第3話 飛行船



 この星に陸地と呼べる大地は、ほとんど存在しない。あるのは猫の額程の大きさの島程度なもので、地球ではごく当たり前だった植生は大地ではなく海に依存していた。だがそれでも地球由来の植物をなんとか育てようという動きは現在も続いていて、ラベンダーお気に入りの植物屋も、そうしたニーズに応えるためにあった。

 アンツールの好奇の対象は第一に未知と、模型と、猫と、酒だ。一番最初の項目は行方不明という名目の実質死亡扱いされている父親の影響が大きかった。植物への愛情などというものは持ち合わせておらず、つまるところラベンダーが鼻歌混じりに店に入っていくのを好きにしろと言わんばかりに見送ったのだ。

 トリニティ諸島は赤道にあることから気温と湿度が極端に高く、作業用の長袖服を着込んでいたアンツールが無意識にシャツ一枚になっていたのも無理のないことだった。

 開拓期が終わり、人類の発展期にある現代において、無数の需要が生まれていた。衣食住はもちろん、植物、ペット、衣服、アクセサリー、音楽、その他分類不能なサービス産業も、まるで星の数ほど生まれては消えていた。

 アンツールは半袖の眼鏡の優男風貌とポニーテールに髪の毛を結わいたカップルが道を歩いていくさまを観察していた。夫婦だろうか。腕を組んでいるし、指輪も同じものだ。次にひょろりとした黒人が本を片手に歩き去っていくのを見た。表紙にかかっている十字架からして聖職者だろうか。暑い。真夏の日差しのせいで思考が取り留めなく流れていく。汗を拭う。

「お待たせ」

 小袋を小脇に抱えたラベンダーが出てきた。木の苗か。種か。アンツールの想像も付かない何かを買ったのだろう。

 これで二人の目的は達成できたように思えた。アンツールが人差し指を立てた。

「せっかくトリニティ諸島に来たから会いたい人がいる」

 ラベンダーが小首を傾げた。

「だれ?」

「姉だ」

「きょうだいはいないって言ってなかったっけ」

「いや、血縁じゃない。昔世話になった姉さんのことだよ。お前は知らないかもしれないけどフライングフィッシュ号の設計者はその人だぞ。ほんとかは知らないけどな」

「どこに住んでるの?」

「“今は”トリニティ諸島の北端かな? 多分。飛行機で行こうぜ」

 アンツールは言うなり行きなれた道をラベンダーと共に歩き始めた。

 向かった先は空港だった。とはいえ、エアがついているのに滑走路は海にあった。ただでさえ土地の無い島を無理矢理拡張しているのだ、空港などという場所を確保することはできない。よって垂直離着陸機か、フロート付きの航空機がごく一般的に乗られていた。

 空路で飛ぶこと暫しのこと。運賃を払い終えたアンツールが外に出る。彼は肌寒さを感じたのか上着を着ていた。続いてラベンダーが外に出ると、帽子のつば両側面を指で押さえて風に持っていかれないようにした。

「飛行船……」

 空港から程近い船着場に楕円形に近い形状の船が浮遊していた。

 アンツールが頷きつつも、歩くように手で促した。

「ご名答。あれに俺の姉―――というかな、むしろ教師というべきかな、が乗ってるんだ」

 それは飛行船というよりも、巨大な要塞のように見えた。重厚なクレーンやらヘリの発着場やらをコテコテと結びつけており、老朽化が進んでいるのか錆びまみれの箇所もある。飛行船は船着場から数十m上空でぴたりと静止しており、もやい縄で幾重にも結ばれていた。

 二人が船着場まで歩いていくと、両耳があるべき場所に涙滴型のアンテナを付けた金色の瞳のアンドロイドが出迎えた。

「こんにちは。ご用件はなんでしょうか」

「アンツールが来たと言えばわかる」

 アンドロイドは暫し沈黙し、首を振った。

「申し訳ございませんがご主人様は不在です」

「嘘だな。寝てるんだろ? 昼間っから。あててみようか。服は脱ぎ散らかしたまんま。酒は飲んでないな。下戸だからな」

「なぜ嘘とわかりました?」

「知り合いだからだよ」

「しかし通すわけにはいきません」

 アンツールはため息を吐いた。さてどう攻略するかと思考を張り巡らす。アンドロイドが搭乗口を張っている以上強行突破は難しいだろう。

 するとアンドロイドが瞬きをした。態度が一変、ぺこりと腰を折る。

「許可が下りました。どうぞ、アンツール様」

「連れも通してくれと伝えろ」

 アンドロイドがかしこまった素振りでまた一礼すると、飛行船から降りてきた化学繊維製のロープを手繰り寄せた。懸垂下降ラペリング用のハーネスやベルトが取り付けられていた。

 ラベンダーがまさかという顔をして口に手を宛がった。

 アンツールが手馴れた動きでハーネスを着用し始めていた。

「え? え、え? エレベーターとかないの」

「ないよ。トリニティ諸島に飛行船を停泊しておける設備なんてないからな。ハーネスで引っ張り上げてもらうわけだ。不満はあるだろうけど、諦めるんだな。楽しいぞ~つられて登るのはよぉ」

 アンツールがニヤニヤといやらしい笑みを浮かべているのを見たラベンダーがぷくりと頬を膨らませた。



 飛行船内部は酷い有様だった。むき出しのエンジンが放置されているかと思えば、惑星エデン原生生物の骨格標本が置かれている。断熱材にそのままパイプが張り付いているような内装は経年劣化していることを示唆しており、船のどこかで金属が軋む音が反響してくるさまは、まるで巨大な生物の体内にいるようだった。

「おはよう! ……寝てるのか、さすが姉さんだぜ……昼間なのにな。夜行性って言ってたのもあながち嘘じゃないのかもな」

 アンツールは言うとため息を吐いた。

 操舵室の中に所狭しと並んだ機材の更に奥にソファーが置かれており、黒いシャツに身を包んだ人物が目を擦りながら惰眠をむさぼっていた。手に通信機器を握り締めて埋もれているあたり通信して二度寝に入ったのだろう。

 黒髪を両肩に垂らし編み上げた白磁のような肌の人物。あどけなさの残る顔立ち。黒いシャツに包まれた肢体が毛布の下で蠢いていた。

 アンツールが傍らで片膝をついて毛布を剥ぎ取った。

「姉さん。クーネリア姉さん。俺だ、アンツールだ」

「………だれ?」

「アンツール。忘れたなんて言わさないぞ」

 クーネリアと呼ばれた女性が目を開く。青い瞳がアンツールを正面から見据えた。眠たげに目を細めていたが、口をぽかりと開いた。

「アンツール。大きくなったのね」

「たかが数年ぶりってだけで大げさすぎないか? オフでトリニティに寄れたから来てみたんだ。てっきりこの船売り払ったのかと思っていたけど。なんだっけ……トロンボーン?」

「トロバイリッツ!」

「そうそうトロバイリッツ号」

「お茶は切らしてるしお菓子も全部食べちゃったし……何も出せるものがない」

 クーネリアが眉間に皺を寄せる。相手を追い払う意図があって言っているのではないことは、声の調子が困りきっていることから明らかだった。本当に全て食べつくしてしまっているらしい。散らかった室内といい、昼間から無計画に寝ていることといい、まるで猫のような女性だった。

 アンツールは作業机の上に自身の若かりし頃とクーネリアが一緒に映っている写真たてを見つけた。遊びつかれて床で突っ伏しているところをワンピース姿のクーネリアが心配そうに見つめている構図だった。

「もっと恥ずかしい写真ある。出す?」

「姉さん写真よりかズボンを履こうな」

 アンツールが指差した先には上は黒シャツ一枚で下は下着のみというしどけない姿があった。顔色一つ変えない当たり慣れっこなのだろう。

 クーネリアが、あぁ、とつい今しがた気が付いたように操舵桿に引っかかっていた黒ズボンに両足を入れた。視線をそのまま二人に交互に配り、小首を傾げた。

「どういう関係?」

 直球なものいいだった。

「同僚、だな」

「……同僚」

「………で、ちと買い物に出てきたから一緒に来たって寸法。ほかになんもないぞ」

「ありませんよ」

 二人がほぼ同時に発言すると、クーネリアは心底どうでもよさそうに大あくびをかましてみせた。机の上の冷めたコーヒーを飲んで顔をしかめる。

「聞いた話だとまだリヴァイアサンに潜るつもりでいるんだって。やめておいたほうがいい。リヴァイアサンに飲み込まれて戻ってこれなくなる。何人も消えてる。オススメしない」

 クーネリアが背中を向けたまま言った。

「でも手を貸してくれるんだろ? 姉さんのことだからな」

「まあね」

 アンツールが隣に並ぶと、クーネリアが口を細く開いた。

「ちょっとしたものを開発中。具体的にいつとはいえないけど、もしも力が必要ならば事前に言って欲しい。力になれると思うから。ただ………起きてるときに連絡、して……」

 大あくび。



「わかんねぇよな、何度会ってもさ」

 アンツールがぽつりと漏らした。ところ変わってフライングフィッシュ号のラベンダーの自室。室内にある発電機が故障したとのことで、アンツールが修理していたのだ。傍らにはジョウロにガーデニング用エプロンを身につけ水遣りをやっているラベンダーがいた。

「なにが?」

「姉さんだよ。クーネリア姉さん。いまだに出身も、経歴も、まったくわかんねぇ。父さんの仕事のどうので知り合って近所に住んでたらしんだが、ふと気が付くと飛行船に乗って設計技師やらなんやらやってるんだぜ」

「変わってるね。その、ああいう人が好み?」

 アンツールは発電機の修理のために使った工具をしまっている真っ最中だった。

「意味が分からん。好みで言うと正反対だぞ。好きといえば好きだが、知りすぎてるせいで異性に見えない。何せ一緒に風呂入ってたからな。全裸も見てるしいまさらってことだが。よし直った」

 アンツールは発電機の蓋を閉めて両手を叩いた。オイルまみれだった。工具箱を横に抱えて部屋の外に出ようと扉に手をかけた。

「早めに寝とけよ。明日どんなキッつい仕事ぶち込まれるかわかったもんじゃねーしな……」

 アンツールが扉を閉めようとして、再度体を室内に入れた。丁度ラベンダーが手入れをしていたピンクの花を指差す。

「花はわからんがその花は好きだ。よし、おやすみ」

 扉が閉まった。

「花言葉……思いやり」

 ぶっきらぼうなアンツールにしては可愛らしい花を好きというものだとラベンダーは笑った。

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