03 スクロール、その一番最初

「サー・ブロンソンはいますか?」

 アレクは声を張り上げて酒場中に響き渡るように言った。騎士サーの称号が飛び出すには不釣合いな場所で、アレクは衆目を集めた。


 そして彼に集中した目玉は酒場の置くに並べられた長椅子に横たわっているブロンソンに向く。


 鼾をかきながら眠りこけるブロンソンの下へアレクは近づいた。

 騎士という身分に居ながら、このような場所にいることは耐えられず――もっと耐えられないことには、自分がこの世で最も尊敬できない人間を呼びに行くように、使い走りのような仕事をさせられていることだった。


 だから彼の虫の居所は悪い。

 アレクは長椅子の足を蹴ってブロンソンを起こそうとした。


 その瞬間、ブロンソンの目は見開き手元にあった剣の柄を握っていた。

 瞬きのうちに行われたその、防御の姿勢にアレクは口を開ける。


「……なんだ、サー・アレクか。そんな阿呆面をぶら下げて、俺に何の用だ?」


 ブロンソンの言葉に彼は一つ咳払いをしてブロンソンに言った。


「王命です。サー・ブロンソンを、騎士王の下に参上させるようにと命を与えられてこんなところまで来ました」

「それはまた、ご苦労なことだ」


 アレクの言葉に従うように彼は身体を起こして剣を腰に挿した。

「素直に言うことを聞くのですね……」

 アレクはブロンソンが酒を手放し、自分に従うことを不審に思いながら眉を顰める。そんな彼の仕草にブロンソンは頭を抑えながら、溜息を吐いた。

「王命なんだろう? 何の用で呼び出されるんだか」


                    *****


 連れて来られたのは玉座の間ではなく、地下の小会議室だった。石造りの室内はひんやりと冷えて、吐く息が少しだけ白く見えた。

 そんな室内に押し込めるには首を傾げざる終えない人物たちが大勢いた。

 五大貴族の出の騎士たちにミステリア、ケイオスにリーゼまでいる。さらに言えば、国政の片割れであるフランク国王もいたのだ。

 

 玉座に就いたのは女であるミステリアであるが、対外に向けた顔はその夫であるフランクが務めていた。彼は戦い以外の才能であれば誰にも負けない――少し変わった男だった。彼はいつもニコニコと笑っている。


「これは陛下――、何ゆえ騎士たちに混ざってこんなところに?」

 鎧を身に纏う騎士たちの間に、絹の衣服を見に纏う男が居るのは珍妙に思える。

「これからミステリアが話してくれるよ」と国王は表情を崩さずに言った。


「何の密談が始まるんだ?」

 半笑いを厳つい顔を貼り付ける一同に向ける。彼の嫌う重苦しい空気の中、サー・ダンテ・モンテグリフが口を開く。


「王女リーゼ・フローレンス様の旅の話だ、サー・ブロンソン」

 なるほどとブロンソンは呟く。

「五大貴族出身の騎士様方に加えて、リーゼがいる理由がそれか」

 グラットン・ストー、イルシュミナ・デルモン、パズ・ギュンター、トーリ・キャスバン、ジョン・ボルドー――五大貴族から選出された王の剣たちであり、各々が武功や功績を挙げる騎士である。


 彼らを集めずにリーゼの旅の話を進めれば不和が生まれるのは確実だ。だからこそ、この催しを企画した者は彼らをここに集めたのだろう。案外、国王の考えなのかもしれないとブロンソンは考えた。


 そんな中、ミステリア・フローレンスは一つ咳払いをした後に、口を開いた。

「私が召集したものたちは全員揃ったから、早速本題に入るよ。私の娘、リーゼ・フローレンスの旅路を認める。旅立ちは三日後の明朝。行程はリーゼの好きにしたらいい」


 その言葉を聞いてリーゼは優雅にお辞儀をする。

「分かりました、お母様」


 場所が場所であるが、ここは公式の場であるらしい。

 ブロンソンはほんの少しだけ気持ちを引き締めた。そう、ほんの少しだけ。


 ミステリアはリーゼの次にブロンソンとアレクを見ながら言った。


「そしてサー・ブロンソン。サー・アレクセイ・アイン。両名を王女の旅の従者に任命する。王女の身をその命を賭して護りとおすように。頼んだぞ」


 その声に呼応して、アレクが膝間づいた。


「日向の騎士アレクセイ・アイン。その主命、私の命に誓い護ります」


 ブロンソンもそれに続かなくてはならないのだが――そういう大役を任されるには荷が勝ちすぎているように思ってしまったのだ。彼は首を傾げて、ミステリアに訊ねた。


「……どうして俺だ? もっと若い騎士が似合いだと思うが?」


 そう言って、膝間づいたままのアレクを見る。長い旅路には体力のある若者が一番だろう。そう思っていたが、グラットン・ストーがブロンソンの疑問に答えた。


「若過ぎず、老い過ぎてもいないお前が適任だと意見が一致した」

 誰と意見が一致したというのだろうか――そう考えているとイルシュミナ・デルモンが意地悪な笑みを浮かべてこう付け加える。

「人を信じないところとか、何だかんだ言って王様大好きなところとか?」

 後であいつはぶん殴ってやらなければいけない――自分よりもずっと若い彼女を睨みながらブロンソンがそう思っていると、今度はリーゼの方が表情を曇らせて彼に言う。


「私との旅は嫌ですか、サー・ブロンソン?」


 長い睫と肩が揺れているのは自分のせいなのか?

 そう思いながらミステリアの方を見ると、その後ろに立っていた国王が青筋を立てながらニコニコ微笑んでいる。


「はぁ――、分かったよ。日陰の騎士サー・ブロンソン。謹んでその王命真っ当致します」

 気持ちの入らない言葉の羅列を聞き、リーゼは噴出す。

 その横で膝間づいているアレクは勿論、ブロンソンのことを睨んでいた。

 

「旅立ちは三日後、それまで二人の公務は休止し、英気を養うように」

 ミステリアがそう告げるとブロンソンは彼の胸中にあるもう一つの疑問を口にする。

「旅の目的を聞いていない。魔法の国まで遊学に行くことか?」


 その疑問に答えたのは他ならぬリーゼ自身だった。彼女の口からは流水の如く言葉があふれ出し、その一つ一つがブロンソンの周囲を取り囲む。

「それも勿論あるけれど、どうせ誰かのお嫁さんになってお城に閉じ込められるなら、それまでの間に一杯色んなものを見て、聞いて、体験しておきたいなって思って――」

「おい、魔法の国との同盟のための基盤作り、その政策の一つとしてこの旅があるんじゃないのか?」

 リーゼの言葉を遮ると、彼女は頬を膨らませて駄々捏ねる子供のような振る舞いで彼に言い放つ。


「それは私の考えることじゃありませーん! 私が行きたい所に行って、見たいものを見る楽しい楽しい旅路でーす!」


「実際のところはどうなんだよ、陛下共々」

 ブロンソンは真意を訊ねようとミステリアとフランクを見た。

 するとミステリは真顔でこう言ったのだ。


「結婚相手の下見だ」


「はぁ?」

 間抜けな声が挙がるのも当然である。旅というものは命がけであり、その命を賭ける理由が彼自身、納得のいくものではなかったからだ。


「そもそも魔法の国との結婚話は先方から持ちかけてきた話だ。相手方は第一王子の妻になって同盟関係を結んで欲しいと言っているが似顔絵の一つもない。ストー候の話でも第一王子の人となりが分からない」


 ストー候と名前を挙げられ、グラットン・ストーは頷きながら言葉を引き継いだ。

「西方に知り合いは幾つかいるが、彼らの中で王子の顔を見たものはほんの僅かであり、見たことがあっても幼いときに一目というものばかりだ」


 なんだそれ――と次々と疑問があふれ出してくる。

「どうしてあっちから同盟を?」

 前回の円卓会議では、こちらから申し込む話だとばかり思っていたが、まさか向こうから話が来ていたとは思わなかった。なんの目的があって交友が薄いこの国と同盟を結ぼうと思ったのか――。


 当然、その答えを知るものは誰も居ない。

 ミステリアは首を振る。

「分からない。けれども顔も分からぬ相手に娘をやるわけには行かないだろう? だから、直接魔法の国に乗り込んで事情を知り、それでリーゼ自身に判断させる」

 その隣で国王であるフランクが行った。


「ブロンソン、そう困り果てることもないさ。ぼくは見聞を広めることに大賛成だ。魔法と言うものは興味深いしね。君も楽しんでくるといい」

 それにつられてリーゼも両手を振る。

「そうそう! 楽しみましょう、二人とも!」

 それにアレクは笑みを向けて「はい、姫様」と答える。


 アレクのその掛け声を聞いて、真面目な男めと悪態をつきたい気持ちにブロンソンはなった。


 この物語にタイトルが付くとしたら、『姫様婚活物語』に違いない。


 さきほどまでのシリアスな雰囲気はどこへやら――皆が一様に楽しげに談笑し始めた。

 魔法の国まで、何度月が消えたり、丸になったりを繰り返すだろうか。旅には危険が付き物であり、まさか自分の命を賭ける理由が、結婚相手の下見のためだとは笑えない冗談だと思った。


 しかしながら、顰め面で居られるよりは全然ましだとブロンソンは思う。

 後、三日――好きなときに酒が飲める生活とも暫くお別れである。そのことだけが、ブロンソンの後ろ髪を引く出来事だった。

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日陰の騎士道物語 @mistress

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