猫村貴幸はちょっと変

ナージャ

猫村貴幸はちょっと変

猫村ねこむら貴幸きゆきはちょっと変だ。

そう、黒谷くろたに竜馬りょうまは漠然と思っている。例えば猫村という珍妙な__全国の猫村さんごめんね__苗字であるとか、貴幸と書いてわざわざ「たかゆき」ではなく「きゆき」と読ませる名前であるとか。例えば男子中学生にしては長すぎる肩まで伸びた髪だとか。例えばそのどこか焦点を合わせない黒い瞳だとか。例えば数学含め大抵の教科の成績はいいのに、何故だか極端に低い国語の成績だとか。その割に読書が好きらしい所とか。例えば走るのは遅くないのに、運動神経がいいわけではないらしい所とか。そういったちょっとした積み重ねが、黒谷に違和感を抱かせている。

三年間同じクラスなのに、何故だかふとした瞬間__授業中窓の外を見ている時だとか、昼休みになった瞬間焦点をずらした時だとか__に全く知らない人のような顔をするのだ。猫村は。黒谷は多分それが、一番嫌なのだ、と思う。

(嫌っていうか、もやっとする?)

訂正を入れながら、窓際へ目を向ける。窓側一番後ろの席。黒谷の席の、左二つ後ろの席。それが今の猫村の席だ。

猫村の前には同じクラスの赤岩あかいわ智嗣ともつぐが立っていて、楽しそうに談笑している。……またまた訂正。楽しそうなのは赤岩一人で、猫村は話を聞いているのかいないのか窓の外を見ているようだ。

(そういうところが)

なんか変なんだよなと、黒谷は思う。話しかけられて、それでも視線を合わせない所とかが。猫村と赤岩は仲がいい筈だけど(よく一緒にいる所を見かける)、赤岩にも猫村はよくわからないのだ、と寂しそうに笑っていた。わからないけど声をかけるのだ、とも。

猫村と赤岩はきっと友達で、猫村と黒谷は多分クラスメイトでしかない。その程度の間柄だけれども(だからこそ?)黒谷は確かに猫村は変でちょっとおかしい、と認識している。そこに卑下や忌の気持ちはなく、ただ漠然とそういう思いがあるだけだ。興味、と言い換えても差し支えない。

そんなわけで黒谷にとっては過分に目を惹く猫村だけど、その他多勢には少しの違和感を与える程度にしかそれを露見させていない、らしい。何せ他のクラスメイトからそう言った話を聞かないので。赤岩は彼の事を、醜いあひるの子だと言った。黒谷風に言えば、猫村はアイスコーヒーに入れたシュガースティックだ。溶けないわけじゃないし、間違っているわけでもないけれど、決定的に違う。そんな感じ。

窓の外を見る彼の目には、どんな景色が見えているのだろうか。空の色は? 雲の形は? 日光の微妙な色彩や、影の形は? 猫村が、何を見てどう感じるのかが知りたい。ちょっと変な彼が、自分と同じ事を思うのかが知りたい。そう言った事を最近よく思って、黒谷は窓の向こう側とその傍にいる猫村を視界に収めるけれど、答えは一向にわかりそうにない。

(まぁ、ままならんね。マジで)

黒谷は視線をそのままに溜息をついた。


***


「いや、知りたいとは言ったけど、これはなんか違くね?!」

「何のことだ」


遡ること一時間。その日の授業を終え、黒谷は帰路に着いていた。帰り際かけられる寄り道のお誘い(公園駄菓子屋ゲーセン!)を珍しく断って、何か用事があるわけでもないけれど、まっすぐ自宅へ向かった。はず、だった。

黒谷は不意に違和感を覚える。確かに自宅への道を歩いていたはずなのに、いつもと同じ道に見えるのに、いつものそれとは全く違う、異質の、何か。

(迷った・・・)

そう、脳裏に浮かんだ。もしくは迷い込んだ、と。いつもの通学路に見えるこの道が、目に見えている通りではないのだと、本能が訴えていた。

それはまぁ、いいとして(良くない)、そんな事より、

(じゃあここどこだよ?!)

誰がいるともしれない場所で大声を出すわけにもいかず、脳内で絶叫する。正直に言えばなりふり構わず大声で叫び回りたいし誰かに助けを求めたい気持ちでいっぱいなのだが、それが出来ないのは恐怖よりも先に警戒心が立ってしまった所為だ。

(よくわからんけど、こんななとこにいる奴絶対頼れんわ)

むしろダッシュで逃げるね、怖えもん。そんな事を考えていたからか、それとも相手が気配を消すのがうまかったからか、黒谷は背後に現れた人間に気づかなかった。

「おい」

「どぅわ」

思わず変な声を出した黒谷を不気味そうに見るのは、変質者……ではなく、黒谷にとっては変な奴代表こと猫村貴幸だった。

「なんか納得だわ」

「?」

「いンや、こっちの話」

急に穏やかな表情になった黒谷を気味悪げにちらりと見て、猫村は溜息をついた。

「何でここにいる」

そう猫村に話しかけられたことに、黒谷は目を瞬かせて驚いた。そうだ、猫村が喋った。あの猫村が! 三年間授業でさされた時以外の声を聞いたものがいないと言う噂が立つほど喋らないあの猫村が! 感動の度合いを言えばこれはクララが立つレベルの話である。

「何でって、いや、ここが俺の通学路だから……?」

多分求められている答えとは違うな、と思いながら黒谷は取り敢えず口にする。自分でも違うと思う。今のは。

「は?」

(でっすよね〜〜!!)

案の定違ったらしく、怪訝そうにひそめられた眉とじとりとした目に居心地が悪くなる。

迷ったのか・・・・・

ぼそり、と落とされた言葉は先ほど思い至ったものと寸分の狂いもなく、黒谷はただ納得する。

「多分……いや、っていうかここはどこなん」

だ、と言い切る前に伸びてきた手に口を塞がれる。細くて白い指。猫村のものだ。そのまま建物の陰に引きずり込まれる。

「静かにしろ、来るぞ」

何が、と黒谷が問うことはできなかった。そうする前に来たからだ。

(黒い、狼?)

大型の犬とも言えそうな大きさだが、大きな耳や太い首と尻尾、唸り声を上げる様はとてもじゃないが犬とは言えない。これで犬と言い張る奴はきっと犬を見たことがないに違いない。

(でも、何で、二十一世紀のこのご時世に東京に狼? ニホンオオカミは絶滅したんじゃなかったか? いやそもそもどちらにしろ東京に狼は……)

「うるさい」

口を塞がれた状態でうるさいと言われても、と目で訴えかけると、猫村は「思考が!」と黒谷を睨んだ。

(思考がうるさい、とは)

黒谷がそんな事を考えていると、猫村は一度舌打ちをした後「そこで待っていろ」と言い残して建物の陰から身を表した。「静かに!」と付け足すのも忘れなかったので、黒谷は苦笑いを浮かべた。

(って、身を表した・・・・・?!)

目の前にいるのは大型犬サイズの狼。どこもかしこも真っ黒で、暗闇の中にぽっかりと穴が開いたような目が悍ましい。対するは黒谷のクラスメイトの変人代表、猫村貴幸。

(か、勝ち目がねええええええ)

無謀が過ぎる対決に黒谷が愕然としていると、狼が飛び上がった。三メートルはあった距離が、一瞬で詰まる。

飛びかかる狼からバックステップで距離を取りつつ、猫村は後ろ手に持っていた大きな帽子をかぶった。大きなとんがり帽を見て、黒谷は苛立ち、どうしようもない不安に駆られた。帽子が果たして何の役に立つというのか。

(とんがり帽・・・・・?)

そこでやっと、黒谷は猫村の服装がいつも見ている学生服ではないことに気がついた。先ほどかぶった大きな白いとんがり帽に、白いロングコート。移動の時に聞こえるコツ、コツ、という音から考えるに、踵の高い靴。おとぎ話の魔法使いのような服に、見えなくもない。__そこまでの大きな変化に気づくのが遅いと謗ることなかれ、平生ならば甘んじて受けるが、何せこちとら最初っから異常事態なのだから。

「ショット」

不意に猫村が呟く。と、彼の周りにふわりと浮いた四枚の紙が、狼に向かってさながらピストルの様な鋭いスピードで突っ込んでいった。勿論黒谷は本物を見たことはないけれど。

「ショット」

また呟く。猫村の弾丸の様な攻撃(?)が狼にあたる度、狼だと思っていたものが小さくなっていく。どういった原理だろうか、と黒谷はのんきに首をひねったけれど、答えが出るはずもない。兎も角わかるのは、どうやら遠距離攻撃であるらしい猫村のそれによって、狼もどきはこちらに近づくことすら出来ずにいるということだ。

そしてそのまま相手に抵抗も許さず、狼もどきが霞となって消えるという形で一方的な戦闘は終わった。勝ち目がないとは何だったのか。圧倒的な勝利である。

(すっげ……いや、よくわっかんないけど凄い)

戦闘を終えた猫村はかぶっていたとんがり帽を脱いで、黒谷の方へ向き直った。

「今日はもうこれで終わりだから……帰るなら早く帰れ」

「いや帰り方わかってたらとっとと帰ってるわ!!」

淡々とした表情で告げられた言葉に思わず叫ぶと、猫村はまたしても眉をひそめた。

「っていうか、何だったんだよ」

「何が」

「さっきの!」

誤魔化されてやる理由もないので語気を荒げて問うと、猫村は合点がいった様に「ああ、」と頷いた。

「なんかお前も変な技? みたいなの使ってっし、何? アレ」

「アレはヒドゥンという生き物だ」

「ひどぅん?」

もはや期待もしていなかったが、聞き慣れない響きに、黒谷は首をかしげる。

「俺は"ヒドゥンの魔女"で、ヒドゥン達の主人なんだが、」

「待って待って待って」

色々と聞き流せないことを言われている気がして、平然と話を続けようとする猫村を遮って声をかける。

「ひどぅんって何?」

そう聞くと、猫村はぱちりと目を瞬かせた後、首をひねった。

「ヒドゥンは、生き物だ」

「いや、それはわかったから」

黒谷がつっこむと、猫村はむっとしたように唇を尖らせて一度黙りこんでから、再び口を開いた。

「ヒドゥンは俺たちの暮らしている世界の裏側の世界であり、そこに生きるもの達の名前だ。ヒドゥン達は何も知らないが故にまっさらで、色が白い。具体例を出すなら、今俺が身につけているコートと手に持った帽子はヒドゥンだ」

その言葉を聞いて、黒谷の体がズザァッと後ろに遠ざかる。なんちゅうもん身につけとんだこいつ。

「えっ、いや、でもヒドゥンってさっきのなんだろ?! アレは黒かったじゃん!!」

距離を確保したままそう尋ねると、猫村は面倒臭そうに頷いた。

「ヒドゥンは基本白くて無害だが、外界__つまり普段俺たちが暮らしている表の世界の悪意に触れると黒く染まり、暴走する。さっきのはそれだ」

「へ、へぇ……」

暴走、と黒谷は口の中で繰り返す。確かに先ほど見たアレは、とてもじゃないがまともそうには見えなかった。

「因みに、黒いひどぅんが増えると、どうなんの?」

「世界が滅びる」

「え」

「あくまで可能性の話だが。まぁ少なくとも、黒いヒドゥン一体程度では何も変わらん。だが黒いヒドゥンは白いヒドゥンを黒く染めることが出来る。暴走したヒドゥンで裏側の世界が満ちた時、表の世界で何が起きるのか。誰にもわからないんだ。そもそも、本来ヒドゥンと表の世界は接点が魔女しかない筈で、ヒドゥン達が悪意に触れる機会なんてないというのに、近年になってから何故こうも……」

「わわ、待てったら。途中から説明なげんのやめてよ」

一人で思考の渦に飲まれていく猫村に慌てて声をかけて、黒谷は文句を言う。

「後結局ここがどこなのかも俺まだわかんないんだけど」

「? ここがヒドゥンだ」

「はぁ?!」

素っ頓狂な声を上げる黒谷を、頭の悪い犬を見るような目で見て、猫村は口を開いた。

「ここが、裏側の世界。普通だったら辿り着くことのない、表の世界とは繋がらないはずの場所だ。今回はそれを、"ヒドゥンの魔女"である俺が繋げた。お前は多分、それに巻き込まれただけ、だと思う。前例がないから断言はできないが」

「お、おぅふ……」

裏側の世界。ここが。道理で違和感があるはずだ、と黒谷はすんなりと話を受け入れ納得した。実際に黒い狼もどきヒドゥンを目にしたからだろうか。

「でもなんでわざわざ表裏の世界をつなげる必要があんの? 裏側で対処すりゃ良くない?」

そしたら俺も巻き込まれなかったし、と黒谷が言外に言うと、猫村は帽子を持つ手に力を入れた。寄せられた眉がいつになく悩ましげだ。

「違うんだ。そもそもこれは前提から違う話で、普通ならヒドゥンは外には出られないはずなのに、最近のヒドゥンは何故か表に現れるようになってしまった。それも今回のように黒いヒドゥンが。ヒドゥン達が表の世界にどれだけの影響を及ぼすかがはっきりとわからない以上、野放しにも出来ない。だから空間ごとヒドゥンこちら側に繋げたんだが……まぁお前が付いてきたのは俺にとっても誤算だったが」

言われて、考える。黒いあの狼もどきが何の前触れもなくふらっと通学路に現れでもしたら。

(死ぬな、多分と言わず!)

想像出来過ぎる未来に黒谷は青ざめる。

「でもさっきひどぅんは外には出れないって言ってたじゃん!! 接点は魔女だけだって!」

「そう。その筈だ。ヒドゥン達は魔女の許可がないと表の世界には出てこられない。そしてヒドゥンの魔女は、俺一人ではない」

「うっわお前みたいなのいっぱいいるの」

「……さっきからなんだ。人が説明しているのに茶々を入れて」

思わず、と口に出すと猫村がうんざりしたような顔をする。

「あ、いや、ごめんて。なんか気になっちゃってさ」

黒谷が慌てて取り繕うが、猫村の溜息は重たい。

「まぁ、いい。魔女は俺が会ったことのある人だけでもあと三人はいる。だが彼女達も許可を出していないと聞いた。信条に誓ってありえない、と」

「信条?」

猫村はまたしても口を挟んだ黒谷を黙殺した。

「兎も角そうなると犯人は俺の会ったことのない魔女、もしくはそれに準ずる何か、ということになる。しかし……」

「だぁから俺を置いて考え込むのやめろったら!」

ぶつくさと文句を言いながら、黒谷は先ほどから疑問に思っていたことを尋ねる。

「っていうかさ、俺にそんなベラベラ喋っていいの? 俺が誰かに言っちゃうかもよ?」

ま、言ったところで誰も信じてくれないだろうけどさ。ぼやきは心中にとどめたままでそう言うと、猫村はハッは鼻で笑った。

(うーわ、嫌な笑い方)

笑い方だけじゃなくて、この妙な格好も、こんなに喋る猫村も、クラスの誰も見たことがないに違いない。赤岩でさえ。そう思うとほんの少し優越感に__

「問題ない。お前の記憶を消すからな」

浸っている場合じゃなかった。

「はぁ?!」

「消すに決まっているだろ。言ったところで誰が信じるとも思わんが、余計な記憶をもたせて妙な触れ回りをされても困る」

淡々と口にしながら、一歩一歩と黒谷の方へ足を進める。お陰でせっかく黒谷がとった距離も殆ど無いに等しい。

「いや、知りたいとは言ったけど、これはなんか違くね?!」

呆れたように「何のことだ」と問いかけながら、猫村は黒谷の頭に手を伸ばす。後十センチ。

(なんか知らんけど、あの手に触られたらダメな気がする!!)

動いて避けようにも何故か体が動かず、足元を見ると白い塊がへばりついていた。これもヒドゥンだろうか。

(てか、ずっりぃ!!)

焦る心のままに、黒谷は叫び声をあげた。

「待って待って待って!! 言わねぇから! 絶対誰にも言わねぇ!」

猫村の手が、ぴたりと止まる。

「それを俺が信じる理由があるか?」

理由。

(ねぇわ)

それでもそのまま伝えたら記憶を消される運命から逃れられないのは黒谷にもわかる。無いものをひねり出さなくてはならない時というものが人間あるものだ。黒谷にとっては多分、今がそれだ。

「えっと、えと、友達になろう!!」

「は?」

ぽかん、と猫村が口を開いたのがわかった。自分でも唐突すぎるし若干無理がある運びなのには気づいていたが、無理を押し通して誤魔化すしかない、と黒谷はなおも言い募る。

「俺は! 友達のふりえき・・・・になるようなことはしねぇから! だから俺と猫村が友達になれば、お前がお前がこの件について悩む事もないし、俺もこのことについて忘れなくて済むだろ」

取り敢えず言い切って、断罪を待つ犯人のような気持ちで戦々恐々していると、ふ、と頭上から気の抜けたような声がした。

「ふ、ふふ」

恐る恐る黒谷が顔を上げると、猫村が笑っていた。さっきみたいな嫌な笑い方ではなく、年相応な、子供っぽい笑い方。

「ふ、不利益の意味もわかってなさそうな口ぶりでよくもまぁ、ん、ふふ」

暫くクスクスと笑って、それからやっと口を開いた。

「いいだろう」

「えっ、」

「消さないでいてやる。お前が俺の友達になるならな」

猫村は不遜な態度で「何だ、不満か」と宣った。黒谷としては__それが自分の発言が元だとしても__唐突な展開に目を白黒させるばかりだ。

「不満、ではないです。うん」

はくり、と口を開閉させながら絞り出した答えに、猫村は「だろうな」と満足げに頷いて、黒谷の首を絞めた・・・・・

(えっ、ええええええええええ)

なんだなんだサイコパスかこいつ、と焦って猫村の手を外そうともがくと、案外あっさりと手は離れていった。

「な、何」

「契約の印だ。これでお前はもう俺に仇なすことはできない」

そう言うと、猫村はパチンと指を鳴らした。

(綺麗に音出すのって意外と難しいよな……って、)

「あだだだだだだだだだ」

全身に電流が走ったような痛みを感じて黒谷は悲鳴をあげた。

「痛い痛い痛い痛い」

暫くすると電流(のようなもの)は治まったが、まだピリピリと体が痛い。そんな黒谷の様子を眺めていた猫村はやはり満足げで、黒谷の中に猫村サイコパス説が再浮上する。

「何!これ!」

悲鳴混じりの訴えをうんうんと聞いて(うんうんじゃねぇよ)、猫村は飼い犬を見るような目で黒谷を見た。

「それが、契約の印だ。俺の害となる行為に反応して今のように全身に痛みが走る仕組み。わかりやすく言えば今のお前と俺の関係は孫悟空と三蔵法師だ」

五百年拘束されるほどの罪背負ったことはありませんけどね!

「つか俺今なんもしてねぇけど!」

「罰は先にわかっていた方が効果が出るだろう?」

いけしゃあしゃあと放たれる言葉に反論する気も既になく、それよりも記憶を消されないことを喜ぶ自分がいるのだから笑えない話だ、と黒谷は項垂れる。

「それじゃあ、また明日」

言葉と共に猫村が遠ざかっていく。現れた時と同じような唐突さで。遠ざかる、というよりフェードアウトに近い感覚を味わいながら、黒谷は気がつくといつもの通学路にいた。

(帰ってきた)

と思った。胸に広がるなんとも言えないこの感覚が、安心、だろうか。

既に日は暮れ、慌てて時計を確認すると午後七時。午後七時?!

「はっ?!」

時計を二度見するも時間が変わる事もなく、ただただ時計の長針は数字の七を指すばかり。周囲の住宅からは晩ご飯のいい匂い。

確かに猫村はあの場を裏側の世界、としか言わなかった。であるならば普通に考えてあちらで過ごしたのと同じだけの時間がこっちでも過ぎていておかしくない。そのことに思い至った時、黒谷の腹の虫が鳴いた。

「まじか……」

途方に暮れたような黒谷の声と頼りなさげな腹の虫の鳴き声だけが、通学路に響いた。


***


「猫村おはよう」

今日も今日とてめげない男、赤岩の挨拶が聞こえる。今までずっとスルーされ続けれいるのに、変わらず声をかけられるそのメンタルの強さは一体なんなのかと黒谷は疑問に思わずにはいられない。因みに黒谷も登校して早々声をかけて撃沈している。

昨日のことが嘘のようなスルーっぷりで、黒谷はもしかして夢だったのでは、と思いかけたのだが、昨日の夜はご飯に間に合わなかった所為で母親にしこたま怒られる羽目になったし、あの時感じた痛みが夢だとは思えない。返事こそ返ってこなかったけれど、一瞬だけこちらに合わせられた焦点が、あれが本当のことだったのだと告げていた。


数学は面倒臭い。理科の実験は嫌いじゃないけど、公式は嫌い。地図は地名を覚えるのが面倒だし、国語は眠くなる。英語なんて日本で必要あるか? そんな事を考えていると、また今日にも終わりが来る。

結局何が変わるわけでもなかった一日に黒谷が溜息を一つこぼすと、机に一瞬だけ影が落ちた。


「今夜八時に、正門前」


聞こえたカウンターテナーにガバリと顔を上げるがそこには誰もおらず、しかしまだいつも通り賑わう教室に猫村の姿だけがなかった。

「八時に、正門前……」


***


走る、走る、走る!

時計の長針が指すのは午後八時、その五分過ぎ。

(遅刻した!)

晩ご飯後に速やかに就寝すると見せかけて母親の目を盗んで窓から家を出た。これでも頑張った方なのだ、と褒めて欲しいくらいだが現実は非情かな遅刻は遅刻である。

(猫村怒ってるかな)

そもそも待ってくれているかが問題なわけだが。


「って、案の定いねええええええ」

結局黒谷が正門前に辿り着いたのは八時十五分。なのだがそこに猫村はおらず、黒谷は思わず膝をついた。

(やっぱりいない。てかアレは本当に猫村の声だったのか? 聞き間違いの可能性もあるし、俺、確認もしなかったから……いやそもそも確認しようにも猫村いなかったからできねぇんだけど、でも)

瞬間、黒谷は目を見開く。周囲は変わらないが、これは。

(こんにちは違和感。こんばんは、)

「うるさい」

聞こえたのはカウンターテナー。猫村貴幸の声だ。

「猫村、」

ドゴォン

ごめん、遅れた。と言う間も無く、響き渡る轟音。

「お前が遅いから、先に始めていたぞ」

「……みたいね」

猫村に引きずられるまま物陰へ隠れる。隠れた状態のままそっと外を伺うと、そこにいたのは、

「蛇?」

昨晩の狼など比にもならないほどの巨体。頭部には冠状のトサカ。何故か半身を起こした状態でズルズルと進みながら、時折建物を対して何かの苛立ちをぶつけるように尾を振り下ろしている。色だけは昨日見たのと同じ黒だが、依然としてぽっかりと空いた穴のような目が恐ろしい。

「コカトリスだ」

すかさず入る訂正に「何それ」と返すと、猫村はしれっとした顔で「別名バジリスクとも」

と付け加える。

バジリスク。どっかの児童文学でも聞いたことのある名前だ。二巻だったかな。

そこまで思い至ってから、黒谷は愕然とした。

「それやっばい奴なんじゃねーの?!」

「そうだな、だがまぁ能力的には凄く大きな蛇だと思って構わんだろう」

ヒドゥンにそこまでの再現能力はないからな、と頷く猫村はやはりしれっとしていて、黒谷は唐突に彼を殴りたい衝動に駆られた。

(こんにゃろ)

しかしまぁ、文句を言おうが何だろうがなってしまったものはしょうがないので、気を取りなおすように黒谷は猫村に声をかけた。

「そういや俺まだお前に答えてもらってないことあんだけど」

「今言ってる場合か?」

「そりゃ、そなんだけどさ」と肩を竦めながら、黒谷は猫村を見る。白い大きなとんがり帽に、同じく白いロングコート。昨日見たのと同じ格好だ。

「まぁいい、なんだ」

どうやら話を聞いてくれるらしい猫村に促されるまま、黒谷は口を開く。

「あの、なんかショット?とか言ってたやつ。アレ何?」

「ああ」

猫村は一つ頷くと、コートのポケットの中から何やら紙を取り出した。何の変哲も無い、トランプ大の白い長方形の紙。

「これは式符といい、この式符に五通りの命令を与えることで魔女はヒドゥン達を従えている」

「しきふ……」

「例えば第一の型フォーム。これはヒドゥン達の形を変える術で、俺の帽子やコートはこれで作っている。

次が第二の型ショット。この前見せた通り、弾丸のように飛ばすことでダメージを与える。

第三の型ボムは爆弾のように遠距離に設置してから爆発させることができる。

第四の型ガードはヒドゥン達の攻撃を防ぐ盾だ。

第五の型チェーンは捕縛用」

猫村が話しながら式符の形を変えて見せると、黒谷は目を輝かせた。状況なんて関係ない。わかりやすくかっこいいものに目がないお年頃なのだ。

「お前にも式符を一枚と白いヒドゥンを一つ、預けておく」

「えっ、困る」

「困るな困るな。お前には俺の契約印があるから、式符もある程度なら言うことを聞くはずだ。いいか、」

一度区切って、猫村は真っ直ぐに黒谷を見た。いつもはあまり、焦点をこちらに合わせないその黒い目が、真っ直ぐに。黒谷は無意識のうちで息を飲んだ。

「俺は、お前と契約した時に決めたんだ。お前を巻き込むと」

随分と自分勝手な言い草だった。けれどもそもそも自分勝手だったのは記憶を残したいと言った黒谷で、巻き込まれることを望んでいたのも黒谷だった。

「わかった」

受け取った式符とヒドゥンの冷たさに、自然と背筋が伸びる。

「__戦闘を、開始する」

カウンターテナーが響いた。


猫村の体がふわりと浮かび上がる。驚いて黒谷が手元を見るとそこから伸びるのは白く光る鎖。チェーンを他の建物に引っ掛けて登って、バジリスクの上を取るつもりらしい。

飛び上がってそのまま、上からショットを続けて三発。全弾命中するもバジリスクの大きさはたいして変わらず……つまりダメージをあまり与えられていないということだ。

チェーンを消してボムを四発。その後チェーンで少し距離をとって爆発を見届けた後、またチェーンで上へと登る。

(地味にバジリスクも小さくはなっていってる……でもこれ、すげぇ時間かかるぞ……)

淡々とした作業を崩したのはバジリスクの尾だ。

ドゴォン

振り下ろされた尾を避けるために伸ばされたチェーンの先に、バジリスク。猫村を丸呑みしようとでもいうかのように大きな口を広げて、待ち構えている。

「猫村!!」

黒谷の悲鳴が響く。

成す術もなく、猫村が、今、バジリスクの口の中に__!

ドカンッ

爆破音が聞こえて、黒谷は思わず瞑っていた目を開いた。

そこにいたのは猫村を飲み込んだバジリスク……ではなく、上半身の霧散した元バジリスクと猫村。どうやら五体満足なようで、足首をぐるりとまわした後、チェーンでバジリスクの残骸から距離を取った。

「猫村……!」

黒谷は変わりない猫村の様子に安堵する。

両手から出したチェーンを上手く使い、するすると黒谷の隣まで戻ってきた猫村に「やったな!」と声をかけると、心底苦々しげな顔を向けられる。

「やったものか。まだ下半身が残っているだろ」

「でも、」

「ヒドゥンは他の生命体とは違う。跡形もなく消さなければ、意味がないんだ」

凶悪なまでに眉にしわを寄せる猫村の視線の先にあるのは先程の半分程度の大きさになったバジリスク。

一つ舌をうって、猫村が駆け出す。伸ばしたチェーンはやはり上へ。そのまま三発ショット。今度は二発外れた。小さいから倒しやすい? 違う。小さくなって小回りが効くようになって、攻撃が当てづらくなったのだ!

尾の攻撃が猫村を掠める。一瞬見えた脇腹から流れる血に、黒谷嫌な汗が伝うのを感じた。

(せめて何かで動きを止められれば……)

ズルズルと這って進むバジリスクはやはり先ほどまでと比べて俊敏で、代わりに尾から繰り出される攻撃の威力は下がったようだが、あまり慰めにもならない。

(蛇なんて、どうやって足止めすればいい?! そもそも足がねぇんだけど!)

足があればまだ足元に糸を張るとか、兎に角どうにかして転ばせれば動きも止められるかもしれないが、蛇状の生物相手に転倒は望めないだろう。他に何か、動きを止められるものはないだろうか。

(動きを止める、動きを止める、動きを止める、動きを……)

「うるっさい!」

その声に、ぐるぐると沼にはまっていた黒谷の思考が一瞬で真っ白になる。クリアになった脳裏に、案が一つ。

(そうだ、動きを止めるだけなら難しく考える必要はないんだ)

何せ相手は、地面を這っているのだから。


渡されたきり握りしめたままにしていた式符を見つめて、ごくりと喉を鳴らす。

これからする事は、今前線で戦っている猫村に比べたら、微々たるものだ。でも、それが彼の役に立つというのならば、彼に巻き込まれたものとして、否、彼に巻き込まれることを望んだものとして、やらなくてはならないことだ。

第一の型フォーム

黒谷が呟くと、同じく手にしていたヒドゥンがぐにゃりと動き出した。

するりと地を滑って指定した場所まで移動すると、べしゃりと姿を変える。

(よかった、取り敢えずちゃんと俺の命令も聞いてくれるみたいだな)

計画の一段階を終え、ひとまず安堵の息を漏らした。

(第二段階、は、)

勢いをつけて物陰から走り出る。いきなり姿を現した黒谷に、猫村がギョッと目を見開いた。

(お前そんな顔もできるんだな)

頭の片隅でそんなのんきなことを考えて、恐怖を紛らわす。

「こっちへ来やがれ! 蛇野郎!!」

大声を出すが、バジリスクからの反応はない。しかしその言葉で猫村は黒谷の意図に気がついたようで、チェーンを黒谷のいる建物の方に飛ばした。

「付いて来い、蛇」

時折三発のショットで牽制しつつ、黒谷のいる方へバジリスクを誘導する。自分の作戦が完全に猫村に伝わっていることを確認して、黒谷は別の物陰へ移動した。

(俺がいたら、邪魔だもんな)

上手く飛んだままバジリスクを誘っていた猫村が、不意にバジリスクの視界から消える。バジリスクが獲物を探すように身を捻るも猫村の姿はない。ちょこまかと移動する小さな生物を探しに行こうとズルリと下半身を進めようとした時、バジリスクはやっとら己の身に降りかかった異常事態に気がついた。

体が動かないのだ。身をくねらせてみるも効果はなく、むしろ先程よりも動きづらくなっていく。下半身の下にあるのはただ他と色が違うだけの地面なのに__。

そう、その色の違う地面こそが黒谷の狙っていたものである。あの時黒谷がヒドゥンを変化させたのはガム。

(べっとりくっついて離れないだろ? アレ人間でも嫌だもんなぁ)

コンクリにへばりついたガムと自分の靴を思い出して、黒谷は舌を出した。

身動きを取れないままでいるバジリスクの頭上から、少年が一人降ってくる。猫村だ。バジリスクの視界から不意に消えて見せた時真上に高くチェーンを飛ばしていた猫村が、落下の勢いをそのままにバジリスクへ突っ込む。

手元には四枚の式符。重ねて一言。

第三の型ボム!!」

辺りに響き渡る爆音。

哀れなバジリスクは避けることも叶わず、断末魔をあげて霧散する。黒い靄が舞い、そして消える。その跡に立っていたのは猫村一人。

黒谷は今度こそ「やったな!」と声をかけた。


***


「あれ、思いの外簡単にやられちゃったなぁ」


***


変わらない世界。変わらない日常。どうしたって授業はつまらないし、昼になればお腹は空く。帰りにクラスメイトから寄り道に誘われればのるし、偶にはまっすぐ帰ることもある。そんな変わらないことづくめの日常の中で黒谷は最近、日課、のようなものができた。窓側一番後ろの席。黒谷の席の、左二つ後ろの席。そこに座った少年を観察すること。別に、変な意味ではなくて、純粋に。

中学生男子にしては長すぎる髪を、風が混ぜっかえすように撫でていく。相も変わらず果敢に話しかける赤岩からずらされた焦点の合わない黒い目が、窓を抜けて風の向こうを見ていた。

今なら少しだけ、猫村が何を見ているのかがわかる気がして、どことなく違和感のある、愛すべき裏側の世界を思った。黒谷はにやりと口角を上げて首元を触る。


今日も今日とて、猫村貴幸はやっぱりちょっと変なままだ。

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猫村貴幸はちょっと変 ナージャ @zeruromulus

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