第5話 イタリアーナ島

 アンツールは解析結果を示すモニタを目がくっ付かんばかりの前のめりで覗き込んでいた。隣に若干控え気味に構えるラベンダーがいた。

 ここはフライングフィッシュ号の研究室兼整備室―――……呼び方は船員によってまちまちだが、アンツールはこう呼んでいる。

「でウサギ小屋のおっちゃん。高く売れそうか?」

「ウサギ小屋じゃない研究室だ!」

 大男が、太い声で苛立ちを隠そうともせず言った。彼は小さい椅子に身を押し込むように腰掛けており、キーボードを打っていた。その昔アジアの中国と呼ばれていた国に先祖を持つという男だった。彼はフライングフィッシュの医者であり、整備士であり、研究者なのだった。

 隣からおずおずとラベンダーが声をかけた。慣れ親しんだアンツール相手には無礼千万働く彼女とて、重要な地位にある親友でも身内でもない相手に図々しい態度をとることはなかった。

「陳さん、結果がわかったんですか?」

「ラベンダーちゃんはかわいいなぁ……鬼ババアと比べたら天使のようだよ………つまり各種分析結果の……」

 陳がラベンダーの言葉に頬を緩ませて専門用語を交えた解説を始めようとすると、アンツールが横から遮った。両手で立方体を組み立てるジェスチャーを挟み、解説を進めるように求める。

「簡単に、完結に、起承転結つけて頼むぜ」

「本は読んでるかいアンツール坊や。簡単なことばかり考えてると頭が腐るぜ。了解。簡単に言うとこいつの質量と、それにかかる重量を計算してみたんだが、釣り合わない」

 アンツールが首を捻った。モニタに映るグラフやらは読み解けるものならば意味が理解できるのだろうが、生憎理解できるほど頭ができあがっていなかった。

 陳がグラフを指で突きながら言った。

「更に簡単に言おうか。反重力機関が移民船に搭載されていることは周知の事実だが―――膨大な出力を必要とするわけだ。核融合炉でも足りない。縮退炉の実用化なしにはとても理論上の存在でしかなかったが――こいつは、出力なんて鼻くそレベルだろうに、重力に逆らっている。本来ならば重量は数十kgはくだらないはずだが、たった数百gしかない」

 陳が一気にまくし立てる。興奮した様子で喋るものだから、唾液が画面に飛んでいた。研究者に限らず自身の専門分野について未知のことがわかった人間と言うものは理性を失ったように興奮するものだ。

 専門は専門でも、どちらかと言えば『なぜこんなものが遺跡にあったのか』について知りたかったアンツールは面白くなさそうな顔をしていた。

「そいつは大事だなぁ………陳、貴重品ってことでいいんだろ。今にあの鬼……」

「誰が鬼だって?」

 ウサギ小屋の扉が唐突に開かれたかと思えば、タバコを吹かしたマリオンが入ってきた。扇情的な肉体をきわどい水着で隠していた。申し訳程度にコートを羽織っていたが、むしろ肌の色合いを強調しているようだった。火気厳禁の張り紙をちらりと見てタバコを一層吹かしつつ三人の元に歩いてきた。

「呼ばれた気がしたから来てやったぞ。こいつの結果がどうかは正直どうでもいい。こいつを知り合いにもっていくぞ。明日昼ごろ出発だ」

 マリオンがアンツールとラベンダーをちらりと見た。

「荷物を指定の時間に指定の場所にもってこい」

 マリオンは有無を言わさぬ口調で言い切ると、すたすたと歩いていった。

「冗談じゃねぇ………荷降ろし作業があるんだが……昼寝の時間をどうしてくれる」

 日課の昼寝が死んだとアンツールが苦悩の表情を浮かべたのだった。

「昼寝やめればいいんじゃないかな」

「ばっきゃろー睡眠は大切なんだぞぉ!」

「昨日十一時間寝てるけど寝すぎじゃない」

「勘が良すぎるのも考えもんだよなぁ……監視カメラかよお前」

 アンツールが前髪をかきあげた。


 イタリアーナ島。昔存在したというイタリア共和国を模した島であり、岩造りの建物が多く見られる計画都市である。島ではないところを島にするにあたってはイタリアのヴェネチアをモデルにしたとも言われる。

 荷物を外されたフライングフィッシュ号が港に停泊していた。

 アンツールは作業用パワードスーツを装着して荷降ろし作業をしていた。フレームを強化プラスチックで覆っただけの操縦席に入って、黙々と手足を使っていた。ちんけな扇風機が送り込んでくる微風だけで体の暑さを排熱できるはずがなくて、とめどなく汗が流れていた。

「終わり終わり……お疲れ!」

 作業終了。スーツを指定の位置に戻して、整備士にサムズアップ。飲料水の入ったボトルの中身を口に流し込む。乾ききった細胞が歓喜の絶叫をあげるのがわかった。頭にも中身をぶちまけた。ぽたぽたと滴る汗と水をタオルで拭くと船内に戻って着替えた。

「おっす。今日はワンピースじゃないんだな」

「うん。ワンピースがよかった?」

 アンツールが汗を流し服を着替えて通路に出ると、丁度向かい側の扉からラベンダーが出てきたところだった。作業用の長ズボンに薄手のシャツ。スポーツブラがうっすらと輪郭線を覗かせていた。

「いや、服装はどうでもいいだろ。素材がよければなんでもおいしいってクーネリア姉さんが言ってたが」

「……あのクーネリアって人はよく知らないけど、それって料理の話じゃないの」

「かもな」

 誤魔化されている。ラベンダーが不満そうに唇を尖らせる。

 ラベンダーは例の物資を詰め込んだアタッシュケースを横に抱えていた。物資の重量はたかが数百gとて、ケースの重量はそれ以上なのだ。細腕には辛いところだった。道中でアンツールが荷物を強引に奪い取った。

 白い岩に茶色系の屋根の建物並ぶ街は、計画的に入り組まされていた。直線で進んでいるつもりが遠回りしている。それなりの距離を歩かなければならなかった。

 アンツールが肩をすかせながら言った。

「やれやれ筋肉のたんねぇ癖に抱え込みやがってからに。力仕事は任せろ。で、かわりにマリオンの相手を頼む」

 アンツールのマリオン恐怖症っぷりにラベンダーが嫌味な笑みを浮かべた。

「……へたれ」

「うるせぇ!」

 二人は荷物を持ってイタリアーナ島中心地へと向かった。

 マリオンとの待ち合わせ地点は広間だった。円柱が四方を囲んでおり、中央には大掛かりな噴水があった。観光客、住民、仕事服を着込んだ人間が、思い思いの時間を過ごしていた。

「遅かったじゃないか……荷物をよこせ」

 黒服を来た一団があっという間に二人を包囲していた。黒服にサングラスをかけたいかつい男たちの中央には男物に身を包んだすらりとした長身が立ち腕を組んでいる。

「ボス。荷物はこちらに」

 一瞬気圧されるアンツールだったが、気を取り直してアタッシュケースを胸元の高さまで掲げて渡した。

「よろしい。後は好きにしていいぞ」

 裏家業のものでもなければ殺し屋集団でもなかった。マリオン率いるプロキオンの面々だった。もっとも政府取締りでいつ牢屋の中に入れられるかも分からないのだから、殺しや盗みをしてないだけの稼業ともいえるだろうが。

 黒服の一団が去っていくのを見ていたラベンダーがくすくすと笑う。

「素直じゃないんだから……アンツールは期待されてるんだね」

「は? 召使候補じゃなくて?」

「期待もしてない人間に機体をまかせたりわざわざ貴重品持ってこさせたりしないよ。今回の仕事だっていちいち指定してくるなんて何か伝えたいことがあるんじゃないかなと思う」

「信じがたいね」

 時刻は正午。イタリアーナ島自体になじみが無く地理もわからない二人はとりあえず手近なカフェに入って暇を潰すことにした。濃いエスプレッソを楽しんでいるところに、二名が歩み寄ってきた。

 一人は癖のかかった黒髪を腰まで垂らした泣きホクロが特徴的な扇情的な女だった。浅黒い肌に黒い毛のアンツールと似通っているが、顔立ちは異なっていた。

 片や獣のように研ぎ澄まされた細身の金髪の青年だった。目にかかった薄色レンズのサングラスの奥で細い瞳が瞬いていた。

 エスプレッソの匂いに酔いしれていたアンツールは女を見るなり立ち上がった。

「………ファティマ!?」

「久しぶりねアン君。元気にしていたかしら。背丈が伸びちゃってまあ……髪も後ろで結んでるなんて面白いわね。長髪なんて手入れが大変って言ってたくせに」

 ファティマと名前を呼ばれた女が席を引き寄せてくると隣に座った。細身の金髪の青年はガードマンかなにかのように後ろで手を組んで胸を張ってあたりを見回していた。

「可愛らしい彼女なんて連れてたいそうなご身分ね。噂で聞いたのだけれどリヴァイアサンに潜るそうね」

 ファティマが挑発的な言葉を投げかけた。彼女呼ばわりされたラベンダーは話には興味がないのか、あさっての方角を見て鼻歌を紡いでいた。

「いや、潜らん。数年ぶりに会ってこんな会話ってあたり俺は人間に恵まれてるらしいな」

 アンツールは嘘をついたが、ファティマが身を乗り出してくると思わず仰け反ってしまっていた。自分が立ち上がっていることに恥ずかしさを感じたのか、頭を掻きながら座った。

「嘘ね。これでもプロキオンとは取引があるの」

「………あぁ、なるほどな。以前ボスが言ってたのはお前らのことか」

 アンツールはマリオンの言葉を思い出していた。プロキオン海洋運送業は他の業者とも仕事をしている。フリーランスの密輸業者と仕事をしたことがあったのだ。ファティマなる人物が『社長』をしていると聞いたことがあるが、まさか故郷のトリニティ諸島を離れてしばらくあっていない昔の知り合いと同一人物だとは思っていなかったのだ。

 ファティマ=レンテリア。昔の友人。アンツールの知る限りは輸送業者を名乗ってDSSで密輸を行っているらしい。業務内容は若干違えど同じ穴の狢もとい同業者である。

「リヴァイアサンに潜るのは私。他のどの業者や潜り屋なんかよりも一番乗りしてみせる。捕まったとしても歴史には名前が残る」

「俺が最初に行くんだ! 誰が………あっ」

 アンツールが机に拳を叩きつけて腰を上げた。行かないと言った矢先の失言だった。

 ファティマが口の端を持ち上げると立ち上がった。アンツールのカップをさり気無く取り一口飲む。

「楽しみにしてるわ。ごきげんよう」

「海で溺れてることを期待するぜ」

 わざとらしく笑いながら離れていくファティマへアンツールが中指を立てた。昔の知り合いにはいくつか種類がある。懐かしむ仲。愛を思い出す仲。そして中指あるいは拳が入用な仲だ。ファティマは最後の区分だったらしい。

 アンツールはエスプレッソを飲もうとしてカップに口紅が付いているのをみてげんなりした顔をした。そっぽを向きぼーっとしているラベンダーの肩を軽く突く。

「というわけでリヴァイアサンには俺が一番乗り……ってどうしたんだお前。さっきから。腹でも痛いのか? よっぽどアイツが気に食わなかったとかか。俺もそうだけどな」

「ううん。歌が聞こえる」

 ラベンダーは相変わらずぼーっとして空を仰いでいた。振り返ると、首を傾げる。

「歌ねぇ」

 アンツールはカップを回して口紅がついていない側からエスプレッソを飲み干した。

「どんな歌なんだ……俺にはなんも聞こえんが」

 ラベンダーが胸元に手を置いて風にまぎれるような小声で音色にリズムをつけ始めた。

 はじめは優しく、波打ち際のように。かすれた吐息が漏れる。

 終わりに連れてリズムはより短く、抑揚がついていく。息を吸い、吐きこむ仕草は、小鳥が誇らしげに尾羽根を振り愛の歌を囁いているようだった。

 歌い終えたラベンダーがはにかみを隠すために口に両手を置いた。

「本当に聞こえる。聞こえない?」

「いんや。けど通信の音は聞こえるかな」

 アンツールが懐から端末を取り出した。船がすぐに出港することと、次の遺跡に潜るというスケジュールがメール文でついていた。送り主はマリオンだった。端末を仕舞いがてらサイフを探り腰を上げる。仕事が待っているからだ。

「歌はよくわからんが―――綺麗な声だったと思うぞ」

 ラベンダーがそっぽを向いた。

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Foolish Divers 月下ゆずりは @haruto-k

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