02 中庭に葡萄酒
「魔法の国との同盟関係を結ぶために、一人娘を嫁がせるとは、諸侯が納得いかないだろうな。お前もそう思うだろう、ブロンソン」
王城の中庭、噴水の石塀に腰を降ろして葡萄酒を飲んでいた彼に、ケイオスが声を掛けた。手元に燭台を持ったケイオスはそれをブロンソンの横に置く。
「よくここに居るって分かったな」
「こんなところで水筒に入った飲み物を呷る奴なんて、王城ではお前しか居ないさ」
そういうケイオスにブロンソンは葡萄酒の入った自分の水筒を渡す。彼はそれを受け取り、一口含んで、飲み下した。
「諸侯にとってリーゼは王政へ加わるために開かれた門の一つだからな。それが、まさか他国の手に渡るとは思っても見なかっただろう。騎士王の娘を邪悪なる魔のモノたちに渡してはならない――なんて真剣に言う奴も出てくるんだろうな」
そう言ってブロンソンは口元を歪めて笑う。
「だが、サー・グラットンは王の考えに前向きらしい。ストー候が賛成の旗振りをしてくれるのなら、他の四家もだんまりを決め込んでくれるかもしれん」
果たしてそうだろうかとブロンソンは首を傾げる。
騎士の国には五つの由緒正しき家名がある。
北方領域を統べ、北の脅威から国境を守るデルモン家。
東部領域を統べ、豊かな自然から大豪農と呼ばれるボルドー家。
南部領域を統べ、豊富な海産資源と海軍力を持つキャスバン家。
西部領域を統べ、幾つモノ炭鉱を支配するストー家。
かつて王家と言われ、この国を支配していたギュンター家の五つだ。
彼らはかつて保持していた影響力も薄れてはいるが、今でも大貴族と呼ばれている。また、王の剣と呼ばれる銘ありの騎士たちには、これらの家の出身者もいた。
グラットン・ストーもその一人であり、王の剣として王都へと召集された際に家督は息子に譲り、その剣の腕前と智謀を王の為に役立てんとした。その銘は【巌窟】の騎士。かつて戦乱の最中、岩屋の牢獄から脱獄し、そのまま砦を陥落させたことから付いたものである。与えられた恥辱を忘れず、執念深い――敵には回したくない男だと誰もが思っていた。
「そも、ストー候が賛成であるか疑問だな。あの話の真意は旅路の失敗にあって、王の計画を頓挫させる気なのかもしれん」
ブロンソンはそう言って、ケイオスが手に持っていた水筒を取り返し、中身を喉を鳴らしながら飲んだ。そして彼はただ真っ直ぐ前を向いて言った。
「リーゼは知ってるのか? 自分が嫁がされることを」
その言葉を聞いてケイオスは力なく笑う。
「幼い時からずっと言ってるよ。お前は恋愛結婚はできない。然るべき時に王が相手を宛がうとね」
それは仕方のないことだった。今やフローレンス家は王族である。そこの王の娘なのだ。子を産める以上、それはどんな黄金よりも価値があった。
「それが王族に生まれたものの定めか。いつから民を笑わせるために、自分が笑うことを抑える様になったんだ、あいつは……」
ブロンソンの呟きを耳に入れて、ケイオスは言う。
「玉座へと選ばれたときだ」
「……そうだな。よくやってるよ、あいつは」
王になり、民の前で宣言した彼女は、良く知る旅の仲間よりも遠くの存在になった気がするとブロンソンは思う。旅路の最中、同じ方角、景色を見ていたと思っていた。けれども王という責務を背負った彼女と彼が見る景色は決定的に違う。
「そう思うなら、多少は素行を良くしてくれよ。お前はいつの間にか、あいつの心労なんだからな」
「ああ、善処するよ。サー・ケイオス」
ブロンソンはケイオスの言葉に生返事を寄越して、笑った。
――その時だった。「誰か居るの?」と、暗がりの向こうから声がしたのは。
それはブロンソンもケイオスの良く知る少女の声だった。
ケイオスは燭台を手にとって、前方へと翳す。
「なんだ、叔父さんか。それにサー・ブロンソン。お酒臭いよ?」
そう言いながら近づいてきたのはリーゼ・フローレシア。件の姫君であった。
彼女は母親に負けず劣らず綺麗な顔立ちをしている。王都では白百合だとか、ガザニアだとか、サイネリアだとか――いい加減であるが、とにかく花に例えられるものだった。
「そりゃあ、飲んでるからな。お前も飲むか?」
そう言って水筒を渡そうとするのをケイオスが遮る。
「リーゼに悪い遊びを教えないでくれ」
きっぱりとそう言いきるケイオスの眼前で、リーゼは目を細めて微笑む。
「そうよ、サー・ブロンソン。お酒って美味しくないんだもの」
「ちょっと待てリーゼ。お前、酒は禁止されてるだろう?」
飲んだことのあるような口ぶりにケイオスは狼狽する。可愛い姪が彼らの間で取り交わされた契約を反故にされたのが相当にショックだったらしい。
そんなケイオスの様子にリーゼは頬を膨らませる。
「禁止されると飲んでみたくなるの。大人たちが良いものを独り占めしてるって思ってしまうのよ」
「お前ももう大人だろう」
笑いながらブロンソンがそう言うとリーゼは嬉しそうにして何度も首を縦に振って頷いた。
「ブロンソンは分かってる。私も淑女の一人なのだから、お酒の一つや二つ、嗜みたいものだわ」
その言葉を聞いてケイオスは首を横に振った。
「酒は人を堕落させる悪魔の飲み物だ」
「じゃあお前の所の葡萄畑は悪魔に加担してるわけだ」
元々フローレンス家は東部領域に小さな領地を持つ小貴族である。その小さな領地にある葡萄畑には極上の葡萄が実り、この国の高級酒の原料の一つだった。
ケイオスは顔を顰めてブロンソを見る。
「……若いうちからお酒を飲んでいるとブロンソンみたいになるぞ」
おどけた表情でブロンソンはケイオスを見た。
「逆に言うとだ、お前くらいの年齢から酒を飲まないでいると、ケイオスみたいになるぞ」
その二人の言葉にリーゼは口をへの字に曲げる。
「えぇ……、どっちも嫌……」
その言葉にケイオスの瞳から光が失い、ぐったりと項垂れる。
ケイオスの姿を横目に入れながら、ブロンソンは大いに笑った。
「それで、こんな夜中にお前は何しに外に出てきたんだ?」
ブロンソンはリーゼに尋ねた。王城の中とはいえ、王女が夜中に出歩くことに理由がないとは思えない。けれども彼女の唇から零れた言葉は大したことはなかった。
「灯が見えたから」
ただそう一言口にした彼女はあっけらかんとした表情で二人を見る。
それにケイオスは笑いながら言った。
「まるで火元に突き進む羽虫だな」
その言葉に彼女のはムッと頬を膨らませた。
「そんな言い方しなくてもいいじゃない。ねぇ、私が魔法の国の誰かと婚姻を結ぶって話は本当?」
その話か――とブロンソンとケイオスは一瞬固まった。
なるほど、どこからかその話が漏れ聞えて、居ても立ってもいられずに歩き回っていたと――ブロンソンは考えた。身体を動かすことで幾分かの不安を取り除こうとしているのだろう。
彼は彼女に掛ける言葉を考えたが、嘘も付けず、また自分自身がその話を決定するわけでないことを思い出した。
「それはお前の母親と父親の知るところだ。ただ、その話が今日の円卓会議で出たのは事実だな」
そういうと彼女の眉は落ち込んだ。
「そうなの……。魔法の国とはどういうところなの?」
「この国とは環境がまるで違う。精霊たちが身近で、大気にマナが溢れている。ここでは見れない生物たちが生息し、魔法が生活の一部として取り入れられている。不便はしないだろうさ」
ケイオスは努めて明るく言った。西方の旅人から齎される話の一つだった。
そもそも王都に魔法の国と縁故がある者がどれほどいるだろうか。西方領域の大貴族であるストー候であれば関係があるかもしれない。財務や外政を取り仕切るものたちの中にもいるのだろうか――この国は隣国であるにも関わらず、魔法の国に対して何も知らなさ過ぎるのではないか。
その知らなさ加減はリーゼにも及ぶ。彼女もまた、聞いた話をつらつら連ねて、自分の不安に薪をくべた。
「西方には恐ろしい化け物がいると聞きました。それに魔術師たちは人の首を刈り取り、魔術の道具にすると――」
そこでブロンソンは首を横に振る。くべられた薪の一つ一つは、他方から見ればこの国と変わらないものであると思ったからだ。
「俺もその話は聞いたことあるが、ここと変わらんだろう。恐ろしい化け物の代わりに、権力を手にしようと権謀を巡らせる貴族連中がいて、俺たち騎士は敵の首を刈り取って晒し、恐怖を流布し、支配基盤を築こうとする。まあ、今の平和な治政の中を暮らしているお前には実感の湧かない話だろうがな」
「騎士は正義のために剣を振るうと言っていました。魔術師は悪逆のために魔術を振るうとも」
「なら、それをお前に吹き込んだ奴は騎士様が好きで魔術師が大嫌いなんだろう」
「ブロンソンは魔法の国に行ったことがあるの?」
「いいや、ない」と彼女の言葉に首を横に振った。
「なら、どうして魔術師たちの味方をするのです? あなたは王の剣なのに」
王の剣は魔術師の味方をしてはいけないなどという決まりがあるわけはないだろうに――とブロンソンは内心思った。騎士が正義の側に立つ絶対的な存在でもなければ、魔術師たちが悪の側に立つ絶対的な存在でもない。世の中の良い悪いの区別は、相対的に、自分が決めることなのだ。
「行ったことも、話たこともない連中のことを悪く言うのか? 評判なんてものは煙がなくとも立つものなんだぜ。それなら、俺は自分の目で見たものを信じたいね」
ブロンソンの言葉は少ないものだった。彼が抱く考えのほとんどを言葉で表していなし、そもそも伝えるような努力も行ってはいなかった。
「それは、あなただからできることです」
だから、リーゼが表情を暗くして吐き捨てた言葉を気にする理由もなかった。
リーゼはそう言って、二人に一礼すると城の中へと戻って行った。
ブロンソンは手に持った水筒を口につけて葡萄酒を飲む。
その横でケイオスは苦笑しながら口を開いた。
「大人げないな、ブロンソン」
「だから、あいつはもう、大人だろう?」
*****
それから一週間ほどが経った頃だった。
その日も、いつも通り公務を終えて行き付けの酒場――騎士たちや城下の住民でさえ蚤の溜まり場と称する――でならず者たちと酒を飲み騒いでいたときのことだった。
酒気に塗れた陽気な雰囲気を破壊するかのように、王命を受けたサー・アレクがやってきたのだった。
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