第4話 シグマ36遺跡


「ふざけるな気合を入れろ! 政府軍の犬共にやられたいのか!」

「い、いえすまむ!!」

 腰の引けた青年が悲鳴に近い絶叫を上げて鬼ことマリオンに飛び掛った。先制で繰り出した拳は空中でカットされ、続く膝蹴りが腹部にめり込む。

 マリオンが、うずくまった青年の首根っこを掴みあげると海に突き落とした。

「かかってこいヒヨコが!」

「うわああああっ!?」

 完全に戦意を喪失しているプロキオン海洋運送業の新入り数名をマリオンがひたすら追いかけて殴る蹴る投げると多彩な技を披露していた。

「あーあ、またやってら」

 アンツールはその光景を苦笑と共に観察していた。

 プロキオン海洋運送業は全うな企業と見せかけて実は元海賊疑惑のある女社長が頂点に君臨している組織である。入って早々受けるのはマリオンじきじきの格闘訓練である。たわわに実った肉体を水着で武装し薄着を纏っただけの美女に苛められると書けば楽しそうに思えるかもしれないが、関節技はあるは海に突き落とされるわで実態は軍隊顔負けの訓練である。強烈な洗礼を食らった経験者たるアンツールは、理想的な曲線を描くマリオンの体から繰り出される拳の味を知っていた。

「調整完了……まだやってるの」

 女性だからと“味”を知らないで今まで生きてきたラベンダーが呆れた声を上げていた。ラベンダーはブルー・クラブの上部ハッチから顔を覗かせていた。

「実質的に遺跡に潜る最初の仕事ってのに嫌なもん見ちまったなァ」

 遺跡とは、すなわち過去の産物である。埋蔵されているものの価値を正確に知るものはいない。現代科学でも判明していない物資が引き上げられているのだ、どうしてそのものの価値が図れようか。引き上げれば大金が手に入る。しくじれば悲惨な末路が待っているが、見返りは大きかった。

 マリオンが首を絞めて意識を落とした新入りを床に転がすと、両手を腰に置いて振り返った。

「仕事の時間だろ! とっとと潜れ! 目標はシグマ36遺跡だ!」

 アンツールはマリオンがどこで手に入れたやら鉄パイプを握り締めたのを見てさっと敬礼を返した。アンツールは知っていた。マリオンの投擲技術は恐ろしいのだ。ナイフを投げれば数m先の人間の頭の上のリンゴを貫通せしめるくらいなのだから。

「イエス、マム!」

 慌ててラベンダーが立ち上がろうとして半開きのハッチに頭をぶつけた。

「イエス、いったああっ!?」

「ばか者め。勢いはよし。こちらも無線で支援する。目標はなにか!」

 ラベンダーが涙目になりながらも声を張り上げた。

「遺跡に潜入し、可能なら希少物質を引き上げてくることです!」

「よろしい。オペレーション開始」

 言うなりマリオンは艦橋へと戻っていってしまった。

 二人は顔を見合わせると機体の起動に移った。

「起動完了。いつでもいける」

 ラベンダーがヘッドセットをつけて言った。

 アンツールは操縦桿を握り締めた。手汗を服の裾で拭う。

「了解。ベント弁開け。速力停止状態。水平。深度8000m」

 機体上部から空気が海水を伴って噴出した。緩やかに、しかし加速度的に沈んでいく。

 機体四隅からサーチライトが海底を指差した。機体に張り付いていた気泡が海面目指して登っていった。原生生物の群れが機体をかすめ、遠ざかっていく。どこからか聞こえてくるくじらの鳴き声が反響していた。

 キーをタイプしていたラベンダーが目を閉じて音に聞き入っていた。操縦はアンツールの担当。機器の操作や電子装置はラベンダーの担当だった。潜水艦乗りもといDSS乗りにとって耳は命だ。反響定位エコー・ロケーションを可視化できる技術があるとて、既存のデータには無い音は画面に表示されないこともある。結局は、耳が頼りなのは昔も今も変わらない。

 ラベンダーが目を閉じたままキーを操作した。

「くじらが遠ざかっていく……パッシブはダメになる。アクティブ走査に切り替える」

「まだだ」

 アンツールが首を振った。深度は既に2000mを過ぎていた。太陽の光届かぬ暗黒の世界が待ち受けている。外部映像にはマリンスノーがサーチライトを反射して白く輝く様子が映し出されていた。

「ヘタに“墓守グレイブキーパー”を刺激すると痛い目を遭うことになるぞ」

「それも誰かの受け売り?」

「親父のだ」

 会話が途切れた。

 深度6000m。機体が軋む音が操縦席に響く。もし耐圧殻に皹が入っていたりでもしたら、圧力の均衡が乱れ、一瞬にして海水の侵入を許すことになる。そうなれば、海水は内部を数百水圧という破滅的な空間に塗りつぶすまで止まらないだろう。

 ブルー・クラブが減速した。ポンプが作動し、メインタンク内部から海水を押し出されていく音が響く。

「見えた。前方。四角錐型。推定………3km四方。構成物質は不明。シグマ36遺跡。こちらブルー・クラブ号。フライングフィッシュ聞こえますか」

 ラベンダーが無線に静かに報告を入れると、代わりに耳が痛くなる大声が返ってきた。

「こちらフライングフィッシュ。マリオンだ。入り方はわかっているな」

「イエス、マム」

「やれ」

 無線が切れる。同時にアンツールがやってられんとばかりに伸びをした。

「聞いたか? 無線で支援するといっておいてこれだもんなぁ! 無支援もいいところだぜくそったれ。はいよ、いっちょやりますか。マニュピレータの操作はーっと……俺がやる。索敵頼むぜ」

 ブルー・クラブ号が緩やかに不気味な三角錐の表面に接近していく。浮力と沈下が釣り合っていた。後部のスラスターから推力を得て、付かず離れずの距離を維持する。前面のハッチが開くと、二本のマニュピレータが姿を現した。アンツールが“道具箱”と呼んでいる箱から工具を取り出すと、三角錐型の遺跡に宛がう。

「音波………どうか通ってくれよ頼むぜ!」

 工具―――非破壊検査に用いられる音波装置からの測定データが画面上に表示される。祈りの言葉を発するアンツールの後ろでは、ラベンダーが解析ソフトにデータを通して唸っていた。

「ゼロ」

 端的な発言はラベンダーの美点だった。わかりやすいが、情報量が限られるため、わからない人にはわからない弱点があった。

 アンツールは理解したようだった。

「データが? 工具がぶっ壊れてるんじゃないか」

「いや、故障はしてない。データはあるけど、音波が一切通ってない。全波形ゼロ。ありえない。大丈夫なの? 不安になってきた」

「ありえないことだらけのものに突入しようってのに何言ってんだか。遺跡に行きたがってたじゃねぇかよ。我々が征服するのは山ではなく自分自身であるってな」

「お父さんの受け売り?」

「いや」

 アンツールは工具を別の面に宛がいながら首を振った。操作パネルを指で弄り、波形データを呼び出す。グラフが上下一切触れていない。

「今考えた。嘘ついたわ。本で読んだ。ゴリ押しで刺激を与えるのもよくないと思う。散歩としゃれ込もうぜ。両舷前進微速。傾斜するぞ」

 アクセル。ブルー・クラブ号が前進する。三角錐の傾斜に対し水平になるように機体が傾いた。

 遺跡の障害には大きく分けて二通りある。一つはどう侵入するか、どう内部を探って無事で出てこられるかということだ。そしてもう一つの障害が、今まさにブルー・クラブ号の眼前を通過していた。

「センサー停止。静かに」

 シーッ、とアンツールが言うと人差し指を鼻の前で立てた。機体が電車の走り出しのように震えて止まった。

 きぃきぃとやかましい金属音が機体の装甲を撫でている。パッシブソナーの画像が点滅していた。

「………!」

「静かに。落ち着け。ムカデ型センチピートは目を持たない。攻撃もめったにしない墓守グレイブキーパーだ。こちらから仕掛けなければ大丈夫」

 アンツールは絶句するラベンダーに言うと、するすると機体を下ろしていき、6本脚で着底した。

 巨大なムカデと表現するしかない物体が尾を揺らしながらブルー・クラブ号の眼前で泳いでいた。

 遺跡に接近するものを阻む最大の障害は“墓守グレイブキーパー”と呼ばれる先史文明が残した自動機械であるという。多くは有機生命体の形状をしているが、幾何学的な形状をしていることもある。遺跡に接近するもの危害を加えようとするものに対する攻撃と、遺跡の修復を担っている。とされている。だからこそ戦闘能力を有する船が必要なのだ。

 曰く、遺跡とは古代の墓であり、彼らは墓を守っているという説が惑星移民時代最初期にあったといい、現在に至るまで墓守グレイブキーパーという名前が事実上の正式名称になっていた。

 アンツールはムカデ型が尾を揺らしながら去っていくのをサーチライトで照らして見つめていたが、ムカデ型が見えなくなると行動を起こした。後退しようとして、6本の脚部の後部2本が空中を掻く。機体にかすかな動揺が走った。後部映像がメインモニタに表示された。

「後ろに穴がある。ブルー・クラブ号なら通れる」

 ラベンダーが手首のスーツ電熱装置の電源を入れながら言った。

 アンツールが操縦桿を握りなおす。

「鬼が出るか……後退して静止、前進で入るぞ。後退最微速。停止………下げ舵20度。レーザー距離計を使う。出力系を安全装置に同期」

 ブルー・クラブ号がアンツールの操縦に従い水中で静止すると、機体前方を下げながら遺跡の穴の内部へと滑り込んでいった。

「誰が、どんな目的で作ったんだと思う?」

 ラベンダーが呟いた。あるいはそれは、アンツールではなく自分に対する問いかけなのかもしれなかった。

 アンツールはサーチライトの向きをパネル上で弄りながらも、機体が歪曲した通路の奥に見えてきた縦穴の最上部で静止できるようにとスラスターの出力を絞っていた。縦穴最上部で停止。機体が静かに、更に奥を目指す。

「墓にしちゃでかすぎる。基地というにはおかしなところもある。惑星改造用の拠点だとか、宗教施設だとか色々言われてるが証拠はなにもない以前に、調査事態ほとんど進んでないんだ、わかるわけないだろ。俺が思うに」

「うん」

「いや、なんでもない。行き止まりみたいだ」

 アンツールがアクセルを緩めた。ポンプが駆動する。ブルー・クラブ号は縦穴の底で静止していた。

「んー………穴もないし、開閉装置があるでもないな………プラズマカッターを試してみるか。操縦はやってるから、適当に穴開けてくれ」

「ん」

 ラベンダーがイエスでもイェアでもない喉を鳴らしただけの返事をすると、マニュピレータ操縦用の操縦桿を引っ張り出した。ブルー・クラブ号が道具箱からプラズマカッターを取り出すと、壁に押し付ける。青白い光が立ち上ったかと思えば、無数の気泡が柱となった。超高温のプラズマに耐えられる物質はほとんど存在しない。はずだった。

「ちょいとばかし硬すぎやしないか……プラズマカッターで穴を開けて爆薬をねじ込むしかないが……穴が空かないんじゃ話にならない。別の手段を考えるぞ」

 搭乗員二名であることの利点は作業を分割して負担を減らすことができるだけではなく、頭脳が二つあることもあげられるだろう。一人では解決できない問題も、二人ならば解決できることがあるのだ。

「なんとなく………まだ下があるような気がする」

「センサーには反応が無い。目視でもなし。着底しろってか」

「信じて」

 アンツールは背後の相棒の真摯な一言に耳を傾けることにした。ラベンダーはたまに、妙に勘のいいことを言うのだ。見ていないものを見ているような勘の鋭さは、アンツールにはないものだった。

「ゆっくりやる。脚部展開。接触に備えろ」

 ブルー・クラブ号が縦穴の底へと降りていく。一見すると無機質な灰色の曲面が広がっているようにしか見えなかった。

 縦穴の底に接触したのであれば脚部が作動するはずだった。しなかったのだ。接触と同時に縦穴の底が幻のように消えうせてしまった。

「隠し壁とでもいうのか……よくわかったな。どうやったんだ」

「勘」

「オーライ。深くは聞かんさ。底に何かあるな」

 幻影とでも証するべき壁の奥底に、何かが無造作に転がっていた。人の頭部ほどの面積を占める正六面体だった。

「回収してみよう………ラベンダー、頼んだ」

「とった」

 ブルー・クラブ号のマニュピレータが正六面体を掴み取ると、道具箱の横にある回収箱へとねじ込んだ。希少物質であるかは謎だったが、明らかに自然の神秘で作り出されたものではないことは明らかだった。持ち帰るべきだろう。

 アンツールはほうとため息を漏らして額の汗を拭うと、フライングフィッシュ号が浮く海面を見上げた。

「メインタンクブロー。帰るぞ」

 ラベンダーは返事を返さなかった。胸元に手を置いて目を閉じたままだった。

 アンツールが怪訝そうに後ろを振り返ると、ぽつり、と言葉が降ってきた。

「歌が聞こえる………」

「……? 大丈夫か?」

 アンツールは耳を澄ましていたが、歌のようなものは聞こえなかった。彼女だけに聞こえる音があるのだろうか。首を捻ったが、深くは考えなかった。

 その時は。



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