鉄道はヘリを走る

俣彦

飯田線を走る―その1―

昔、地元の本屋に「飯田線を歩く」と言う本(雑誌)がありまして

親が買ったのでありましょう。

私の家にも一部置いてありました。

飯田線のことも勿論取り上げられていたのでありましたが

それ以上に沿線(一部高遠など飯田線から離れた地域もありました)

の歴史や風習にまつわるコラムが面白く。

長いこと愛読していたのでありましたが

……今は家に無く……。

地元の本屋にも

30年以上前の。

(……その会社あるのかな?)

しかも雑誌でありますので

……聞くのもな……。

(地元の大学の図書館探せばあるのかも?)

……のこの本の名前。

「飯田線を歩く」

(因みに私の家にありましたのは改良版の「2」。)

を普段私が

(……もともとは健康のためだったのでありましたが……)

悪戯に走り回る俳諧とを組み合わせまして

飯田線の全ての駅を自分の足で走破してみようでは無いか。

と時々思うのでありますが

飯田線のことを少しでも御存知のかたでありましたら

それがどれだけ無謀なことであるのか?

と言うことも重々承知しておりまして

まだ自動車と言うものが普及する前の段階で既に

人が住んでいない。

それも私鉄のように宅地開発することを前提にしていない。

そもそも宅地に出来るような土地すら存在しないようなところに

この路線沿いの中では最も近い位置にあるから。

と言う理由で出来た駅が

特に三遠南信の境を為す地域に点在しているところに

ダム建設が重なったため

どうする?この秋葉街道を迂回したあとのトンネルの扱いは?

など相当面白いことになりそうなのではありますが

(……そこまでしなくても健康を維持することは出来る。)

で。未だ豊橋駅から1時間前後のエリアに留まっているのでありますが。


そんな中、今回取り上げますのは

三河一宮。

飯田線は豊橋と豊川の間が複線で

そこから先は単線

と言うこともありまして

小坂井、牛久保、豊川の3駅に関しましては

ほぼ15分も待てば豊橋行きの列車がやって来る。

便利な路線なのでありますが

一方、豊川から先。

三河一宮に関しましては

需要の関係もありまして

どうしても本数が減ることになる。

……とこれまで二の足を踏んでいたのでありましたが

調べてみると意外にも

三河一宮や更に先にあります

新城まではしっかり本数がありまして

正午前後はその限りではありませんが

朝の通勤通学時間帯は毎時3本。

夕方は毎時2本確保されておりまして

豊橋以西の普通列車しか止まらない駅よりも

下手をすると条件が良いことがわかりまして

(新城から先は絶望的に本数が減ることにはなりますが……)

ならば行ってみない手は無い。

と3月でしたか。

豊橋駅近辺のクルマを止めることが出来た場所からスタート。

途中の牛久保までの工程につきましては

別の機会にしまして

30分弱で牛久保に到着。

その日は目的地が三河一宮でありましたので

最短ルートとなります

国道151号線を選択。針路を北東にとりまして

テクテク走っていくのでありましたが

この151号線

と言うのが田んぼの真ん中にある

ひたすら平坦な一本道でありまして

時々店舗はありますが

住まいは基本。道路から一段高い位置にある

飯田線が走っているところと同じか。

それよりも更に高いところに住居が構えられている。

市街化調整区域に指定されているため

宅地開発が出来ないのか。

別の理由があるのか定かではありませんが。

何処に行くにも便利な場所ではありますが。

と言うところを

ただ真っすぐ走っていきまして。

途中姫街道との分岐点。

ここを左折しますと豊川駅にたどり着くことが出来るのでありますが

今回の目的地はもう一つ向こうにある三河一宮でありますので

そのまま真っすぐ進みまして

東名高速道路の豊川インターチェンジの手前あたりからでしょうか。

急に上りが始まりまして

一気に10メートルぐらい上がったところで

これまでの道が何故宅地されてこなかったのかに気付きました……。

それは何か?

と言いますと

豊川放水路。

これが出来たおかげで。

今はほぼその心配は無くなりましたが

かつて今国道151号線(牛久保~豊川)が走っている場所は

ひとたび豊川が氾濫すると水が浸かる危険地域であったため

作物を植えるにも覚悟が必要。

家を建てるなどもってのほか。

の場所であった……。

今は放水路のおかげでリスクは劇的に減ってはおりますが

もし放水路に何かが……。

となると……。

で。ありますので。

今も店はあるけど宅地は。

……と言う場所を走って来たんだな……。

と思いながら坂を上りまして豊川インターチェンジ。

そこで私が目にしたものは何であったのか?

と言いますと


(……歩道がない。)


それどころか


(……道なりに進むと私。

間違いなく高速道路に入ってしまう……。)

高速のバス乗り場のところで立ち往生。

乗用車は真っすぐ進めば国道151号線。

左に曲がると高速道路へ。

と区分けされているのでありますが

クルマに乗っていない私が高速道路へ通じる道を横切るのは危険過ぎる。

で。あたりを見回しましたところ

少し戻ったところに道がありまして……。

……とりあえず。

と入ってみましたところ

……どうやら抜けることが出来そう。

実際。高速の下を潜ることにより抜けることが出来たのでありましたが

夜。土地勘の無いところでしたら

そのまま高速に入ってしまい

危うく動画投稿サイトや

クルマの緊急事態の時、お世話になるところが発行している雑誌に取り上げられることになった……。

それで済めばまだマシ……。

……だったのだろうな……。


その後は比較的順調に。

一部歩道が無いところがありましたが

特に危険を感じる場所もなく

無事、旧一宮町を代表する砥鹿神社に到着。

で。帰りは電車と決めていましたので

神社から駅までを確認しましたところ

(……飯田線は参詣鉄道だったんだな……)

300mと言う有難い距離にありまして

三河一宮に足を運びましたところ

(……昔は駅員が配置されていたんだろうな……。)

と今は木の板で塞がれた

昔。窓口があったであろう場所を通りホームへ。

次来る予定の列車は「快速」だったのでありましたが

時代の流れですね。

ワンマンカー……。

その乗り場で

「次の電車。豊川に止まりますか?」

と尋ねられ

「絶対に止まります。」

(……もし豊川に止まらない電車があったらどうしよう。)

と思いながら応答。

待っていましたところ

三河一宮9時41分発。

豊橋行きの電車がやって来ました。

こっちは1時間以上走りづめであります。

座れないまでも

壁際には寄り添っていたい……。

と思いながらその列車を迎えたところ

立錐の余地もない超満員客を引き連れて到着。

少子化に加え

家族全員が普通自動車免許を取得する時代にある中。

地方交通線である飯田線が多くの方に利用されていることは

喜ばしいことではあります。

大変喜ばしいことなのではありますが

(……今は空いていて欲しかった……。)


拠点駅の1つ。豊川駅での

ほんの1、2分ですかね……。

の発着の間合いが

(……とにかく長く感じられました……。)

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