の使用は禁止だが、ヨーコだけは例外だ。

ヨーコは通話ボタンを押して通話を開始した。

「おう部長殿か。何? NHK?」

電話をかけてきた相手は、どうやら銀河警察地球担当官の巡査部長からのようだ。

状況を察した僕は自分のスマホのワンセグを起動して、チャンネルをNHKにあわせた。スマホに映し出されたのはNHKの緊急現場中継だった。中継現場は静岡県側の富士山のふもとのようだ。画面には富士山上空が映し出されている。

その空に銀色の円盤型UFOが飛んでいた。

 UFO、つまり宇宙人が乗っている空飛ぶ円盤的なアレである。

 空にUFOが浮かんでいること自体は、今のご時世珍しくもなんともないことだが、その数が尋常ではなかった。画面に映る空を覆いつくすほどのUFOが、富士山上空を旋回していた。その数は100や200ではないだろう。

NHKの男性キャスターが空を指差して言う。

『ご覧ください。宇宙から飛来したUFOの大群が富士山上空を覆っています! このUFOの大群からの渡航許可申請は確認されておらず、政府は不法に渡航してきた侵略宇宙人の可能性があるとの見解を示しています』

 当たり前のように使われている「宇宙人」という単語に、僕は未だに違和感を感じずにはいられない。

 四年前、歴史上初めて地球に宇宙人がやって来た。

 それまでは「宇宙人」なんてオカルト話のたぐいでしかあり得なかったし、公的な科学研究機関においても「もしいたら夢が広がるよね」的な意見が常識だった。

 しかしそんな一般常識をあっさり覆して宇宙人は地球に現れた。

 考えてみれば当然のことだったのかもしれない。広大な宇宙に地球と同じような惑星が存在しない方がおかしいのだ。宇宙はとてつもなく広く、その中で人類が把握できている空間は極めて狭い。にもかかわらず、人類は地球がこの宇宙でただ一つ「奇跡的に存在する惑星」だと信じて疑わなかった。今となっては、人類がいかに無知蒙昧な田舎者だったのかと思う。

 四年前の出来事によって、人類は宇宙に自分たち以外の知的生命体が存在することを知った。それどころか火星や金星、土星といった人類が「知っていた」惑星にも、実は知的生命体が存在していたことを知る。その宇宙人たちの多くが地球の文明レベルをはるかに上回る高度な文明を有していて、それを知らずにいたのは太陽系で地球人だけっだった。

 自分たちは宇宙で唯一の知的生命体であると信じ込んでいた地球人は、実は宇宙全体で見るとアマゾンの秘境に住む原住民族レベルの存在にすぎなかったのだ。

 四年前の宇宙人襲来以来、地球に数多くの宇宙人がやってくることとなり、今では成田空港は飛行機よりも宇宙船の離着陸の方が多いほどだ。

 多くの宇宙人は地球に対して友好的だが、全ての宇宙人が友好的というわけではない。

 宇宙全体で見ると地球の文明レベルは原始時代レベルらしく「こんな惑星チョロイぜ。いっちょ侵略してやっか」と軽い気持ちで地球侵略にやってくる宇宙人が後を絶たない。

 そういった宇宙人を総称して「侵略宇宙人」と呼んでいる。

 侵略宇宙人が地球に襲来するたびに人類存亡の危機といえば危機なのだが……

 中継映像ではNHKのリポーターが現場上空の様子をさらに詳しく実況していた。

『今UFOからワイヤーのようなものが発射されました。ワイヤーの先端は銛のように尖っています。無数のワイヤーが富士山のふもとの地面に打ち込まれていきます!』

「これ何してるんだろ……?」

 ヨーコがケータイを耳にあてながら答えた。

「なんか部長殿が言うには、富士山を引っこ抜くつもりらいしぞ」

「富士山を引っこ抜くぅ?」

「相変わらず宇宙人の考えることはよく分かんなねーなぁ」

 ヨーコが肩をすくめた。

 まあ、外国人ですら僕ら日本人には理解不能な文化があるのだから、ましてや宇宙人なら標高三七〇〇mの山を引っこ抜くような文化があってもまったくおかしなことはない……かなぁ?

 NHKアナウンサーが新情報を伝える。

『えー、たった今政府は現在富士山上空にいる宇宙船団を侵略宇宙人と認定し、航空自衛隊がこれを迎撃するとの発表がありました』

 中継映像はUFOの大群から一転して太平洋側の空を映した。

 太平洋側の空から八つの大型プロペラを装備した巨大な戦闘機が姿を現した。

『来ました! 航空自衛隊の大型戦闘ドローン大和Ⅱです!』

 四年前の侵略宇宙人襲来以来、世界各国で侵略宇宙人を撃退するための兵器が開発されたのだが、日本の場合は航空自衛隊の大和Ⅱがその一つだ。

 大和Ⅱは全長六百mの巨大無人戦闘機で、その外観はタンカー船にプロペラがついて空を飛んでいるような外観だ。船首には巨大な砲台が鎮座している。

 大和Ⅱの巨体がUFOの群れに向かっていく。

 乗用車程度の大きさしかないであろうUFOと比べると大和Ⅱのサイズは圧倒的だ。

 大和ⅡはUFOに向けてしばらく警告を発していたが、UFOからの反応はなく、遂に船首の巨大な主砲を敵船団にむけて発射した。

 轟音が鳴り響き、中継映像が大きく揺れた。

 主砲はUFOの群れに直撃。大爆発が起こり、空がオレンジ色に染まった。

 大和Ⅱは容赦なく次々と主砲を発射してUFOの群れを大爆発に巻き込んだ。

 しかし――

『ああっ、ダメです!』

 大爆発の後、無傷のUFO船団が浮かんでいた。

『UFOはまったくの無傷です! 建造費四千億円をつぎ込んだ大和Ⅱの砲撃がまるで効果がありません! 一発二億円の主砲を十二発も打ち込んでおいて侵略宇宙人のUFOにかすり傷ひとつつけられない責任は誰がとるのでしょうか! 大和Ⅱの建造にあたっては費用捻出のために増税も行われ――』

 大和Ⅱの失態をうけてアナウンサーは政府をディスりまくる。

 大和Ⅱはさらに一発二億円の主砲を撃ち続けた。

 しかし効果のない砲撃をUFO船団はかわそうともしない。大和Ⅱの砲撃を完全に無視して、富士山の根元に打ち込んだワイヤーを引っ張り続ける。本気で標高三七〇〇mの活火山を引っこ抜くつもりらしい。

 大和Ⅱは砲弾を打ち尽くしてしまったのか、UFO団の周りをウロウロと旋回するだけになっている。それをアナウンサーが『空飛ぶ税金ゴミ箱』などとディスっている。

 僕はヨーコに言った。

「早く行ってあげなよ。このままだとまた総理大臣辞任しちゃうよ」

「んー、さっきから部長殿もそう言ってるなー」

 ヨーコは気楽に答えて、僕にケータイを放り投げてきた。

 ニッと笑って席から立ち上がる。

「んじゃ、そろそろ行くか」

 ヨーコが席を立ったのと同時に、親衛隊の連中が「ヨーコ様ご出陣んーーーッ!!」と雄叫び上げた。

 ヨーコ様親衛隊の「椅子係」である戸田英次が教室後方の窓を開けて、その下に自分の椅子をセットした。

 ヨーコは戸田の用意した椅子にのぼった。身長一四〇cmのヨーコは椅子にのぼらないと窓に足が届かないからだ。

 ヨーコは窓のサッシに片足をかけて、窓の外へと身を乗り出した。振り返ってニッと笑う。

「じゃ、行ってくるぜ」

 ヨーコは窓の外へ跳んだ。

 瞬間、弾丸のようなスピードで空を飛んでいく。

 女子たちが「よーこちゃんがんばれー」と手を振り、親衛隊が敬礼でヨーコを見送る。

 飛んでいくヨーコの制服のスカートがはためくの見て戸田が「今日は白パンですな……」と漏らしたのを聞いて女子たちが「戸田サイテー」と冷たい視線を送った。

 僕はヨーコから受け取ったケータイにむかって簡潔に報告した。

「鉄人ヨーコ、出撃しました」



 ヨーコこと佐藤洋子のことを人は「鉄人ヨーコ」と呼ぶ。

 他にもヨーコは数多くの異名を持つ。

 正義のヒーロー。

 人類の守護神。

 アルティメット女子高校生。

 究極破壊兵器……等々。

 地球上に「鉄人ヨーコ」の存在を知らない人間はほぼいない。それどころか太陽系でも一番の有名人だろう。

 なにがそんなにもヨーコを有名にしているのかというと、「鉄人ヨーコ」が地球にやってくる侵略宇宙人とたった一人で戦い、これを全て撃退しているからだ。

 ヨーコは一切の兵器を使わず生身の肉体だけで、あらゆる侵略宇宙人たちを地球から追い払っている。戦って負けたことは一度もなく、全戦全勝無敵のヒーロー街道を爆進中だ。

 そのためヨーコは世界中から地球の救世主として崇められているのだが、僕は正直「そんなにありがたいやつかなぁー……」と思っている。まあ、今回の出撃では僕がそういった感想を抱かないようになることを期待したい。

 NHKの現場中継ではUFO群が富士山に打ち込んだワイヤーを引っ張り続けていた。

 大和Ⅱは相変わらずUFO群の周りを旋回しているだけだ。たぶんこの現場中継を見ている首相は絶望してうな垂れていることだろう。

 ワイヤーによって富士山のふもとの地表がめくれあがり、標高三七〇〇mの山を引っこ抜くということが徐々に現実味を帯びてきたその時。

 アナウンサーが空を指差して声をあげた。

『あっ、あれを見てください!』

 テレビカメラが、アナウンサーの指差した方向を映した。

 空の彼方から急速に接近してくる飛行物体。それをカメラがズームする。

 飛来してきたのは私立東綾瀬高校の制服に身を包んだ小柄な少女だ。

『来ました! 鉄人ヨーコです!』

 アナウンサーの叫び声と同時に歓声があがった。

『人類が誇る地球の守護神、鉄人ヨーコが日本の危機に駆けつけてくれました!』

 クラスメイトたちもテレビの前で歓声をあげた。親衛隊がヨーコ様コールを始める。

 教室が盛り上がるなかで僕は「大丈夫かなぁ」と心配しながら中継を見守る。

 誤解がないように言っておくと、僕はヨーコの身を心配しているわけではない。

 ヨーコがどんな風に撃退するつもりなのかを心配しているのだ。またまずいことをしなきゃいいけど……

 ヨーコはNHKのカメラの近くに着地して、アナウンサーからマイクをひったくった。

『全世界の諸君待たせたな。無敵の最強ヒーロー鉄人ヨーコ様見参!』

 ヨーコはカメラに向かって決め顔をつくった。

 それを見て親衛隊の連中が狂喜の歓声を上げている。

 ヨーコは上空のUFO群に顔をむけた。

『まあ見てろ、俺様が一機残らずぶっ壊してやる』

 ヨーコは握ったマイクを思い切り振りかぶり、UFOにむかって投げた。

 ヨーコの投擲したマイクが消えた――と錯覚するほどの目で追えない速さで一機のUFOに命中した。鈍い音を立ててUFOの装甲が大きく歪み、UFOはクルクルと回転しながら墜落していった。地上で待機していたのであろう自衛隊の陸上部隊が墜落したUFOに殺到する。UFO内にいる宇宙人を拘束するつもりだ。

 アナウンサーはすかさず予備のマイクを取り出して叫んだ。

『さすが鉄人ヨーコ! 大和Ⅱの主砲とは比べ物になりません。一発二億円も税金が投入されているのに、この差はなんなんでしょうか』

 たぶん首相も同じ事を防衛大臣に問いただしているに違いない。

 ヨーコは足元に落ちている石を拾ってUFOに投げ始めた。一発二億円の砲弾でビクともしなかったUFOが次々とヨーコの投石によって堕ちていく。

 これならあっさり片がつくだろうと僕が安心したその時だった。

 UFOの一機から人影が現れた。

 カメラがそれをズームアップする。

 そこに現れたのは一人の人型宇宙人だった。

 外見は地球人とあまり変わりがないが、肌の色はコンクリートのような灰色をしていた。体に密着するボディスーツを着てマントを羽織っている。

 現れた宇宙人はUFOから飛び降りると、空を飛んでヨーコの前に着地した。

 宇宙人はヨーコを見ると威圧的な声で言った。

『お前が噂の太陽系第三惑星の大怪獣ヨーコだな?』

 「大怪獣ヨーコ」とは主に侵略宇宙人たちが呼ぶヨーコの異名のひとつだ。

 ヨーコの存在は太陽系のみならず、広く宇宙に知れ渡っているらしく「大怪獣ヨーコ」の討伐を目的に地球にやって来る侵略宇宙人も少なくない。

『フッ、どんな化物かと思っていたらただの小娘じゃないか』

 宇宙人は拍子抜けしたとでもいいたげに肩ををすくめた。

『この俺が倒して武勇伝にでもしようかと思っていたのだが……こんなチビを倒しても笑い話にもならんな』

 ヨーコのこめかみがピクリと脈打った。

『ちび、だと……?』

 ヨーコは口元だけ笑って低い声で言った。

『今日の俺様は機嫌がいいから、少しは手加減してやろうと思ってたんだが……やめた。てめぇの名を聞いてやる。ついでにサービスで遺言も聞いてやってもいいぞ』

『ふん、面白い冗談だ。いいだろう。お前をズタズタにしてやる前に教えてやる。我こそは宇宙最強国家ガンゾランゾ星の王子であるババロワ様だ』

 ババロワと名乗った宇宙人は自分の背後にそびえる富士山を指し示て、

『我が宮殿には庭園があってな。まあ、そう広くはないが趣向は凝らしたいと思っていたのだ。辺境宇宙におもしろい形の山があるというので、ちょっと拾いにきた』

 ババロワはきのこ狩りにでもきたような気軽さでそんなことを言った。

『まあ、こんな小石のようなちっぽけな星に住むチンケな生命体には想像もできまい』

『言いたいことはそれだけか?』

 ババロアはどういう意味だとでも問いたげな顔をした。

 ヨーコは口元に笑みを浮かべて言う。

『遺言は残しておかないと後悔ずるぜ? お前が死んだ後、自慢のお庭が格安で売りに出されちまっても知らねぇぞ』

 ババロアは同情するような顔をして首を横に振った。

『まったく……チンケな星のチンケな生命体が自分たちとガンゾランゾ星人と力の差を推し量れないのも仕方あるまい』

 ババロアは上空を旋回する大和Ⅱを指で示した。

『君たちにこの私の力を見せてやろう』

 ババロワは大和Ⅱを見上げて大きく息を吸い込んだ。その胸が大きく膨らみ、

『ふぅぅ……カァーーッ!!』

 ババロワの口から大和Ⅱにむけて青白い光球が発射された。

 光球は大和Ⅱに直撃して大爆発を起こした。

 強い衝撃にカメラの映像が一時乱れる。

 数秒後に映像が回復した時には、全長600mの巨艦が跡形もなく爆砕していた。

 現場の様子を伝えなければならないNHKのアナウンサーが絶句していた。

 ババロワは勝ち誇ったように言った。

『どうだ? お前たちとガンゾランゾ星人との力の差が理解できたか?』

 ヨーコは無表情でそれを見ていたが、やがてニヤリと笑って言った。

『同じ言葉をそっくりそのまま返してやるよ』

『なんだと?』

 ヨーコは富士山を指で示して、

『よく見てろよ?』

 ヨーコは右の拳を思い切り振り、富士山にむけてパンチを放った。

『オラァ!』

 ヨーコの拳の先からの空間が大きく波打ち空間が歪んだ。

 ドッという重い音と地響きが発生。

 次の瞬間、富士山が消し飛ばされていた。

 綺麗に跡形もなく。まっさらな平地になっていた。

『…………』

 ババロワはそれを無表情に見つめていた。しばらく考え込んだ後、ヨーコにたずねた。

『……ひょっとして、君のパンチで山が消し飛んだってことなのかな?』

『見りゃわかるだろ』

『…………』

 ちなみに富士山の標高は約三七〇〇mで東京スカイツリーのおよそ六倍。裾野の面積にいたっては沖縄本島とほぼ同じ面積だ。そんなものが拳ひとつで消し飛んだのだから、そりゃあ目を疑いたくなる気持ちもわかる。

『……そんなことあるの?』

『あるじゃねーか』

 ババロワの顔色が急速に悪くなっていき(と言っても、肌の色はもともと灰色で顔色は悪い)ヨーコを見る目が悪魔でも見るような目に変わっていく。膝がガクガク震えてる。

 ヨーコは無慈悲な笑みを浮かべて言った。

『遺言承りサービスはもう締め切ったぜ』

 ヨーコが一歩、ババロワに歩を進めた。

 ババロワが絶叫した。

『く、くるなぁーー! やめろ! 話せばわかる!』

 五・一五事件の犬飼毅みたいな台詞で命乞いするババロワにヨーコは、

『問答無用』

 と猟犬のように襲い掛かった。

 ヨーコがババロワに拳を振りかぶった時点で、映像が切り替わり「しばらくお待ちください」のテロップと美しい渓流を下るボートの映像が流れた。ナイスボート。

 約五分後。

 画面がナイスボートから現場中継に切り替わった時には、ババロワも空を覆いつくしていたUFO群もキレイサッパリいなくなっていた。

 ヨーコは再びNHKアナウンサーのマイクをひったくり、カメラに向かって一言。

『正義は勝つ!』

 ヨーコの制服が返り血でものすごいことになっていることには一切触れず、NHKのアナウンサーは言った。

『またしても鉄人ヨーコが地球の危機を救いました。彼女がいるかぎり地球の平和は約束されているでしょう! 以上現場からの中継でした』

 現場中継が終了した約二分後。空を飛んできたヨーコが教室に帰還した。

 窓から教室に入ってくるヨーコを親衛隊が凱旋歌(エルガーの『威風堂々』にオリジナルの歌詞をつけたやつ)で迎える。

「よーこちゃんおかえりー」という女子たちからの声にヨーコは「おう」と軽く手をあげて自分の席に着いた。

 席に着くなりヨーコは僕に言った。

「どうだ俺様の今回の活躍は。感動しただろ。泣けた?」

「いや泣いて感動するような場面なんてあったかな……」

「ほら、ババロワが仲間を守るために自分の体を盾にして――」

「ナイスボートの裏でそんなドラマが!?」

 僕はヨーコにとりあえず「お疲れ様」と労をねぎらう。ただし、今回の出撃について言っておかなければならないことがある。

「あのさヨーコ。毎回のことだけどむやみに物を壊しちゃダメだって言ってるよね。それも今回は世界遺産だよ」

 ヨーコは「なにが?」みたいな顔をする。

 これはすっとぼけているわけではなく、単純に自覚がないのだ。だから尚悪い。

「……ヨーコは自分が今までいくつ世界遺産を破壊してきたか知ってる?」

「…………知らない」

 小さい子どもが難しいことを言われてフリーズしちゃった時みたいにポカンとするヨーコちゃん。自分の今までの悪行をまったく覚えていないらしい。

 ヨーコは今回富士山を意味もなく消し飛ばしたが、たぶん悪気はこれっぽちもない。

 今までヨーコは世界各地の世界遺産や重要文化財やらをぶっ壊しまくってきているのだが、基本的に全部悪気はない。フランスの凱旋門もイタリアのピサの斜塔もインドのタージマハールも本人としては「ちょっと弾みで」ぶっ壊しちゃっただけなのだろう。

 でも僕は説教をしなければならない。だって僕がしないと誰もしないんだもん。

「ヨーコちゃん? いつも言ってるけれど、むやみに物は壊してはいけません」

「俺何か壊したっけ?」

「ついさっき! どエライもの消滅させただろ! 日本国の象徴的世界遺産を!」

「んっと……アニメイト?」

「全然ちがう! ヨーコの頭の中ではアニメイトが日本国の象徴的世界遺産なの!? どんな国だよ! 富士山だよ富士山。ついさっきヨーコが消し飛ばしたでしょ」

 ヨーコは「ああ」と手を打って答えた。

「それなら大丈夫だ。これで静岡‐山梨間の交通が便利になったからきっと地元の人は喜んでくれている」

「喜ぶわけないだろ!」

 富士山観光を商売にしていた人たちの生活はこれからどうなるのだろうか……

 ヨーコは少し考えるようなそぶりをしてから言った。

「じゃあ、かわりにチベットからエベレスト引っこ抜いて持ってきてやるか。富士山より高い山になれば地元の人たちも喜ぶだろ。わーい世界一の山キターって」

「地元民舐めすぎだろ! つーかそんなこと絶対しちゃダメ!」

「じゃあ、エベレストじゃなくてキリマンジャロならいいか?」

「いいわけねぇだろ!」

「同じ世界遺産だし自由の女神とかにしちゃう?」

「もっとダメだろ! 富士山を自由の女神にかえちゃうってどんな発想だよ。なんか日本がアメリカに征服されたっぽいし」

「外国のものがマズイなら国産で奈良の大仏にしよう」

「国産ならいいってことじゃない! つーかそれだとすでに“奈良”の大仏じゃないし! 静岡の大仏? いや山梨の大仏? なんか両県の熾烈な所有権争いが勃発しそう」

「それなら思い切って都庁を持ってくるとか」

「どう思い切るとそうなる!? 都庁に新幹線で行かなきゃなの? 不便すぎる!」

「では核廃棄物の処理場として利用するというのはどうだろうか」

「急に政治的な意見になった!」

「まあ済んだことは考えても無駄だ。宇宙人を撃退できたんだから結果オーライだろ」

「オーライではないと思うけど……まあ、もしヨーコがいなかったら地球はとっくに滅亡してるのも確かだしなぁ」

 いかに世界遺産をぶっ壊しまくっていても、鉄人ヨーコの“人類の守護神”としての功績は世界中の誰もが認めるところではある。ヨーコはその功績を評価され、四年前にノーベル平和賞を史上最年少で受賞している。

「そうだぜ、もっと鉄人ヨーコ様のことありがたがれよ」

 と史上最年少ノーベル平和賞受賞者はふんぞり返る。

「そんなことより今日の弁当何?」

「軽すぎるだろ! 世界遺産だぞ。もっと責任感じろよ!」

 ちなみにノーベル平和賞受賞者の鉄人ヨーコだが、最近のいきすぎた「破壊活動」によってノーベル平和賞の剥奪が真剣に検討されているとかいないとか……

 ヨーコは僕の声などまるで聞こえていないかのように、机につっぷして寝る準備をする。

「それじゃあ、昼まで寝るわ。昼休みの10秒前に起こしてくれ。おやすみ」

 と言った2秒後には、もう寝息をたて始めた。

 僕は頭を抱えた。

 今回も「そんなにありがたいやつかなぁー……」って思う結果になってしまった。



 昼休み10秒前。

 ちょうど日本史の授業が終わる頃、僕は隣で寝息をたてているヨーコを指でつついた。

「ヨーコ、もうすぐお昼だよ」

 ヨーコが椅子からガバッと立ち上がるのと、級長である空山君の「起立」の号令が重なる。

 もちろん偶然ではなく、空山君がヨーコの起床に合わせて号令をかけてくれたのだ。

 礼の号令でヨーコは「ありがとうございましたー」と一秒たりとも授業の内容など聞いていないくせに元気よく礼をした。

 前の席に座る赤城さんが振り返って僕とヨーコに言った。

「一緒にお昼いいかな?」

「もちろん」と僕は快諾した。

 僕らは三人で机にお弁当箱を並べた。

 僕とヨーコの今日のお弁当はのり弁当だ。高校生にしては渋い弁当なのはうちのばあちゃん(七十歳 自営業)のお手製だからだ。ちなみにおかずは煮物と磯辺焼きときゅうりの漬物。


 僕がごはんをひとくち食べた時にはヨーコはもう完食していた。

 もはや本当は窓から投げ捨ててるんじゃないかと疑うほどの早食いだ。

 ヨーコが食べ終えたのを見計らって、教室後方のドアから一人の女子生徒が入ってきた。

 まっすぐヨーコのところへやってきて、手にした重箱を差し出す。

「ヨーコ先輩っ、おはぎ作ってきたので食べてくださいっ」

 ヨーコファンの後輩女子からの差し入れだ。

 ヨーコは顔をほころばせて重箱を受け取る。

「おう、あん子。毎日ご苦労。俺はお前のおはぎを楽しみに生きているといっても過言ではない。お前のおはぎは世界一だぜ(キラッ)」

 などというセリフを恥ずかしげもなく言ってのけるヨーコ先輩。

 ちなみに「あん子」と言うのは毎日おはぎを差し入れしてくれるこの後輩女子にヨーコがつけたあだ名だ。もちろんその名の由来はおはぎの「あんこ」である。

「あ、あの……ヨーコ先輩に喜んで頂けて、う、嬉しいですっ」

 あん子ちゃんは、はにかみながら顔を赤くして逃げるように去っていった。

 それと入れ替わるように三人の女子生徒が家庭科で作ったクッキーを持ってきた。その後ろにもヨーコへの差し入れの順番を待つ生徒たちが列をなして待機している。

 ヨーコは先ほどあん子ちゃんに言った歯の浮くようなセリフを言いながら差し入れを受け取っていく。そのセリフに女子(特に後輩)がデレデレしたり、身悶えしたりするのが僕には全然理解できないのだが……ヨーコって何でこんなにモテるの?

 こんなことが毎日あるのだから、ヨーコの人気のすさまじさを改めて認識させられる。

 ヨーコは本日の献上品を食べ尽くすと、さっそく机につっぷして寝る体勢に入った。

 ヨーコの学校生活は主に「寝る」→「食う」→「寝る」のサイクルである。お前はウシか。

 お昼寝モードに入ろうとしたヨーコに「あ、ヨーコちゃん」と赤城さんが声をかけた。

「ん、俺に何か用か?」

「うん。ちょっとヨーコちゃんに言っておこうかなぁ、って思うことがあって」

「なんだよリョーコ、告白か? 俺が好きなのか?」

 赤城さんは笑って手を振る。

「はは、ちがうちがう。そういえばヨーコちゃんって女子からモテるよね」

 実際ヨーコは女子から告白された経験が数多くあるらしい。僕はそういうことは詮索しないから告白された後ヨーコがどうしているのかはよくわからない。よく考えもせず「おっけーおっけー」とかテキトーに返事してる姿が目に浮かぶ。「ちょっと弾みで」何人も彼女をつくってたりして……うん、あまり深くは考えないようにしよう。

 赤城さんは少し遠慮がちに言った。

「あのねヨーコちゃん。前々から思っていたんだけど、制服で宇宙人をやっつけにいくのはどうかなって思うの」

「うん? なんで?」

「えっと、ほら空飛んだりするでしょ? そうすると制服だとスカートで……」

「で?」

 赤城さんは少し顔を赤らめて言った。

「出撃のたびにパンツ丸見えなのはどうなのかなって。ほら、男子も見てるし、テレビにも映っちゃうし」

 ヨーコは「ははあ」と神妙な顔でうなずいた。

「こんなもん見えて何が困るんだ? 別に見たきゃ見せてやるぞ」

 ヨーコは「ほれ」と両手でスカートの裾をめくり上げた。白いパンツが丸見えになる。

「こ、こらヨーコ! やめなさいッ!」

 僕が慌ててやめさせたのだが、ちょうどヨーコの正面にいたヨーコ様親衛隊の佐山明彦が白パン直撃を食らい、鼻血を噴出してぶっ倒れた。

 失神した佐山は他の親衛隊員に担がれて保健室へ連れていかれた。

 赤城さんは顔を真っ赤にして小さな声で言った。

「あ、うん、ヨーコちゃんが気にしてなければ、いいんだ……」

「おう、そうか」

 三人で話していると昼休みはあっという間に終了した。

 次の授業はクラス担任である本田教諭の数学だ。

 本田教諭はいつも通り十分以上遅刻して教室に入ってきた。

 本田教諭の授業は基本的に自習だ。教科書のページを黒板に書いて「わからないところは空山に聞け」が基本スタイル。本人はPSPでモンスターのハンティングに興じる。誰かこの教師の事PTAとかに報告しないのかな……

 本日の教科書該当ページの要点を空山君が黒板に書いて解説し、つつがなく数学の授業が終わろうとしていた時、思い出したかのように本田教諭が言った。

「あー、そういえば明日このクラスに転校生がくることになったぞ」

 おおー、と教室がざわめいた。

 ヨーコが急に低い声で言った。

「ほう、新しい抗争が始まるな……」

「……何のこと?」

「その『天攻聖』ってどこのチームだ?」

「暴走族じゃないから! 他の学校から引っ越してくる生徒のことだから!」

「ああ、transferstudentのことね」

「何で日本語は知らないのに英語は知ってるの!? すごい発音滑らかだし」

 クラス全体がざわつくなか赤城さんが言った。

「どんな人が来るんだろうね。明日が楽しみだね」

 ヨーコが頷く。

「俺は全身あんこでできた転校生がいいなぁ」

「どんな転校生だよ……」

「友達のお腹が減ると、すぐに購買にあんパンを買いに行ってくれる」

「自分の頭をちぎって食べさせてくれる系の人じゃないんだ!?」

 突然ガラッと教室のドアが開いた。

 一人の女子生徒が入ってきた。見たことのない女子生徒だった。

 クラス全員の視線がその女子生徒に集まる。

 それは突然の闖入者に驚いたからではなく、彼女が息を飲むほどの美人だったからだ。

 長身で手足が長く、透き通るような白い肌、腰まで届く金髪は艶やかなストレートヘア。

 神話から抜け出てきた女神かと見紛う完璧な美少女だった。僕ですら見惚れてしまうような綺麗な子だった。

 彼女は無言で教壇に登り、微笑みを浮かべて教室を見渡した。

 たまらず最前列に座る安達君が美少女にたずねた。

「あ、あのっ、アナタは誰ですか?」

 美少女は男子なら一瞬で恋に落ちてしまいそうな笑みで答えた。

「糞臭いブタ野郎が気安く喋りかけないでもらえるかしら?」

 教室が静まり返った。

「…………え?」

「頭が高いわよ。この私の前では平伏しなさい。アンタの汚い視線で私が穢れるでしょ」

「あ、あ、ええ……?」

「平伏しろ、と言ったのよ。 同じことを言わせないでくれる? バカなの?」

「は、はいっ」

 安達君は言われるがままに椅子からおりて教室の床に土下座――ひれ伏した。

 美少女は唖然とするクラスメイトたちを見回し、よく通るあるとボイスで宣言した。

「今日からあなたたちは私の下僕よ」

 あっけにとられるクラスメイトを置き去りにして、彼女は黒板にこう書いた。

 金星レオ。

「私のことはレオ様と呼びなさい」

 一時の静寂の後、男子がいっせいに叫んだ。

『レオ様ぁぁーーーーーーーーーーっ!』

 クラス中の男子生徒が大騒ぎをはじめた。

 レオ様!レオ様!の大合唱。

 僕の右隣の戸田はすでにレオさん宛てのラブレターを書いているし、さらにその隣の緑川は婚姻届を記入している。お前らヨーコの親衛隊じゃなかったのか。

 盛り上がる男子とは反対に女子は「何だこの女」とレオさんをにらみつけている。

 ここでようやく本田教諭が合点がいったという顔をして言った。

「ああ、転校生の金星レオね。転校してくるのは明日じゃなかったか?」

「私は私が来たい時にくる。王たる者として当然のことよ」

 うちのクラスに王様が転校してきた。いや王じゃなくて女王か。

 一瞬にして女王の下僕と化した男子生徒たちは口々に「当然のことよ!」とレオさんのセリフを復唱する。

 本田教諭はまあいっかと状況をあっさり受け入れて言った。

「じゃあ、金星の席は……」

「はいはーーーーいっ!!」

 抜群のスタートダッシュで挙手したのはヨーコ様親衛隊の大河原だ。

 大河原は隣の席(保健室で治療中の佐山の席)の荷物を窓から投げ捨てて言った。

「ボクの隣の席が空いています!」

 本田教諭は一瞬「そこの席誰かいたような……」という顔をしたがそのまま、

「じゃあ、大河原の隣の席で」

 と言った瞬間、大河原はラファエル・ナダルが前人未到の全仏オープン九回目の優勝時に見せたガッツポーズで雄たけびをあげた。他の男子から大ブーイングが巻き起こる。

 レオさんがよく通るアルトボイスで言った。

「却下」

「え?」という顔をする大河原にレオさんは命令口調で言った。

「机はここに運びなさい」

 レオさんの言う「ここ」とは教壇の真ん前だった。

 大河原が佐山の席を教壇の前に運ぶと教室の中央最前列に特等席が完成した。

 レオさんはおもむろにその席に座る。

「やっぱりセンターはこの私以外にありえないわね」

 アイドルグループ的発想だった。

 レオさんは教室を見回して薄く笑って言った。

「当然よね。ここの女子、全員かわいそうなくらいブスだもの」

 この一言で、教室の空気は急激に凍りついた……というか殺気に満ちあふれた。

 女子たちが殺し屋の眼光でレオさんをにらみつける。

「何? ブスをブスって言って何が悪いの?」

 その時。

「……あんまチョーシのんなよ」

 と低い声で言ったのは、僕の左斜め前の席に座る神谷かすみだった。

 剣道部に所属する身長一七五cmの武闘派女子で、校内トップクラスの美人でもある。

 神谷さんは口元だけ笑いながらレオさんをにらみつけた。

「ちょっと男子にチヤホヤされたからって、イイ気にならない方がいいわよ」

 レオさんはフッと笑い、クラスを見渡して言った。

「この子より私の方が美人だと思う者挙手」

 男子全員(空山君除く)が素早く挙手した。

 その結果に神谷さんは悲鳴を上げて悶絶。

「うぎゃぁぁーーーーっ!」

 ひどい……

 女子たちの眼光がさらに鋭くなった。教室のなかに殺意の波動的なものが渦まいてる。

 そんな中で赤城さんは冷静だった。レオさんを観察しながら言った。

「金星さんて、どこかで見たことある気がするんだよね」

「芸能人とかモデルとか?」

 あれだけの容姿を持っていれば、もしそうだったとしても少しも驚かない。

「なんか、ヨーコちゃんに関係してたような……」

「ヨーコの知り合い?」とヨーコに訊いてみると、

「ぐー」

 ヨーコは机につっぷして寝ていた。

「おいヨーコ」

 僕が突っつくとヨーコはあくびをしながら目を覚ました。

「ふわぁー……もう昼飯の時間か?」

「それはとっくに終わってる」

 ヨーコが起きたのを見て、神谷さんが悔し涙を浮かべながらレオさんを指差し叫ぶ。

「ヨーコちゃん! あいつぶっ飛ばして!」

 いきなりそれかよ。それでいいのか武闘派神谷かすみ。

 レオさんが「ヨーコ?」と反応した。

 神谷さんが語気を荒げて言った。

「そうだよ本物の鉄人ヨーコだよ。今からヨーコちゃんがあんたのことボッコボコにするんだから覚悟しなさいよ!」

 完全に虎の威を借る狐である。それでいいのか武闘派神谷かすみ。

 レオさんは「ふーん」と値踏みするかのような顔でヨーコを見た。

「あんたがあの鉄人ヨーコね」

 ヨーコは居眠りしていたため、どうやら状況をまったく理解していないらしく、

「誰だあいつ?」

 と僕に訊いてきた。

 僕は一連の流れをかいつまんで説明してやった。

 ヨーコはそれを聞いて怒った表情になった。

「全身あんこでできた転校生じゃないじゃないか!」

「元々そんな転校生がくる予定はない!」

 ヨーコは神谷さんに顔を向けた。レオさんと神谷さんを交互に見た後、

「うむ、確かにかすみよりあっちの方が断然美人だな」

「うぎゃぁぁぁぁーーーーーーッ!!」

 悶絶して膝から崩れる神谷さん。あまりのショックでそのまま失神してしまった。

 ヨーコは無念そうな顔になって神谷さんに言った。

「安心しろ。お前のカタキは俺が討ってやる」

「とどめを刺したのはヨーコだけどね……」

 ヨーコは席を立ち、レオさんに向かって言った。

「おい転校生。よくもかすみを醜いブタの如きブス呼ばわりしてくれたな」

 そこまでヒドイことは言ってない。

「私は本当のことを言ったまでよ」

 レオさんはヨーコをしげしげと見つめて言った。

「それにしても、鉄人ヨーコってのはこんなチビだったとわね」

「……てめぇ、今俺をチビって言ったか?」

 ヨーコの纏う空気が一気に攻撃的なものに変わった。

 しかし、レオさんは怯むどころか薄く笑みを浮かべて言った。

「言ったわよ? チビ」

 その瞬間、ヨーコの頭からピューーっと湯気が立ち昇った。

「てんめぇ! ちょっと背が高くてスタイル抜群で髪サラサラで胸がでかくて声がキレイな上にメチャクチャ美少女だからって調子にのるなよ!」

 まあ、そんだけパーフェクト美少女なら調子にものるよね。

「言っておくが、胸は俺のほうがでかい!」

 そう言ってヨーコはブラウスのボタンを引きちぎって全開にした。

 白いブラジャーに包まれた自慢のFカップが惜しげもなくさらされる。

 うおぉぉーーーと教室にどよめきが起こった。

 身長は小学生並みのヨーコだが、胸だけはやたら育っている。

 勝ち誇った顔のヨーコに対してレオさんは、

「フン、でかけりゃいいってものじゃないのよ」

 そう言ってレオさんもブラウスを全開。

 ピンクのブラジャーに包まれた推定Eカップが惜しげもなくさらされる。

 うおぉぉーーーと再び教室にどよめきが起こった。

 うっかり見惚れるほど均整がとれた綺麗な体だった。

 クラスメイトの反応は互角。

「なら、全部見せて勝負だ!」

「のぞむところよ!」

 二人がブラジャーをめくりあげかけたところで、級長の空山君がストップをかけた。

 男子全員が恨みがましい視線を空山君に送ったが、表立って文句を言う者はいなかった。基本的に二年一組で空山君に異議を唱える者はいない。

 見計らったかのように授業終了のチャイムが鳴った。

 空山君はヨーコとレオさんにこう提案した。

 次の体育の授業で決着をつけたらどうか、と。



「体育といえば俺。俺といえば横綱。得意技は上手投げ」

 ヨーコが雲竜型の土俵入りで四股を踏んでいるのを見て僕は言った。

「一応言っておくと今日の体育は陸上競技であって、相撲ではないよ」

「えー、百烈張り手でシノブの顔ボコボコにするつもりだったのに」

「お前にそんなことされたら顔がボコボコどころか消し飛ぶわ!」

 体育の授業で僕ら二年一組はグラウンドに出てきていた。

 僕らが通う東綾瀬高校は、東京都内足立区に位置している。

 学校の周辺はほとんどが住宅地で東京都内としてはあまり都会っぽくない閑静な住宅街だ。

 東綾瀬高校は都内の学校にしては敷地が広く、三階建ての校舎に大体育館と小体育館があり、サッカーグラウンドと陸上トラックが併設された運動場に加え、野球グラウンドとテニスコートもある。そのためか運動部はどこも都内ではそこそこの強豪だ。

 一学年は十一クラスあり、全校生徒は1000人を超える。そのため体育の授業は三~四クラス合同で行うのが普通だ。僕らのクラスの場合はいつも一~三組の合同授業だ。

 陸上競技の授業では本来なら複数の種目に分かれて行うところなのだが……

「鉄人ヨーコと謎の美少女転校生が対決するんだって!」

 そう言ってはしゃぐのは二組と三組の生徒たちだった。

 授業の前に空山君が競技のデモンストレーションを名目にヨーコとレオさんの陸上競技対決を体育教師に提案したのだ。

 現在ヨーコとレオさんはそれぞれウォーミングアップをしている。

 四股を踏むヨーコに対して、レオさんは軽く体をほぐす準備運動をしていた。

 それにしてもレオさんは鉄人ヨーコと陸上競技対決なんてよく受けて立ったものだと思う。 まさか鉄人ヨーコの超人的身体能力を知らないはずもないだろうに。

 レオさんの顔に緊張の色は一切見えない。むしろ余裕すら見える。

 赤城さんがそんなレオさんの様子を見て言った。

「レオさんは最初から勝つ気はないんじゃないかな? ヨーコちゃんに勝てるわけがないのは皆分かってるから負けたって誰も何も言われないもの」

「まあ、それはそうだけど」

「むしろヨーコちゃん相手に果敢に立ち向かうことでレオさんの株は上がると思う」

 赤城さんの意見は筋が通っているのだが、何か引っかかるものがある。

 僕にはレオさんが負けることを前提に勝負をするような人間には見えないのだ。

 ヨーコとレオさんはウォーミングアップを終えると向き合って立った。

 腕組みして相手をにらみつけるヨーコに対して、レオさんは余裕を漂わせる笑みを浮かべていた。2人を囲むようにして他の生徒たちが見守る。

 体育教師の河合教諭が対決開始の宣言をした。

「これから二人にデモンストレーションをやってもらう。他の皆はよく見てろよ」

 生徒たちから拍手が起きた。同時に「ヨーコ様ぁ!」という声と「レオ様ぁ!」という声がほとんど同数くらいであがった。

 二、三組の生徒はレオさんのことを初めて見るはずだが、その美貌で一瞬にしてファンを獲得したようだ。ちなみにこの時レオさんに声援を送っている男子を一組の女子たちが殺し屋のような目でにらみつけていた。

 河合教諭がヨーコとレオさんに告げた。

「お前たちには砲丸投げをやってもらう」

 何で砲丸投げ? という生徒たちの顔を見て河合教諭は得意げに話し始めた。

「陸上競技の中で日本が最も世界と差がある競技は何だと思う? それは砲丸投げだ。砲丸投げの日本記録は世界のジュニア記録にも届いていないという事実を知らんだろう? 砲丸投げの世界記録は一九九0年アメリカの――」

 と砲丸投げに関するうんちくが延々と続いたのだが、ほとんどの生徒たちはまるで聞いていなかった。僕も河合教諭が熱弁を振るっている間、赤城さんらと数名で「せんだみつおゲーム」をして暇をつぶしていた。ナハナハ。

「――というわけで佐藤」

 河合教諭は熱のこもった口調でヨーコに言った。

「世界記録は二三m一二だ。軽く超えて日本人の底力を世界に見せつけてやれ!」

 要するに個人的願望でヨーコに砲丸投げをさせたいようだった。

 河合教諭はヨーコとレオさんそれぞれに砲丸を手渡す。

「まあ金星も精一杯がんばれよ」

 レオさんはどこか含みのある笑みを浮かべ、何も言わずに砲丸を受け取った。

 砲丸投げ対決は二人が交互に二回ずつ投擲を行うことになった。

 最初の投擲はレオさんだ。

 レオさんが砲丸を肩に乗せるように構えた。それを見て河合教諭が「ほう」と小さく感嘆の声を漏らした。僕は砲丸投げのことは全然分からないけれど、レオさんのフォームは素人目に見ても洗練されたフォームだった。

 レオさんがゆっくりとした助走から流れるような動作で砲丸を放った。

 その美しい投擲に見守る生徒たちから「おおお……」とため息が漏れた。

 綺麗な放物線を描いて地面に落ちた砲丸の位置を男子たちがすぐにメジャーで計測した。

 記録は十四m五。

 河合教諭が驚愕の声を上げた。

「おいおい……インターハイで優勝できる記録だぞこれは」

 うおおおおーー! と男子生徒中心に形成されたレオさん応援団が歓声を上げた。

 レオ様コールが巻き起こるなか、レオさんは特に誇るでもなく淡々とした表情で次に投げるヨーコに視線を送っている。

 ヨーコが砲丸を片手でポンポンもてあそびながら投擲位置についた。と、同時にゴミ箱に紙くずでもなげるかのようにヒョイと砲丸を放った。

 その気軽な動作からは考えられないような超スピードで砲丸が飛び、ズドンと重い音をたててグラウンドにめり込んだ。

 記録は二四mぴったり。世界記録をあっさり更新した。

 河合教諭が狂喜して小躍りし始める。

「出たぞ! 世界新記録だ! どうだ日本人舐めんなよ! わははははッ」

 一組男子のヨーコ様親衛隊を中心に形成されたヨーコ応援団も喜びの舞を舞う。

「こんなもん俺様にとっちゃ遊びだぜ遊び」

 ヨーコは軽く言い放ち、どーだと言わんばかりにレオさんに視線を向けた。

 レオさんは驚くわけでも怖気づくわけでもなく、わずかに微笑んでいた。

 もはや勝負は決していると誰もが思いつつも二回目の投擲に移る。

 投げる順番が入れ替わり、今度は先に投げるのはヨーコだ。

 ヨーコが投擲位置につくと、ふいにレオさんが口を開いた。

「ねぇ、ただ勝負するだけじゃ面白くないんじゃない?」

「あん?」とヨーコが眉をひそめた。

「負けた方は罰を受ける、というのはどうかしら?」

 レオさんの突然の提案に見守る生徒たちからざわめきが起こった。

 敗色濃厚どころか勝てる可能性は皆無であろうレオさんが何故そんな提案を?

 レオさんは言った。

「負けた方は裸でグラウンド100周する」

 なっ、何てことを!

 ヨーコは即答した。

「おういいぜ、やってやる」

 刹那、グラウンドが爆発した。

 うおおおおおおおおーーーーーーーーッッッ!!!!!

 男子生徒たちが狂ったように叫びだした。

 ヨーコ・レオさん両応援団のボルテージが急激に上がり、猛烈な応援合戦が開始される。

 僕はそこで気が付いた。

 先ほどまでヨーコを応援していたはずの男子たちがレオさんを応援していて、

 先ほどまでレオさんを応援していたはずの男子たちがヨーコを応援している。

 完全に応援する相手が逆転していた。

 どちらの応援団も目を血走らせて絶対勝ってくれと声援を送っている。

 とんでもないゲス野郎どもだった。

 女子たちは狂喜乱舞する男子たちを凍えるような白い目で見つめている。

 ヨーコは投擲位置で重さ四kgの砲丸を軽々片手でお手玉しながら言った。

「お前バカだな。どーせ勝負にならねぇのに」

 レオさんはわずかに口元を歪めたのみで何も応えなかった。

 対するヨーコもニヤリと笑って言った。

「俺様の本気を見せてやるよ」

 ヨーコは砲丸を野球のピッチャーの如くワインドアップで振りかぶり、

「オラァ!」

 思い切り空へ砲丸を投げた。

 重さ四kgの鉄球が放たれた矢のように飛び、雲を突き破って空の彼方へ消えていった。

 この投擲にギャラリーたちは「すごい」を通り越して「うわー……」と引いていた。

 河合教諭があきれて半分笑いながら言った。

「これじゃあ飛距離は測定できないが佐藤の勝ちで――」

「戻ってきたぜ」

 河合教諭の言葉を遮って、ヨーコが砲丸を投げた方向と逆の空を指差し言った。

 空の彼方から何かが飛来した。

 猛スピードで飛来したそれは黒くて丸い鉄の玉――ヨーコが投げた砲丸だった。

 砲丸はズドンと轟音を立ててグラウンドの地面に突き刺さった。

 その場にいた全員が唖然とするなか、ヨーコが言った。

「ただいまの記録は地球一周です、ってとこだな」

 信じられないといった顔で顔ワイ教諭が訊いた。

「地球一周って、まさか投げた砲丸が地球一周して戻ってきたってことか?」

 ヨーコは「おう」と頷いてみせた。

 うおおおおーーー! とギャラリーから驚きと興奮の叫び声が上がった。

 勝利を確信したヨーコ応援団からレオ様裸コールが巻き起こる。

 ヨーコは勝ち誇った顔でレオさんを見る。

「悪いな転校生。手加減してやりゃあよかったんだがよー」

 レオさんはフッと笑った。

 それはまるで大人が子どもを上から見下ろすかのような笑みだった。

 レオさんは言った。

「手加減してあげてたのはこっちの方なのよ」

「はあ? 何言ってんだてめぇ」

 レオさんは体操着のポケットから髪ゴムを取り出して長い金髪を結びながら言った。

「こんなチビが太陽系最強なんて言われているのは、まったくもって許しがたいわ」

 その時「あっ」と声を上げたのは赤城さんだった。

「あのポニーテール姿で思い出した。レオさんって……」

「なに? レオさんが?」

「ほら、さっき私レオさんをどこかで見たことがあるって言ったでしょ。思い出したの。あのポニーテル姿ネットニュースで見たことがあって――」

 赤城さんが思い出したという内容は金星レオという謎の転校生の「正体」だった。

 そしてヨーコとレオさんがどう関係するのかについても赤城さんは話してくれた。

「――だから、レオさんはこうしてヨーコちゃんの前に現れたんじゃないかな」

 赤城さんの話は推測も含むものだったけれど、僕はその推測は当たっていると思った。

 レオさんが投擲位置についた。

 ヨーコと同じように片手で砲丸を軽々振りかぶり、

「これが、私の真の力よ!」

 砲丸を空へ向かって投げた。

 レオさんの投げた砲丸は先ほどヨーコが投擲した砲丸と同等かそれ以上のスピードで雲を突き破り空の彼方に消えた。

 その場にいた全員が唖然とした。

 何が起こったのか理解できないといった顔で全員がレオさんを見つめていた。

 レオさんはギャラリーの反応など一切気にすることなく、砲丸が飛んでいった方向と逆方向の空を見上げた。

 砲丸が空の彼方から戻ってきた。

 砲丸はものすごいスピードでグラウンドに突き刺さり、轟音と共に土埃が舞った。

 レオさんの投げた砲丸はヨーコの投げた砲丸よりも一m程遠くに着地していた。

「私の勝ちね」

 勝ち誇った笑みを浮かべて言った瞬間、グラウンドに歓声と悲鳴が爆発した。

 レオさん応援団が狂喜乱舞し、ヨーコ応援団が絶叫する。

 ヨーコ様裸コールが巻き起こるなか、レオさんはヨーコに向けて言った。

「あなたより私の方が上。つまり、太陽系最強はこの私ってこと」

 その言葉を聞いて僕は確信した。赤城さんの推測はほとんdすべて当たっていた。

 レオさんは続けて言った。

「それじゃあ、敗者には罰ゲームを――」

「ちょっと待ったぁー!」

 レオさんの言葉を遮って、声を上げた人物がいた。

 その人物は二年一組武闘派女子、神谷かすみだった。

「ヨーコちゃんは負けてない」

 その場にいた全員の視線が神谷さんへ注がれる。

「これは二投勝負でしょ。二投の合計距離はヨーコちゃんが勝ってる」

 この主張に対して河合教諭が渋い顔で言う。

「投擲競技は最高飛距離を競う競技だからなぁ。飛距離合計というのは――」

「ダメだわ」

 会話教諭の言葉を遮ってレオさんが言った。

「私にとって勝利とは完全なものでなければならない。最高飛距離も合計飛距離も両方勝利しなければ勝利とはいえないわ!」

 レオさんはヨーコの鼻先をビシッと指差して言った。

「もう一度勝負しなさい。今度こそ完全にぶっ潰してあげるわ」

 ヨーコはニヤリと笑って言う。

「それは俺のセリフだ」

 謎の転校生VS鉄人ヨーコ第二ラウンド決定にギャラリーが沸いた。

「なあ転校生、せっかく勝負するならもっと勝負らしい勝負にしよぜ?」

「ふうん、SJPでもするつもり?」

 ……SJPって何?

 ヨーコは「いいや」と首を横に振って僕の方を見た。

「シノブ、お前は軍配を持て」

 ぐんばい?

 ヨーコは雲竜型の土俵入りで四股を踏みながら言った。

「俺様と相撲で勝負しろ!」



 鉄人ヨーコVS謎の美少女転校生第二ラウンド。

 相撲勝負を挑まれたレオさんは余裕の笑みを浮かべて答えた。

「その勝負受けてあげるわ。もちろん負けた方は裸でグラウンド百周して――」

「いいや」

 ヨーコはレオさんの言葉を遮って宣言した。

「負けた方は、一生裸で過ごす!」


 一 生 は だ か !!


 東綾瀬一帯に震度七の超巨大地震が発生した。

 人類の限界を突破した男子生徒たちの絶叫が東綾瀬の大地を揺るがした。

 全員テンションが振り切れすぎて意味不明な叫び声を上げまくっている。

 レオさんはヨーコの提案を「別にいいわよ」とあっさり了解した。

 一生裸――すなわち、朝から全裸で登校し、全裸で授業を受け、全裸で部活動をして、全裸で帰宅したら、全裸で入浴……は普通か。

 まさにリアル裸の王様状態だ。

 それははさすがに……と思った僕は、

「ヨーコ、いくらなんでも一生裸ってのは――」

 と意見を述べようとした瞬間、男子生徒たちが一斉に目を剥いて僕を見た。

 や、殺られるッ……!

 生命の危険を感じた僕は口を閉ざした。

 二年一組相撲部所属の山崎将男が僕の前に現れ、軍配を差し出してきた。

 軍配とは大相撲で土俵の中で「はっけよい、のこった」を言っている人が持っているうちわみたいなアレである。山崎の解説によるとあの人は「行司」と言い、勝負の決着を見届ける役割の人らしい。

 ヨーコが僕に「軍配を持て」と言ったのは勝負の決着を見届けろという意味なのだろう。

 いつの間にか応援団の連中がグラウンドに白線で土俵を作っていた。

 ヨーコとレオさんはその白線の土俵のなかに入って対峙した。

 僕も土俵に入って、テレビで見た大相撲中継を思い出しながら二人の中間に立った。

 ヨーコが拳を突き出して宣言する。

「一ラウンドでKOしてやるぜ」

「それは相撲じゃない!」

 ヨーコにツッコミを入れたところで気が付いた。

 そういえば、レオさんの正体は……僕は不安になって一応レオさんに訊いてみた。

「あの、レオさん相撲ってわかります?」

「当たり前でしょ。相撲中継くらいテレビで観たことあるのよ。相撲ってのは、まわしをつけた力士が竹刀で相手の面や胴を殴打する――」

「絶対相撲中継観たことないじゃん!」

「冗談よ……えっと、バットでボールを打つ九人制のスポーツでしょ」

「もう九人制って自分で言っちゃってるじゃん!」

「セスタと呼ばれるグローブでボールを壁に投げつけるインドアスポーツで――」

「何だそのスポーツ!?」

「ハイアライ」

「聞いた事もないわ! つーか、ふざけてないでちゃんと答えてください!」

「わかったわよ。相撲ってアレでしょ。馬に乗って障害物を乗り越える競技」

「馬って! てめぇ人を馬鹿にするのも大概にしやがれ!」

 レオさんは肩をすくめてから四股を踏んだ。きれいに足が上がった見事な四股だった。

 何だよちゃんと相撲知ってるじゃん。

 レオさんは腰を深く落とした姿勢で言った。

「一ラウンドでKOしてやるわ」

「知らないなら最初から言えよッ!」

 最終的に相撲部山崎によるルール説明を行って、やっと相撲対決の準備が整った。

 ヨーコとレオさんは互いに仕切り線上でそんきょの姿勢になった。

 ヨーコが右拳を地面につくとレオさんも右拳をついた。

 両者にらみあう。

 一瞬の間――後、二人の左拳が同時に地面を叩いた。

 両者鋭い立合い。

 立合いでより深く踏み込んだのはヨーコだった。

 頭から相手の胸に突き刺さるぶちかまし。

「オラァ!」

 常人ならば体が消し飛ぶヨーコのぶちかましをレオさんは正面から受け止めた。

 レオさんの上体がわずかにのけぞったが、それだけだった。

 レオさんはヨーコのまわし(が本来ある体操着の腰部分)を左右の手で掴んで両差しの体勢になると、そのまま一気に前に出る。

 ヨーコはレオさんの寄りを土俵際で踏ん張って止めた。

 ヨーコもレオさんのまわしを両手で掴んでレオさんを土俵中央まで押し返す。

 互角の展開にヨーコ・レオ両応援団は盛り上がる。

 押せ押せコールの連呼!

 ハダカコールの応酬!

 そして女子の白い目!

 押し合いで決着がつかないと見るや、ヨーコとレオさんは投げをうち合った。

 互いに相手の体を引っこ抜き合う。

「オリャァァーーーッ!」

「こんのぉぉーーーっ!」

 踏ん張る二人の足が地面にめり込んでいく。

 二人の力は拮抗していた。

「ほう。なかなか面白いことをしているようだな」

 と背後から声がした。

 振り返ると、そこに立っていたのは鮮やかなブルーの制服を着た女性が立っていた。

「あれ、リリアさん?」

 僕が名前を呼ぶと、彼女ヘビースター・エマ・リリアさんは軽く頷いた。

 あいかわらず目つきが鋭く、表情が乏しいせいか数年来の付き合いである僕ですら少し怖い。

 リリアさんは鮮やかなブルーの銀河警察の制服をキッチリ着こなし、白バイ風のバイクにまたがっていた。ちなみにこのバイクはただのバイクではない。銀河警察のハイパーテクノロジー的最先端技術によって生み出された空飛ぶバイクである。

 銀河警察とは全宇宙の平和維持を目的とした組織で、その地球担当官であるリリアさんが現れたということは、また新たな侵略宇宙人が出現したのだろうか。

 僕の疑問に答えるようにリリアさんが言った。

「今日はヨーコ君に礼を言いに来てみたのだが」

 リリアさんは空飛ぶバイクから降りてくると、鋭い目つきでジロリと僕をにらんだ。

 いや、別ににらんだわけではないのだろう。怒っているわけでも不機嫌なわけでもない。元々こういう目つきなだけだ。

「私が君をにらんだように見えるのは、元々こういう目つきなだからではなく、君が嫌いなだけだ」

「そーだったのッ!?」

「朝から『うんこトースト』を食べている君には嫌悪感を抱かざるを得ない」

「何でその話知ってるのッ!?」

「ツイッターに書き込まれていた。実名と写真付きで」

「人生終わりだぁーーーッ!」

「そんなことは別にいいんだが」

 とリリアさんは平然とした顔で話を打ち切った。

 表情が乏しいのも別に機嫌が悪いわけでも怒っているわけでもない。それも――

「それも君が嫌いなだけだ」

「ショック! 嘘でしょ!? 嘘って言ってよ!」

「嘘だ。リリアはシノブ君が大好きだにゃん☆」

「キャラ急変しすぎだろ! ついてけないって!」

 リリアさんは僕の反応を無視して、相撲勝負に目を向けた。

「で、なぜヨーコ君とレオ君が取っ組み合いをしているんだ?」

 僕はその質問には答えず、逆に訊いた。

「リリアさんはレオさんのことご存知なんですか?」

「宇宙は広いんですか? 当たり前の事を訊くな。太陽系第二惑星金星の“レオ”と言えば、その武勇を知らない者は太陽系でいない。“鉄人ヨーコ”と並ぶ太陽系のビックネームだぞ。まあ、自分の星以外の情報に疎い地球人は知らないのかもしれんが」

 赤城さんの言った通りだった。

 金星レオは金星人。

 そして、レオさんがヨーコに挑む理由は――

 僕は確認の意味も込めて、リリアさんに訊いてみた。

「レオさんがヨーコに勝負を挑むとしたら、なぜだと思います?」

「自分の方が強いと証明するため」

 リリアさんは即答した。

 今度は逆にリリアさんが僕に質問をしてきた。

「太陽系で最強の戦士といえば?」

「……鉄人ヨーコ」

 と僕が遠慮がちに答えるとリリアさんは頷いた。

「だろうな。おそらく太陽系の知的生命体なら誰だってそう答える。それがレオ君には我慢ならないのだろう」

 リリアさんの話は赤城さんの推測と完全に一致していた。

「金星人はプライドが高い。自分たちを太陽系最強の生命体と自負している。レオ君はその金星人のなかでも別格の存在だ。それが今では地球なんて原始人が住む惑星の住人に太陽系最強の座を奪われているのだから屈辱以外のなにものでもないのだろうさ」

 赤城さんは以前ネットニュースでポニーテール姿で戦うレオさんの映像を見たことがあるらしい。

 金星に侵攻してきた侵略宇宙人の艦隊をレオさんが追い払ったニュースで、その時レオさんは自分は太陽系最強だと豪語したのだが、報道関係者に「あなたは鉄人ヨーコよりも強いんですか?」という質問をされて激怒したらしい。

 太陽系最強の金星人であるこの私と原始人を比べるのか、と。

 リリアさんは組み合うヨーコとレオさんに目を向けて言った。

「なるほど。これは太陽系最強決定戦だ」



 相撲対決は力勝負になっていた。

 ヨーコとレオさんはがっぷり四つに組み合い、両者ともに踏ん張る足が地面にめり込むくらい力を込めて互いのまわしを引き付け合う。

 引き付け合いは互角。組み合ったままどちらの体も動かない。

 応援団も緊張のまなざしで勝負の行方を見守っている。

 膠着状態に痺れを切らしたヨーコが体を寄せて、レオさんの体を持ち上げにかかった。

「オッラァァーーッ!」

 レオさんの体が浮きかけたが、

「でりゃぁぁーーっ!」

 レオさんも渾身の力でヨーコの体を上から引っこ抜いた。

 その瞬間、両者の体が同時に弾け飛んだ。

 ヨーコとレオさんは、組み合ったまま空へ飛んでいった。

 リリアさんは空飛ぶ白バイにまたがり、至極冷静な顔で言った。

「さて、どちらが勝ったかな。シノブ君後ろ乗るかい?」

「乗ります!」

 僕が急いで後ろに飛び乗るとリリアさんは空飛ぶバイクを発進させた。

 ヨーコとレオさんが飛んでいった方向へ向かう。

 二人が落下したのは墨田区の一画だった。

 ヨーコとレオさんが落下したであろう建物の屋根には大きな穴が開いていた。

 その建物を見て僕は改めてヨーコの“強運”に感心した。

 そこは相撲の聖地、両国国技館だった。

 僕とリリアさんが屋根に開いた穴から国技館内部へ入っていくと大相撲の土俵が見えた。

 二人の決着は着いていなかった。

 これからが本当の戦いだとでも言うように、土俵の東西に分かれてヨーコとレオさんが対峙していた。

 国技館内には誰もいなかった。静まり返った国技館内には張り詰めた空気が漂っていた。

 館内に飾られた歴代幕内優勝力士の写真だけがヨーコとレオさんの取組を見つめてる。

 土俵上のヨーコとレオさんは裸足になっていた。

 確か土俵は女人禁制だったと思うけど、そこはもう気にしない。

 僕も素足になって土俵に上がった。

 無言でにらみ合う二人の間に立って、軍配を手で返して真っ直ぐに立てた。

 相撲中継で見た行司の記憶を呼び起こす。確か行司は勝負の時間が訪れた時、力士にこう告げるんじゃなかったか。

「時間です」

 二人はゆっくりと土俵中央へ歩を進め、仕切り線の前で同時に腰を落とした。

 そんきょの姿勢から、ヨーコが両拳を土俵についた。

 前のめりになった姿勢が小細工なしで正面からぶつかるぞと宣言している。

 レオさんはゆっくりと左拳から土俵に下ろしていった。

 その左拳が土俵に触れた。

 直後。

 レオさんの右拳が土俵を叩いた。

 立合い。

 鋭く踏み込んだのはヨーコ。

 矢のように頭からレオさんの胸に突き刺さっていった。

 レオさんの上体がわずかにのけぞる。

 だが、レオさんはヨーコ渾身のぶちかましを組み止めて、すかさず両上手をとった。そのまま小柄なヨーコにのしかかるように力を込めた。

「おおおりゃぁぁぁーーー!」

 レオさんはヨーコの体を上から押し潰しいく。

 ヨーコはレオさんの圧力に耐え切れず腰が沈んでいく。両足を踏ん張って押し返そうとしているが、それでも徐々に押し込まれていく。

 ヨーコが力負けしていた。

 正面からの力勝負で鉄人ヨーコが劣勢に立たされているのを僕は初めて見た。

 ヨーコはこの四年間、うんざりするほど多くの侵略宇宙人と戦ってきたけれど、一度だって力負けしたことなど無かった。ヨーコはいつでも圧倒的な力で相手をねじ伏せてきた。

 僕は鉄人ヨーコは無敵だと思っていた。

 でも、本当はそうじゃなかった?

 地球は宇宙の辺境にある小さな星のひとつに過ぎず、無限に広がる宇宙を知らずに生きてきただけで……僕らは井の中の蛙だった?

 ヨーコはレオさんに上から押しつぶされ、いよいよ腰は沈んでいき、あと少しで土俵に尻がつくところまで追い込まれていた。

 僕は行司という立場上、勝負には中立でなければならない。しかし、僕は心のなかで叫ばずにはいられなかった。

 負けないでヨーコ!

 レオさんは僕の願いを打ち砕くかのように、さらに一押し力を込めた。

「この私が、太陽系最強なのよッ!!」

 ヨーコの腰がガクンと沈んだ。

 しりもちをつくようにして、ヨーコは土俵に落ちた。

 勝負は決した。

「うそ……」

 僕は呆然としながらも、無意識的に軍配でレオさんの西方を差していた。

 その時。

「シノブ君、いいかな?」

 土俵下のリリアさんだった。

「物言い、というんじゃなかったかな。行司の差し違いを土俵下から指摘することを」

「えっ?」

 リリアさんはヨーコの尻を指差して言った。

「まだ土俵についていないぞ」

 僕はすぐにヨーコの後ろに回りこんで確認した。

 わずかにヨーコの尻と土俵との間には隙間があった。

 僕は叫んだ。

「の、のこった! のこった!」

 ヨーコの体が跳ね上がった。

 掴まれていた両上手を切って、レオさんの体を跳ね除けた。

 弾き飛ばされたレオさんは目を見開いてヨーコを見た。

 ヨーコはニヤリと笑った。

「これで、おあいこだぜ」

「……何のこと?」

「一回目の投擲でわざと負けてもらってる身としてはよぉ、こっちも一回は負けてやらなきゃなってなー」

 ヨーコは今わざと負けたふりをした?

 ヨーコはベキベキと拳を鳴らしながら宣言した。

「ここからはちょっと本気出してやるよ」

 レオさんが怒りの表情で応えた。

「そういう舐めたことする奴は、本気でぶっ潰してあげなきゃいけないわね」

 再び両者の視線がぶつかり合って火花を散らす。

 その時、入り口のドアが勢いよく開いた。

 入り口からなだれ込んで来たのは二年一~三組の生徒たちだった。

 グラウンドから僕たちを追ってきたのだろう。

 男子たちはすぐに東のヨーコ側と西のレオさん側に分かれ、怒涛の応援合戦を開始した。

 東のヨーコ陣営は、レオさんの応援を。

 西のレオさん陣営は、ヨーコの応援を。

 だから逆だろ。

 国技館が揺れるほどの大声援の中、ヨーコとレオさんはにらみあったまま再びゆっくりとそんきょの姿勢になった。

 二人は土俵の東西から、相手めがけて一気に突進した。

 土俵中央でぶつかり合う。

 レオさんがヨーコの頬を右の張り手で張った。

 ヨーコの顔が傾いたところへ、間髪いれずに左肘のかち上げ。強烈な一撃がヨーコのあごをとらえた。

 ヨーコの体がグラつく。

 レオさんはヨーコの両まわしを掴んで一気に寄る。

 ヨーコはあっという間に土俵際まで追い込まれた。

 ヨーコの応援団から「そのまま負けろぉぉー!!」と熱い声援(?)が飛ぶ。

 しかしヨーコは土俵際で俵に足をかけて踏ん張り、レオさんを組み止めた。

 右上手を素早くとると、ヨーコは笑った。勝利を確信したかのように。

「予告してやろう。上手投げでお前は負ける」

「なにをっ……!」

 ヨーコが右上手に力を込めた。

 レオさんはヨーコの上手投げに反応し、当然踏みとどまった――ように見えた。

 だが、踏みとどまったはずのレオさんの体がどんどん傾いていく。

「な、なんでッ!?」

 レオさんの声はほとんど悲鳴に近かった。

 左足が土俵から浮いたところでレオさんは体をよじってヨーコの右上手を切りにいった。

 しかしヨーコの右手はそこに溶接されたかのようにまったく切れない。

 ゆっくりと、レオさんの体が傾いていく。

 レオさんは必死にもがく。

「こんのぉぉーーーっ!!」

 渾身の力で傾いた体を引き戻そうとする。

 が、無駄だった。

「そんなはずが、ないッ!」

 左足が完全に浮き上がって自由を失い。

「この私が! 最強の生命体金星人の私がぁ!」

 傾ききった体はただ崩れていく。

「ちっぽけな星のサル相手にっ……!」

 残る最後の右足が、土俵から離れて――

「この私は! 太陽系最強の戦士! 金星レオなのよぉぉーーーッ!」

 レオさんの体が飛んだ。

 今度こそ勝負が決した。

 ヨーコが宣言通り、上手投げでレオさんを土俵に叩き付けた。

 僕は軍配を東のヨーコに差し向けた。

 ヨーコは土俵上で大の字になって呆然としているレオさんに言った。

「俺の勝ちだな」

 わっと歓声が上がった。

 まるで大相撲の優勝力士が決定したかのように、国技館に大歓声があふれた。

 レオさん応援団は狂喜乱舞して、踊ったり歌ったり感極まって号泣したりしていた。

 ヨーコの応援団は意気消沈して、うなだれたり崩れて倒れたり号泣したりしていた。

 だから逆だ!

 ヨーコはニヤニヤ笑いながら、茫然自失状態のレオさんに告げた。

「それじゃあ、今から例のヤツをやってもらおうか」

 負けた方がやることになっていた、例のアレである。

 国技館が静まり返った。

 邪悪な興奮を抑えて、男子たちがジッとレオさんを見守っている。

 先ほどまでレオさんを応援していた連中もすっかり立ち直ってキラキラ瞳を輝かせていた。

 もはや裸が見られればどっちでもいいらしい。

 レオさんは、ゆっくりと立ち上がった。

 ヨーコの正面に立つ。

 その顔から敗戦のショックが消えていた。これから行われることについての屈辱感も恥も悲壮感もない。むしろ、彼女は堂々としていた。なぜかその顔には自信が満ち溢れているようだった。私は一生裸でもまったく問題ないわ、いえそれどころか私は裸で一生いるべき存在ね、そんなことを考えているようにすら見えるのは気のせいだろうか。

 レオさんはヨーコを見据え、自信満々の顔で言った。

「私は負けてないわ」

 どぇぇぇーーーーーーーッッッ!!

 男子生徒たちがものすごい奇声をあげた。

「私は負けてないわ」

 力強く2度言った。

 レオさんは両手を腰に当て、胸を張って堂々と続ける。

「金星人には『負ける』という概念はそもそも無いのよ。最強の生命体だけに」

 男子生徒たちから猛烈な抗議の声が上がるが、レオさんは一切無視する。

「つまり、あんたは『勝った』かもしれないけど、私は『負けてない』」

 それを聞いてヨーコは、うーむと少し考えてからたずねた。

「要するに俺の勝ちってことか?」

「そうよ。あんたは勝ったわね。私は負けてないけど」

「んー、よく分かんねぇけど、ならいっか。俺の勝ちだし」

 えええぇぇぇーーーーーーーーーーーーーっっっっ!!

 男子生徒たちは口から魂が出るんじゃないかというくらい絶叫した。

 ヨーコはこう言っていた。「負けた方」が一生裸で過ごす。

 この戦いに「負けた方」は存在しなかった。

 いや、どう見ても存在してるけど、そういうことになった。

 つまり、誰も裸にはならない。

 男子生徒たちがその場に崩れ落ちた。全員即死だった。全滅だった。

 唯一健在の空山君が倒れた男子たち一人ひとりに声を掛けて起こしていく。

 その光景は――かつてのサッカーW杯アメリカ大会決勝戦。ブラジル対イタリア。大激闘の末PK戦で敗れ、ピッチに倒れこんでしまったイタリアの選手を一人ひとり抱き起こして回るR・バッジョのようであった。

 ただしアメリカW杯決勝の光景はスポーツマンシップに溢れていて美しかったけど、この光景には美しさの欠片もない。溢れているのは邪悪な願望の残骸だけである。

 その光景を横目にリリアさんが言った。

「残念だったなシノブ君。ヨーコ君の裸が見られなくて」

「何を言ってるんですかリリアさんは。まったく残念じゃないですけど」

「ああ、レオ君の方だったか」

「そういうことを言ってるんじゃない!」

 そもそも僕は――

「そもそもシノブは他人の足をなめ回すことでしか性的快感を得られない特殊な性癖を持っているからな」と、いきなりヨーコが言った。

 その途端、僕の周りにいた女子たちがそっと離れていった。

「おいヨーコ! 変なでたらめを言うんじゃない!」

「毎日俺の足をなめさせてくれと懇願してくるのには困る……」

「そんなことはしていない! ちょ、なんでみんな僕を軽蔑の目で見るの!? ち、違うよ! これはヨーコの作り話だよ!」

「昨日なんか俺が断ったら『一万円払うからお願い!』って土下座してきたのにはもう……」

「おいヨーコ! 僕を陥れるのは止めないか! 赤城さん僕はそんなことしないよ? 何で目をそらすの!? ってこらヨーコ! 断られた僕がさらに一万円積んで懇願したエピソードを披露するのは止めないか! そんな事実はない! あれ? なんで皆帰っちゃうの? ちょっと聞いて。おーい。ホントに? ホントに行っちゃうの? あれ? 僕これ無視されてるの? おーい……」

 僕を置き去りにして皆いなくなってしまった。

 最後に一人残ったリリアさんが気遣わしげな表情で訊いてきた。

「私の足なめるか?」

「なめねーよ!」



 太陽系最強決定戦の翌朝。

 僕は自室のベッドで目を覚ました。

 上半身だけ起こして、うーんと伸びをする。

 すぐ横で寝ていたヨーコが「ううん……」と寝返りをうって鋭い裏拳をくりだしてきた。

 ボヒュッ! と風を切る音とともに裏拳が僕の鼻先をわずかにかすめた。

 拳がかすった鼻から勢いよく鼻血が噴出。

「うおおぉっ」

 慌ててティッシュで鼻血をぬぐった。

 危なかった。ヨーコの寝返りひとつで命を失いかねない。

 こんなデンジャラスガールがなぜ僕の横で寝ているかと言うと、それは僕とヨーコは毎日一緒のベッドで寝ているからであり、それはヨーコがそうしないと眠れないからであり、それは別に変な意味など皆無で僕とヨーコがひとつ屋根の下に暮らす家族だからである。

 正確に言うとヨーコは戸籍上僕の「姉」にあたる。

 といってもあくまで戸籍上の話であって、僕とヨーコに血のつながりはない。そんな僕とヨーコの関係を簡単に説明するのは難しい。そして、あまり人に説明したくもない。

 僕とヨーコが今の関係に至るまでの話をするには、思い出したくない過去の出来事の話をしなくてはいけない。その出来事は僕とヨーコにとってとても辛い記憶だし、僕たち以外にもその出来事の話をするのも聞くのも辛い人がたくさんいる。

 僕とヨーコは十三年前に起きた大地震による津波で家族を失った。

 ああ……

 朝からどうしてこんなことを思い出してしまったんだろう。

 あの日から僕とヨーコはずっと一緒だった。

 震災で家族も住む場所も失った僕とヨーコは色々あった末にとある施設に入ることになるのだが、施設に入るまでにあった「色々」は……だめだ。今でも思い出したくない。

 詳しい話を省くと、僕とヨーコはあの地震の後、一緒に施設に入り、一緒に施設を出て、現在東京都足立区東綾瀬の老夫婦に養子として迎え入れてもらったのだ。

 僕とヨーコはその老夫婦――たい焼き屋のばあちゃんと時計職人のじいちゃんの家で四人で暮らしている。

 四人で暮らすようになったのは8年前。その時はまだ僕もヨーコも小学生だった。

 佐藤洋子が「鉄人ヨーコ」になったのは今から四年前、十二歳の時のことだ。

 四年前地球に初めて侵略宇宙人が襲来したあの日をきっかけにヨーコは全世界のために戦うことを決意した。その時運命的に出会った師匠にヨーコは「鉄人ヨーコ」へ鍛え上げられた。

 ……なんだか今日は色々なことを思い出してしまう。

 時計を確認した。

 色々思い出していたら少し時間がたってしまっていた。

 僕はすぐにヨーコを起こしにかかった。

 十三年間運命を共にしてきた姉(といっても僕とヨーコは同い年だ。僕のなかではヨーコは「姉」というより、どう考えても手のかかる「妹」だ)の体を軽く揺すって起こす。

「ヨーコ、朝だよ」

 僕が呼びかけるとヨーコは目を閉じたまま寝言を言った。

「うるせぇ殺すぞ」

「十三年間運命を共にしてきた姉に朝イチで殺すって言われたぁ(泣)」

 ヨーコは寝言を言ったきり起きる様子はない。

 早く起きないと遅刻してしまう。

 それでも僕は慎重にヨーコを起こす。なぜなら、プリキュアのキャラクターパジャマを着たこの小柄な少女は拳ひとつで富士山を消滅させるデンジャラスガールだからだ。

「よーこちゃん、朝ですよー」

「……」

「おきてー、よーこちゃーん」

「…………」

 反応がない。今日はなかなかに眠りが深いようだ。

 ならば仕方がない。急な目覚めを引き起こす危険性もあるが「覚醒ワード」を使うか。

「よーこちゃんの大好きな『あんこトースト』が待ってるよー」

 ビクッとヨーコの体が反応した。

 ヨーコのまぶたが少しずつ開いていく。

 ゆっくりと上半身を起こし、ヨーコは言った。


「………ねみゅい」


 ヨーコは極度のおねぼうさんだ。

 この十三年間、朝一人で起きたことはただの一度もない。

 毎朝僕が起こしてあげないと絶対に起きないのだ。

「おはようヨーコ」

「……シノブおはよ」

 ヨーコは半分寝ている状態であくびをしてから、僕に寄りかかってきた。

「だっこして」

「はいはい」と僕が抱きかかえてベッドから下ろしてあげると、

「シノブありがと」

 そう言ってヨーコはニコッと微笑んだ。かわいい。

 ヨーコは寝起き直後の意識が朦朧としている時が一番素直で可愛げがある。

 ヨーコが僕にお礼の言葉を述べるなどこの時くらいだ……って意識が朦朧としている時しか感謝の言葉がないというのはどういうことなんだ。

 僕とヨーコは自室のある二階から一階に下りた。

 洗面所で顔を洗うとヨーコは目が覚めていつものヨーコになる。

 僕は時計を気にしながらヨーコに声をかけた。

「ヨーコ急がないと遅刻しちゃうよ」

「うるせぇ殺すぞ」

「うわーん、起床直後は『シノブありがと。ニコッ』とかやるくせにぃ(泣)」

 朝食は毎日家族四人そろって食べている。

 ヨーコはいつも通りばあちゃんの用意してくれたあんこトースト五斤を爆速で平らげて、「んじゃ、行ってくるぜ」と家を飛び出した。僕もヨーコの後を追う。

 腕時計を見た。

 やばい、これは遅刻する。

 するとヨーコは「じゃ、俺先行くわ」と空を飛んでいってしまった。

「ず、ずるい! てか僕も連れていってよ」

 ヨーコは僕の声を完全スルーして飛んでいってしまう。

 僕はこの十三年間ヨーコのことを誰よりも大切にしてきた。

 ヨーコは僕にとって家族で、戦友で、僕の命と同等以上の存在でもある。

 でもヨーコは僕のことをどう考えているのだろう? ……たぶん、何も考えてない。

 いや! そんなことないよ、きっとちゃんと考えて………ないな。何も考えてない。

 ピューと飛んでいくヨーコを見て――ま、それがヨーコらしくていいかと思った。

「遅刻しちゃうー」

 僕は懸命に走った。



 僕は懸命に走ったが、奮闘むなしく五分ほど遅刻した。

 しかし教室に入ってみると担任はおろかクラスの1/3くらいはまだ来ていなかった。

 大丈夫なのかこのクラス……

 昨日のようにクラス全員(担任教師含む)が始業時間に間に合うことは稀である。

 僕を置いていったヨーコはちゃんと席についていた。そりゃあヨーコなら毎朝ハワイから登校してきたって間に合うだろうよ。

 僕が席につくと赤城さんが「おはよう」と声をかけてきた。

「シノブ君今日はめずらしく……もないけど遅刻だね」

 すかさずヨーコが答えた。

「ギリギリまでうんこトースト食ってたからな」

「その話はもうやめろ!」

 赤城さんは少し困ったように微笑み、そっとガムを差し出してきた。

「口臭対策に……いる?」

「いらないよ! 僕の吐く息がう○こ臭いとでも!? ほら息嗅いでみてよ」

 はぁーーーと赤城さんに息を吐く僕を見て、ヨーコは悲しそうな顔で言った。

「自分の口臭を他人に嗅がせることで興奮する特殊な性癖は学校では出すなってあれほど言っていたのに……」

「これ以上僕に変態的な属性をつけるのはやめろ! 赤城さんも冗談だから引かないで!」

 朝からうんこを便器五杯分食べて、他人の足をなめることと口臭を他人に嗅がせることに興奮する奴って、これ以上極まりようのない変態キャラじゃないか。すごすぎる設定だ。

 始業のチャイムから十分以上たっても本田教諭は姿を見せないため、本田教諭は寝坊したと判断した級長の空山君が手短に本日の連絡事項を伝えて朝のホームルームは解散となった。

 朝のホームルームが終わったのとほぼ同時にヨーコの制服のポケットから着メロが流れた。

 ベートーベンの『皇帝』だ。

 ヨーコはケータイを取り出し通話ボタンを押していっきなり喋り出した。

「あーもしもし、お宅の娘さんは預かった。無事に帰して欲しければ、今すぐ二千円用意して三十秒以内に渋谷ハチ公前に持って来い」

「身代金の額は大したことないけど時間が無茶すぎる! って、そんなふざけたことしてないでちゃんと電話にでなよ。相手はどうせリリアさんだろうけど」

「ん? ほい」

 なぜかヨーコは僕にケータイを差し出してきたので受け取った。

『どうせ私だが、何か文句でもあるのか?』

 やはり銀河警察地球担当官であるヘビースター・エマ・リリアさんだった。

「あ、おはようございます。何ですか? また侵略宇宙人ですか」

『そうなんだが、今回は少々事情が違う』

「と言いますと?」

『今から海王星に行ってもらいたい』

「はい? 海王星?」

 海王星って。たしか太陽系の一番外側にある惑星じゃなかったか。

 ヨーコが言った。

「海王星は一八四六年にヨハン・G・ガレによって観測された太陽系八番目の惑星で、地球からの距離は約一万四千光年。惑星の青色は未知の化合物によると言われている」

 なんで妙なところで博学なんだお前は……

『詳しいことは直接会って話す。今から屋上まで来てくれ』

 僕が返事をする前に通話は一方的に切られてしまった。

 僕が拒否するという選択肢はそもそもないらしい。まあ、いいけど。

 僕は級長の空山君に事情を話してからヨーコは連れて学校の屋上に向かった。

 屋上に着くとリリアさんが待ち構えていた。

 その横にはレオさんの姿もあった。言うまでもないが全裸ではなく、ちゃんと東綾瀬高校の制服を着ていた。

 リリアさんの表情はいつにも増して厳しい……気がする。僕のことが嫌いなだけではないとすれば、たぶんこれからリリアさんのする話はよくない話だ。

 リリアさんは僕とヨーコが現れるなりすぐに話を切り出した。

「つい先ほど銀河警察第七方面本部から太陽系に第二級緊急警報が発令された」

 何の前置きもない話に僕は控えめに挙手して言った。

「……あの、すみません。それってどういうことなんでしょうか?」

「簡単に言うと太陽系に非常に危険なものが迫っているということだ」

「危険なもの?」

「暗黒帝国だ」

 何それ? と僕はヨーコとレオさんの顔をうかがった。

 ヨーコはさっぱりピンときてない顔をしている。

 レオさんは少し難しい表情で言った。

「名前くらいは聞いたことがあるわ。あちこちで星の侵略を繰り返してる連中だとか」

「その通りだ。暗黒帝国は宇宙のあらゆる銀河で侵略行為を繰り返してる国家で、全宇宙で最も多くの銀河を制圧している国家と言われている。その暗黒帝国が太陽系に――」

 ヨーコがリリアさんの話を遮って言った。

「要するにそいつらをぶっ飛ばせばいいんだろ?」

 リリアさんは苦笑しながら頷いた。

「まあ、そういうことなんだが――我々銀河警察は海王星で暗黒帝国を迎撃するつもりだが、第七方面本部が迎撃部隊の編成に手間取っていてね。ひょっとすると敵の方が早く太陽系に到着する可能性がある。そこで君たちに協力してほしい」

 ヨーコとレオさんが同時に頷いた。

「俺が軽~く追っ払ってやるよ」

「太陽系の平和を守るのは、太陽系最強の生命体であるこの私にとって当然の務めよ」

 自信満々の二人に対し、リリアさんは戒めるような口調で言った。

「応援を頼んでおいて恐縮だが、無理はしなくていい。暗黒帝国は非常に危険だ。あくまで第七方面本部の艦隊が到着するまでに何かあった時の備えだ」

 リリアさんは腕時計(のようなもの)を確認し、

「ではさっそくだが海王星へ行こう――と言いたいところなのだが」

 言いたいところなのだが?

「海王星までいける宇宙船がない」

「どういう話の流れだよ!」

 結局海王星まで行けないって、今までの話全部いらなかったじゃん!

 リリアさんは表情ひとつ変えずに続ける。

「正確に言うと私が所有している宇宙船には二人しか乗れないのだ。そしてより正確に言うと操縦する私を除けば同乗できるのは一人だけだ」

 ヨーコが言った。

「じゃあシノブが部長殿と一緒に行けばいんじゃね?」

「どう考えても僕じゃないだろ!」

「じゃ、山崎が行くか」

 いつの間にか現れた相撲部の山崎が四股を踏みはじめた。なんでお前がここにいる!?

 レオさんがやれやれといった感じで口を開いた。

「仕方がないわね。グズでノロマなあんた達を私の高速宇宙艇で海王星まで連れて行ってあげるわ」

「レオさん宇宙船持ってるんですか?」

 レオさんは当然でしょとでもいいたげな顔で僕らに言った。

「さっさと行くわよ。ついて来なさい」

 僕たちはすたすたと歩き出したレオさんの後についていった。

 たどり着いたのは学校の職員駐車場だった。

 レオさんは駐車場に停まっている車のなかの一台を示して言った。

「これが私の高速宇宙艇。五人乗りよ」

 それは白いトヨタのクラウンだった。校長の愛車である。先月七年ローンを組んで買った新車だと全校集会で自慢していた。

「違うわよ。校長のクラウンはあっち」

 とレオさんが指差した先にも同じ白いトヨタのクラウンが駐車してあった。

「外観を地球に馴染むように特注で作ったのよ」

 レオさんはクラウン型宇宙船の運転席のドアを開けようとした。

 だが、ドアロックがかかっていた。

「あれ、おかしいわね……」

 レオさんは「でやッ!」とドアを無理やりこじ開けた。

 これ宇宙船なんでしょ? そんな乱暴に扱って大丈夫なの?

 レオさんが運転席に座りながら言った。

「あんた達も早く乗りなさいよ」

 レオさんに促されて僕らはクラウン型宇宙船へ乗り込んだ。

 助手席に僕、後部座席にヨーコとリリアさん、トランクに山崎。

「いや山崎はもういいって! ほら帰れ帰れ! 帰ってピザでも食ってろ!」

 全員が乗り込むとレオさんはポケットからエンジンキーらしきものを取り出した。

 しかしエンジンキーがうまく差さらない。

「あっれなんでかしら?」

 レオさんは強引に鍵をぶッ差してシリンダーごと無理やり回してエンジンをかけた。

 それを見ていよいよ気になったので僕はレオさんにたずねた。

「あの、これ校長のクラウンじゃないですか?」

「何言ってんのよ。私が自分の船を見間違えるわけないじゃない」

 ほんとかよぉ……

「じゃ、海王星まで一気に行くわよ」

 レオさんはクラウン型宇宙船を発進させた。いきなりアクセル全開だった。その場でタイヤスピンしてから急発進。急激な加速で体がシートに押し付けられる。クラウン型宇宙船は駐車場のフェンスに猛突進していく。

「ちょ、レオさん!」

 ガシャーン! とフェンスを突き破ってグラウンドへ突入。

 グラウンドでは体育の授業中の生徒たちが列を作っていたが、レオさんはお構いなしにアクセル全開で直進した。慌てて生徒たちが逃げていく。逃げ遅れた男子生徒を二名ほど撥ね飛ばした気もするがきっと気のせいである。

 アクセル全開でぐんぐん加速しながらレオさんが言った。

「それじゃあそろそろ飛ぶわよ」

 ちらりと視界に入ったメーターはすでに時速百二十kmを超えていた。

 その時、前方に体育館が迫っているのが目に入った。

 このままだと正面衝突する。

「ちょっとレオさん前! 体育館にぶつかりますよ!」

「大丈夫よ。ここからシフトをFに切り替えて飛ぶから」

「早く! 早くしないとぶつかりますって!」

「うるさいわね今シフトを……あれ? DはあるけどFがないわね」

「どゆこと? 何が起きてるの? つーかぶつかるぶつかる!」

「『F』はフライトのFなんだけど……あっ」

「何!? 何その『ヤッベ間違えた!』みたいなニュアンスの『あっ』って!」

「これ校長のクラウンね」

「やっぱりそうじゃねーか!」

 僕が怒号を上げた時、体育館の外壁はもう目の前だった。

 メーターの針は時速一四〇kmを超えていた。

 もちろんブレーキが間に合うはずがない。

 体育館の外壁に突っ込んでいく瞬間、僕の頭の中で人生の記憶が駆け抜けていった。

 これが走馬灯と言うやつかと思っていた視界の端で、レオさんが超スピードでドアを開けてジェームズ・ボンドみたいに車外へ脱出――ちょ、おまっ!――バックミラーを見るとヨーコとリリアさんも車外へ身を投げていた――いや、待っ――僕も急いでシートベルトを外して脱出しようとした時、クラウンは体育館の外壁に激突した。

「ぐわぁぁぁぁーーーーーッ!!」

 僕はフロントガラスを突き破って体育館の外壁に激突し、跳ね返ってボンネットに頭から落下して、クラウンのエンジンが爆発炎上して弾き飛ばされ、顔面から地面に叩きつけられた後、ゴロゴロと地面を転がってやっと止まった。

 瀕死の状態で地面に横たわる僕にヨーコが歩み寄ってきた。

「なぁシノブ今日の弁当何だっけ?」

「それ今訊くこと!? 僕の惨状を見ろ! 少しでもいいから労われよ!」

「よーし、脅迫して金品をまきあげてやる」

「誰が『いたぶれ』と言った! 『労われ』だ『いたわれ』!」

 僕は自分で自分の体を確認してみた。

 すごい! 僕全身血だらけじゃん!

 右腕がちぎれちて地面に落ちてるし、両足は膝から下が砕けて原型とどめてないヨ!

 やばーい!

「シノブ早く立てよ。今度こそ海王星行くってさー」

「立てるわけねぇだろ! いいかげんにしろ!」

 ヨーコはすたすたとレオさんの高速宇宙艇へ歩いていく。

 レオさんとリリアさんも僕には見向きもせずさっさと行ってしまう。

 お前ら絶対許さねぇ……!

 血の涙を流しながら僕は這いつくばって本物のレオさんの宇宙船に乗り込んだ。

 僕が助手席につくなりレオさんは言った。

「それじゃ行くわよ。海王星へ」

「何フツーに発進させてるのッ!? 瀕死の僕に何か言うことがあるだろ!」

「レオ君少し急いでくれ。暗黒帝国が来る前に海王星軍と連携をとりたい」

「おい銀河警察! 警察官なら瀕死の重傷者の保護くらいしろよ!」

「心配するな部長殿。この鉄人ヨーコ様がそいつら全部まとめてぶっ飛ばしてやるよ」

「ねぇ何で三人とも僕のこと無視するの? せめて『大丈夫?』の一言くらい言ってよ!」

「さーて、Fにシフトチェンジして一気に飛ぶわよ」

「なんで? ひょっとして本当は僕はすでに死んで幽霊になってるから誰にも見えていないとか? いやちょっとマジで心配になってきたよ。僕生きてるよね? ねぇねぇ。てか、ひどくない? 僕死にかけてるんだよ? 右腕とかちぎれちゃってるし。少しくらい優しくしてよ。あれ、何か泣けてきた。さ、さびしい。さびしいよぉー」

 僕らを乗せた高速宇宙艇は空を飛び、大気圏を突破して宇宙へと向かっていく。

 目指す先は一万四千光年先の海王星。

 その船内で僕は一人泣いていた。

「痛いよー、腕取れたよー、失血死しそうだよー、皆が無視するよー」



 海王星。

 名前の如くそこは大海原が広がる星だと思っていたのだが海王星に海は存在しなかった。

 それどころか、雑草一本生えていない荒野が地の果てまで続く殺伐とした星だった。

 冷静に考えてみたら地球から一万四千光年も離れた惑星にどうやって行くんだと思っていたら、途中でワープ(?)をしてわずか二十分ほどの宇宙旅行で海王星に到着した。宇宙テクノロジーすげぇ。

 現在僕らは海王星の軍事基地内にある宇宙船発着所のようなところで待機していた。

 リリアさんが海王星軍との作戦会議に出席しているので、それが終わるのを待っているのだ。

 ちなみに待っている間、僕は医務室に連れて行ってもらい交通事故で負った傷の治療を受けた。ちゃんと右腕もくっついている。宇宙テクノロジーすげぇ。

 しばらくすると作戦会議からリリアさんが戻ってきた。

 リリアさんは戻ってくるなり話を切り出した。

「さっそくで悪いんだが君たちの力を貸してもらいたい」

 ヨーコが拳を握った。

「まかせろ部長殿鉄人ヨーコ様が侵略者どもを返り討ちにしてやる」

 レオさんが不敵に笑った。

「太陽系最強であるこの私が軽く捻り潰してやるわ」

 山崎が四股を踏んだ。

「得意技は下手だし投げ」

「何で山崎がいる!? 邪魔だ邪魔! ほらトランクに入ってろ!」

 僕は山崎をトランクに無理矢理押し込んだ。

 そんな様子を完全にスルーして、リリアさんは通常通りの平坦な口調で言った。

「暗黒帝国の侵攻は想定よりも早かった」

「じゃあもうすぐ来るんですか?」

 リリアさんはそこで首を横に振って真上を指差した。

「もう来てる」

 突然、屋根が爆発して基地全体が大きく揺れた。

 とっさにヨーコが僕の体を抱き寄せてかばってくれた。

 たまには優しいところもあるじゃないか。いつもこうやってくれればいいのに。特に交通事故の時とか。特に体育館に猛スピードで衝突する交通事故の時とかな!

 爆発が収まったところで天井を見上げると、破壊された屋根の先に見える空に真っ黒な巨大UFOが浮かんでいた。

「な、なんですかあれは……」

 突然の襲来にも関わらずリリアさんは動揺した様子もなく答えた。

「暗黒帝国の宇宙船だ。予想外に到着が早かった」

 僕らの周りにいる海王星人たちが慌しく駆け回っている。次々と戦闘機と思われる宇宙船に乗り込み出撃していく。

 ヨーコが空に浮かぶ巨大円盤を見上げながらリリアさんに訊いた。

「部長殿。アレをぶっ壊せばいいんだな」

「その通りだ」

 答えを聞いた瞬間、ヨーコとレオさんがミサイルみたいな勢いで空へ飛んでいった。

 僕とリリアさんは二人の行方を目で追いながら基地の外へ出た。

 あらためて見上げた暗黒帝国の巨大円盤はハンパじゃなく大きかった。

 両国国技館の数倍は大きい。巨大円盤のいたるところに砲台が設置されていて、ひょっとすると千は軽く超えているかもしれない。それが嵐のような砲撃を地表に向けて打ち込んできた。

 対する海王星軍は三角錐型の小型戦闘機を次々と出撃させ迎撃を試みていた。地上では戦車型の砲台が基地から発進してきて巨大円盤に砲撃を行っている。

 だが、戦闘機のビーム砲も戦車の砲撃も巨大円盤の装甲に傷ひとつつけられないでいた。逆に海王星軍の戦闘機と戦車は次々と巨大円盤の砲撃に撃破されていく。

 ヨーコとレオさんは砲撃の嵐の中、巨大円盤の砲台に突っ込んでいく。

 ヨーコが拳で砲台を叩いた。

 鈍い音を響かせ鋼鉄の砲台が一つ潰された。

 レオさんも砲台を叩き潰し、二人で次々に砲台を潰していく。

 二人合わせて百以上は砲台を叩き潰した時だった。

 巨大円盤に変化が見られた。

「あれは?」

 巨大円盤の中心部分のハッチがゆっくりと開いた。

 そこから人影が飛び出した。

 上空から自由落下して地上に着地したそれは一人の少女だった。

 黒い髪の少女だ。

 もちろん、外見が少女に見えるだけでどんな宇宙人なのかは分からない。

 少女は黒い鎧を身に着けていた。体の各部に薄い金属板が貼り付けられた軽装の鎧だ。

 ヨーコとレオさんが少女に対峙するように着地した。

 少女は能面のような無表情で二人を見た。

 リリアさんが声を震わせ呟いた。

「あれはコバルト……!」

 いつも平静なリリアさんが慌てて叫んだ。

「ヨーコ君、レオ君気をつけろ! そいつは――」

 リリアさんが言い終える前にその少女――コバルトが動いた。

 標的はレオさんだった。一瞬で距離を詰めたコバルトはレオさんにパンチを放った。

 コバルトの拳がレオさんの胸に突き刺さった。

「えっ?」

 何が起きたのか分からなかった。

 いや、目の前に起こっていることがあまりにも想定外過ぎて頭の理解が追いついていない。

 コバルトの拳が、レオさんの胸から背中へと貫通していた。

 驚きと戸惑いの表情に固まったレオさんの体からコバルトの拳が引き抜かれた。

 真っ赤な血がレオさんの胸から噴き出す。

 こんな時に僕は金星人の血も赤いんだなと、どうでもいいことが頭に浮かんだ。

 レオさんの体から急速に力が抜けていき、その場に崩れ落ちた。

 倒れたレオさんは動かない。まるで死んだかのように。

 コバルトがヨーコに視線を移した。

 その時、僕はコバルトの瞳を見て寒気がした。

 コバルトの瞳には何も映っていなかった。

 真っ黒だった。

 誰にでもあるべき感情や理性はおろか、生気すら感じさせない。コバルトの瞳には生物が有しているはずの何もかもが一切なかった。どこまでも闇のように深く、光を飲み込んで消してしまうような漆黒の瞳でコバルトはヨーコを見た。

 その瞬間、僕は急に凄まじい悪寒に襲われた。

 こいつとヨーコを戦わせてはいけないと本能的な何かが訴えていた。

 ヨーコもコバルトを見た。

 両者の視線が絡み合った次の瞬間。

 ヨーコが仕掛けた。

 ヨーコはコバルトめがけて鋭く踏み込んで思い切り振りかぶったパンチを放った。ヨーコの拳がコバルトの頬に直撃したが、コバルトは微動だにしなかった。

 僕は思わず叫んでいた。

「うそ!?」

 コバルトが反撃にパンチを放った。ヨーコの胸に直撃した。ヨーコの体が大型トラックに撥ねられた子どものように後方へ弾き飛ばされた。

 背中から地面に叩きつけられたヨーコだったが、すぐさま立ち上がった。

 それを見たコバルトが初めて口を開いた。

「驚いた。殺すつもりだったのに」

 それは感情のこもらない呟きのような声だった。

 ヨーコは「ふーん」と気のない返事をして、汚れた制服を手ではたきながら言った。

「じゃあ俺も少し本気で殴るからな?」

 ヨーコはコバルトへ一直線に突進。

 コバルトの直前で腰を沈めて――

「オッッラァァァーーー!」

 右アッパーを放った。

 滅多に出さない鉄人ヨーコの必殺パンチだ。

 ヨーコの拳がコバルトのあごを跳ね上げた。

 しかし、それだけだった。

 コバルトは何事もなかったかのようにすぐさま反撃してきた。

 左右のボディブローがヨーコの両脇腹に突き刺さる。

 ヨーコの顔が痛みに歪む。

 僕ですらここ数年は見ていなかったヨーコの苦悶の表情だった。

 ヨーコの体がくの字に折れたところで、コバルトはヨーコの顔面を膝で蹴り上げた。

 ヨーコの顔面から鮮血が飛び散った。

「ヨーコ!」

 思わず飛び出した僕をリリアさんが後ろから組み付いて止めた。

「やめろシノブ君。殺されるぞ」

 その通りだった。僕が行ったところで何の役にも立たない。むしろヨーコの邪魔になる。

 僕は歯を食いしばって戦況を見守るしかなかった。

 コバルトが仰向けに倒れたヨーコに歩み寄り、片足を持ち上げた。

 その足で何をするのか分かった僕は絶叫した。

「やめろぉぉーーッ!」

 コバルトがヨーコの顔面を踏みつけた。

 骨の砕ける音と肉の裂ける音。大量の血が飛び散った。

 コバルトは何度も倒れたヨーコの顔面を踏みつける。

 もし今リリアさんに押さえられていなかったら、僕はあいつを殺しに行っていただろう。

 ヨーコがピクリとも動かなくなった頃、コバルトはようやく動きを止めた。

 コバルトの顔がこちらを向いた。

 リリアさんが僕の手を引いて言った。

「逃げるぞ」

 逃げる?

 ヨーコをここに置いて?

 そんなこと、できるはずないだろ!

 僕はリリアさんを振り払って、コバルトに向かっていった。

「やめろシノブ君!」

 僕はコバルトに対峙して、真っ黒な瞳をにらみつけた。

「僕が相手だ」

 僕とコバルトの距離は一mもない。

 お互い拳を繰出せば必ず当たる距離。僕は拳を振りかぶった。

 しかし、それよりも数段早くコバルトのパンチが僕に放たれた。

 コバルトの拳が僕の胸に突き刺さる直前に、その拳を横から現れた掌が受け止めた。

 ヨーコだった。

「弱えーくせに何やってんだよシノブ」

 そう言ってヨーコは血だらけでボロボロの笑みを浮かべた。

 僕は今すぐヨーコに飛びついてその体を全力で抱きしめたかったが、それはヨーコがコバルトを倒してからだ。

「俺にまかせてすっこんでな」

「うん……まかせた」

 僕はヨーコの戦いの邪魔にならないようその場から離れた。

 コバルトはヨーコに向けて無表情に言った。

「驚くくらい頑丈。こんな生物は辺境宇宙ではめずらしい」

 ヨーコはその言葉にへらへらと笑ってみせた。

「言っとくが、ノーダメージだぜ」

 そんなはずがないのは明らかだった。

 口元からのぞく前歯はすべて砕けて無くなっていたし、顔面の腫れ方は尋常じゃない。鼻からも口からも流血していて、足は痙攣している。

 ノーダメージどころか満身創痍だ。

 しかしヨーコはそれを楽しむかのように陽気な声で言った。

「さーて、第二ラウンドといくか。宇宙の彼方までぶっ飛ばしてやるぜ」

 ヨーコがコバルトに突撃した。

「オオオオッッラァァァーーーーッ!」

 咆哮を上げコバルトに拳を打ち込んだ。

 右拳がコバルトのみぞおちにめり込んだ。

 続けて左の拳。

 コバルトの顔面に直撃した。

 さらにヨーコはコバルトに密着するくらいに接近して右アッパーを放った。

 コバルトの上半身が勢いよくのけぞった。

 だが、コバルトはすぐに体勢を立て直し、少しも表情を変えずに殴り返してきた。

 コバルトのパンチがヨーコの腹をえぐる。ヨーコは思わず膝をついた。

 そんな……!

 コバルトは膝をついたヨーコの顔面を蹴り飛ばした。

 骨の砕ける音が響き、僕は全身に悪寒が走った。

 それでもヨーコは両足で踏ん張って、

「―――っがぁ!」

 気合で立ち上がった。

 ただし足元はフラフラだった。

 今のコバルトの蹴りでまぶたの上からダラダラと血が流れ、完全に目を塞いでしまっていた。

ヨーコはパンチを放ったが、いつものキレはなく、そのうえ目測を大きく外して空振りした。

 コバルトは容赦なくヨーコに拳を浴びせた。弾丸のようなパンチが顔にも体にも次々とめり込む。

 それでもヨーコは倒れなかった。鉄人ヨーコの意地だ。

 四年前のあの日以来、何にも屈しない無敵のヒーローになると決めた佐藤洋子の鉄の意志が生んだ鋼鉄の誓いだ。

 だが、その鋼鉄の誓いすらもコバルトはあっさり打ち砕いた。

 コバルトの上段蹴りがヨーコの側頭部を強打してヨーコは前のめりに倒れた。

「まだまだぁ……」

 ヨーコはゆっくりと立ち上がる。

 コバルトはそれを見て素早くヨーコの背後にまわった。両腕を首にまわして絞め上げた。

「――――っぇ!」

 首を絞められたヨーコは必死に耐えながらコバルトの腕をひきはがそうとするが、コバルトの腕は完全に決まっていて脱出できない。

「ヨーコ!」

 ヨーコはコバルトを振りほどこうと必死になったが、徐々にその動きが緩慢なものになっていく。ヨーコの顔から生気が抜けていく。

 もうだめだ。もう見てられない。

 僕が再びコバルトに飛びかかろうとしたその時、コバルトは突然ヨーコを解放した。

 コバルトは無言で空を見上げた。

 何だ?

 僕もつられて上空を見た。

 巨大円盤のさらに上空から、何かが急速に向かってきていた。

 それもかなりの数が。

 リリアさんが声を上げた。

「来たぞ! 第七方面本部の艦隊だ」

 上空に現れたのは鮮やかな青色の宇宙戦艦の大軍だった。

 その数は少なく見積もっても百機以上。銀河警察第七方面本部の戦艦のサイズは巨大円盤には遠く及ばないものの、海王星軍の戦闘機の十倍はある。それが見事な編隊を組んで一斉に暗黒帝国の巨大円盤に砲撃を開始した。巨大円盤も嵐のような砲撃で迎撃する。

 砲撃戦に突入したなかで、一機だけ僕らの方へ向かってくる戦艦があった。

 その戦艦から数十人の人影が飛び降りた。

 飛び降りてきたのは青と白の金属装甲に全身を包まれた人型ロボットだった。

 細身のシルエットで頭部には目玉のようなレンズが五つ埋め込まれていた。ロボットたちはコバルトにレンズを向け、その姿を確認すると円陣をつくって取り囲んだ。

 それを見てリリアさんが叫んだ。

「銀河警察の戦闘ロボットだ。彼らに任せてヨーコ君とレオ君を退避させるぞ」

 銀河警察の戦闘ロボットが一斉にコバルトに襲い掛かるのと同時に、二体のロボットがそれぞれヨーコとレオさんを回収して戦艦へ飛んだ。僕とリリアさんも戦闘ロボットに抱えられて戦艦へ乗り込んだ。

 戦艦の内部には銀河警察の制服を着た人たちが待ち構えていて、負傷したヨーコとレオさんを急いでどこかへ運んでいった。

 僕はその様子を呆然と見つめていた。

 リリアさんが僕に声をかけてきた。

「心配ない。銀河警察の名誉に懸けてヨーコ君もレオ君も死なせやしない」

 その言葉は僕の耳にほとんど聞こえていなかった。

 僕の心を支配していたのは、受け入れがたいひとつの事実。

 鉄人ヨーコが負けた。

 絶対無敵の僕のヒーローが悪に屈した。

 それは僕が生まれてはじめて見た―――佐藤洋子の敗北だった。


10


 コバルトとは何者か。

 リリアさんは銀河警察が知りうる全てを話してくれた。

 コバルトは暗黒帝国に属する戦士らしい。

 ただし出身、年齢、経歴等の情報は一切無い。コバルトについて唯一確かなことは、コバルトが侵攻した惑星は全て墜とされているということ。コバルトを撃退した者はなく、銀河警察も交戦した全ての戦いに敗北している。“絶対侵略者”というのがコバルトの異名らしい。

 リリアさんはめずらしく自嘲するような笑みを浮かべて言った。

「銀河警察としては不甲斐無いところだ」

 コバルトは一つの銀河を制圧するとすぐに姿を消してまた別の銀河で現れるということを繰り返しているらしい。

「十億光年以上離れた銀河で数分おきに現れたこともある。まるで異次元を自在に移動しているかのようだが、実際どんな手品を使っているのかは分かっていない」

 そもそも暗黒帝国という国家自体が謎に包まれているそうだ。

 既知の宇宙空間においては銀河警察に次ぐ広域勢力だという。ところが、どこで発生した国家なのかルーツは不明で、国家の組織形態も諸説あり実態は分かっていないらしい。

「確実に分かっているのはコバルトを含む何名かの存在と暗黒帝国がブラックホール機関を所持していること」

 ブラックホール機関という言葉は初めて聞く言葉だった。

 リリアさんはこれについて簡単に説明してくれた。

 ブラックホールとは極めて強い重力を持った巨大質量の天体のことだ。光すら飲み込まれたら出て来れないという解説は地球でもよく聞く。このブラックホールの強力な重力をエネルギーに変換して利用するのがブラックホール機関だという。そのエネルギー量は地球で利用されている核エネルギーの一兆倍以上だいうのだが想像もつかない。

「ブラックホール機関を有しているのは我々が知る限り、銀河警察と暗黒帝国だけだ」

 リリアさんはその他に海王星の攻防についてや今後の銀河警察の対応なども説明してくれたのだが、ヨーコの敗戦のショックでほとんど頭に入ってこなかった。

 それを察してか、リリアさんは船内の個室を僕あてがい休むよう言ってくれた。

 僕はあてがわれた個室の椅子に腰掛け、ヨーコとコバルトとの戦いを思い出してみた。

 コバルトは強かった。

 冷静になって振り返るとヨーコに勝機らしい勝機は一切なかった。

 完全敗北だ。

 ヨーコが負けるなんて概念がそもそも僕の頭の中から抜け落ちていた。

 ヨーコが無敵なのは僕にとって空気があることと同じくらい当然のことだったのだ。

 それが今、僕のなかで壊れてなくなった。

 無敵の鉄人ヨーコが無敵でなくなったことの喪失感……と言えば簡単なのだが、それだけではない何かが僕のなかで変わってしまった。

 それが何なのか自分でもよく分からない。

 ただ、悲しさや悔しさ以上の大きな負の感情が僕の心を蝕んでいることは確かだった。

「そうだ。ヨーコとレオさんは……」

 コバルトとの戦いで重傷を負ったヨーコとレオさんは現在緊急治療を受けている。

 そういえば、リリアさんは二人の容態について詳しいことは何も言わなかった。

 嫌な予感がした。

 僕はすぐに個室を飛び出した。

 二人の容態を確かめなければならない。

 通路にいた銀河警察の人に2人が運ばれた場所を聞くと全力で走った。

 いくつか通路の角を曲がったところで辿り着いた。そこはガラス張りの手術室のような部屋だった。手術室の中央にある手術台の上には、血だらけの東綾瀬高校の制服を着た少女が横たわっていた。

 ヨーコだ。

 手術台に横たえられたヨーコの周りを医師と思わしき白衣の人物たちが囲んでいた。

 医師に囲まれているためヨーコの体は血だらけのスカート部分がわずかに見える程度で詳しい様子は分からない。ただ、医師たちの様子から手術が難航していることは素人目にも明らかだった。それを見つめていた時、背後から声を掛けられた。

「シノブ君」

 リリアさんだった。

 リリアさんは僕の目をまっすぐ見つめて言った。

「はっきり言っておこう。恐らく彼女は助からない」

「え」

 時間が止まった。

 リリアさんはゆっくりと首を横に振った。

「傷があまりにも深すぎた。必ず助けると言ったのに……すまない」

「そんな……」

 手術室のドアが開いて一人の医師が出てきた。

 医師は無念そうに顔を歪め、リリアさんに報告した。

「たった今、死亡を確認しました」

 リリアさんは「そうか」とだけ言った。

 うそだ……

「よ、よ……ヨーコ、が?」

 僕はその場に崩れ落ちた。

 視界が歪んで見えなくなる。体の内側から激しい感情がわき上がって呼吸するのが苦しくなる。僕はその場にうずくまり、こみ上げてくる何かを必死に堪えた。

「よぅこ、がっ……」

「なに泣いてんだお前」

「だってヨーコがぁーあぁぁー……ってあれ?」

 見上げるとヨーコが立っていた。傷一つ無い姿で。ピッカピカの制服を着て。

「生きてるじゃん!」

「何言ってんだお前。俺様が死ぬわけねーだろ」

「え、じゃあ……」

 手術室に横たわる制服の少女は――

 リリアさんが言った。

「ああ、レオ君今死んだってさ」

「軽ッ! 軽すぎる!」

「そんなことよりも――」

「そんなこと!? レオさんの死についてたった一言で終わらせちゃうの? レオさんは太陽系のために戦って死んだのにヒドくない?」

 ヨーコが言った。

「でもあいつ一撃でやられたから実質戦ってないぞ」

「辛辣すぎる! 実際そうだったけど!」

 リリアさんが先ほど僕が遮った話を再開した。

「そんなことよりも、ヨーコ君がだな……」

 ヨーコは胸の前で左右の拳をガツンと打ち合わせて言った。

「俺は今から海王星に戻る」

 リリアさんが「そう言って聞かないんだ」と困惑の表情を浮かべる。

「ヨーコ君気持ちは分かるが、少し落ち着きたまえ」

「あいつをぶっ潰さなきゃ気がすすまねぇ」

「ちょ、ちょっとヨーコ?」

「あの野郎との決着がまだついてねぇ。俺はまだまだやれた」

 まだまだやれたって……

 ヨーコは僕らに背を向けて「じゃ、行ってくるぜ」と歩き出した。

 僕は反射的にヨーコの体に飛び付いた。

「ダメだヨーコ」

 ヨーコは歩を止めて、ギロリと僕をにらみつけた。

「……何だよ?」

「行っちゃダメだ」

 僕は懇願した。

「行かないでヨーコ。次は、死んじゃうよ」

 ヨーコの気配が変わるのが分かった。低い声で言い返してくる。

「シノブは、俺があいつに殺されるって言いてぇのか?」

 それは――

 僕が答える間もなく、ヨーコは語気を荒げて続けた。

「俺があいつより弱いってことか? 俺はあいつに勝てないってことか?」

 僕は沈黙した。

「俺は無敵の鉄人ヨーコだ。どんなヤツが相手でも絶対負けねぇ」

「でも今回ばっかりは――」

「うるせぇ!」

 ヨーコが怒鳴った。本気で。数年ぶりに。

「俺は絶対勝つんだ! 戦ったこともねぇお前なんかに何が分かるんだよ!」

 お前なんか……だって? 僕がどれだけヨーコの事を考えていると思って――

 その瞬間、僕の体の中で何かが弾けた。

「そんなの――」

 体のなかで激しい感情が暴れまわっているのを抑えられず、僕はそれを口にした。

「そんなのただ自信過剰なだけだろ」

 一度口に出したら後はたがが外れたように僕は一気にまくし立てた。

「ヨーコはあいつに全然歯が立たなかったじゃないか! 今回は運よく助けられただけで次は殺されるに決まってる! それくらいのことが何で分かんないんだよ!」

 言い終わってから、ヨーコの顔を見て僕は後悔した。

 その顔は見たことがないくらいの無表情になっていた。

 ヨーコは無言で僕を突き放すと歩いていってしまった。

 今止めなければヨーコは行ってしまう。

 それが分かっているのに、僕は動くことができなかった。

 ヨーコがリリアさんの横を通り抜けていく。

 リリアさんもまた、何も言わなかった。

 その姿が通路の角を曲がって消えた時、なぜだか涙があふれてきた。

 自分でもどうして泣くのかよく分からなかった。

 リリアさんがヨーコの去っていった通路を見つめながら言った。

「ヨーコ君泣いてたぞ」

「え……」

 ヨーコが泣いていた?

 嘘だ。

 だって僕はヨーコが泣いたところを一度も見たことがないんだ。


11


 ヨーコが行ってしまった後、僕はリリアさんと二人で船内の個室にいた。

「なあシノブ君」

 リリアさんはいつもの仏頂面で言った。

「レオ君の葬式は仏葬でいいかなぁ?」

「よくねーよ! 今すぐ宇宙人のハイパーテクノロジー的なやつで頑張って蘇生しろ!」

「すでにレオ君の遺体は宇宙空間に排出した」

「鬼すぎる!」

 突然、個室のドアが開いた。

 ドアを開けて入ってきたのは金星レオだった。

「レオさん!? 死んじゃったんじゃなかったんですか?」

「私が死んだって? バカ言わないでちょうだい」

 レオさんは長い髪をかき上げながら事も無げに言った。

「金星人はこの程度じゃ全然死なないわ。金星人は神に選ばれし特別な――」

 レオさんは太陽系最強の生命体と呼ばれる金星人がいかに強靭でいかに優秀でいかに特別な存在かを長々と説明してくれたのだが、自己陶酔全開の自慢話だったので全然聞いていなかった。僕はその間リリアさんと二人で「せんだみつおゲーム」をしていた。ナハナハ。

「――というわけで、金星人は危機と困難と苦痛を乗り越えるたびに強くなるのよ」

 自慢話に区切りがついたところで、リリアさんが切り込んだ。

「二人ともこれからのことを少し話していいかな」

 レオさんはすぐさま言った。

「私は海王星にあいつをぶっ殺しに行くわ」

「ああ、いんじゃない」と興味無さそうに生返事するリリアさん。

「ヨーコは引き止めるのにレオさんにはその対応ってヒドくない!?」

「行ってくるわ」

 早速部屋を出て行こうとするレオさんにリリアさんが言った。

「レオ君、海王星にコバルトはもういないぞ」

「なんですって?」

「海王星はとっくに攻略された。コバルトは海王星から姿を消したよ」

 それを聞いて僕はリリアさんに飛び付くような勢いでたずねた。

「じゃ、じゃあひょっとしてヨーコとコバルトは……?」

「遭遇していない」

 僕は胸を撫で下ろした。ただ同時に、胸が痛むような気持ちにもなった。

 ヨーコとコバルトが遭遇しなかったことに安堵するということは、僕はヨーコがコバルトには勝てないだろうと思っていることに他ならないからだ。

 僕の無敵のヒーローはもう無敵ではない。そう認めてしまっていることが心苦しかった。

 リリアさんが状況を詳しく説明してくれた。

「残念ながら銀河警察第七方面艦隊は海王星から撤退した。コバルトと交戦した戦闘ロボット部隊は全滅。コバルトに損傷はなし。海王星軍も降伏した」

 リリアさんは無念そうに顔を伏せた。

「不甲斐なくて申し訳ない」

 リリアさんの責任ではないですという言葉を掛けるべきか逡巡している間にリリアさんは顔を上げて言った。

「現在中央統括本部へ援軍要請を送っている。心配ない。中央統括本部の部隊は精鋭だ」

「中央統括本部、ですか?」

「ああ、すまない。シノブ君には我々の組織について詳しく話したことはなかったか」

 リリアさんは簡単に銀河警察について説明してくれた。

 銀河警察は既知の宇宙空間を第一~八方面に分割し、それぞれに方面本部を設置して宇宙の平和維持活動に従事しているという。

 銀河警察は第一方面宇宙を「宇宙の中心」と定め、そこから外側へ広がっている宇宙を第二~八方面宇宙と定めているそうだ。ただしこれはあくまで銀河警察が現在確認できている宇宙空間を任意に分割しているにすぎないので、第一方面宇宙が本当に全宇宙の中心というわけではないという。

 太陽系は第七方面宇宙に属していて、第一方面宇宙から遠く離れていることから「辺境」と呼ばれているらしい。

 この第一~八方面本部を統括するのが「中央統括本部」で、リリアさんはその中央統括本部にコバルト討伐部隊の派遣を要請したのだという。

 僕はリリアさんに訊いた。

「その人たちなら、コバルトが倒せますか?」

「倒すさ。いや倒さなければならない。それが銀河警察の存在意義でもある」

 リリアさんの言葉は客観的な見解というよりは、自分たち銀河警察のプライドと使命感から出た言葉のように感じた。

 説明を聞き終えたタイミングで、個室のドアがノックされた。

 リリアさんがドアを開けると銀河警察の制服を着た若い女性が立っていた。

  彼女は深刻そうな顔で言った。

「ヘビースター巡査部長。ご報告したいことが二点ほど……」

 リリアさんはその報告がよくないものであることを察知してか部屋の外へ出ていった。

 その数秒後、部屋の外からリリアさんの怒声が聞こえてきた。

 ――ふざけるなっ!! 誰がそんな決定をした!

 正直驚いた。

 あのリリアさんがこんな怒鳴り声を上げるなんてことがあるのか。

 よく聞き取れないが、相手が何か答えるとリリアさんは猛烈な勢いでまくしたてている。何度かそんなやりとりがあった後、ドアを乱暴に開けてリリアさんが部屋に戻ってきた。

 僕は遠慮がちにたずねた。

「……あの、どうしたんですか?」

 リリアさんは怒りを鎮めるようにゆっくりと椅子に腰掛けた。

 一度深呼吸をしてから、吐き捨てるように言った。

「中央統括本部は、太陽系へ援軍を送らないつもりだ」

「えっ……」

 リリアさんは握り締めた拳を荒々しく自分の膝に叩き付けた。

「統括本部は『辺境宇宙の銀河』と『本部戦力の痛手』とを天秤にかけたんだ! コバルト討伐に本部戦力を投入して消耗させるくらいなら、たかが辺境の銀河ひとつくらい暗黒帝国にくれてやってもいい。そう判断した」

 僕は言葉を失った。

 レオさんも厳しい顔をして沈黙する。

 リリアさんは歯を食いしばり、怒りに震える声で言った。

「こんな決定、許されるはずがない……! 統括本部にとっては“たかだか辺境の銀河のひとつ”なんだろうがな、この銀河には数百億の生命が暮らしているんだぞ。それを見殺しにするだと?」

 リリアさんは、腹の底から絞り出すような声で言った。

「それが宇宙の平和のために戦う銀河警察のすることかッ……!」

 リリアさんは泣いていた。

 悔し涙だ。

 僕はなんの言葉もかけられなかった。

 本部の決定は彼女の意思ではない。しかし本部の決定に彼女は従う以外にはない。それが組織に属する人間の定めだ。

 リリアさんは涙を拭うこともせず、呟くように言った。

「私は、自分の星が無いんだ……」

 唐突な話だった。

 しかし僕とレオさんはリリアさんの話に無言で耳を傾けた。

「私の故郷の星は侵略戦争によって滅ぼされた。大規模破壊兵器によって、惑星ごと跡形も無く消滅した。家族や仲間、住む場所、そこで過ごしたたくさんの思い出……全てが消失した。故郷の星が消滅した時のことは、今でも夢に見る」

 リリアさんの気持ちが僕には分かる。

 僕もまた津波によって何もかもを失っている。

 その衝撃は一生消えはしないだろう。深く心に刻まれた痛みはいくら時間が経ったとしても完全に癒えることはなく、ふとした時に何度でも甦ってくるのだ。

 リリアさんはとても寂しそうに言った。

「私には帰る場所が無い。それがどれほど悲しいことか……統括本部の連中には分かるまい。私はもう誰にもそんな思いはさせたくない。だから私は銀河警察に入った。それが、こんな体たらくだ。情けない」

 リリアさんは涙を拭って、僕とレオさんの顔を見た。

「私はヨーコ君が羨ましい。レオ君のこともね。君たちは大切なものを自分自身で守れる力を持っている。それがとても羨ましく、憧れるよ。そして敬意を抱いてもいる。君たちはある意味、私の理想のヒーローだ。私ではどうあってもヨーコ君やレオ君のようにはなれないからな。だから、その力は大切にしてほしいと願っている」

「リリアさん……」

 僕の目を見てリリアさんは小さく笑った。

「心配するな。こんなことで私は自暴自棄になったり、銀河警察に失望して辞めたりもしない。そんなことは子どものすることだ。私は絶望しない。どんな困難にぶつかってもあきらめたり嘆いたりはしないと、故郷を失ったあの日に誓ったからだ」

 その言葉は、僕とヨーコの誓いとまったく同じだった。

 僕の心にチクリと痛みが走った。

 あの日、互いに誓ったヨーコと僕は今……

 リリアさんは一度目を閉じて大きく息を吐いた。そして目を開けた時には、何事にも動じないいつものリリアさんになっていた。

「なにか方法を考えよう」

 リリアさんはそう言って席を立った。

 前だけを見て、まっすぐ困難に立ち向かっていくその姿は、かっこよかった。

「リリアさんだって立派なヒーローですよ」

 思わず口から出た僕の言葉にリリアさんは少しだけ驚いた顔をした後「ありがとう」と微笑んだ。僕が初めて見るリリアさんの笑った顔だった。

 リリアさんは部屋のドアを開けたところで振り返った。

「ああそうだ。先ほどの報告にはもうひとつあってな。残念なお知らせだ」

「な、なんですか……?」

 うむ、と深刻そうな顔で頷いたリリアさんはその事実を告げた。

「海王星に山崎君を置き去りにしてきてしまった」

 そういえばレオさんの高速宇宙艇のトランクに押し込んだままだった。

 僕とレオさんとリリアさんは互いに無言で見つめ合い、

「……」

「……」

「……」

 そして頷きあった。

 まあいいか、と。


12


 ヨーコが行方不明になった。

 コバルトとの再戦のため海王星に飛んでいったところまでは、銀河警察の戦艦がレーダーで捕捉している。その後のヨーコの行方が分からなくなった。

 ヨーコのケータイにかけても、電源が切れているか電波の届かないところにいるとのメッセージが流れるだけだ。

 そしてコバルトの所在も不明だ。

 海王星に出現した暗黒帝国の巨大円盤型宇宙船は海王星を制圧した後姿を消した。

 海王星は……僕らが撤退してから数時間後に消滅した。

 そこに暮らしていた何億という生命が全て殺された。

 海王星はブラックホールに惑星ごと飲み込まれて消えたそうだ。

 リリアさんが言うには暗黒帝国のブラックホール機関の「餌」にされたのだという。

 それを聞いて僕は絶望的な気分になった。

 コバルトがやってきたら地球も同じように消される?

 その質問に対して、リリアさんは曖昧な答えを返してきた。

 地球や天王星サイズの惑星をブラックホール機関に取り込んだところで「足し」になるとはとても思えないらしい。海王星は単に利用価値が無いと判断されて消されたのではないかというのがリリアさんの推測だ。

 つまり地球がどう判断されるかによって運命は変わってくるということだ。

 いずれにしても、近いうちに消えたコバルトは次の惑星侵略に姿を現すだろう。

 リリアさんの予測では次は天王星だろうという。太陽系第七惑星で海王星から最も近い距離にあるからだ。暗黒帝国が太陽系の惑星を外側から侵略していった場合、銀河警察の予測では最短で三日後には地球に到達するだろうと言っていた。

 残り三日。

 それが地球に残された時間だ。

 僕は公園のベンチで頭を抱えた。

 東綾瀬の住宅街にある小さな児童公園に僕はいた。周りには誰もいない。

 銀河警察は僕を海王星から地球まで送り届けてくれた。地球に戻った時にはまだ午後の授業がやっている時間だったが、出席する気にはなれなかった。

 リリアさんは僕を送り届けた後、少し用事ができたと言っていなくなった。

 レオさんも姿を消してどこへ行ったのかは分からない。

「ヨーコ……」

 三日後にはコバルトが地球にやってくる。その時誰が地球を守るのか。

 地球上の誰もが鉄人ヨーコの名を呼ぶはずだ。

「でもヨーコは……」

 ヨーコはきっとコバルトには勝てない。次は間違いなく殺される。

 そんなのはダメだ。

 絶対にヨーコを戦わせるわけにはいかない。

 じゃあどうする? 誰がコバルトを止める?

 そもそもコバルトに挑もうとするヨーコを止めることなんてできるのか?

 銀河警察中央統括本部の救援も見込めない。

「どうすれば……」

 もし僕に力があれば、僕が――

「シノブ君」

 はっとして顔を上げると、目の前に赤城さんが立っていた。

 どうしてここに?

 赤城さんは不安と安堵が入り混じったような顔で言った。

「ヨーコちゃんもシノブ君も帰って来ないから心配したよ」

「あ、うん……ごめん」

「海王星が侵略宇宙人に消滅させられたってニュースで見たよ。詳しくは報道されていないけどヨーコちゃんとシノブ君、関係してるよね?」

 僕はどう話せばいいのか分からず頷くことしかできなかった。

 僕の様子を察してか、赤城さんはそれ以上は何も訊いてこなかった。

 赤城さんは僕の隣にそっと腰掛けて言った。

「……大丈夫?」

 赤城さんの一言に涙がこみ上げてきた。

「よ、ヨーコを、をっ……」

 嗚咽が堪えきれず、言葉に詰まった。

 赤城さんは何も言わずに僕が落ち着くのを待ってくれた。

「ヨーコを、っ……僕はヨーコを、泣かせちゃった」

 結局僕が口にしたのはそれだった。

 言葉にした途端、堰を切ったように涙があふれ出てきた。

 それ以上何も言えなかった。

 赤城さんは僕の背中を撫でてくれた。

「そんなに本気で泣いてくれる人がいてヨーコちゃんは幸せだよ」

 その口調は僕を慰めるためではなく、心からそう思ったから素直に口にしたというような口調だった。

「シノブ君はヨーコちゃんのことが本当に大切なんだね」

 赤城さんは少し茶化すように続けた。

「ちょっぴり焼けちゃう」

 その言葉に僕は少し苦笑した。

「あ、笑ったなぁ?」

「いやごめん。ありがと」

「いえいえ」と赤城さんはやさしく微笑んだ。

 赤城さんは僕の目をじっと見て言った。

「何があったの? 何でも聞くよ」

 ありがたかった。たったその一言で心が軽くなった気がした。

 僕は赤城さんに海王星へ行ってからの事を全て話した。

 話を聞き終えた赤城さんは言った。

「ヨーコちゃんもシノブ君も不器用だね」

「……どういう意味?」

 赤城さんは僕の質問には答えず、逆に質問してきた。

「あのさ、もしシノブ君がヨーコちゃんと同じくらい強かったらどうする?」

 それはまさにさっき僕が考えていたことだった。

「きっと地球にそのコバルトって人がやってきたら戦うんじゃない?」

 その通りだった。

 赤城さんは僕の顔をのぞきこむようにして訊いてきた。

「なんでそう思うの? だって勝てそうも無いんでしょ? 殺されちゃうんでしょ? じゃあなんで戦うの?」

 そんなの決まっている。

 ヨーコを守るためだ。

「きっとヨーコちゃんも同じ気持ちなんじゃないかな」

 その言葉で僕は電撃的に理解した。

「ヨーコちゃんだって分かってると思うよ。今回の相手は勝てないかもしれないくらい強いってことは。でもさ、シノブ君だったら勝てそうもないからって戦わない? 戦うよね? だって勝つ負けるの話じゃなくて、自分の大切な人を守りたいから戦うんでしょ?」

 そうだったんだ。

 ヨーコは全部分かっていたんだ。

 なのに僕のためだなんて一言も言わずに戦おうとしていたのだ。

「それなのに、僕はヨーコに……」

 それはただの自信過剰だなんて言葉を吐いてしまった。

 自分の感情にばかりとらわれて、僕はヨーコの想いに気付いてあげられなかった。

 ヨーコの優しさを踏みにじってしまった。

 赤城さんはさらに続けて言った。

「ヨーコちゃんがシノブ君に『コバルトを倒す』って言ったのはさ、『俺がお前を守る』って意味だよ。でも、それを信じてもらえなかった。それがショックだったんじゃないかな。泣いちゃうくらい」

「ああ……」

 そこまで説明されて僕は情けなかったし、落ち込んだ。

「僕より赤城さんの方がよっぽどヨーコの気持ちが分かってるよ」

「それはちがうよ」

 赤城さんはきっぱりと断言した。

「ヨーコちゃんとシノブ君はお互いに相手を想う気持ちが強すぎて、相手の言葉の本質が見えなくなっただけで、シノブ君は誰よりも強くヨーコちゃんと繋がってるよ。私は第三者だから客観的に意見が言えただけだよ」

 僕は半分だけ納得した。もう半分はやっぱり赤城さんが人を思いやれる優しい人間だからこそ、ここまで的確な言葉が出てきたのだと思う。

「あと、これは私の個人的な願望が入ってるんだけど……」

 そう前置きして、赤城さんは遠慮気味に言った。

「私はヨーコちゃんを信じてあげてほしいと思う」

「……コバルトを倒すって?」

 僕が不安そうな顔をしたのを見てか、赤城さんは僕の手を握って力を込めた。

「“想いは力に変わる”――強い想いが誰かの力になるってことは絶対にあるよ。だからシノブ君はヨーコちゃんを信じてあげて」

 想いは力に変わる。

 僕がヨーコを信じれば、ヨーコは強くなるのだろうか。

 コバルトに勝てるのだろうか。

 もしそうなるとしたら、それは魔法のようなことだと思う。

 僕はこの言葉を信じたい一方で、現実的には信じるだけでは何も変わらないだろうという冷めた思考も消せないでいた。

 赤城さんは少し照れたような顔をして言った。

「私はね、ヨーコちゃんとシノブ君が仲良しなところを見るのが好きだからさ。もし地球に最後の日が来たとしても二人には仲良しでいて欲しいんだ」

「ありがとう……地球最後の日ってのは全然笑えないけど」

 赤城さんは悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。

「でもシノブ君の推測だと、そうなりそうなんでしょ?」

「え、いやそれは……」

「まあ地球滅亡ってのは困るからさ」

 赤城さんは急に真顔になって言った。

「本音を言うと私は地球が消滅して死ぬなんてまっぴらゴメンだからシノブ君を説得してヨーコちゃんが戦う方向へ話が進むように誘導してやろうと思っていました」

「この人本当はすげー悪い奴じゃん!」

「あははは、冗談だよー。半分くらいは」

「半分は冗談じゃないの!?」

 もちろん全部冗談だ……冗談だよね?

 僕はベンチから立ち上がった。

 これからどうすればいいのかは、まだ分からない。

 けれど、赤城さんに話をしてよかっと思う。

 少なくとも気持ちはすっきりした。

「僕、ヨーコを探すよ」

「探すあてがあるだね?」

「うん」

 ひとつだけ思い当たる場所がある。

 もしヨーコがコバルトに本気で勝つつもりなら、必ずあの人を頼るはずだ。

「赤城さんありがとう。僕行くね」

 赤城さんはいたずらっぽい笑顔で言った。

「シノブ君、もうヨーコちゃんのお嫁さんになっちゃえば?」

「……僕の方が嫁なんだ」

 でも僕とヨーコのどっちが「嫁」かと考えたら……赤城さんの言うことも納得できないでもない。

 僕は赤城さんに別れを告げて綾瀬駅へ向かって歩き出した。

 今から電車の乗れば夜には到着できるはずだ。

 きっとヨーコは富士の樹海にいる。


13


 僕は綾瀬駅から電車に乗り、さらにバスを乗り継いで山梨県側の富士山のふもとまで行った。そこからは徒歩で通常の登山道から離れた森の中へと進んでいった。

 この森はいわゆる「富士の樹海」と呼ばれる山梨県側の富士山のふもとに広がる森だ。非常に深い森で一度入ると戻れなくなるとまで言われている。昔は自殺の名所としても有名だったらしい。

 あたりはもうすっかり暗くなっていた。この時間から入山する人間はいない。ましてや僕のように道なき道を進んで樹海に入っていく人間などいるはずもない。

 背の高い樹木が林立する樹海の夜はとても暗くて正直怖かった。

 僕は懐中電灯片手に樹海の奥へ奥へと突き進んでいく。目指す場所は樹海の奥深くだ。

 僕がその場所を訪れるのは四年ぶりのことだ。

 おぼろげな記憶を頼りにその場所を目指して歩を進める。

 歩き続けて一時間以上、足の疲労がピークに達した頃、やっと目的の場所にたどり着いた。

 密林のなかに建つ一軒の小屋だ。

 古びた木造の小屋は前回訪れた四年前と何も変わっていなかった。

 小屋へ近づき、入り口の戸を軽くノックした。

 僕がやってくることを知っていたかのようにすぐに戸が開き、中から総白髪の小柄な女性が顔をのぞかせた。

 僕は姿勢を正して挨拶した。

「先生お久しぶりです」

 突然の来訪にも関わらず、先生は穏やかに微笑を浮かべてそう言ってくれた。

 この人こそ佐藤洋子を「鉄人ヨーコ」へと鍛え上げた師匠であり、僕は敬意を込めて「先生」と呼んでいる。

「四年ぶりの再会ですね。シノブさんお元気でしたか」

 先生は孫が訪ねてきたかのように顔をほころばせて、僕を小屋の中へ招き入れてくれた。

 小屋の中は十畳くらいの板張りの部屋だ。部屋の中央に囲炉裏があるのみで、電気・ガス・水道といった生活インフラが一切整備されてない。

 先生はあえて文明社会から離れて生活する仙人のような人なのだ。

 先生は僕を囲炉裏の前に座らせて、自分はその向かいに正座した。

「そろそろ来る頃だと思っていましたよ」

「先生は僕が来ると分かっていて――あれ?」

 その時違和感に気が付いた。

 この小屋は電気がないため夜はランプで明かりを灯しているのだが、そういえばなんか部屋の中が異様に明るい。

「最近電気が通るようになったんです。それで照明を入れました」

「ああ、そうなんですか」

 と頭上を見上げると煌びやかな宝石で装飾されたシャンデリアが天井からぶら下がっていた。

「なにこれ!?」 

「フランス製のシャンデリアですけど」

「しゃんでりあああぁぁっ?」

「ベルサイユ宮殿のダンスホールと同じ仕様の特注品ですね」

「ヴぇるさいゆきゅうでんんんっ!」

 あれ? 先生って富士の樹海で仙人のような生活をしながら修行に明け暮れる武の達人だったような、あれれ?

 動揺する僕とは対照的にのほほんとした様子で先生が言った。

「そうだ。今お茶を入れますから、152型8Kテレビでも観ていて下さい」

 先生がリモコンをポチッと押すと、目の前の壁が左右にスライドして壁面収納の大型モニターが出現した。

「なにこの学校の黒板みたいなドでかいテレビはッ!?」

「あら。お茶っ葉が切れてますね。ちょっとコンビニまで車で行ってきますから――」

「富士の樹海にコンビニ! てか車もあるの?」

「車といっても別に高級車ではないですから」

 と恐縮気味に先生が見せてくれたエンジンキーには、とても有名なイタリアの「跳ね馬」マークが刻印されていた。

「ってそれフェラーリじゃねーか!」

「そうですね。フェラーリF12ベルリネッタ。4000万円くらいでしたかね」

「完全に高級車じゃん!」

「去年から年金生活に入りまして。全部年金で買いました」

「どんだけ不正受給してるのッ!?」

「不正受給なんてしてませんよー」

 と笑って手を振る先生の右手に緑色のでかい宝石がはめ込まれたブレスレットが。

 僕の視線に気付いた先生が言った。

「あ、これですか? コロンビア産のエメラルドで六十億円で買いました。もちろん年金で」

「不正受給どころか国家レベルの巨額横領の予感ッ!」

 僕は先生の年金(横領?)生活について、これ以上突っ込むのはやめて本題に入った。

「えっと、先生。ヨーコがここに来てますよね?」

 ヨーコはコバルトに負けた。ではどうやって次は勝つかと考えた時、ヨーコに選択肢は一つしかない。

 先生に教えを請う。

 なぜなら、ヨーコが自分より強いと思っているのは先生をおいて他にいないからだ。

 先生は頷いた。

「はい。来ていますよ」

「やっぱり! で、ヨーコは今どこにいるん――」

 先生は僕の言葉を遮って穏やかな口調で言った。

「ただ、洋子さんは忍さんに会いたくないそうです」

「えっ……」

「洋子さんは忍さんの言葉にひどく傷ついているようですよ」

 先生の口調は僕を非難するわけでもなく、叱り付けるわけでもなく、むしろ僕を気遣うような口調だった。

 先生は決して僕を責めていない。それでも僕はうなだれた。

 先生は微笑んで言った。

「『ヨーコの自信は犬の糞ほどの価値もない』でしたっけ?」

「そこまでひどいことは言ってねぇーよッ!」

「『ヨーコは僕に足をなさせるためだけに生きていろ』?」

「僕は人間のクズかッ! ヨーコから何を聞いたんだアンタはッ?」

 まったく事実が伝わっていないと確信したので、僕はイチから今日の出来事を説明した。

 説明を聞き終えた先生は「ふむ」とひとつ頷いて言った。

「それで忍さんはどうしたいんですか?」

「えっ……」

 どうしたい?

「洋子さんが忍さんのために戦うと知った今、それで忍さんはどうしたいんですか?」

 ヨーコの気持ちは分かった。僕はヨーコを傷つけたことを謝りたい。ヨーコのこと分かってあげられていなくてごめんと言いたい。

 でも、それからどうする? 根本的に問題は解決しない。

 コバルトとヨーコが戦えばヨーコはきっと殺される。

 もし戦わなくても地球は消滅させられるかもしれない。

 どうあっても状況は絶望的だ。

 押し黙ってしまった僕に、先生は諭すように言った。

「できるとか、できないとかではありません。忍さんが“そうなってほしいこと”はなんですか?」

 僕は頭の中で先生の言葉を繰り返した。

 できるとか、できないとかじゃなく、そうなってほしいこと。

「……ヨーコがあいつを倒すこと」

「では、そうなるように努力しましょう」

「で、でも、そんなことができたら――」

 先生はにっこり笑い、僕の口に人差し指を押し付けて口を塞いできた。

「そうなるように努力しましょうよ。洋子さんと忍さんなら必ずできます。四年前がそうだったように」

 四年前――その言葉に僕は心が震えるのを感じた。

 四年前初めて地球に宇宙からの侵略者が現れた時、僕とヨーコとたくさんの人たちが死力を尽くして戦った。絶望的な状況から奇跡的に侵略宇宙人を撃退した鉄人ヨーコの最初の戦いだ。

 それは二度と繰り返したくない記憶であると同時に僕とヨーコの誇るべき最高の戦いの記憶でもある。

 四年前の奇跡をまた起こせるだろうか。

 先生は力を込めて言った。

「大丈夫。必ずできます。私も微力ながら助力いたします」

 僕は先生に深く頭を下げた。

「先生、ヨーコに力を貸してやってください。よろしくお願いします」

「顔を上げてください忍さん」

 顔を上げると先生は微笑んでいた。

「洋子さんと忍さんに私の持てる全身全霊の力を持ってお手伝いさせて頂きます」

「ヨーコは残り三日で強くなれますか?」

「無理ですね」

「さすが先生。たった三日でヨーコを強くできる――ってええッ! 無理なの!?」

 先生は「実際のところはですね、」と世界の秘密を暴露するかのような顔で言う。

「この四年間で洋子さんは私よりはるかに強くなっています。もはや私が教えられることなんてないんですよね」

「ホントにィッッ?」

「ほんとに」

「えっ、じゃあ……」

 僕がすがるように見つめると先生は力強く言った。

「どうすればいいかは今から考えましょう」

「絶望的状況!」

 先生はあくまで穏やかに口調で訊いてきた。

「まずお聞きしたいのですが、洋子さんは本当にそのコバルトさんに手も足もでなかったんですか?」

「……はい」

「本当にまったく? 私はそれなりに長い間色々な銀河を渡り歩いてきたのですが、洋子さんの強さは特別です。他の銀河では見たことがない無類の強さと言っていい」

 それを聞いて思い出したけど、先生は宇宙人だ。

 たしか前に聞いた時に、太陽系には二千年前くらい前にやって来たと言っていた気がする。

 この人いったい今いくつなんだ。

「私の経験上、洋子さんを打ち負かすような人が簡単に現れるとは考えにくいんですよね」

「でも、暗黒帝国っていうのは宇宙一の侵略国家でコバルトは最強の侵略者らしいですよ」

「暗黒帝国のことはもちろん私も知ってはいますけど……」

 先生はどこか腑に落ちないといった顔をした。少し考えるようなそぶりの後に言った。

「ヨーコさんが負けた時の状況を詳しく聞かせて頂けますか」

「わかりました」

 僕はコバルトとヨーコの戦いの詳細を話した。

 話している途中僕は何度も胸が苦しくなった。

 ヨーコがズタボロにされる姿は思い出すだけでも辛い。

 僕としてはかなり深刻な敗戦の話をしたつもりだったのだが、先生はどこか真剣味にかけるような口調で言った。

「ははあ。洋子さんのパンチで無傷。それは信じがたいですね」

「本当にコバルトは無傷でした。まあヨーコ本人はまだやれたって言ってましたけど……」

 先生はそこでパンと手を打った。

「それですね」

 まるでクイズの正解が分かったような顔で僕に言った。

「納得しました。そういうことでしたか」

「あの、どういうことですか?」

「これはやっかいですね。困りました。四年前はあえて私も触れませんでしたが、ここでそのツケが回ってきてしまいましたね。これは困りました」

「四年前のツケ? はさっぱり意味が分からないんですけど」

 先生は僕の疑問に答えることなく、腕組みをして悩み始めた。

「んんー、難しいですね。いやでも忍さんがいれば大丈夫でしょうか。あと三日、微妙なところですねぇ……」

「あの、先生……?」

 先生はひとしきり自問自答した後、僕にむかって言った。

「うん。三日あれば洋子さんはコバルトさんに勝てるようになりますね」

「本当ですか!」

 希望の光が差した。

 胸につかえていた不安の塊が一気に消えていくようだった。

 僕は誠心誠意心を込めて言った。

「先生、ヨーコをよろしくお願いします」

 深く頭を下げた僕に対して先生が言った。

「あ、ちなみに私にできることはありませんよ」

「……へ?」

「やるのは忍さんです」

「はい?」

 先生はにっこり微笑んで言った。

「洋子さんが強くなれるかどうかは忍さんに懸かっています。つまり地球の……いえ、太陽系の存亡の鍵を握るのは忍さんということになりますね。あらこれはドラマになりますね!」

 勝手に一人で盛り上がる先生。

 僕は全然意味が分からない。

「えっと先生、どういうことでしょうか?」

 先生は僕の質問には答えず、あくびをしながら言った。

「ふああ、今日はもう夜遅いですからおやすみですね。老人になると早く寝る習慣がついてしまって嫌ですねー」

 先生は押入れから布団を出してさっさと布団の中に入ってしまった。

「ちょ、ちょっと先生?」

 先生は僕を一切無視してベルサイユ宮殿と同仕様のシャンデリアをリモコンで消灯した。

 小屋の中が闇に包まれる。

「おやすみなさーい」

 先生はそのまま寝てしまった。

 ええええ……

 呆然とする僕に先生が言った。

「あ、そうだ忍さん。お風呂沸いてますから入ってくださいね。それでは、おやすみなさい」

「……おやすみなさい」

 先生の話がほとんど理解できていないのだけれども、先生に話す気がないならもう仕方がない。まだ三日……正確には二日? あるからきっと大丈夫なのだろう。僕は先生のことは信頼している。

 僕が太陽系の存亡の鍵を握るっていうのはすごく気になるけど……

 僕は考えるのを諦め、窓からさしこむ月の光をたよりに小屋の外へ出た。

 四年前の記憶をたどる。確かお風呂場はこの小屋の裏側に独立して建ててあったはずだ。

 僕は小屋の裏手へ回った。

 記憶の通り、お風呂場は小屋の裏手にあった。

 お風呂場は木造の小さな小屋だが、一応脱衣所と浴場は別れている。入り口の戸を開けたところが脱衣所だ。

 中は暗くてよく見えなかった。脱衣籠のような気の利いたものはないので、脱いだ服は適当に床に置いておく。

 そういえば着替えがない。

 うーん、せめて下着は替えたいんだけど諦めるしかないか。

 浴場には灯りがついていた。戸の隙間から明かりが漏れてる。

 戸を開けて浴場へ入ると先客がいた。

 ヨーコだった。

 しばらく僕とヨーコは無言で見つめあった。お互い裸で。

 お互い裸なんて見慣れているから何とも無いのだけれど、ヨーコはあいかわらずチビのくせに胸だけはバカみたいに育ってて、ってそんなことはどうでもいい。

「あ、あのさ……」

 僕は何を言っていいのか分からず躊躇した。

 でも、とにかくまずは。

「ひどいこと言って、ごめん」

 謝った。

 ヨーコは僕をじっと見つめた後――プイッとそっぽをむいた。

 そのまま僕を無視して浴場から出て行こうとする。

「え、ちょ、ちょっとヨーコ? ここはヨーコが許してくれて僕に抱きついてくるシーンじゃないの? あれッ? なんか僕の予定と全然違うッ!」

 ヨーコは僕を一切無視して行ってしまった。

 一人残された僕はしばらく呆然としていた。

 ヨーコが僕のことを無視した。

 結構なショックだった。

 僕ってこんなにヨーコにぞっこんだったか? ……いや、とりあえず湯船に入って落ち着こう。お湯はヨーコ好みの熱めの湯だった。

 熱いお湯に浸かると一気に疲れが抜けていくようだった。

「気持ちいいね」

 一人呟いて、またヨーコと一緒にお風呂に入りたいなと思った。

 ……断っておくがやましい意味は一切ない。


14


「ヨーコ意地張ってないでこっち来なよ」

 お風呂場から小屋に戻るとヨーコが部屋の隅で小さくなっていた。両膝を抱えてビクビク震えている。

 僕は怯える猫に語りかけるように言った。

「一人じゃ眠れないでしょ。ほらこっち来て一緒に寝よう?」

 しかしヨーコは頑なだった。

 いっこうに部屋の隅から動く気配は無い。

 ちなみに先生は寝息を立てて寝ているため、助けを求めることはできそうにない。

 仕方なく僕がヨーコに近づいていくと、

「がるるるぅッ……」

 猛獣のようなうなり声を上げて威嚇してきたので仕方なく後ずさる。

 この十三年間ヨーコは夜一人で寝たことがない。

 ずっと僕と一緒に寝ていた。

 ヨーコは夜が怖いのだ。

 その理由を僕だけが知っている。

 僕はヨーコを説得することを諦めて先生が用意してくれた布団に入った。

「僕寝るよ。おやすみ」

 と言って寝たふりをしてみる。

 ヨーコが勝手に僕の布団にもぐりこんでこれるようお膳立てしてあげた。

 しかし、しばらくしてもヨーコが動く気配はなかった。

 うっすら目を開けて様子をうかがうと、ヨーコは半分眠りかけていた。うつらうつらしている。ひょっとして大丈夫かな……?

 そう考えていた時、ヨーコが悲鳴を上げた。

 僕は飛び起きてヨーコに駆け寄った。

 ヨーコは体を縮めて喘ぐように呟いた。

「水、水、水が……」

「大丈夫。大丈夫。もう大丈夫だよ」

 僕はそっとヨーコを抱き寄せた。

 ヨーコの体は小刻みに震えていた。

 僕は努めて冷静な口調で言った。

「大丈夫。もう津波はこないから」

 ヨーコが夜を恐れるのは十三年前の津波の悪夢がいまだに心を蝕んでいるからだ。

 十三年前のあの日、津波は深夜に襲ってきた。

 僕もヨーコも津波で自分の命以外の全てのものを失った。

 ただし、僕とヨーコではその時体験した衝撃は比べ物にならない。

 ヨーコの体験は僕よりもはるかに壮絶だ。

 僕の家族は津波に飲み込まれて行方不明になった。

 生死もはっきりしない状態で家族がいなくなることはとても辛い。

 しかし生死がはっきりすることでもっと辛い「別れ」を経験することになる場合もある。

 それがヨーコの場合だった。

 ヨーコの家族もまた津波に飲み込まれたが、その後遺体となって発見された。

 自宅の地下室で発見された遺体は手も足も首もバラバラで、人の原型をほとんど留めていなかったらしい。僕はその遺体を見ていない。怖くて見ることができなかった。

 ヨーコはそれを見た。

 両親の遺体を発見したのは他ならぬヨーコだったからだ。

 津波が去った後、崩壊した自宅でバラバラになった両親を発見したヨーコの衝撃はどれほどのものだったか。

 当時三歳だった少女の精神が壊れてしまっても不思議ではないくらいの衝撃だったはずだ。

 その時ヨーコはいったい何を思ったのだろうか。

 ヨーコは僕にさえ、その時の話をしない。

 ヨーコにとってその時の体験は、十三年間ずっと封印している悪夢なのかもしれない。

 僕の胸のなかで震えていたヨーコがふいに僕の体を押しのけた。

 ヨーコは震える声で言った。

「俺は何も怖くねぇ。俺は無敵の鉄人ヨーコだ」

 それは自分自身に言い聞かせているようにしか聞こえなかった。

「洋子さん、忍さん申し訳ありません」

 いつの間にか先生が布団から出てきて僕らのすぐそばに立っていた。

 暗くて先生の表情は見えないが、声と気配がただならぬものを予感させた。

「私の見込みが甘かったようです」

「なんの話ですか?」

 僕がたずねたのとほぼ同時に、ヨーコが急に立ち上がった。

 ヨーコは暗闇にも関わらず、ものすごい速さで小屋の外へ出て行った。

「ヨーコ!?」

 僕と先生がその後を追った。

 外へ出るとヨーコは空を見上げていた。

 空には雲がかかり、雲と雲の隙間からわずかに月の光が射していた。

 その雲の合間から大きな黒い影が姿を現した。

 ヨーコが低く呟いた。

「来たがったな」

 上空に姿を現したのは海王星で見た暗黒帝国の円盤型宇宙船だった。

「そんな……」

 銀河警察の予測では地球への到達は三日後だったはず。

「まさか他の惑星を素通りして一気に地球までやってきた……?」

 そう呟いた僕にヨーコが言った。

「地球に来たんじゃねぇ。俺のところに来たんだ」

「ヨーコのところに? な、なんで?」

 ヨーコは僕の質問には答えず、決意の表情で呟いた。

「決着をつけてやる」

 ヨーコは小屋へ駆け込んで、またすぐに出てきた。

 寝間着から東綾瀬高校の制服に着替えていた。

 鉄人ヨーコの戦闘服。

 戦闘モードに入ったヨーコを見て僕はうろたえた。

「待って、ちょっと待ってヨーコ」

「待てねぇな。俺も――」

 ヨーコは上空の円盤を見上げて言った。

「あいつも」

 巨大円盤下部のハッチが開き、人影が落下してきた。

 落下してくる小さな人影はコバルトだ。

 コバルトは僕らのすぐ目の前に着地した。

 人形のような無表情で僕らを見つめる。

 先生がコバルトを見て言った。

「戦わなくてもわかります。この人は強い」

 ヨーコが先生と僕の前に進み出た。

 その背中は僕たちをかばうようにも見えたし、俺の邪魔をするなと言っているようにも見えた。

 コバルトとヨーコが対峙した。

 これから二人は戦う。

 今度こそ、どちらかが死ぬまで。

 僕はやめてくれと叫びたかった。

 しかし、もはや両者を止める方法はない。

 コバルトとヨーコは同時に踏み出した。

 両者は急加速して正面から激突した。

 互いの拳が顔面に打ち込まれた。

 相打ちの形だが、その衝撃にのけぞったのはヨーコの方だった。体勢を崩したヨーコの脇腹にコバルトの蹴りが食い込んだ。よろめいたヨーコだったが反撃にパンチを放つ。コバルトはそれを片手で弾いてヨーコの顔面を蹴り上げた。その衝撃でヨーコが後方に吹っ飛んだ。

 やはりヨーコは劣勢だ。

 僕はすがるような気持ちで先生の顔を見た。

 先生は言った。

「申し訳ありませんが、私にできることはありません。加勢しようにも私では洋子さんの足手まといになるだけです」

「そんな……」

「でもまだやれることはあります」

「えっ?」

 先生は私の目を見て言った。

「忍さんが洋子さんの力を解放してあげるんです」

「ヨーコの力を解放……?」

 先生は頷いた。

「今の洋子さんは全力で戦っていません」

 それは僕が予想もしないことだった。

「ちょ、ちょっと待ってください。そんなはずないですよ。だってヨーコはコバルトに殺されかけたんですよ。それで全力で戦わないはずが……」

「そうですね。普通に考えれば理屈に合いません。にも関わらず洋子さんは全力を出さない、。いえ出したくないのでしょう。それは洋子さんにとって力の解放が自らの死以上に恐れることだからなのだと思います」

「それは、どういうことですか?」

 先生は続けて言った。

「私は四年前に洋子さんと出会った時から気付いていました。洋子さんはとてつもない力を持っているけれど、それを全て解放することを拒んでいます。ほとんど無意識的に」

 僕は先生に食らいつくような勢いで迫った。

「どうしてですかっ? どうしてヨーコはそんなことを?」

「逆に私が訊きます。どうしてだと思いますか? 忍さんなら……いえ、忍さんにしかその“真相”は分からないはずです」

 その言葉に僕は沈黙した。

「忍さん、あなたは本当に思い当たることないんですか?」

「……まるで犯人を問い詰める探偵みたいな言い方ですね」

 先生の表情が急に険しくなった。

「洋子さんはモノを壊すことに関しては何の躊躇もありません。しかし、生物に対した時の洋子さんは違います。明らかに力を加減しています」

 それは先生の言うとおりだった。

 鉄人ヨーコはモノに関しては例えそれが世界遺産であろうとも躊躇なく破壊するくせに、生物については侵略宇宙人も含めて今まで命を奪ってしまったことは一度もない。

「洋子さんは自分の力で誰かの命を奪うことを恐れています」

「……でも、それは普通のことじゃないですか? 誰だって生き物の命を奪うことは躊躇うと思います」

 先生は少しだけ悲しそうな顔をして言った。

「私は事実を知りません。でもあなたは知っているのでしょう?」

「どういう意味ですか?」

「これは私の推測でしかありませんし、こんなことを申し上げるのは気が進みません」

 先生はいくぶん躊躇った後、意を決したように言った。

「洋子さんは、人を殺したことがありますね?」

 先生はさらに続けた。

「そしてそれは、あなたの家族なんじゃ――」

「やめてください!」

 僕は立っていられなくなってその場にうずくまった。

「やめてください……」

 そうだ。

 ずっとずっと思い出さないようにしてきた。

 僕の両親は十三年前の津波で行方不明になった。

 それは本当だ。

 でも、「家族」を津波で失ったというのは嘘だ。

 僕には両親以外にも家族がいた。

 僕より一歳年下の女の子。

 名前は多摩子。

 僕もヨーコも多摩子が大好きだった。

 だからこそ、僕は現実から目を背けるために、多摩子を津波で失ったことにした。

 そう記憶を書き換えた。

 三人の家族は全て津波が奪っていったことにした。

 でも本当は、

 多摩子は、

 ヨーコが殺してしまった。

 ああ。

 そうだ。それが理由だ。

 ヨーコはまた自分が生き物の命を奪ってしまうことを恐れているんだ。

「忍さん……」

 先生がうずくまる僕に気遣わしげに声をかけてきた。

「すみません。あなたを責めるつもりも、傷つけるつもりもないんです」

 分かってる。

 分かっています先生。

 僕は頷いて立ち上がった。

 今こそあの記憶と向き合う時なんだ。

「先生。僕はどうすればいいんですか?」

 先生は僕の顔を見て少し驚いたような表情になった後、穏やかな声で言った。

「私ができるのは問題と向き合えるように導いてあげることだけです。ここから先は忍さんと洋子さんの力で乗り越えてください」

「僕とヨーコの力……」

「大丈夫。難しく考えないでください」

 先生は僕の手を握って言った。

「一人で乗り越えられない恐怖は、二人で乗り越えればいいんです」

 具体的に何か解決法が見つかったわけではない。

 でも、先生の言葉で僕は光が差した気がした。

 その時、先生が急に顔色を変えた。

 その視線の先でヨーコがコバルトに組み伏せられていた。

 コバルトはヨーコに馬乗りになり、拳をヨーコの顔面に打ち下ろした。

 ゴン! と鈍く重い音が地鳴りのように響いた。

 ヨーコの顔面から鮮血が飛び散った。

 コバルトがもう一度拳を振り上げた時、ヨーコが下から反撃に右の拳を放った。

 しかしその拳は空を切る。

 コバルトの拳がもう一度ヨーコの顔面をとらた。

 すさまじい衝撃と同時に地響きが起こった。

 さらに続けてコバルトはヨーコの顔面に拳を振り下ろした。

 コバルトの拳がヨーコの顔面を打つたびに、真っ赤な血が飛び散る。

 それでもヨーコは一切防御せず、両拳を振り回して下から反撃する。

 だが、体勢が不十分なヨーコのパンチはコバルトにわずかなダメージも与えているようには見えなかった。

 もう何回かわからないくらい拳を打ち下ろしたコバルトがふいに攻撃を止めた。

 馬乗りになったまま無表情にヨーコを見下ろして言った。

「こんなに頑丈な生命体は本当に久しぶり」

 ヨーコは血まみれの顔で何か言い返そうとしたらしいが、もはや喋ることすらできないようだった。わずかに口元が動いたのみで声が出なかった。

 コバルトは馬乗りをやめて立ち上がった。

 ヨーコを見下ろして片足を上げた。

 僕はコバルトがこれから何をするのか理解して叫んだ。

「やめろぉぉぉーーーーッ!」

 コバルトはヨーコの胸を踏みつけた。

 肉がつぶれ、骨が砕ける不快な音がした。

 ヨーコの口から大量の血が吐き出された。

「ゴボッ――ッ!」

 コバルトは足に力を込めてヨーコの胸を踏みつける。

 そこは心臓だった。

 心臓を踏み潰して息の根を止めるつもりだ。

 ヨーコはコバルトの足を両手で掴んで押し返そうとする。

 しかしコバルトの足はさらにヨーコの胸に食い込んでいく。

 ヨーコの口から大量の血があふれ出てくる。内臓がズタズタになっているに違いない。

 ヨーコの両手が力を失い、だらりと落ちた。

「あ、が……」

 ヨーコが苦悶の表情を浮かべたのを見た瞬間。

 僕は飛び出していた。

「忍さん!」

 先生が制止するのを無視して、僕はコバルトに飛び掛った。

 頭からコバルトにタックルした。

 コバルトの体はビクともしなかった。

 当然だ。

 でもそれでもいい。

 ヨーコが脱出するために少しでも隙を作ることができればいいんだ。

 コバルトが感情のない瞳を僕に向け、手刀を振り下ろしてきた。

 あ、死んだ。

「―――ッ!」

 コバルトの手刀は僕の鼻先をかすめて空振りした。

 ヨーコがコバルトの足にしがみついて、力ずくで僕から引き剥がしたのだ。

 ヨーコはそのまま力任せにコバルトを放り投げた。

「オラアアァァーーッ!」

 ヨーコが立ち上がった。

 口から物凄い量の血が流れ出ていた。

 コバルトに踏みつけられた胸部の骨が内臓に突き刺さっているのだろう。

 常人ならとっくに死んでいる。

 立ち上がるなんて不可能なはずだ。

 ヨーコはコバルトをにらみつけて言った。

「シノブには指一本触れさせねぇ」

 僕はその一言で目が覚めたようだった。

 ヨーコは僕のためにボロボロになっても必死に戦っている。

 なのに僕は何をやっていたんだ。

 最初から勝てないと決め付けて逃げ出そうとしていた。

 誰かに助けを求めるばかりで自分の力で立ち向かおうとしなかった。

 自らの記憶を偽ってまでヨーコが抱える苦しみから目を背けていた。

 何よりも、こんなに必死で戦ってくれているヨーコを信じてあげられなかった。

 赤城さんが言っていたことが今やっと理解できた。

『 “想いは力に変わる”――強い想いが誰かの力になるってことは絶対にあるよ』

 奇跡みたいな魔法だと思っていた。

 僕は信じていなかった。

 でも今ここでヨーコが証明してくれた。

 死に至るほどの傷を負ってもなお、ヨーコを立ち上がらせるものは何なのか?

 それは僕を守ろうとする“想いの力”以外にないじゃないか。

 ヨーコがコバルトに言った。

「今度は俺の番だ。ぶっ飛ばしてやるからな」

 ヨーコの顔に悲壮感など一切なかった。

 自信たっぷりの笑顔だった。

 自分の勝利を少しも疑っていない顔だった。

 ヨーコは僕を絶対に守る決意で戦っているんだ。

 じゃあ僕はどうすればいい?

 ヨーコにどう応えればいい?

 どうすれば力になれる?

 今の僕にできることはひとつだけだ。

 ヨーコはコバルトに向かって弾丸のようなスピードで突っ込んでいった。

 コバルトが正面から迎え撃つ。

 コバルトの貫手が放たれ、ヨーコの腹部に突き刺さった。ヨーコの腹部から血が噴き出した。

 ヨーコは怯まず、右の拳をコバルトの顔面を叩き込んだ。

 コバルトも怯まない。貫き手でもう一度ヨーコの腹部を刺した。さらに猛烈な左右の拳の連撃でヨーコを襲う。ヨーコの体が千切れてしまうかもと思わせるほどの連撃。

 ヨーコはそれでも倒れなかった。

 間に合え!

 僕は駆けた。

 コバルトと戦うヨーコの背中に向かって全力で駆けた。

 コバルトのパンチがヨーコを打った。

 必死に耐えるヨーコだが堪えきれずよろめいた。

 ヨーコが倒れる――その一歩手前で僕は間に合った。

 ヨーコの背中を両手で思い切り叩いて、声の限り叫んだ。

「やっちゃえヨーコ!」

 僕の魂をヨーコに込めた。

「僕も一緒だ!」

 その瞬間、燃えるような熱がヨーコの体の中で爆発したのを僕は確かに感じた。

 ヨーコはコバルトに一歩踏み込んで、渾身の右アッパーを打った。

「オッラァァァーーーッ!」

 ヨーコの拳がコバルトを腹部をとらえ、そのままの勢いで体を貫いた。

 コバルトの動きが停止した。

 両腕の力が抜け、だらりと垂れ下がる。

 膝から力が抜けていき、コバルトはその場に倒れた。

 ヨーコが拳を突き上げた。

「どーだ。俺様が最強だ。ラクショーだぜ!」

 ヨーコは胸を張って自慢げに笑った。

 全然楽勝じゃなかったけど。死ぬほどボロボロにされたけど。それでもヨーコは勝った。

 ヨーコが満面の笑みで僕に言った。

「どーだ、勝ったぞ」

 血だらけで傷だらけのボロボロの姿だったけど、ヨーコの姿は宇宙一かっこよかった。

「ん? シノブ何泣いてんだよ。そんなに俺様の強さに感動したか?」

「……感動したよ。僕はヨーコの強さにひどく感動させられた。やっぱりヨーコは無敵で最強で宇宙一強かったよ」

「そっか。へへ、分かりゃいいんだよ。俺様は無敵だってな」

 そう言ってヨーコは満足そうに笑った。

 とても嬉しそうな、とびきりの笑顔だった。

「うん。ヨーコは僕のヒーローだよ」

 僕は思い切りヨーコを抱きしめた、というか思い切り抱きついた。

 ヨーコの体は血だらけでひどいものだったけれど、今はそれも勝利の勲章だと誇らしく思えた。ヨーコと仲直りする時はヨーコが僕に抱きついてくる予定だったのだけど、結局僕がヨーコに抱きつくことになってしまった。

 ちょっとかっこ悪いけど、まあいいや。

「そもそもシノブはかっこ悪い設定のキャラだしな。朝うんこを食うキャラ」

「うるさいよ!」

 二人でじゃれあっていたところに先生が穏やかな笑みを浮かべながら歩み寄ってきた。

「二人ともよく頑張りましたね」

 よく見ると先生の目には涙が流れていた。

 先生は涙を拭いながら言った。

「きっと妹さんも天国でお二人の勇姿を見てくれていると思いますよ」

 先生の言葉に僕とヨーコは首を傾げた。

「妹? あの、妹とは何の話でしょうか?」

 先生はキョトンとした顔で訊き返してきた。

「えっと、忍さんの一歳年下の女の子で……多摩子さん、ですよね?」

 あ、ああー……そういうことですか。

 僕は言葉を選びながら先生に言った。

「えーと、確かにそういう誤解を受けるような言い方だったかもしれないですね……」

「え、私なにか誤解していましたか?」

 困惑する先生にヨーコが言った。

「多摩子って忍んちで飼ってた猫だぞ」

「猫!?」

 めずらしく先生が驚いて声を上げた。

 僕は申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら説明した。

「多摩子っていうのは、僕がつけた名前でして……通称タマ。当時二歳の雌猫です」

 ヨーコがそれに付け加えるように言った。

「タマは俺たちにとっては姉妹みたいなもんだったからなぁ。悲しかったなぁ、タマが死んじまった時は」

「ヨーコがふざけて海に投げちゃったんですよ。力加減なしに」

「水平線の先に消えていったタマの姿は今でも目に焼きついてるぜ……」

 先生は呆然として話を聞いていたのだが、咳払いをひとつした後、いつもの穏やかな笑みを浮かべて言った。

「……そうですよね。三歳の子どもにとっては飼い猫の死は家族の死と同じくらいショックでしたでしょうね」

 先生の言うとおり、当時は本当にショックだったんだよね。

 まあ、まさかヨーコが今でもそこまで深く悩んでいたとは思わなかったけど。

 先生はまだどこか釈然としない顔をしつつも明るい口調で言った。

「何にせよ、これで太陽系消滅の危機は乗り越えられましたしね」

 その時、ヨーコが倒れたコバルトを指差して言った。

「なあ、コレってどういうことだ?」

 僕はコバルトの体を見て凍りついた。

「何、これ?」


15


 倒れたコバルトの腹部には、ヨーコが拳で貫いた大きな穴が開いていた。

 しかしその体から血は1滴も出ていなかった。

 腹部の傷跡から見えるのは、機械だった。

「コバルトの正体は、ロボットだった……?」

 コバルトが機械だったと考えれば、生物らしからぬ瞳やいくら殴られても表情ひとつ変えなかったことも腑に落ちる。

 先生が呟くように言った。

「これはやっかいなことになるかもしれませんね……」

 それがどういう意味なのかを訊く前に、先生はヨーコに視線をむけて言った。

「洋子さん体の方は大丈夫ですか?」

 僕ははっとして声を上げた。

「そ、そうだヨーコ。すぐに手当てしなきゃ」

 ヨーコの傷はひどいものだった。

 全身血だらけ。特に踏み潰された胸からの出血がすごいことになっている。白いブラウスが血で染まり、真っ赤になっていた。肋骨が砕けて内臓の損傷もひどいはずだ。

 しかしヨーコは平気な顔で言った。

「Fカップの胸がクッションになったから傷は浅いぞ」

「なんという巨乳!」

 僕は傷の手当のためにヨーコを病院へ連れて行こうとしたが、ヨーコはそれを拒否した。

「これくらい何ともねぇよ。それよりも――」

 不意にヨーコが空を見上げた。

「なんか来るぞ」

 上空には暗黒帝国の巨大円盤型宇宙船が空に浮いたまま沈黙を保っていたが、ヨーコが見ていたのはさらにその先の空だった。

 ヨーコは超人的な視力を持っている。地球の周りを回っている人工衛星の外装に刻印された約三㎜の「NASA」の文字が地上から肉眼で見えるレベルだ。

 恐らくヨーコには宇宙の彼方から地球に迫る「何か」が見えているのだろう。

「んー、でっかいヤツの周りを小さいのが飛び回ってて……あ、小さいのは銀河警察か」

 その言葉から察するに、銀河警察の艦隊が「でっかいヤツ」を相手に戦っていて、それが今地球に向かってきているようだ。

 銀河警察の方は第七方面艦隊だろう。きっとリリアさんも参戦しているはずだ。

 もう一方の「でっかいヤツ」とは何だ? 新しい侵略宇宙人だろうか。

 ヨーコが空を見上げながら解説する。

「あー、何かでっけー黒い玉みたいなヤツで……すげー数の銀河警察の戦艦がすげー勢いで突撃してなぁ、すげー撃墜されて……あ、今全滅した」

「何ぃーーーッ!?」

 僕は急いでリリアさんに電話した。

 ちなみにリリアさんのダイヤルをコールすると自動的に銀河警察専用の宇宙ネットワーク回線につながる。

 電話は二コール目でつながった。

「リリアさん大丈夫ですか!?」

『ん? シノブ君か。今ちょうど連絡しようと思っていたところだが』

「生きてるじゃないですか! 撃墜されたんじゃないんですか?」

『撃墜? ああ、暗黒帝国の迎撃作戦の事か? 私は参加していない』

「へっ?」

『私は少々用事があって中央統括本部へ行っていたところだ』

「あ、じゃあその中央統括本部から援軍が来てくれるんですね」

『いや、申し訳ないが私が中央へ行ったのは別件というか……とにかく援軍は来ない』

 どこか歯切れの悪い言い方が少々引っ掛かるが、それよりも僕は先程の報告をした。

「聞いてくださいリリアさん、ヨーコがコバルトを倒しました」

『そうか。さすがヨーコ君だ。礼を言う』

 これほどのビックニュースにも相変わらずリリアさんの反応は冷静だった。

『どうやら君たちもすでに知っているようだが、新たに暗黒帝国の戦艦が地球に向かっている。そちらの対応について話をしよう』

 リリアさんはすでにコバルトの次の襲撃について考えていたようだ。

 恐らくヨーコが目視した「でっかいヤツ」のことだろう。

『現在地球に向かっているのは“ソドム級”という暗黒帝国最大クラスの戦艦だ。コバルトが飛来した円盤型戦艦の約七十倍はある』

 七十倍! コバルトの戦艦ですら空を覆うような巨大さだ。その七十倍のサイズなんてもはや想像もできないが、恐らく都市が丸ごと空を飛んでいるようなレベルだろう。

『ソドム級は銀河警察が過去に一度も撃墜できていない戦艦だ。その戦闘力は極大だ。地球サイズの惑星なら砲撃で跡形もなく消し飛ばせる……すまないが、ちょっと切るぞ』

 いきなり通話が切られた。

 アクシデントだろうか?

「さて、中央統括本部からの援軍は望み薄だ。今のところ我々が対処するしかない」

 リリアさんの声は頭上から聞こえた。

 見上げると空飛ぶ白バイにまたがったリリアさんが降りてくるところだった。

 リリアさんは僕らのところへ向かっていたのか。

 僕らの前にバイクを停止させたリリアさんは先生に一瞬目を向け「おや?」という顔をしたが、特に何も言わなかった。先生もリリアさんに軽く会釈した程度だった。

 リリアさんは話の続きを開始した。

「さて対処方法の話だが、現状我々ができる対処法はひとつ。ソドム級はブラックホール機関を動力源にしているのだが、それを停止させて無力化する」

 ブラックホール機関とは以前リリアさんが説明してくれたブラックホールの重力をエネルギーに変換するというエネルギー機関のことだ。

 リリアさんはポケットからスマートフォンのような機器を取り出した。

「これは銀河警察が開発したブラックホール中和装置だ。これでソドムのブラックホール機関を強制停止することができる」

「やっと銀河警察らしい武器を出しましたねリリアさん」

「ただし、中和装置はブラックホール機関から約十五cm以内でないと作動しない」

「全然使えないじゃん!」

「問題ない。ソドム内部に侵入してブラックホール機関の十五cm以内に近づけばいい」

 そこでヨーコが口を開いた。

「俺が行けばいいってことだろ」

「その通りだ。ヨーコ君にはソドム内部に侵入して中和装置を起動させてもらいたい」

 スマホ型中和装置の画面をタッチすると、赤いボタンと青いボタンが表示された。

「赤いボタンが強制停止ボタンだ。ブラックホールを中和して消滅させることができる。中和装置にはブラックホールを探知する機能があるから画面を見ればどの方向に発生源があるのかが表示される。そして十五cm以内に近づくと自動的にアラームが鳴る仕組みになっているからアラームが鳴ったら赤いボタンを押してくれ」

 リリアさんは少し躊躇うような間をおいてからヨーコに言った。

「君には頼りっぱなしですまないが、どうかよろしく頼む」

 リリアさんは中和装置をヨーコへ手渡した。

 受け取ったヨーコはそれを制服のポケットにねじ込んだ。

「任せとけ。ばっちり青ボタン押して地球を救ってやるよ」

 ヨーコは言った途端に空へ飛んでいった。

 僕たちは飛んでいくヨーコの姿を見送る。

 その時、リリアさんがポツリと漏らした。

「なあシノブ君。私の聞き間違いだと思うのだが、今ヨーコ君は『青ボタンを押す』と言っていなかったか?」

「え? そんなしょうもない間違いがあるはず……」

 七行前のヨーコのセリフをもう一度読み返してみた。

「バッチリ『青ボタン』って言ってるーーー!」

「ふむ、これは困ったな。赤ボタンはブラックホールの中和だが、青ボタンは活性化だ」

「あの、つまりどういうことでしょうか?」

「ブラックホールを開放することになる。そうなると――」

「そうなると……?」

 リリアさんは実に冷静な表情で告げた。

「太陽系はブラックホールに飲み込まれて消滅するな」

「おいぃぃぃーーーッ!」

 つまり、ヨーコは現在「ついうっかり」太陽系を消滅させようとしているのだ。

 僕はすぐにヨーコのケータイに電話した。が、圏外だった。それはそうだ、相手は地球の外にいるのだから。

 僕がどうしますか? という目で見ると、リリアさんは少しだけ考えてから言った。

「……私の宇宙船でヨーコ君を追うか」

 リリアさんはポケットから小型端末を取り出した。端末を操作すると僕らの目の前の空間が一瞬歪み、ジェット戦闘機のような宇宙船が出現した。

「私の宇宙船だ」

 以前リリアさんが言っていた二人乗りの宇宙船がこれか。

 戦闘機のような宇宙船には前後に並ぶ二名分のコックピットが備え付けられていた。コックピットは透明のガラスらしきものでドーム状に覆われている。

「じゃあリリアさん早くヨーコを追いましょうよ」

「ん、あ、ああ……」

 なぜかリリアさんの反応が鈍い。

 その反応を不審に感じた僕はリリアさんにたずねる。

「何か問題でもあるんですか?」

「………………いや、ない」

「あるよ! 絶対ある反応じゃん! 何? 何が問題なの!?」

「まあ、問題と言えば、たまに爆発するくらいの事なんだが」

「爆発って『くらいの事』じゃねーだろ!」

「この際気にしても仕方があるまい。よし勇気を出して乗ろうか」

「気にするよ! 勇気出しても乗れないよ! 自殺か!?」

「大丈夫だ。めったに爆発しない。5回に4回くらいだ」

「『めったに』どころか『頻繁に』爆発するじゃん! そんな乗り物許されるの!?」

「どんな困難が待ち受けようと、私は銀河の平和のために戦うのだ……」

「何かいいセリフで強引に終了させられた!」

 リリアさんが手元の端末を操作すると、コックピット上部が上方へ開いた。

 前方のコックピットへリリアさんが乗り込んだ。

「さあ早く乗るんだシノブ君。この機体は二人いないと飛べない」

 二人いないと飛べない? 若干気にかかる言葉だが、とりあえず僕は後方のコックピットに乗り込んだ。

 先生が言った。

「お二人ともお気をつけて」

「はい。行ってきます」

 先生に手を振ってさあ行くぞとコクピットを見回して見ると、コクピット内部は少々変わっていた……というかすごく変だった。

 自転車のサドルのようなものがあり、またがると足の位置にはペダルがあった。

 前方には棒状のハンドル。

「シノブ君、まずはしっかりとハンドルを握るんだ」

「はあ」

「次に足をペダルにのせる」

「……あの、これ自転車ですよね?」

「自転車ではない」

 リリアさんはキッパリと言った。

「コイツは銀河警察が誇る高速宇宙戦闘機エレクトリカルスペースフライヤーZⅡだ」

 えれくと……何だって?

「ダブルオペレーションシステムを採用したこの機体は前方コックピットで操縦を行い、後方コックピットでエレクトリカルフライヤーエネルギーを発動させるのだ」

「えっと、どういうことでしょう?」

 リリアさんは僕の質問には答えず言った。

「シノブ君。ペダルをこぎたまえ」

「え、ええ。じゃあ……」

 僕は言われるがままにペダルを踏み込んだ。けっこう重い。

 すると機首から光の羽が2枚生えてきて、プロペラ飛行機のように回転し始めた。

「よし、エレクトリカルフライヤーが発動した。シノブ君、もっとこぐんだ」

 言われるがまま、さらにペダルをこぐ。

 それと連動してプロペラの回転が加速していく。

「リリアさん、これってどういうことですか?」

「エレクトリカルフライヤーエネルギーをエレクトリカルコンバータでコンポジットしたエレクトリカルフィールドを展開してエレクトリカルターボエナジーリンクさせるエレクトリカルドライバで加速させるのがエレクトリカルフライヤーシステムだ」

「分かりやすく! もっと分かりやすく!」

「端的に言うと、シノブ君がペダルをこいだ力でプロペラを回して飛ぶ」

「人力飛行機かよ!」

「飛行機ではなく宇宙船だ」

「そんなことはどっちでもいいッ! 人力でこんなもんが飛ぶか!」

 リリアさんはフッと笑って言った。

「地球人の科学レベルで考えてもらっては困る。ペダル一回転分の力はエレクトリカルアクティブウェーブに変換されエネルギーコアシフト現象によってバイタルフラットになるからその状態でアクティブポイントにエナジーエンゲージを発生させて――」

「分かりやすく!」

「つまり、シノブ君が一生懸命こげば、ちゃんと宇宙まで飛べる」

 ほんとかよ……

 にわかに信じ難いが、宇宙人のハイパーテクノロジーならあり得るのかもしれない。

「急ぐぞシノブ君。ヨーコ君が太陽系を消滅させる前に誤解を解くのだ」

 そうだった。急いでヨーコを追わなくてはならない。

「行きますよ」

 思い切りペダルを踏み込むと、プロペラが一気に加速して機体が前進し始めた。

「いいぞシノブ君その調子だ。このまま離陸するぞ」

 リリアさんが操縦桿を引き上げると、機体が宙に浮いた。

 そのまま空へ登っていく。

「すごい飛んでる!」

 思わず声を上げたが、機体が飛び始めた途端にペダルが重くなった。

 例えるならば、ママチャリで二人乗りして急な坂道を登るくらいの重さだ。

 ペダルの重さに負けて、こぐスピードが落ちた。すると、プロペラの回転は勢いを失い、機体が降下し始めた。

「シノブ君しっかりこがないと墜落するぞ」

「ええっ!?」

 頑張ってペダルをこぐスピードを上げると機体が上昇に転じてくれた。

「いいぞ。そのままの調子で頑張りたまえ。大気圏を抜け出すまでの辛抱だ」

 リリアさんが励ましてくれたが、全力でペダルをこぎ続けるのはかなりキツイ。

 僕はぜえぜえ言いながらリリアさんにたずねた。

「あ、あのっ、大気圏突破までどのくらいっ、か、かかりますかっ?」

「約十四時間」

「拷問か! てか嘘でしょ? 本当はもっと早く大気圏突破できるでしょ? つーか十四時間もかかってたら絶対ヨーコに追いつかないじゃん!」

「大気圏突破までの時間は、まあ君の頑張り次第だ」

「何で教えてくれないの!? 理由は? 僕のこと嫌いだから?」

 リリアさんは僕の抗議を無視して、コックピットのパネルを操作し始める。

「さて、宇宙に出るまで私は録画しておいたアニメでも見させてもらうよ」

 前方コックピットの画面でアニメ観賞を開始するリリアさん。

 それと同時にペダルがガツンと重くなった。

 例えるならば、ママチャリの荷台に人を三人乗せていろは坂を登るくらいの重さだ。

「ぐほっ! 急にペダルが激重にッ!」

「ああ、エレクトリカルテレビはエレクトリカルエネルギーを使用するからな」

「分かりやすく!」

「つまり、私がプリキュアを視聴するぶんのエネルギーも頑張ってペダルをこいでくれ」

「プリキュアやめろぉぉーーー!!」

 ペダルをこぐスピードが遅くなり、機体がジェットコースターのように落下し始める。

「ちゃんとこがないと死ぬぞシノブ君」

「言われなくてもわかってるわぁぁーーっうぉぉぉーーーッ!」

 僕は太股の筋肉が破裂しそうなくらい力をこめて必死にペダルをこいだ。

 機体がなんとか上昇に転じ、そのまま雲の上を越えていく。

 大気圏突破はまだなのか!? 僕のフトモモの限界が近い!

「うがががぁぁーーっ足の筋肉が焼き切れるぅぅーー!」

「頑張れシノブ君。ああそうだ、暑いだろうからエアコンをつけてあげよう」

 リリアさんがエアコンをつけた瞬間、ドカンとペダルが重くなった。

 先ほどまで荷台に乗っていた人間三人がブタ三頭になったくらい劇的に重くなった。

「ムリムリムリッ! 絶対こげないってぇぇぇーーッ!」

「苦しそうだなシノブ君。よし、エアコンのパワーをMAXにしてあげよう」

「やめろぉぉぉーーー!」

 プロペラが完全停止して機体が自由落下し始めた。

 このままだと確実に墜落死する!

 僕は全身全霊でペダルを踏んだ。しかし、ビクともしない。

「オォあぁぁーーッ!!」

 地面はもうすぐそこだった。

 だめだ。もう間に合わない!

 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬぅーーッ!

 その時、リリアさんが振り返って僕の方を両手でバシンと叩いて言った。

「やっちゃえシノブ。僕も一緒だ(ドヤ顔)」

「うるせぇぇぇーーーーーッ!」

 燃えるような熱が体の中で爆発したのを僕は確かに感じた――とか言ってる場合じゃ ねぇぇーーーーっ!!

 魂の咆哮でペダルをこいだ。

 地面に衝突する寸前に機体が持ち直して地面スレスレで空へUターンする。

「オッラァァァーーーッ!!」

 僕はペダルをこいでこいでこぎまくった。

 燃えるような肺の痛みも、焼き切れそうな足の筋肉の痛みも、死への恐怖さえも消えていき、そして意識さえも――僕の記憶はそこで途絶えた。


16


「シノブ君よくやった。無事宇宙まで到達したぞ」

 気が付くと僕らは宇宙に到達していた。

「宇宙空間ならもうペダルは重くないから……どうしたシノブ君顔色が悪いぞ?」

 顔色が悪い、だと?

 今の僕の状態は「顔色が悪い」を激しく通り越して「顔色が真っ白で目は死ん魚のように濁り口から魂が半分出かかっている」状態だ。

 疲弊しすぎていて声を出して答えることはおろか、軽く頷くことすらできなかった。

 意識が混濁する。肺が焼けて灰になってしまった(別にうまいことを言いたいわけではない)と思うくらい息を吸っても吸っても酸素が足りない。全身から滝のように汗が流れ出て、足元に大きな水溜りを作っている。足が千切れるほどペダルをこいだ結果、下半身の筋肉が全て焼き切れた感覚。腰から下の感覚が一切無い。

 10000%間違いなくもうペダルはこげない。

 地球が滅亡しようと僕はもう絶対にペダルをこがない。絶対にだ!

 疲弊しきった僕にリリアさんが言った。

「ずいぶん頑張ったからな。喉も渇いただろう?」

 喉渇きまくりだよ! という意思を僕はかろうじてまばたきで伝えた。

 リリアさんはコックピットの足元をゴソゴソ探ってペットボトルを取り出した。

「はい飲むヨーグルト」

「何で!? 何で飲むヨーグルト!? もっと飲みやすくて喉を潤せるヤツにしてよ!」

「ちゃんと喋れるじゃないか」

「黙れカス! その飲むヨーグルトを僕の視界から二秒以内に消せ! 早くッ!」

 リリアさんは足元から別の物を取り出した。

「冗談だ。ほら、ごまドレッシング」

「飲み物ですらない! ポカリとかアクエリアスとか気の利いたものはないの!?」

「この二つしかない」

「どんな二択だよ! もう飲むヨーグルト飲むよ!」

「いや飲むヨーグルトはシノブ君の要望どおり船外に廃棄したぞ」

「おいぃぃぃーーーーっ!」

 もういい。もう喉の渇きが限界だ。僕はごまドレを飲む!

 僕はごまドレッシングのキャップを開けて、一気に喉へ流し込んだ。

「がっっはッッッおええぇーッ」

 勢いよく喉に流し込んだごまドレッシングを勢いよく吐き出した。

「汚いではないかシノブ君」

「こんなもん飲めるか!」

「そんなに飲むヨーグルトが飲みたかったのか?」

「ちがう! フツーの飲み物が飲みたいんだよ! 飲むヨーグルトはもういいよ!」

「仕方がないな。ではコーヒーでもいいか?」

「それナイスです! ちゃんとした飲み物もあるんじゃないですか」

 リリアさんは足元からビニール袋を取り出した。

「……何ですかそれ?」

「エチケット袋だ」

 エチケット袋と言えば、長距離バスの座席とかに備え付けられていて、乗り物酔いでゲロ的なヤツをもよおしてしまった際に使用するアレだ。

 リリアさんは自分の口にエチケット袋をあてながら言う。

「私が朝飲んだコーヒーを今戻してやるから少し待っていろ」

「死ねよお前! どれだけ喉が渇いてもお前のゲロなんか飲まねぇよ!」

「今私は温厚なシノブ君が『死ね』などと口走るくらいの逆鱗に触れたようだな」

「そんな冷静な分析はいらない!」

 僕はもうやけくそになってごまドレを飲み干してやった。うっぷ。飲み心地サイアクだ。

 渇いた喉を潤した(?)僕はやっと本題に入った。

「ヨーコが向かった暗黒帝国の戦艦はどこですか?」

「そう遠くない。それじゃあシノブ君ペダルを――」

「絶対嫌です!」

 断固拒否した。

 僕はもう死んでもペダルはこがない。

「今度はリリアさんがこいで欲しいです……というか、ふざけんなお前がこげよ!」

「ふむ、そこまで言うのならば仕方あるまい。ブラスターエンジンを使うことにしよう」

 リリアさんは操縦桿脇に付いているボタンを押した。

 すると機体の両翼から青白い光が噴き出して、機体が前進を始めた。

「…………何これ?」

「ブラスターエンジンだ。空間のあらゆる物質をフォトンイレイザーユニットで取り込みマスターハイブリットチャージャーに充填することで原子内部の電子を加速化させてバーンブレイクポイントまで高めることによって――」

「分かりやすく!」

「要するにシノブ君がペダルをこがなくてもこの宇宙船はちゃんと動く」

「てめぇぇぇぇーーーーッッッ!」

「落ち着けシノブ君。そんなことよりも、ソドムが見えてきたぞ」

 機体の前方に巨大な黒い球体が見えた。

 小惑星かと勘違いするほどの大きさだ。だがそれは明らかに人工物だった。

 球体の外壁は黒光りする鋼鉄で覆われていた。無数の砲台らしきものも見える。

 球体の中心部からはひときわ大きな砲身が突き出していた。あれが暗黒帝国の戦艦ソドムの主砲だろうか。素人目に見てもあんな巨砲が地球に打ち込まれたら、ただではすまないことは明らかだ。

 僕たちがさらにソドムへ近づいていった時、ソドムの外壁で無数の光が瞬いた。

「まずい」

 リリアさんが小さく呟いたのと同時に機体が急旋回した。

 機体のすぐそばを複数のビーム砲が通過して行った。先ほどの光はソドムからの砲撃か。

「シノブ君しっかりシートベルトをしていろよ」

「え、シートベルトってどれですか?」

「ああ、後方座席はなかったか。じゃあハンドルでも握ってそれなりに耐えてくれ」

 リリアさんがテキトーな忠告を終えた瞬間、機体が左右に鋭く傾いた。

 ビーム砲が機体をかすめていった。

 ソドムが嵐のような砲撃で僕らの迎撃を開始した。

 リリアさんは愛機を加速させ、砲撃の嵐の中へ突っ込んでいく。鋭い操縦でビーム砲を次々にかわしていく。すごい操縦技術だ。

 僕はリリアさんを役立たずのアホポリスだとばかり思っていたが誤解だったようだ。

 ガコンッ! と前方操縦席から何かの音がした。

「リリアさん何かありました?」

「…………いや、何でもない」

「なくないだろ! 絶対何でもなくないじゃん! 何が起きたの? 正直に!」

 リリアさんは僕を振り返って、金属の棒のようなものを掲げて見せた。

「操縦桿がとれました」

「アホポリスーーーーッ!」

 操縦不能で無防備になった機体にソドムのビーム砲が襲い掛かる。

「シノブ君心配するな。こういう展開だと大抵は運良くビームをかわしきって、なんとか生き延びるパターンになるのが――うおっ」

 リリアさんが言い終わる前にビーム砲が直撃。

 機体が激しく揺さぶられた。

「……これは撃墜死バットエンドルートのフラグが立ったな」

「おいぃぃーーー!」

「シノブ君が私の好感度をもっと上げていれば撃墜死ルートを選択せずにすんだものを」

「なんの話だ!?」

「シノブ君が私のゲロコーヒーを飲んでいれば好感度が100%になって、生還ルートを選択できていた」

「そんなことするくらいなら撃墜死ルート選択するわ!」

 無防備な機体にビーム砲が着弾した。

「どぐはっ!」

 右翼が破壊されたて、さらにもう一発。

「うおおおっ!」

 今度はコクピットに直撃。

 辛うじて装甲が耐えて撃墜をまぬがれたが機体は大破している。

 このままでは宇宙を漂う鉄クズになるのも時間の問題だ。

 リリアさんが普段どおりの平坦な声で言った。

「これは死ぬな」

「何でそんなに冷静なの!?」

「冷静で何が悪いんじゃ殺すぞボケ!」

「急にキレキャラ化!?」

 僕の頭上から「プシュー」という空気が漏れるような音が聞こえた。すぐさま頭上を確認したところ、コックピット上方のガラスにひびが入っていた。

「リリアさん空気が漏れてます!」

「慌てるな。宇宙服を着れば何の問題も無い」

 リリアさんはシートの足元からサウナスーツみたいな宇宙服とヘルメットを取り出した。

「ただし宇宙服は一着しかない」

「何で!? 二人乗りなのに?」

「心配するな。シノブ君にはこのエチケット袋をあげよう」

「これでどうしろと!」

「口にあてて空気を吸う」

「ふざけんな! 絶対無理だろ!」

 と怒鳴り声を上げたが、その次の言葉が出てこなかった。

 息が吸えなかった。

「カッ…ハッ……?」

 リリアさんが素早く宇宙服を着て言った。

「どうやらコックピット内の空気が無くなったようだな」

「     !」

 僕は文字通り声にならない悲鳴を上げた。

 ヤバイ! 撃墜される以前にこのままでは窒息死してしまう!

 あばっばばば、く、苦しい。苦しい、何とかしろこのアホポリス!

 リリアさんは真剣な顔で頷き、何やら足元をごそごそ探って、

「……本当は、飲むヨーグルトもう一本あったんだ」

「            !!!!!!」

 僕はアホポリスに対して最大級の怒号を上げたのだが言葉にならなかった。

 も、もうだめだ……もう息が、つ、づか、な―――


17


 ―――はっ。

 目が覚めると、僕は誰かに背負われていた。

「気が付いたようだな」

 僕を背負っていたのはリリアさんだった。

「リリアさんここは……?」

「目が覚めてすぐのところ悪いが、我々はもうすぐ死ぬ」

「えっ?」

 周りに目をやると、そこは四方を金属の壁で囲まれた一本道の長い通路だった。

 リリアさんは僕を背負って走っていた。まるで何かから逃げるように。

 その「何か」はすぐに分かった。

 行く手を塞ぐように現れたのは、コバルトだった。

 僕は目を疑った。コバルトは確かにヨーコが倒したはず。

 さらに、そのコバルトの後ろから二人目のコバルトが現れた。

 コバルトが二人!?

 その時、僕の頭にコバルトを倒した時に先生が呟いていた言葉が浮かんできた。

 やっかいなことになる――そうか。

 コバルトがロボットだったということは、目の前にいるこのコバルトたちは――

「コバルトの……複製」

 僕が呟いた言葉にリリアさんが反応した。

「何だって?」

「いえ、複製というよりも同型のロボット……でしょうか」

 リリアさんは一瞬の間を置いてすぐに理解した。基本的にはとても頭の回転は速い人だ。

 僕はリリアさんの背中から下りて後ろを振り返ると、通路の奥から別のコバルトが迫ってきていた。

 僕とリリアさんは三体のコバルトに囲まれた。

 前方のコバルト一体が手刀を作ってこちらに歩み寄ってくる。

「ひょっとして、これって大ピンチですか?」

「言っただろう。目が覚めてすぐのところ悪いがもうすぐ死ぬと」

「気絶している間に状況が悪化してる!」

 たぶんあのまま窒息死していた方がラクに死ねたと思う。

「死ぬ前に一応解説してあげよう。私は気絶したシノブ君を背負って宇宙船から脱出してソドムへ侵入したのだが、すぐに発見されて追いかけられて今に至る」

「分かりやすい!」

 手刀をかまえたコバルトが無表情に迫ってくる。

 確実な死が迫る状況でリリアさんは僕をかばうように前に進み出た。

「犬死はしない。銀河警察の誇りを見せててあげよう」

「リリアさん……!」

 リリアさんは悠然とかまえて言った。

「じゃあ土下座して命乞いをするぞ」

「銀河警察の誇りはどこへいった!」

 リリアさんがためらいもなく土下座をしようとしゃがみこんだ時、背後で爆発が起きた。

 通路の壁が破壊されて、そこから何者かが現れた。

 現れた何者かは風のような速さで僕らの後方にいたコバルトに襲い掛かった。

 コバルトに構える時間すら与えず、その胴体を真っ二つにした。

 それは金色の流星のようだった。

 切断されたコバルトが倒れると同時に金色の流星は言った。

「太陽系最強の戦士“新生”金星レオ様の登場よ」

「レオさん!」

 金星レオが不敵な笑みを浮かべてコバルトの前に立ちはだかった。

 レオさんは残る二体のコバルトに手招きして言う。

「同時に来た方がいいわよ? 今の私は強すぎるから」

 コバルトたちは二体同時にレオさんに襲い掛かった。

 それぞれが超スピードで突撃してきて、貫き手を放った。

 レオさんは踊るような動きでそれらを払い除け、逆に二体のコバルトの胸を貫き手で貫いた。

 二体のコバルトが倒れた。瞬殺だった。

 ヨーコが限界まで追い込まれてやっと倒したコバルトをレオさんは紙でできた人形でも倒すくらいにあっけなくやっつけてしまった。

「どうしちゃったんですかレオさん」

「言ったでしょ、金星人は危機をと困難と苦痛を乗り越えるほど強くなる生命体なのよ」

 言ってたでしょ? と言われても……と首をかしげるとリリアさんが言った。

「そういえばコバルトにやられて蘇生した時にそんなことを言っていたな」

 そんなこともあった気がする。僕とリリアさんはレオさんが喋ってる間ずっと「せんだみつおゲーム」してたからほとんど何も聞いてなかったけど。

 レオさんは嬉々として話し始めた。

「どうやら新生金星レオ様の強さの秘密を知りたいようね。フフ、まあ以前の私に比べて軽く二百倍は強くなったかしら? 凡庸な星の下等生物が驚くのも無理は無いわ」

「お前の自慢はいいからさっさと要点を話せ」と思ったけど窮地を救ってもらった手前そういう態度はとれないのでおとなしく聞く。

 リリアさんもおとなしく黙って話を――

「お前の自慢はいいからさっさと要点を話せ」

「なんという容赦のなさ!」

 レオさんはリリアさんの辛辣な言葉をものともせず、饒舌に話を続けた。

「宇宙広しと言えども、金星人ほど強靭な肉体を有した生命体は他にいないわ。そうね、地球人と比べたらその肉体の強度は百万倍は違うんじゃないかしら?」

 レオさんはもったいぶった笑みを浮かべて言った。

「で、私がどうしてこんなに強くなったかって? フッ、それは筋トレの成果よ」

「筋トレぇ?」

 申し訳ないが、僕は今「何言ってんだこいつ」って顔をしていると思う。

 レオさんは一向に気にする様子も無く言った。

「ざっと腕立て伏せを八十万回」

「はちじゅうまんかいぃぃ?」

「を一万セット」

「な に そ れwwwwww」

 つまりは八十億回!

 数が多すぎてもうなんか良く分かんない。

 リリアさんが少し考えてから言った。

「八十億回なら一秒に一回やっても二三五年以上かかるな」

「に ひ ゃ く ご じ ゅ う さ ん ね ん !」

 レオさんはフッと笑って言った。

「腹筋と背筋とスクワットも同じ数だけやったわ」

 四種目を休み無く一秒一回でやっても……一〇一二年以上かかる計算だ。

 西暦が始まってから半分くらいを筋トレで過ごすようなものだ。そんな人類の歴史は嫌だ。

「つまり、金星人は地球人が千年以上かけて到達する境地にわずか一日で到達できるのよ!」

 ここ一番のドヤ顔だった。非常にうざったいが、金星人のすごさは認めざるを得ない。

 話に区切りがついたところでリリアさんが言った。

「さて、我々はヨーコ君を探さなくてはいけない」

 そうだ。忘れかけてたけどヨーコの誤解を解かないと太陽系が消滅するんだった。

 レオさんがそっけない感じで言った。

「あのチビならさっき会ったわよ」

「本当ですか?」

「この宇宙船に突入したらあいつとばったり会って。どっちが先に敵を殲滅できるか競争することにしたのよ。殺戮ゲーム形式で。で、その途中であなた達を見つけたわけね」

 ヨーコはレオさんと殺戮ゲーム(って正義の味方がやるゲームじゃないぞ……)に興じていたおかげでまだブラックホール機関まで到達していないようだ。

「ヨーコが今どこにいるか分かりますか?」

「さあ?」

 とあっけなく期待が裏切られた。

 僕はほんの一瞬「この役立たずめ」と罵りたくなったが、レオさんは命の恩人なのでそんなことは言うまい。

 もちろんリリアさんもレオさんを罵ることなどあるはずが――

「レオ君は本当に犬の糞にも劣る役立たずだな」

「なんという恩知らず!」

 とりあえず僕ら三人は一本道の通路をひたすら進むことにした。

 延々続く通路を進んでいくと、見上げるような高さの扉に行き着いた。

 黒光りする鋼鉄の両開きの扉で、そのサイズは扉というよりは城門だ。

 レオさんが城門を見上げて言った。

「まるでダンジョンのボス部屋って感じじゃない」

 僕もそう感じた。

 ここから先には何らかの「危険」が待ち構えている……はずなのだろうけど、レオさんは警戒する様子もなく、さっさと扉を押し開けた。

 ゆっくりと鋼鉄の扉が開くと、部屋の中は完全な暗闇だった。

 しかしそこが無人の物置などではないことは凡人である僕にも察知できた。

 闇の奥に何かが潜んでいる。

 立ち尽くす僕の目の前で、レオさんが何のためらいも無く扉の奥へ進んでいった。

 僕もリリアさんもレオさんの後について行くことができずに扉の前で立ち尽くす。

「レオさん大丈夫ですかー?」

 闇の中へ声をかけたが、返事が無い。

 嫌な予感が湧き上がってくる。

「レオさん? レオさん大丈夫ですか?」

 もう一度レオさんを呼んだ時、暗闇の中からレオさんの声が上がった。

「くそったれ! この私にたっ――」

 声は途中で途切れた。

 僕とリリアさんは反射的に闇の中へ飛び込んだ。その瞬間、周囲が光に満たされた。

 一瞬にして照らされた扉の内側は巨大な鋼鉄の箱のような空間だった。飛行機でも飛べるような高さと先が見えないくらいの広大な空間が広がっていた。

 僕とリリアさんの少し先にレオさんが立っていた。

 その姿を見て僕は凍りついた。

 レオさんは右肩から先がごっそりちぎれて無くなっていた。

 大量の血が流れ出てレオさんの足元に血の池を作っている。

 レオさんの正面には一人の男が立っていた。

 黒い長髪の男だった。

 コバルトと同様に黒い鋼鉄の鎧に身を包み、腰には剣を差していた。

 男が低い声で言った。

「ひれ伏せ。我は闇の王である」

 レオさんが怒りを込めた声で答えた。

「太陽系最強の戦士金星レオの前にひれ伏すのはそっちの方よ」

 レオさんが男に飛び掛かった。

 頭部を狙った蹴りを男は手の平で軽々受け止めた。男はもう片方の手でパンチを打つ。

 その時、男の拳から黒い炎のようなものが噴出した。

 レオさんは身を引いてかわそうとしたが、男の拳はレオさんの左肩をえぐった。レオさんの左肩が爆砕し、骨と血が花火のように飛び散った。

「ぐあっ……!」

 レオさんが苦痛に顔を歪めた。

 両肩から先が無くなったレオさんの姿は目を背けたくなるような壮絶な姿だった。

 あんなに強くなったはずのレオさんが、わずかな時間でこんなことに。

 つまらなそうな目でレオさんを見ながら男は言った。

「辺境の戦士よ。闇の王ジークフリートの拳を受けたことを誇りに思うがいい」

 ジークフリートと名乗ったその男は口元を歪めた。たぶん、笑ったのだ。

 リリアさんがかすれる声で呟いた。

「暗黒帝国大幹部ジークフリート……!」

 リリアさんは顔を真っ青にして叫んだ。

「レオ君そいつとは戦うな! 退くぞ!」

 ジークフリートがこちらを一瞥した。

「銀河警察か。まったく、どこへでもハエのように追いかけてくる」

 リリアさんが鋭く言い返した。

「銀河警察は必ずお前たち暗黒帝国を全員逮捕する」

「どの銀河でも威勢だけはいい。すぐに尻尾を巻いて逃げ出すくせにな」

 リリアさんは歯噛みして押し黙る。

「銀河を守る正義の味方を気取っているようだが、身の程をわきまえろ。力なきものは敗者にしかなれない。強者の前にひれ伏すがいい」

 ジークフリートは視線をレオさんに戻した。

 それを見てリリアさんはもう一度言った。

「いったん退くぞレオ君」

「金星人に『退く』なんて言葉はないわ」

 レオさんの言葉を聞いて、ジークフリートは言った。

「その勇気を称えてお前に戦士として最高の栄誉――闇の王が死を与えてやろう」

「やれるもんならやってみなさいっての!」

 ダメだ逃げろレオさん。

 僕は直感的にそう思った。しかし、僕が声を上げる間もなくレオさんはジークフリートに突進していった。

 ジークフリートは悠然とかまえて告げた。

「辺境の戦士よ。お前は勇敢であった」

 ジークフリートの拳から再び黒い炎が噴出した。

 その拳がレオさんの顔面めがけて放たれる。

 レオさんの頭部が破裂する光景が目に浮かび、思わず目を背けた。

 骨と肉が砕け散る鈍くて重くて生々しい音が響いた。

 僕はそちらを見ることができなかった。

「……なんだお前は?」

 ジークフリートの困惑した声。

 続いて聞こえてきたのは、僕のよく知った声だった。

「俺様を知らないとはよぉ、どこの田舎から出てきたんだ?」

 その声の主を見た。

 ヨーコが片手でコバルトを盾のように持ち、ジークフリートの拳を受け止めていた。

 ヨーコの足元には破砕されたコバルトの破片やオイルのようなものが散らばっていた。

「真打登場。ちなみに『真打』ってのは寄席の最後に出てくるヤツのことで、その前に出てきて場を温めるのが『前座』ってヤツだな」

「誰が『前座』よ」と不満げにレオさん。

「ああ『前座』じゃなくて『噛ませ犬』か」

「なお悪いわ!」

 ヨーコは砕けたコバルトを投げ捨ててレオさんに訊いた。

「おい転校生。お前いくつ倒した?」

「9」

 レオさんが答えた。撃破したコバルトの数のことだろう。

「俺は10だから、俺が先だな」

 そう言ってヨーコはジークフリートと対峙した。

 レオさんは舌打ちして、しぶしぶといった様子でヨーコにその場を譲った。

 ジークフリートがヨーコを見て言った。

「ああ、お前が派兵したコバルトを破壊した辺境の戦士か」

「違うね。俺は辺境の戦士じゃなく、宇宙最強の戦士だ」

 ジークフリートは薄く笑った。

「今まで宇宙最強を名乗る戦士を何人見てきたことか」

「俺も同じセリフを言いたいね。全員嘘つきだったぜ」

「では、今日はお前も嘘つきになる。この闇の王の前にひれ伏すがいい」

「やってみやがれ」

 ヨーコは両手を広げて「どっからでもかかってこい」ポーズをした。

 ジークフリートはそれを見て不愉快そうな顔をした。

「こんな辺境で拳を振るうこと自体、この闇の王ジークフリートにとっては屈辱極まりない行為だ。ましてやこんな小娘相手になど……そちらが好きに攻撃してくるといい」

 ジークフリートも両手を広げてみせた。

「いやてめぇが打ってこいよ」

「何を言うか。早く打ってきた方がいいぞ」

「いーや、格下のてめぇが俺に好きなだけ打つべきだ」

「ふふ、つまらないプライドが命取りになる前に打ってくるといい辺境の弱者よ」

「いやいや――」

「ふっふっふ――」

 というようなやり取りが延々と続いた後、両者は互いに首を横に振った。

「俺様の厚意が分からないようだな……ならば」

「辺境の戦士には到底理解できんか……ならば」

 ヨーコとジークフリートは同時に言い放った。

「「SJPで決着をつける!」」

 ……何それ?


18


 SJPと言われても何のことかさっぱりな僕にリリアさんが解説してくれた。

「SJPとは全宇宙共通の決闘方式だ。聞いたことくらいないのか? 宇宙の常識だぞ」

 レオさんが隣で頷いている。

 そういえばヨーコとレオさんが体育の授業で対決した時「SJP」って言葉を口にしていたような気がする。

「てか、レオさん両腕千切れてますけど……痛くないんですか?」

「痛いわよ。蚊に刺された程度に」

「金星人タフすぎる!」

「私たち金星人は首を落とされでもしない限り死なないわ」

「金星人にも一応『死ぬ』って概念はあるんですね……」

 ヨーコとジークフリートは互い手が届く程度の距離まで歩み寄って対峙した。

 リリアさんが解説する。

「あれがSJPの対決位置だ」

「あのー、そもそもSJPって何をするんですか?」

「SJPとは、スーパー(S)・ジャンケン(J)・ポン(P)だ。ルールはシンプル」

 リリアさんは二本指を立てて言った。

 ルール1.じゃんけんをする。

 ルール2.勝ったほうが相手を殴る。 以上

「相手が倒れるまで行い、先に倒れた方が負けだ」

 やたらと単純で原始的な決闘だな。

「単純だからこそあらゆる銀河で採用されているのだが……」

 リリアさんはその先の言葉を口にするのをためらうかのように間を置いてから言った。

「シノブ君、止めた方がいい。いくらヨーコ君が強いとはいえ相手が悪すぎる」

「え。うーん……たぶん大丈夫だと思いますよ」

 何を根拠にとでも言いたげなリリアさんに僕は付け足して言った。

「ルールを聞く限りヨーコは無敵ですから」

「どういう意味だ?」

 僕はあえてもったいぶってこう答えた。

「まあ見てて下さい」

 リリアさんは怪訝な顔をしたが、それ以上訊いてこなかった。

 視線を対決に戻す。

 にらみあっていたヨーコとジークフリートが互いにゆっくりとした動作で拳を正面に突き出した。

「始めよう。この闇の王と戦えることを光栄に思え」

「俺のセリフだな。鉄人ヨーコ様にぶん殴られることを神に感謝しな」

 一瞬の間の後、両者勢いよく拳を振りかぶって――

「「スーパージャンケン! ジャン、ケン、ポン!!」」

 ヨーコの手は、グー。

 闇の王の手は、チョキ。

「俺の勝ちだな」

 勝ち誇った顔のヨーコに対し、ジークフリートは余裕の笑みを浮かべて言った。

「よかったよ。私が勝って一撃で終わってしまってはつまらない」

 ジークフリートは「きたまえ」と自らの頬を差し出した。

 ヨーコはジークフリートノ顔を容赦なくぶん殴った。

「オラァ!」

 闇の王の首が殴られた方向へ勢いよく半回転した。ジークフリートはしばらくそのままの体勢でいたが、やがてゆっくりと正面に向き直って言った。

「残念ながらこんなパンチでは百万回打ってもこの闇の王を倒すことはできない」

「手加減してやったんだぜ? 一発で終わらせたらつまんねーからな」

 ジークフリートは憎たらしげな顔でヨーコに言った。

「愚か者め。すぐに後悔することになる」

 両者拳を突き出し、第二回戦。

「「スーパージャンケン! ジャン、ケン、ポン!!」」

 ヨーコの手は、パー。

 闇の王の手は、グー。

 勝利したヨーコがグルグルと腕を回しながら言う。

「さーて、今度は少しだけ力を入れてやろうか」

「貴重な助言をしてやろう。全力でやった方がいい。理解していないようだが、お前は今死の直前まで追い込まれ――」

「オラァ!」

 ヨーコは闇の王の貴重な助言を最後まで聞かずにぶん殴った。

 ジークフリートの首が衝撃で半回転したが、それをすぐに元に戻して言った。

「……ふ、ふふ。忠告はしてやったぞ。まあ、その調子で頑張りたまえ」

 第三回戦。

「「スーパージャンケン! ジャン、ケン、ポン!!」」

 ヨーコの手は、グー。

 闇の王の手は、チョキ。

「ほう、ジャンケンだけはなかなか強いよ――」

「オラァ!!」

 ヨーコの右フックが喋っている途中のジークフリートに炸裂した。

 殴られた顔を正面にすぐさま戻した闇の王が言う。

「……人の話は最後まで聞くべきだと思うが、フフ、このジークフリートは寛大だ。少々の無作法は目をつぶってや――」

「次は五連続勝負でいくぞ?」

「人の話を遮らないと会話できない種族なのかお前は」

「あん?」

「……まあいい。今に闇の王の恐ろしさを教えてやる」

 ヨーコの提案で次は五連続勝負になった。

 両者拳を勢いよく振りかぶって、

「「スーパージャンケン! ジャン、ケン、ポン、ポン、ポン、ポン、ポン!!」」

 ヨーコが、グー、チョキ、グー、パー、パー。

 闇の王が、チョキ、パー、チョキ、グー、グー。

 ヨーコの五戦全勝だった。

「……」

 ジークフリートは一瞬沈黙した後、

「フッ、ジャンケンだけはまあまあ強いようだが、これからさ――」

「オラオラオラオラオラ!!」

 ヨーコの左右の五連フックが闇の王の顔面を連打した。

「――ッ、人が喋ってる時くらい待てないのか! っと、おっと、フフ。いかんいかん、闇の王たるこの私としたことが少々気が立ってしまったか」

 闇の王は自嘲気味に笑って首を振った。

 この決闘を見ていたリリアさんが呟いた。

「ヨーコ君ジャンケン強いな」

 僕は頷いて答える。

「ヨーコは人生で一度もジャンケンに負けたことないんですよね」

「一度も?」と目を剥くリリアさん。

「一度も」と頷いて答える僕。

 リリアさんは「うーむ」と感心したような感服したような顔で言った。

「そりゃあ大丈夫だろうよ」

「ですよね」

 ヨーコとジークフリートの決闘は続く。

 ジークフリートは気を取り直すように言った。

「さて、サービスタイムは終了だ」

「サービスしてたのは俺の方だけどな」

 というヨーコのセリフをジークフリートはあえて無視して、第九回戦。

「行くぞ!」と力強く宣言したジークフリートが高々と拳を振り上げた。

「「スーパージャンケン! ジャン、ケン、ポン、ポン、ポン、ポン、ポン!!」」

 ヨーコが、パー、グー、グー、パー、グー。

 闇の王が、グー、チョキ、チョキ、グー、チョキ。

「オラオラオラオラオラオラッー!」

「――ぐっはッ! って待て! 今勝った数より殴った数のほうが一回多かったぞ!」

「あん? 勝てねぇ言い訳か?」

「ぬぐっ、絶対一回多かった……が、まあいい。瑣末なことよ。これぞ王者の風格」

 ジークフリートは自身の怒りを鎮めるように抑えた声で言った。

「ふう……次こそは闇の王の恐ろしさを教えてやる」

 闇の王がそう宣言して突入した第十四回戦だったが、

 ヨーコ、パー。

 闇の王、グー。

 ヨーコの通算十四連勝だった。

 ちなみに今スマホで計算してみたらジャンケンで十四連勝する確率は0.00002%だった。十四連続ジャンケンを約四七八万回行って一回起こる確率。ほぼ奇跡である。

「…………」

 闇の王は自分の出したグーの手を無言で見つめる。

「オラァ!」

「ぐはッ! ちょ、何の前触れも無く殴るんじゃない!」

「しょーがねなー。じゃあ、お前にハンデやるよ」

「闇の王たる私にハンデ、だと……?」

 ヨーコはニッと笑って右拳を突き出した。

「俺はこれからグーしか出さねぇ」

「「「「!」」」」

 その場にいた全員が絶句した。

 僕は思わずヨーコに言った。

「ちょ、ちょっとヨーコ、それちゃんと意味分かって言ってるの?」

 ここまではジャンケンに一方的に勝利してきたからよかったものの、もしジャンケンに負ければヨーコはジークフリートの攻撃を受けることになる。

 パワーアップしたレオさんですらジークフリートの一撃は致死レベル。もし喰らえば無事にすむはずがない。

 僕の脳裏にヨーコの頭部が粉々にされる状景が目に浮かび、全身に震えが起こった。

 ヨーコはニヤリと笑った。

「もう一度言うぜ? 俺はこれからずっとグーしか出さねぇ」

 ジークフリートの顔が屈辱と憤怒に歪んでいった。

「このジークフリートを愚弄するか……!」

 ジークフリートはヨーコを鋭くにらみつけて言った。

「好きにするがいい。この闇の王を愚弄したことを後悔させてやろう」

「後悔するのはてめぇの方だ。次からは鉄人ヨーコ様の本気の拳を食らわせてやるよ」

 もう決闘を止めることは出来そうもない。

 ヨーコを信じるしかない。

 運命の第十五回戦。

「「スーパージャンケン――」」

 両者腕を高く振り上げた。

 その時、ジークフリートの表情が急変した。重大なことに気が付いたかのような表情。

 それはまるで、ジークフリートがこんな事を考えているかのようだった――

(ちょっと待て、冷静になれ。コイツは本当にグーを出すのか? 確実に負けると分かっているのにも関わらずだぞ。そんなはずが無い。この闇の王の攻撃を恐れぬはずがないであろう。……ふん、そういうことか。コイツはグーを出すと宣言しておいて私にパーを出させるつもりだ。奴はそれを予測した上でチョキを出して私を嘲笑うつもりだな。小賢しい。私はお前のさらに上をいきグーを出すぞ!)

「「――ジャン――」」

 そこで再びジークフリートの表情が変わった。

 こんな事を考えている顔をしていた――

(いや待て! コイツが本当に宣言通りグーを出したらどうする? 相手が真っ向勝負を仕掛けてきているのに、対する私が小賢しい策を弄することになるではないか。そんなことが王者たる者にとってあっていいはずが無い! 闇の王たるこの私はいかなる敵も正面から粉砕してやらねばならんのだ。そうだ、私の出す手はパーだ)

「「――ケン――」」

 またまたジークフリートの顔色が変わる。

 顔色を察するに――

(待て待て! 仮にコイツが宣言通りグーを出す。そして私はパーを出す。私の勝利だ。が、しかし! これが誇り高き闇の王たるものの勝利と言えるのか? 相手がグーを出すと知っていてパーを出せば、それはこの小娘に“勝たせてもらった”ようなものではないか。そんな「勝利」がこのジークフリートの誉高き戦歴にあって良いはずが無い! 戦士の誇りに泥を塗るようなことがあるくらいならば、私は死を選択する! 私は闇の王だ。王たる者、与えられた勝利などいらぬ。むしろ王者たるこの私が憐れな辺境の生命体にささやかな「勝利」を与えてやろうではないか。ならば私の出すべき手はチョキだ)

「「――ポ――」」

 と言ったところで、さらにジークフリートの表情は変わった。

 こんな感じだ――

(いや待てよ。チョキで勝利を譲ってやるのは王者の証だ。ただ、コイツは今後一切グーを出すと宣言した。もしそれが本当であれば、これから先の対決はずっとコイツのグーと私のチョキが続くだろう。永遠に。こんな小娘の拳など100万回喰らおうとノーダメージだ。だが、百万回負けるなどということが闇の王に許されるだろうか。「闇の王ジークフリート」とは「絶対的勝利者」であるはず。そもそも負けることなどあってはならない。最後に勝つのはこの私でなければならない。では一度チョキを出して負けた後、パーを出して勝ったとしよう。もちろんその一撃でコイツを粉砕する。しかし奴は今から本気を出すと言ったな。それでは、まるでこの私が本気で殴られたら効いたのでもう耐えられないからパーを出して勝ちにいった……そう思われやしないか? 思われた時点ですでに私の敗北! 最も屈辱的な敗北だ! つまり、私はチョキを出してはならない!)

「「――ポォ――」」

 ジークフリートの顔に焦燥の色がいよいよ濃くなり――

(ん? という事は、私は結局何を出せばいいのだ? ん、おい、待て、もう手を出さねばならないぞ、待て、いかん、このままでは何も手を出せずに敗北だ、それは戦士として恥ずべき行為だ、手を出せ、しかし、何を、何を出す? グーは……ダメだ! パー……もダメだ! チョキもダメで……あ、いや、待て、待て待て待て――)

「「――ン!!」」

 ヨーコは宣言通り、グーを出した。

 対するジークフリートは――

「……何だそれ?」

 とヨーコはジークフリートの手を見て言った。

 ジークフリートの出した手は、親指は曲がっているが、人差し指と中指は半分くらいしか曲がっておらず、薬指はピンと伸びていて、小指は第一関節だけ曲がっていた。

 要するに、グーでもパーでもチョキでもない、何にもなっていない手だった。

 闇の王はしばらく自分の手をじっと見つめていたが、やがてフッと笑って目を閉じた。

 ゆっくりと膝を折り、両腕はだらりと垂れ下がって全身から力が抜けていき、魂まで抜けていったかのような弱々しい声で言った。

「私の、負け、だ……」

 誇り高き闇の王の敗北宣言だった。


19


 燃え尽きた灰のようになったジークフリートに対してヨーコが言った。

「お前色々言ってたけど、実際は口ほどにもない奴だったぞ」

 グサッ! と言葉の刃が闇の王の胸を突き刺す音が聞こえた。

 ジークフリートが「がっはッ!」と吐血して倒れた。白目を剥いて痙攣している。

 リリアさんが言った。

「さすがヨーコ君だ。こんな化け物ですら相手にしないとは感服したよ」

「わはははっ、もっと褒め称えていいぞ部長殿」

「ところでヨーコ君、当初の目的は覚えているか?」

「ん?『投書』の目的は新聞や公共の機関に意見を書いて送ることだがそれがどうした?」

「妙なところで博学なのは何なんだ君は……『当初』の目的はブラックホール機関の停止だ。ヨーコ君中和装置は持っているな?」

「ああ、アレな。ちゃんとポケットに……」

 ポケットをまさぐるヨーコ。ゴソゴソやった後、小首をかしげて言った。

「落としちゃった」

「ええぇーーーッ!」

 中和装置が無いと地球を木っ端微塵に粉砕するこの巨大戦艦を無力化できない。

 ヨーコが悪びれもせずに言った。

「まあいいじゃねーか。俺がこの宇宙船ごとぶっ壊せば解決だろ」

 そう言って拳を振り上げたヨーコをリリアさんが制した。

「待ちたまえ。話はそう簡単ではない。ブラックホール機関を下手に破壊するとブラックホールの暴走が起きてしまう。そうなれば太陽系ごと消滅してしまうぞ」

 ヨーコが拳を下ろして訊いた。

「ならどーすればいいんだ?」

「強制的に停止できなければ、手順を踏んで停止させるしかないが――」

「それはできない」

 リリアさんの説明を遮る声が上がった。

 ジークフリートだった。

 闇の王は殺気のこもった声で言った。

「お前たちは全員殺す」

 ジークフリートは立ち上がると同時に、一瞬でヨーコとの距離を詰めた。ヨーコにむけて手刀を上段から振り下ろす。ヨーコが両腕をクロスさせて手刀を受け止めた。

 次の瞬間、ジークフリートの手刀から黒い炎が噴出した。

 レオさんを粉砕した時にも出現した黒い炎だ。ヨーコはガードごとその場に押しつぶされ、鋼鉄の床に体がめり込んだ。

「がっ、はっ……!」

 地面に這いつくばるヨーコを見下ろし、ジークフリートが言った。

「お前の母星の二千倍の重力をかけた」

「なっ?」

 ジークフリートが掲げた右手に黒い炎が燃え上がった。

「重力の炎。闇の王たる私の力だ」

 ジークフリートは這いつくばるヨーコめがけて重力の炎を込めた右拳を振り下ろした。

 ヨーコは身をよじってそれをかわし、素早く立ち上がった。

 ジークフリートがすぐに追撃する。

 黒い炎で燃え盛る前蹴りでヨーコを蹴り飛ばした。弾かれたように小柄なヨーコの体が後方へ一直線に吹っ飛んだ。

 姿が見えなくなるくらいまで遠くに吹き飛ばされたヨーコだったが、すぐに戻っきてジークフリートと対峙する。

 ジークフリートがわずかに顔を歪めた。

「少々信じがたい頑丈さだ。お前は本当にこの銀河の生命体なのか?」

「地球人なめんなよ」

 ヨーコはジークフリートへ突進。鋭いパンチをジークフリートの腹に叩き込んだ。だが、闇の王の体を覆う黒い鎧に阻まれた。かまわずヨーコはパンチを連打する。

「無駄だ」

 ジークフリートの全身から黒い炎が巻き起こった。黒い炎に包まれた右拳がヨーコの顔面をとらえた。激しく鮮血が飛び散った。それでもヨーコは怯まず、パンチを放つ。

「オラァッ!」

 ヨーコのパンチを受けてもジークフリートは微動だにしなかった。

「その頑丈さに比べれば不自然なくらい攻撃は貧弱だな」

 ジークフリートは左右の拳をヨーコの顔面へ連続で打ち込んでいく。その拳がヨーコをとらえるたびに、血しぶきがあがった。

 ヨーコも反撃するがジークフリートはビクともしない。ジークフリートはヨーコの攻撃など意にも介さず右膝でヨーコの顔面を蹴り上げた。

ジークフリートは攻撃を止めない。両手を伸ばしてヨーコの頭部を掴んだ。

「潰れろ」

 ヨーコの頭を掴んだジークフリートの両手から今までで最大級の黒い炎が噴出した。

 次の瞬間、ヨーコの頭が爆発した。

 真っ赤な花火のように鮮血が飛び散った。

 ものすごい量の血しぶきが飛び散り、さながら煙のように視界を奪う。

「ヨーコッ!」

 ジークフリートが吐き捨てるように言った。

「……あきれるほど頑丈だ」

 ヨーコは壮絶な笑みを浮かべて立っていた。

 目からも耳からも口からも鼻からも血が流れ出し、右の瞳は出血がひどく恐らくもう見えていないだろう。笑みを浮かべた口からは砕けた歯が覗いている。

 それでもヨーコは少しも痛がる様子もなく、むしろ心底楽しそうに笑った。

「いやぁ、お前強いな。今までで一番強い。ちょっと俺――」

 ヨーコは壮絶な笑みを浮かべて言った。

「本気出すぞ」

 ヨーコの左拳が閃いた。速すぎて見えなかった。

 ジークフリートが後方へ弾き飛ばされた。それでも、空中で体勢を立て直して着地する。

 その時、ジークフリートが不可解な出来事でも起きたかのような顔でゆっくりと口元に手をやった。唇が切れてわずかに血が流れ出ていた。

「このジークフリートが傷を負った、だと?」

 ヨーコはジークフリートへまっすぐ歩みながら言った。

「まだまだこれからだぜ?」

 刹那。

 ヨーコが消えた。

 消えたと錯覚するほどのスピードで闇の王の体に拳を叩き込んだ。漆黒の鎧が砕けてヨーコの拳がジークフリートの腹にめりこむ。

「~~~~~ッ!」

 ジークフリートの表情が初めて苦痛に歪んだ。

 続けてヨーコは懐にもぐりこみ、

「オッラァァーーッ!」

 必殺の右アッパーを叩き込んだ。

 ジークフリートが弾き飛ばされて背中から床に倒れた。

 ヨーコがジークフリートを圧倒していた。

 リリアさんが声を震わせながら呟いた。

「すごいな……」

 リリアさんの声色は感嘆というよりは、ほとんど恐怖に近いものだった。

「こんなヨーコ君は初めてだ」

 ヨーコは鬼のような笑みを浮かべていた。

 それは僕ですら恐怖を感じるほどの鬼気迫る形相だった。

 これがヨーコの本気。

 力を解放したヨーコの真の実力なのか。

 ヨーコは独り言のように呟いた。

「俺は知ってたんだ」

 ゆっくりと立ち上がってくるジークフリートを見ながらヨーコは続けた。

「本気になれば何だってぶっ壊せる。でも俺はこんなこと……」

 ふいにヨーコが僕の方を見た。

 僕とヨーコの目が合った。

 ヨーコの瞳が何かを訴えていた。

 それが何なのか分かる前に、ヨーコは視線をはずした。

 ヨーコの視線の先でジークフリートが立ち上がっていた。

 その顔は怒りに歪んでいた。

「殺してやる……!」

 ジークフリートが跳んだ。

 ヨーコも突進する。

 両者正面衝突。

 ジークフリートの上段蹴り。

 すぐにヨーコは右のパンチで反撃。

 ジークフリートが前蹴り。

 ヨーコの右ストレート。

 ジークフリートのカウンターパンチ。

 怯まずヨーコは左右のフックで応戦。

 ジークフリートも両拳を振り回す。

 どちらも一歩も引かずに打ち合う。

 防御も回避もない。

 ただ目の前の相手を全力でぶん殴る。

 ヨーコとジークフリートが同時に吼えた。

「オラァァーーー!」

「このザコめがぁ!」

 両者の拳は同時に相手の体に届いた。

 その時、ヨーコが顔をしかめた。

 痛みにではないと思う。何か異変を察知したような顔だった。

 殴り合いは続く。

 ヨーコのパンチがジークフリートのみぞおちに入った。

 が、その拳に威力はなく弾き返された。

 その瞬間、ヨーコが「あれ?」と口にしたように見えた。

 ヨーコは弾き返された自分の拳を、まるで自分のものではないかの様な目で見た。

 ジークフリートも何かの異変に気が付いたような顔をしていた。しかし攻撃を止めることはない。ジークフリートはヨーコのあごを蹴り上げた。

 あれほど耐えていたヨーコがあっさり蹴り飛ばされて宙を舞い、背中から地面に落ちた。

 それでも僕はヨーコはすぐに飛び起きてくると思っていた。

 しかしヨーコはのろのろと四つん這いの体勢になって、そこから立ち上がってこない。苦しげに肩で息をしていた。全身の裂傷から流れ出る血の勢いが増している。

 ヨーコはうめくように言った。

「くそ、何だ、これ……?」

 ヨーコは立ち上がろうと足に力を入れるがダメだった。バランスを崩して倒れてしまった。

 僕は反射的に駆け出していた。

 倒れこんだヨーコに駆け寄って上半身を抱きかかえた。

 ヨーコの顔から血の気が引いていた。

「ヨーコ? どうしたのヨーコ?」

「何でだ、力が入らねぇ……」

 ヨーコの体に何かが起こっていた。

 こんなことは初めてだった。

 どれだけ傷ついてもけろりとしていた鉄人ヨーコが、まるで普通の女の子のように苦痛に顔を歪めていた。

「ヨーコ? しっかりしてよヨーコ」

 僕が声をかけてもヨーコの反応は鈍い。

「痛い。シノブ。痛いよ……」

 こんな弱音を吐くヨーコも初めてだった。

 僕の心に不安が膨らんでいく。

「ヨーコしっかりしろ!」

 大声で呼びかけても、ヨーコは何の反応もしなくなってしまった。

 ひょっとして、このままではヨーコは死ぬ?

 全身に悪寒が広がっていく。

「シノブ君!」

 リリアさんの叫び声。

 顔を上げるとすぐ目の前にジークフリートが立っていた。

 闇の王は真っ黒な瞳で僕らを見下ろしながら言った。

「終わりだ」

 ジークフリートが手刀を作って振り上げた。

 僕はヨーコの体に覆いかぶさるようにしてかばった。

 ジークフリートの手刀が振り下ろされた。

 だめだ。死ぬ。

 僕はヨーコを強く抱きしめて目を閉じた。その時、

「洋子さんも、忍さんも、よく頑張りましたね」

 耳に覚えのある優しい声だった。

 目を開けると先生がジークフリートの手刀を受け止めていた。

「先生!?」

「すみません。ここまで来るのに時間がかかりました。歳ですかねぇ」

 先生はジークフリートの手刀を軽くいなして肩口から体当たりした。

「がっ!」

 ジークフリートの体が浮いた。

 先生は流れるような動作でジークフリートの体の中心に正拳突きを叩き込んだ。ジークフリートは体がくの字に折れて吹き飛ばされた。

 僕は先生に言った。

「先生、ヨーコが突然弱ってしまって、こんなこと初めてで、どうすれば……」

 先生は危惧していたことが起こってしまったというような顔で言った。

「力の解放がきっかけで、遂に心のバランスが崩れてしまいましたか……」

「それってどういう……?」

「私は四年前から洋子さんの力の危うさを危惧していました。洋子さんの力は一見強力で際限がないように見えて、実は不安定すぎる、と」

 先生は

「洋子さんは力を求める一方で、力を極度に恐れもしていました。だからそのバランスが崩れた時が危ないと」

 僕には先生の言うことの意味がおおよそ理解できた。

 ヨーコの力の原点は十三年前の津波の体験だ。

 何もかも破壊し尽された恐怖と絶望と喪失が、もう二度と繰り返したくないという誓いに変わり「鉄人ヨーコ」は誕生した。

 その一方で、恐怖と絶望と喪失の記憶は決して乗り越えられない恐怖として、今でも鉄人ヨーコの心を蝕んでいる。十三年間ずっと一人で夜も眠れないほどに。

 ヨーコのあまりにも大きな力は、あまりにも大きな恐怖の“裏返し”なのだ。

 誰よりも力を求める一方で、誰よりもその力を恐れている。

 自らが強大な力を持つことで、その力がもたらすかもしれない破壊を恐れている。

 先生が言うヨーコの力の不安定さとはきっとそういう意味だ。

 先生はさらに続けた。

「洋子さんの強大な力は常に『現在の使命』と『過去の恐怖』の間で揺れ動く極めて不安定な力です。洋子さんが全力を解放したことによって、心の奥底で力に対する恐怖が頂点に達し、自らの意思とは無関係に本能的に力を封印することになってしまったのではないかと思います」

 それがこの状態なのだろう。

「ヨーコは本当に今まで苦しみながら頑張ってきてたんだね……」

 僕はヨーコのボロボロの体を抱きしめた。

 先生は優しく微笑んで言った。

「あとは私が引き受けますので、洋子さんを連れて行ってあげてください」

 きっと先生にはこうなることが分かっていたのかもしれない。

 それでもギリギリまで自分の弟子の成長を信じて手を出さずにいてくれた。

 最後は自分で全て背負う覚悟で見守っていてくれたのではないだろうか。

 僕は先生に深々と頭を下げた。

「先生お願いします」

「任せておいてください」

 にっこり笑って先生はジークフリートに向き直った。

 ジークフリートはすでに立ち上がっていた。

「お前が誰か、どうやってここに現れたのか、一切興味はない。ただ――」

 ジークフリートは強烈な殺意を込めて宣言した。

「たった今、この銀河は何もかも破壊し尽すことに決めたぞ」

 今までとは次元の違うスピードでジークフリートが襲い掛かってきた。

 先生は足を肩幅に広げた構えで迎え撃った。

 ジークフリートの拳と先生の拳が交錯する。

 どちらの拳も空を切った。

 そのまま二人は目で追えないほどの超スピードの乱打戦に突入した。

 リリアさんが僕の元に駆け寄ってきた。

「ヨーコ君を銀河警察の医療班まで運ぶぞ。急げ」

 リリアさんの力を借りて僕はヨーコを背負った。

 レオさんの先導でここから脱出する。

 振り返ってジークフリートと先生の戦いを見た。

 戦況はジークフリートが一方的に攻め込んでいるように見えるが、先生はひとつも攻撃を受けていない。風のように攻撃をかわし、受け流し、要所で反撃している。

 レオさんが先生の動きを目で追いながらレオさんが言った。

「あれなら心配ないでしょ……あの人、次元が違うわ」

 自らを銀河系最強と称する金星人の戦士が完全に脱帽していた。

 先生は自分の力はヨーコには遠く及ばないなんて言っていたけれど、やはり謙遜だったのだ。

「急ごうシノブ君、レオ君」

 リリアさんに促され、僕は全速力で駆けた。

 ヨーコは何があっても絶対に死なせない。


20


 リリアさんが通路の表示を見ながら言った。

「この先に宇宙船の待機ドックがあるはずだ。そこから脱出する」

 僕は頷いて歩を早めた。

 急がなくてはならない。

 背中のヨーコは息をしているのかどうかも分からないくらいぐったりしている。

 力を失った今のヨーコはただの女の子だ。こんな重傷を負っては長くはもたないだろう。

「見えたぞ。ドックだ」

 リリアさんが通路の先を指差した。

 これで脱出できる。

 そう安堵した時だった。

「どこへ行くつもりだ?」

 背後ろから、冷たい声が聞こえた。

 僕たちが振り返ると、そこにジークフリートが立っていた。

 その右手には、今まで腰に差していた剣が。

 そしてその左手には――

「え?」

 ジークフリートは左手に持った「それ」を放り捨てるようにこちらへ投げてきた。

 僕の足元に転がってきた「それ」は紛れもなく――先生の首だった。

「この私に剣を抜かせた戦士は久しぶりだ」

 ジークフリートは淡々と言った。

 その平然とした口ぶりが僕の神経を逆なでした。

「お前ぇ―――」

 爆発した感情が口から吐き出される前に、ジークフリートが襲い掛かってきた。

 僕の背後からレオさんが弾丸のように飛び出していった。

 レオさんとジークフリートが交錯する。

 その瞬間ジークフリートの振るった刃で、レオさんの首が刎ね飛ばされた。

「あ?」

 嘘みたいな光景だった。

 レオさんの言葉が甦る。

 金星人は首を落とされでもしない限り死なない――そう豪語していたレオさんの首が、ごろりと僕の足元に転がった。

 リリアさんが叫んだ。

「シノブ君逃げろ!」

 刹那、ジークフリートの剣が僕の腹部に突き刺さり、全身がざわりと波打ち、時間がスローモーションになって、刃がゆっくりと僕の体へ入り込んでいく不快な感覚――燃えるような痛みが襲ってきたが、それよりも僕の腹部を貫いた刃が背負っているヨーコに達しているであろうことの方が恐ろしかった――ヨーコだけは何としても守らなければと考え、前のめりに崩れようとする体を必死に踏ん張って支えようとしたところで、引き抜かれた刃が今度は僕の胸に突き刺され――ヨーコ! 実際に叫んだのか叫んでいないのか自分でも分からないが、僕はヨーコをかばうように倒れて、ヨーコの体に自分の体を覆いかぶせるが、ジークフリートの剣が今度は背中から僕を貫き――ヨーコの胸にその刃が達しているのを見て、頭が狂っしまいそうな激痛にもかまわず、刃を両手で握ってヨーコの体からひきはがそうとした――床が血の海になっているのを見て僕は自分の死を確信したが、ヨーコだけは絶対に死なせるものかと、自らの体を貫通している刃を力の限り握り締め、この刃でジークフリートと刺し違えてやると――しかし、僕の意思に反して体は急速に力を失い、意識は遠のいていく――せめて最後にヨーコの手を握ってあげたいと、暗くなっていく視界の中で、手探りでヨーコの小さな手を探し当てた時、僕は死を受け入れた。

 ―――その時、小さな手が僕の手を握り返した。

 ゆっくりと立ち上がる姿が消えかかった視界の中で見えた。

 真っ赤に燃え盛る炎のような赤い長髪をなびかせて。

 僕のヒーローが目を覚ました。

「俺とシノブは死ぬまで一緒だ。十三年前に約束したからな」

 ヨーコはジークフリートに告げた。

「てめぇは俺を殺せねぇ。だからシノブも殺させねぇ」

「辺境の劣等生物の分際で図に乗るな」

 ジークフリートは剣を腰に引きつけてから、一気にヨーコの心臓めがけて突きを放った。

 刃が心臓を貫く――その直前にヨーコの拳が閃いた。

 ヨーコの拳がジークフリートの刃を正面から粉砕した。

 粉々に砕け散る刃に、闇の王が驚愕の表情を浮かべた。

 ヨーコの拳はさらに加速してジークフリートの腹に突き刺さった。

「オオオラッアァァァーーーッッッ!」

 気合とともにヨーコの拳はジークフリートの体を貫通した。

 一撃だった。

 闇の王はその場に崩れ落ちた。

 ヨーコは倒れたジークフリートには見向きもせず、振り返って僕を見た。

 僕は死にゆく体に必死に力を込めて、一生懸命ヨーコに微笑んだ。

「やっぱり、ヨーコは、宇宙最強だ、ね……」

 僕がそう言うと、ヨーコはとても嬉しそうに笑った。

 よかった。

 僕は死ぬけど、ヨーコは笑ってくれた。


21


「あれ? シノブ死んだ?」

 ヨーコは横たわる僕のそばにしゃがんで、ガシガシ体を揺すってきた。

「いたたたた! 痛いーーーーッ!」

「なんだよ。せっかく俺がカッコよく締めたのに台無しだな。空気読んで死んどけよ」

「ひどすぎる!」

 ヨーコは僕のお腹の傷を見て不快そうに顔を歪めた。

「……うっわ、これはエグい。シノブの“中身”が盛大に出てきてるぞ。ほら見える?」

「ぎゃーーー! 痛い! 痛すぎる! 僕の“中身”を手で掴んで僕に見せようとするのはやめろぉぉーーー!」

「これ小腸?」

「リアルすぎて失神するわ!」

「仕方ねーなー。俺が腹の中に戻してやるよ。えいえい」

「ギャァァーー! 痛いぃーー! なぜか今僕は腹の中に手を突っ込まれてかき回される拷問を受けてるぅぅーーー!」

「やっべ、前から押し込んだら背中の方から出てきちゃったよ……」

「なんか僕の腹がとてもじゃないけど描写できないようなことになってる!」

「もういっそのこと全部引っ張り出すか。よいしょよいしょ」

「いやぁぁぁーーー! もうやめてぇぇーーーーー!!」

 僕は言葉では伝えられないような凄まじい痛みにのたうちまわりながら救済を求めた。

 リリアさんにむかって叫んだ。

「そこの銀河警察の人! 早く、早く僕を医療施設に連れて行ってください!」

 リリアさんは「よしきた」と頷いて、通路の少し先の待機ドックへ走っていった。

 が、すぐに戻ってきていつも通りの淡々とした口調で言った。

「すまんシノブ君。宇宙船の待機ドックだと思って来たんだが、ここトイレだった」

「本当に銀河警察は犬の糞にも劣る役立たずだ!」

 来た道を戻るしかないのかと通路を見た時、通路の奥から何かが走ってきた。

 走ってきたのは首なし人間だった。猛ダッシュで僕らの方へやってくる。

「うおぉぉ何だこれッ!」

 ビビリまくる僕のすぐ前で急停止した首なし人間は、そこに落ちていた先生の首を拾い上げて胴体にのせた。すると、先生の目がカッと見開かれ、

「復活です!」

 元気いっぱいの先生がそう宣言した。

「何で!? 先生の体って粘土か何かでできでんの!?」

「これくらいできないと二千年年なんて生きていられませんよぉ」

「もう何でもありだな!」

 僕はそこで気が付いた。

 もうひとつ、生首が床に転がっている。

 レオさんだ。

「これは当然レオさんも復活する流れですね!」

「ん?」とリリアさんが不思議そうな顔をして言った。

「金星人は首を切られたら死ぬって言っただろ。死んだ奴のことなんか忘れて帰ろう」

「レオさんの扱いがひどすぎる!」

「レオ君の遺体は……めんどくさいから置いてくか」

「もう一度言うけどレオさんの扱いがひどすぎる!」

「分かったよ。シノブ君がそこまで言うのなら少々手間だが右足だけ持って帰るか」

「何で右足だけ!? 右足だけ棺桶に入れて葬式する気なの? 参列者泣くわ!」

 リリアさんはレオさんの胴体と首を拾って両脇に抱えた。表情の乏しさも相まってバラバラの死体を抱えたその姿は完全に猟奇殺人犯だった。

「さあ帰還しよう」

 死体を引きずりながら歩き出すリリアさん。山奥へ死体を捨てに行く殺人犯の図だった。

 僕はヨーコにお姫様抱っこされてリリアさんの後に続いた。

 その後、僕らは本物の待機ドッグを発見して宇宙船で暗黒帝国の巨大戦艦ソドムから脱出し、地球へと帰還を果たした。

 ――翌日。

「おかえりなさい、ヨーコちゃん、シノブ君」

 登校して教室に入るとすぐに赤城さんが駆け寄ってきた。

 ヨーコ様親衛隊の連中も勢揃いしてヨーコに最敬礼してくる。

 ああ、いつもの日常に戻ってきた。

 僕は教室を見渡した。

 あいかわらず朝の登校率は悪く空席が目立つ。

 教室中央最前列のさらに前にひとつだけとび出している席――レオさん専用センター席は空席だった。レオさんの机には花が置かれていた。

「レオさん、残念だね……」

 僕もヨーコもソドムから脱出した後、銀河警察の医療施設で宇宙テクノロジー的医療によって治療してもらい傷は全回復した。

 しかし、レオさんはそうはいかなかった。

 いかに発達した医療技術でも死人を蘇らせることはできなかった。

 本当に残念でならない。

 始業のチャイムが鳴り、ギリギリ登校組が教室に駆け込んでくる。

 五分遅刻で担任の本田教諭がやってきて朝のホームルームが始まった。

 本田教諭が出欠を取っていた時だった。

 急に教室に入ってきた者がいた。

 教室中の視線がその人物に一斉に注がれた。

「まずは自己紹介でもするべきかな?」

 そう言って薄笑いを浮かべたのは、ジークフリートだった。

 腹部には穴が開き、身に纏う鎧もほとんどの部分が砕けている。その姿はヨーコにやられた時そのままだった。

 しかし一つだけ違っているところがあった。

 鎧が砕けて露出した左胸に手の平に収まる程度の大きさの黒い球体が埋め込まれていた。

 一見ガラス玉のように見えるが、その中には黒い何かが蠢き渦を巻いていた。

 呆然とする一同にジークフリートは言った。

「自己紹介は不要か。どうせ今すぐ全員死ぬのだから」

 ジークフリートが手刀を振り上げた。

 瞬間、ヨーコがジークフリートめがけて跳んだ。

 それを見てジークフリートが嘲笑するように口元を歪めた。

 手刀はフェイクだった。

 ジークフリートは突進してきたヨーコをかいくぐり、僕めがけて突進してきた。

 僕は逃げるどころか、指一本動かすこともできなかった。

 ジークフリートの手が僕の喉を掴んだ。

「かっ……!」

 ひねりつぶされる……!

 ヨーコがすぐさま反転するのが見えたが、もう間に合わない。

 僕は瞬間的に死を予期した。

 しかしジークフリートはすぐに僕を殺さなかった。

「動くな」

 ジークフリートに制止されヨーコはピタリと動きを止めた。

 嘲笑を浮かべてジークフリートが言った。

「この小娘がそんなに大事か?」

「……シノブを放せ。じゃなきゃ殺す。十秒だけ待ってやる」

 ヨーコは返事も聞かずに数を数え始める。

「10、9、8……」

 ジークフリートはそれを気にする様子もなく言った。

「私はお前を『殺す』と言った。私は『やる』と言った事は必ずやる。必ずだ」

「7、6、5……」

「お前がいくら頑丈でも、私の『奥の手』には絶対に耐えられん」

 悪魔のような笑みを浮かべてジークフリートは言った。

「――お前をこの銀河ごと“消滅”させてやる」

 ジークフリートが自らの左胸に深々と手を突き刺した。

 その行為に教室がざわめいた。

 ジークフリートはすぐに手を引き抜いた。

 その手には左胸に埋め込まれていた黒い球体が握られていた。

「4、3、2……」

 ジークフリートは黒い球体を僕に差し出してきた。

 僕は反射的にそれを受け取ってしまった。

「……1、0」

 カウントダウンを終えてもヨーコは動かなかった。

 ジークフリートは勝ち誇ったような顔で言った。

「どうした? 十秒経ったが?」

 ヨーコはそれを鼻で笑った。

「バーカ。俺が手を下すまでもねぇんだよ」

 ヨーコが言った瞬間、僕の目の前の空間に金色の閃光が走った。

 僕の喉を掴んでいたジークフリートの腕が肘のあたりから切断された。

「あら? 思ったよりあっさり斬れちゃったわ。私また強くなりすぎちゃったかしら」

 そこに手刀を振り下ろした金星レオがいた。

 クラスメイトたちが歓声を上げた。

 解放された僕はすぐにジークフリートから離れる。

 それと同時にレオさんとヨーコが僕とジークフリートの間に素早く滑り込んだ。

 ヨーコがジークフリートをにらみつけて言った。

「腕一本くらいですむと思うなよ?」

 ジークフリートの顔には焦りも怒りも無かった。

 不気味な笑みを浮かべていた。

 残った左手で僕を――いや僕の手の中にある黒い球体を指差した。

「それが何か分かるか?」

 僕は手の中にある黒い球体を見た。

 よく見ると球には無数の亀裂が入っていた。

 その亀裂はまるで鶏の卵が孵化する時のように少しずつ大きくなっていく。

 ジークフリートは言った。

「それがブラックホール機関だ」

「えっ……!」

 ではこの中で渦巻いているのは、ブラックホール……!

 僕は慌ててそれを投げ捨てようとした時、ジークフリートが言った。

「やめたほうがいい。そいつはもう些細な衝撃でも破裂するくらいに壊れかけている」

 それを聞いてリリアさんの忠告が頭に浮かんだ――ブラックホール機関を下手に破壊すれば、ブラックホールが暴走して太陽系ごと消滅してしまう。

 ジークフリートは見る者をぞっとさせるような笑みを浮かべて言った。

「言っただろう。お前をこの宇宙から消滅させてやると」

 僕の手の中でブラックホール機関がドクンと脈打つように動いた。亀裂が一気に大きくなり、膨張し始めた。

 ジークフリートがヨーコに言った。

「しっかり押さえていないともう破裂するぞ?」

 ヨーコはすぐに僕の手からブラックホール機関を奪い取り、力ずくで膨張を押さえ込んだ。

 ブラックホール機関はヨーコの手の中で再び大きく脈打った。亀裂は球の全体に広がり、もういつ破裂してもおかしくないように見えた。

 ヨーコがジークフリートをにらんだ。

「てめぇ……!」

「言っておくが、それを止める方法は無い。もう終わっている」

 そう言い終えた途端、ジークフリートがゆっくりとその場にへたりこんだ。

 全身から生気が抜け落ちていくのが分かった。

 ジークフリートは言った。

「ブラックホール機関は、私のエネルギー源でもある。お前が消滅するのを、見られないのが、残念だが、私の、勝ち、だ……」

 闇の王の瞳から急速に光が失われていき、やがてジークフリートは動かなくなった。

 僕はヨーコを見た。

 ヨーコも僕を見ていた。

 お互いの視線が交わり、僕はヨーコが何を考えているのか瞬時に理解した。

「ダメだヨーコ」

 僕がヨーコに手を伸ばすと、ヨーコは身を引いて僕の手から逃れた。

「シノブ」

 ヨーコは強い決意のまなざしで僕をまっすぐに見て言った。

「今までありがとな」

 ヨーコは身をひるがえし、教室の窓へ駆けた。

「やめろヨーコ!」

 僕はヨーコの背中に必死に飛び付いた。

 ヨーコはブラックホールが暴走する前に、ブラックホール機関を持って地球から遠く離れた宇宙まで飛んでいくつもりだ。

 ヨーコはしがみついた僕を力ずくで振り払おうとはしなかった。

 僕は必死の想いで言った。

「だめだよヨーコ……そんなことしたら死んじゃうよ」

 ヨーコは平然とした口調で答えた。

「それがどうした。俺は死ぬのなんか怖くねぇよ」

 ヨーコの口調は強がりではなかった。

 僕は知っている。ヨーコはいつだってありのままの気持ちを口にするのだ。

 ヨーコは普段と変わらぬ口調で言った。

「俺は十三年前のあの日から、真っ暗な闇のなか押し寄せる津波を前にして立ち尽くしていた俺を救ってくれたお前のために生きるって決めたんだ」

 十三年前の震災、僕とヨーコの出会いと運命の始まりの時のこと。

 ヨーコは振り返って僕を見た。

 ヨーコは笑っていた。

「俺はお前のためなら死ぬのなんかちっとも怖くねぇよ」

「そんな、そんなの……」

「シノブ放してくれ」

 ヨーコは決して無理矢理僕の手を振りほどくことはしなかった。

「放せシノブ」

 僕は従わなかった。

 無理だ。

 僕には無理だよヨーコ。

 だって僕らは十三年前のあの日、約束したじゃないか。

「ヨーコと僕は、ずっと死ぬまで一緒にいるって約束したじゃん」

 ヨーコは平然とした顔で言った。

「じゃ、その約束はなし」

「はい?」

 唖然とする僕にヨーコは続けて言った。

「その代わり、死んだら生まれ変わってシノブと結婚してやる」

「え、ちょっと、何を言って……?」

「結婚ってのは永遠の愛を誓うんだろ? なら結婚すりゃ俺とシノブは永遠に一緒じゃねーか」

「……なんだよ、その理屈」

 僕はそのメチャクチャな理屈にあきれてしまった。

 どこまでもヨーコらしい理屈に――涙がこらえられなかった。

「ヨーコはバカだなぁ、もう……僕もヨーコも女の子じゃん。女の子同士は結婚できないんだよ?」

「おーおー、そう言えばシノブも女子だったな。微妙な男口調の僕っ娘」

「失礼だな、僕は最初から女の子だったよ。男口調はヨーコの喋り方がうつったんじゃないか」

 ヨーコは「そーだっけ」と笑ってから、

「まあ心配すんな。俺が生まれ変わったら男になってお前を嫁にもらってやるよ」

 ヨーコはまぶしいくらいの笑みを見せて言った。

「約束だぜ」

「ああ、もう、ヨーコは勝手だなぁ」

 でも、僕はそんなヨーコが大好きだ。

 僕はゆっくりとヨーコにしがみついていた腕を解いた。

「……約束だよ? 絶対だからね?」

 ヨーコは力強く頷いた。

「まかせとけ」

 ヨーコは僕に背を向け、教室の窓へ向かう。

 鉄人ヨーコがいつも出撃している窓の下には、椅子がセットされていた。

 親衛隊の「椅子係」である戸田英次を筆頭に親衛隊員が窓際に整列していた。

 全員が腹の底から声を上げた。

『ヨーコ様ご出陣!』

 女子たちがヨーコの背中に声援を送る。

『よーこちゃん頑張れ!』

 レオさんが言った。

「必ず帰ってきなさいよ」

 ヨーコはクラスメイト一人ひとりの顔を見回してから、いつも通りニヤリと笑って言った。

「じゃ、行ってくるぜ」

 東綾瀬高校二年一組の教室から鉄人ヨーコが飛びたった。

 僕は窓際に駆け、窓から身を乗り出して叫んだ。

「ヨーコ! 絶対に約束だからね!」

 鉄人ヨーコは、空高く高く、どこまでも昇っていった。


22


 ――ああ、シノブ君か。私だ、リリアだ。今回のことで君たちに力を貸してもらったことを銀河警察を代表して感謝する。本当にありがとう。君たちがいなければ……いや、そんなことよりも先に私は謝罪するべきだったな。すまない。本来我々銀河警察がやるべきことを全て君たちにやってもらってしまった。自分たちが半ば放棄しておいてこんな都合のいいことを言うべきでは――ああ、分かっているよ。ヨーコ君は自分がやるべきことをやっただけなのだろう。だが、銀河警察にはそれができなかった。鉄人ヨーコだからできたことだ。私は銀河警察の巡査部長という立場を抜きにして、いち友人としてヨーコ君に言いたい。心から尊敬している。彼女は私の誇りだ。……すまない、前置きが長くなってしまったが、本題に入ろう。ああ、調べた。私の銀河警察としての誇りに懸けて、素粒子ひとつ見逃さない完全な調査を行った。結論から言おう。ヨーコ君は消滅した。――ああ間違いない。ブラックホール機関の暴走によって発生したブラックホールに飲み込まれて消滅した。時空波動測定器がリアルタイムでヨーコ君の消滅を観測している。残念だが間違いない。その後ブラックホールも消失して――うん? ヨーコ君はそんなことを言ったのか。ヨーコ君らしいな。彼女なら本当に生まれ変わりそうだ。もしそうなったら君たちの結婚式の友人代表スピーチは私が引き受けよう――ああ、約束だ。宇宙のどこへいてもすぐに飛んでいく――君は察しがいいな。そうだ。私は今回の件を受けて、太陽系第三惑星地球担当官の任を解かれることになった。――まあな、その通り。左遷だ。理由? まあ今更言うことでもないのだが、実は私は無断でブラックホール機関の中和装置を本部から持ち出していたんだ。そうだ、ヨーコ君にあずけたあれだ。銀河警察の最重要テクノロジーを勝手に持ち出した上に紛失してしまったからな。本来なら銃殺刑ものだ。今回は暗黒帝国を撃退したことで温情をかけてもらったが――いや、君が謝ることはない。ヨーコ君と同じように私も私自身の意志でやったことだ。一切悔いはない。後悔することがあるとすれば、ヨーコ君に何もかも背負わせてしまったことだ。宇宙の平和を維持する銀河警察が聞いてあきれる。……すまない。つまらないことを言ってしまった――ああ、私の行き先は遠い。君たちの知らない銀河だ――ありがとう。私の方からも心から感謝の言葉を述べたい。今まで本当にありがとう。銀河警察巡査部長ヘビースター・エマ・リリアは、君たちの幸せを祈っているよ。いつかまたお会う。お元気で――


23


 ヨーコがいなくなってから三日目の朝。

 登校時間はとっくに過ぎていたが、僕は自室のベッドから起き上がる気はおきなかった。

 この三日間学校へは行っていない。食事もとっていない。

 それはすぐに帰ってくると言ったヨーコを待たずに僕だけ学校に行ったり、ご飯を食べたりすることがどうしてもできなかったからだ。

 ヨーコが宇宙の彼方へ飛んでいった後、僕はヨーコがすぐに帰ってくると信じていた。

 本当にすぐに――それこそ五分もしないうちに帰ってくると思っていた。

 しかしリリアさんからヨーコが消滅したことを聞いて一気に不安が押し寄せてきた。

 本当にヨーコは帰ってくるのだろうか、と。

 ヨーコは生まれ変わると約束した。

 ヨーコは僕との約束は絶対に守る。

 だからヨーコは絶対に帰ってくる。

 でも、ヨーコの言った「すぐに」とはどのくらいなのだろう?

 三日?

 一ヵ月?

 一年?

 それとも……やめよう。いくら考えても分からないものは分からないんだ。

 僕はのろのろとベッドから這い出た。

 三日間何も食べていなかったせいで頭はクラクラするし体がだるくて重い。

 僕はカーテンを開けて窓から空を見上げた。

 薄暗い部屋に朝日が差し、眩しさに僕は目を細めた。

 二階の自室の窓から見上げた空は雲ひとつない晴天だった。

 しかし晴天の空を見上げても僕の心は一向に晴れなかった。

 この空の向こうからヨーコが帰ってくるだろうという期待よりも、いったいいつ帰ってきてくれるのだろうかという不安と焦りばかりが募るのだ。

 僕はこの三日間で空を見上げることが少しずつ苦痛になっていることに気付いていた。

 窓の外を見ていると、東綾瀬高校の制服を着た人物が視界に入ってきた。

 赤城さんだった。

 彼女は僕を見上げていた。

 僕は窓を開けた。

「赤城さん……」

 赤城さんはかすかに微笑んで言ってきた。

「ねえシノブ君。ヨーコちゃんが帰ってくるまで、ちゃんとしなきゃだめだよ。そんなんじゃヨーコちゃんが悲しむよ」

 ガツンと殴られたような気分だった。

 赤城さんの言う通りだ。

 もし僕がヨーコの立場だったら、こんな廃人みたいにただ待っているだけの生活をされていたら嫌だ。

「……ありがとう赤城さん。やっぱり、ちゃんとしなきゃだよね」

「そうだよ。シノブ君はヨーコちゃんが帰ってくるまで花嫁修業しなきゃだもん」

「あははは」

「あと、シノブ君はヨーコちゃんが帰ってくるまで人糞ダイエットしなきゃだもんね」

「そのキャラ設定やめろ!」

 僕は三日ぶりに制服に着替え、三日ぶりに自室から出て、三日ぶりにばあちゃんのたい焼きを食べて、三日ぶりに学校へ行った。

 登校の道中、赤城さんはクラスメイトのことや昨日観たテレビのことなど、いつもと変わりのないたわいのない世間話をしてくれた。

 そういう自然な思いやりがありがたくて、僕は少し涙ぐんでしまった。

「――てな感じで一時限目は自習かなー。あ、てか思ったんだけどヨーコちゃんって全然帰ってこないし、フツーに死んだんじゃない?」

「全然思いやりがなーーーい!」

 二人で連れたって教室に入ると、僕の隣のヨーコの席はそのまま残っていた。

 僕はヨーコがいつも出入りしていた窓が開けっ放しになっていることに気が付いた。

 窓の下には椅子が置かれている。

 それはきっとヨーコがいつ帰ってきてもいいように、という意味だ。

 赤城さんが言った。

「みんなヨーコちゃんが帰ってくるって信じてるよ」

僕は涙を堪えることができなかった。

 本田教諭がいつも通り五分遅刻で教室に入ってきて、朝のホームルームが始まった。

 いつも通り本田教諭の代わりに級長の空山君が連絡事項を伝えていた時、「ああ、そういえば」と本田教諭が廊下の方を見た。

 クラスメイトたちもつられてそちらを見ると、教室のドアの向こうに誰かが待機しているのが分かった。

「え……」

 まさか。

 教室がざわついた。

 本田教諭が頭をかきながら告げた。

「あー忘れてたが、今日うちのクラスに宇宙から帰ってきた奴がいる」

 一瞬の間の後、大歓声が巻き起こった。

 ヨーコ様親衛隊がエルガーの『威風堂々』にオリジナル歌詞をつけた凱旋歌を歌いだし、女子たちが悲鳴みたいな歓声をあげて騒ぎだす。

 本田教諭が廊下に待機する人物に声を掛けた。

「おい、入って来ていいぞ」

 教室の扉が開かれて、その人物が入ってきた。

 それは紛れもなく――

「海王星から帰還した山崎です」

「お  前  か  よ  っ !!!!」

 僕らが海王星に置き去りにしてきた相撲部員山崎の堂々たる帰還だった。

 期待を裏切られて血の涙を流す親衛隊員が山崎に襲い掛かって袋叩きにし始めた。

 一連の騒ぎを完全にスルーして本田教諭は全員に告げた。

「よし。じゃあ、今日も一日頑張れよー」

 それだけ言ってホンダ教諭はさっさと教室を出て行った。

「あれ先生ヨーコは? ヨーコは帰ってきてないの? 先生まだ一人とっても重要なクラスメイトが登校してないですよ? ほら、ちっちゃくいくせに胸はFカップの怪力娘がいたでしょ……あれみんなどこ行くの? 今日の一時限目は体育だからって、待って待って、まだ朝のホームルームで大切なお知らせがあるでしょう。ほら、ヨーコちゃんが帰ってきたよーってのはないの? え、ないの? ほんとに? ダメダメそういうのよくないって。だって物語の最後は全部丸く収まってハッピーにならないとダメだって。ほらシェイクスピアの『マクベス』……は主人公がラストで殺されちゃうから、えっと『ハムレット』……は毒死するし、『オセロ』……は自殺で、『リア王』……も死ぬな。あれ? 何そういうこと? シェイクスピア的なアレですか? またまた、そんなことないでしょ? ほらここでガラッと教室の扉が開いて元気よく登場するのは――」

 その時、教室の扉が勢いよく開いた。


〈完〉

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鉄人ヨーコ ユウト @yhoko

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