国家の犬であった頃の話

雲出鋼漢

群の話

 当時の僕は何度も警察官採用試験を落ちていて、それでもまた諦めず、志望動機にこう書いて願書を提出していた。

『正義という使命感を持って仕事がしたい』

 正義という、自分の中ではっきりと定まっていない概念を志望動機に書くとは馬鹿な話ではあったが。

 今なら、正義とは群のためになることである、と簡潔に定義することが出来る。


 それに気付くきっかけとなったのは、災害派遣で東北へ行った時の事だ。

 警察や消防、赤十字の人間は疲れきった様子だったが、迷彩を着た僕達は違った。

 体力や補給の問題ではない。仕事をする動機が彼ら“正義の人”とは根本から異なっていた。

 麻薬犬は仕事をしているのではなく、飼い主とゲームをするような感覚で麻薬を探しているらしい。

 国家の犬である僕達も、正直に言ってピクニック気分で仕事をしていた。

 倒壊した家屋の中でAVを見つけては笑い、水田に沈んだ御遺体(現場では普通に死体と言っていた)を探している時に転んだ奴を見て笑い、取り残された犬のリードを外してあげたらまず糞をしたのを見て笑い、夜はみんなでマリオカートをして笑っていた。

 僕達は被災した人や正義の為などではなく、ただ何となく、仲間と一緒にノリで仕事をしていた。

 不謹慎だという人も居るだろうが、死んだ魚の目をした人達に比べて、僕達はずっと良いコンディションで仕事をしていた。


 余談だが、今まで生きてきた中で見た、一番の悪人は、M県某市の地主か何かである。

 震災発生後10日くらいして、駐屯地への水道インフラが回復したのだが、3日ほどでまた止まった。てっきり余震のせいだと思っていたのだが、遺体捜索で遭遇した地主のような地元の権力者がこう言った。

「お前ら給水車でよそに水配りにいくだろ? だから水止めた」

 東北ヤベェな。素直にそう思った。

 他の町や村に水を配りに行くのが許せないから駐屯地への給水を止める。自分の村以外はどうなってもいいという風習でもあるのか。まったく理解できない動機だった。

 この老人たった一人のおかげで、東北は現代的な善悪の基準が存在しない未開の地かもしれない、という疑念を拭い切れないでいる。震災で助け合わなければいけない状況で、「他の町に水を与えたくない」という理由で水を止めるような人間が権力を握っている土地なら、魔女狩りとかやっててもおかしくないとさえ思う。


 とにかく、色々ありながらも約50日の遺体捜索を終え、僕達は地元の駐屯地へ帰った。

 夏はじめじめとして暑いが、冬でもそこまで寒くない地方の駐屯地は、その日も温かく迎えてくれた。

 駐屯地の居残り組は、ひどいストレスでノイローゼのような状態だったが、無理も無い。50日も駐屯地に缶詰にされるくらいなら、青い空の下で遺体でも運んでいた方がずっとマシだったろう。


 それから一月くらいして、体力練成の時間にサッカーをしていた。

 下は十代から上は四十代の人間が、本気になってサッカーをし、そのうちルールを無視してラグビーになり、みんなで爆笑する。

 タックルされて快晴の空を見上げた時、天啓を得た。



 正義感や義務感が無いと仕事が出来ないようでは駄目だ。



 そんなものは、それが無いと仕事が出来ないような者に必要なものだ。

 だけど僕達は違う。そんなものが無くても、この、馬鹿騒ぎが出来る仲間たちが居れば、笑いながら仕事が出来る。

 被災地で笑えるし、戦場でも多分そうだろう。


 そう言えるだけの繋がりが、僕達の間にはあった。

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