バル「第一回『ダダの夕べ』開会宣言」

磯山煙

バル「第一回『ダダの夕べ』開会宣言」

一九一六年二月一四日、チューリヒ


 ダダは新たな芸術様式である。それが証拠に、今までそれについて誰も何も知らなかったのに、明日からはチューリヒ中で噂されることになるのだ。ダダは辞典から生まれた。この言葉はすばらしく単純だ。フランス語だと道楽を意味する。ドイツ語では、さよなら、いえお構いなく、それではまた! ルーマニア語では、ええ、本当に。その通りですね、はい。そうですとも、実際。そうしましょう。等々。

 国際語。たった一語だが、運動としての一語。この言葉は単純にすばらしい。この芸術様式の達成は、紛争を片付けようとすることを意味するに違いないのだ。心理学をダダせよ。文学をダダせよ、ブルジョワジーをダダせよ、そして君たち、崇拝の的の詩人たちよ。君たちはいつも言葉を使って創作するが、言葉そのものを創作したことは一度もない。君たち友人を、兼詩人を、最も価値ある布教者をダダせよ。世界大戦とやって来ない終わりをダダせよ。革命とやって来ない始まりをダダせよ。ツァラをダダせよ、ヒュルゼンベックをダダせよ、ンダダをダダせよ、ンフンダダをダダせよ、ヒュをダダせよ、ツァをダダせよ。

 永遠の幸福を手に入れるにはどうしたらいい? ダダと言えばいいのだ。どうすれば有名になれる? ダダと言えばいいのだ。高貴な仕草で、上品な作法で言いなさい。気が狂うまで、気絶するまで言いなさい。どうしたら、小ずるいものやマスコミじみたものを、親切なものや清潔なものを、あらゆる道徳化されたもの、獣化されたもの、飾り立てられたものを追っ払うことが出来るだろう。ダダと言えばいいのだ。ダダは世界の魂だ。ダダが一番の見どころだ。ダダは、世界一の百合牛乳石鹸です。ルービナー氏をダダせよ、コローディー氏をダダせよ、アナスタジウス・リリエンシュタイン氏をダダせよ。

 これをドイツ語で言うとこうなる。スイスでは、もてなしがあらゆることに優先され、美的なものが受け入れられるのは基準の上でだけである。

 私が読む詩は、言語の上では断念されてしまったものを表そうとしているわけでは毛頭ない。ヨハン・キツネアルキフクスガング・ゲーテをダダせよ。スタンダールをダダせよ。ブッダをダダせよ、ダライ・ラマをダダせよ。ンダダをダダせよ、ンダダをダダせよ、ンフンダダをダダせよ。結合次第なのだ。ただし、あらかじめ少し遮断されている結合である。他人のつくった言葉など使いたくはない。あらゆる言葉は他人がつくったものなのだ。自分だけの乱暴が、それにふさわしい単語や子音が欲しい。私は、ひとつの揺れが七エレ〔四~五・五メートルくらい。エレは古い長さの単位〕のときにはぴったり七エレの長さの言葉が欲しいのだ。村長さんの言葉ときたら二・五センチしかない。

 現に、今、明瞭に分節化された言葉がどのように生じるのかとても正確に見てとることが出来る。私がまったく単純に音を降ろす。すると言葉が浮かんでくる。言葉の肩が。それから脚が、腕が、手が。一編の詩は、出来るだけ言葉や言語を発さずにすむチャンスだ。この忌々しい言語め、小銭にずっと触っているブローカーの手みたいに糞便にくっついている。私が欲しいのは、それで終わる言葉、そこから始まる言葉なのだ。

 それぞれのものごとは対応する言葉を持つ。よって言葉さえもものごとになってしまう。どうして木をプルプルシュと名付けることが出来ないのか? 雨が降った時はプルプルバシュというわけにはいかないのか? そもそもどうしてそれに何か名前があるのか? やはり我々はどんな時でもそれに口を付きまとわせなければならないのか? 言葉、言葉、昏倒する駄馬! 言葉とは、皆さん、第一級の公共的事案なのであります。

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バル「第一回『ダダの夕べ』開会宣言」 磯山煙 @isoyama_en

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