鈍感なのは

藤崎珠里

 嫌いだ。嫌いだ。

 きらい、だいきらい。




「りーおーちゃん!」


 ふわふわと浮いていそうなほど軽い声で呼ばれる、私の名前。同時に肩を叩かれれば、めんどくさいが反応せざるをえなかった。


「何かな、新開君。あ、用はない? よかった、私お腹空いてるんだよね」

「えっ、あるよ!? これこれ! お弁当食べてていいから話聞いて!」


 いつも昼休みになった途端話しかけてくる彼は、こちらがあからさまに乗り気じゃない顔をしても気にせずに、好きなようにお喋りする。友だちの多い彼ならば、話し相手なんていくらでもいるだろうに。

 新開君が差し出したのは、とある企画展の前売り券だった。都心のほうの美術館の企画展で、行きたいけど一人で行くのもな、と諦めていたもの。

 開けかけていたお弁当を一旦閉め、話をじっくり聞く姿勢に入る。


「理央ちゃん、こういうの興味ねぇ?」

「……興味があるかないかと訊かれればかなりあるけど、もしかしてまた知り合いさんから?」

「そうそう。ペアチケットもらったんだけど、一緒に行ってくれる人が見つかんないんだよなー。よかったら理央ちゃん、一緒に行ってくんない?」

「お昼代とかその他諸々全部割り勘ならいいよ」


 うぐ、と苦い顔をする新開君。

 実は、彼にこうしてお出かけの誘いを受けるのは初めてではない。遊園地やら水族館やら、色んな所に誘ってくるのだ。どうしてそんなに私に構うのか、まったくもって理解不能である。断れずに毎回行ってしまう私も私なのだが、彼が知り合いからほいほいチケットをもらってしまうのも悪いと思う。処理に困るならもらわなければいいのに。

 一度目の遊園地では、押し切られて何もかも奢られてしまった。二度目の水族館では、お土産代しか払えなかった。三度目以降からは、なんとかお昼代を出すことには成功し続けている。


「んー、んんんん、しょうがないか……。おっけ、割り勘な」

「新開君の『おっけ』は信用できない」

「ひっでー、信用してよ!」


 けらけら笑う新開君は、自分がどれほど嘘をついているのか自覚したほうがいいと思う。彼自身が不利益を被る嘘が多いので、いつか大変なことになるのでは、と少し心配だ。

 ともかく美術館には今週の日曜日に行くことになり、待ち合わせ場所や時間を決めたところで、私はお弁当を食べ始めた。その後は新開君のトークタイムである。毎日毎日、よくもまあ話題がそんなに尽きないものだ。



 新開君には好きな女の子がいる。私が毎回彼の誘いに乗るのは、それも理由の一つだ。というのも、私は『彼の好きな子』と共通点が多いらしく、彼の相談相手にうってつけなのだ。

 新開君が言うには、彼の好きな子は人付き合いが苦手らしい。でも実は優しくて、ちょっと天然気味なところが可愛くて、自分では気づいていないみたいだけどお人好しなところが好き、とのことだ。訊いてもいないのにぺらぺらと話してくれた。いや、話してくれる。新開君の口から彼女の話が出ない日はあまりない。

 彼から語られる『彼女』と私は、どうも彼が言うほどには性格は似ていないが、彼と『彼女』のエピソードは、確かに私と彼とのエピソードととても共通していた。



「今更なんだけどさー、理央ちゃんなんで俺の話聞いてくれんの?」


 企画展を見終わって、二駅先のガレット専門店で昼食をとることにした。注文をし、料理を待つ間に新開君が頬杖をつきながら口を開く。


「本当に今更だね。なんでって言われても、無視するのは嫌だったから自然と? こうやって美術館とか遊園地とか一緒に行くのも、成り行きだね」

「成り行きでデートしてくれるって、ほんと理央ちゃんって理央ちゃんだよなぁ」


 意味不明なことをしみじみと言う彼にむっとする。世間一般では男女二人で遊ぶことをデートと呼ぶのだろうが、私たちには適さないだろう。だって彼には、他に好きな子がいるんだから。


「デートっていうなら、新開君の好きな子誘えばいいのに」

「誘ったよ? 誘ったけど……」


 微妙な顔でため息をつく。結局私と一緒に来たことからもわかっていたが、やっぱり断られてしまったらしい。――私よりも先にその子を誘ったんだ、と思うと、面倒なことに胸がちくりと痛くなる。


「まあまた誘えばいいじゃん。それで駄目だったら私が付き合うよ」

「……じゃあ付き合ってよ」

「だから今付き合ってるでしょ」


 そういうことじゃないんだよなぁ、と困った顔をして、新開君は「ありがと」とにへっと笑った。


「どういたしまして。あ、私は友だち枠ってことで、デートに換算しなくていいよ」

「……友だち」

「……違った?」

「いや! うん、友だちだよな俺ら!」


 その答えにほっとする。いくら最初のころは割と本気で苦手だったとはいえ、現在でも一部においては大嫌いだとはいえ、もう彼との付き合いも二年以上だ。腐れ縁というべきか、私と新開君は高一から三年連続同じクラスになった。その間ずっと話しかけられ続ければ、嫌でも絆されるというものだ。なんというか、犬に懐かれているような感じでいっそ微笑ましくなる。

 彼は溜めていたものを吐き出すように語りだした。


「俺かなりアピールしてるはずなのに、全然伝わってる気がしねー……。友だち宣言されたし、そもそも意識されてるかも怪しいんだよな。鈍感すぎない? いや可愛いんだけど、鈍感すぎだろ……」


 あ、めんどくさいパターンだ。テーブルに突っ伏した新開君に、そう思う。

 新開君の話には主に二パターンあって、彼女の好きなところや好きになったきっかけなどを延々と話すパターン、彼女がいかに鈍感かを語りだすパターンがある。前者は聞いているだけでいいのだが、後者は意見を求められるからちょっとめんどくさい。


「理央ちゃん的に、こうやって男女二人で遊ぶのはぜってーデートに入んねぇの?」


 新開君が顔を上げる。


「絶対ってわけじゃないけど、君に他に好きな人いる時点でデートじゃないかな」

「そこからだよな……はー、せめて意識されてぇ。このまま告ったら玉砕確定じゃん?」

「まったく意識してない人と付き合おうって思う人は、たぶん少ないよね」

「理央ちゃんならそうだよなー」


 と、彼は苦笑いを浮かべた。

 ガレットが運ばれてきたのを見て、新開君は体を起こし、ナイフとフォークを私に渡してくれた。それから自分用に出し、いただきます、と手を合わせる。こう言うと失礼だが、チャラい見た目の彼がちゃんと『いただきます』をすることに、最初はびっくりしてしまった。

 お喋りな彼も口に食べものが入っている間は喋らないので、自然と場が静かになる。それでも合間合間に愚痴や惚気を挟んでくるのが流石だ。


「もう何回も言ってるけど、会ったのは入試の日が最初なんだよね。忘れられてるっぽいのがつらい……。緊張で腹痛くてうなってたら、大丈夫? って薬分けてくれたんだよ」


 またその話? とは言わないでおく。――でもそれをいうなら私だって。声、かけたのに。

 入試の日、彼とは席が前後だった。試験が始まる前、お腹を押さえて小さく呻き声を上げていた彼に、大丈夫かと声をかけ、胃薬をあげたのだ。持っているだけでもちょっとはプラシーボ効果的なものがあるのでは、と。

 ちゃんとそう言わなかった私も悪いのだが、彼は何も食べていないのにその薬を飲んでしまって。試験中、大丈夫だろうか、とはらはらしてしまったので、記憶に残っている。しかも、二日目の朝には「おはよー!」と大きな声で挨拶をされたし、顔も覚えてしまった。

 私が新開君に薬をあげたのは入試一日目だったので、きっと二日目にも誰かに……というか、その女の子に薬をもらったのだろう。二日連続で人から薬をもらうなんて、彼はどれだけ緊張症なんだ。


「で、再会して、覚えてる? って訊いたら、ぽかんとした後に『ああ』だけだよ。そんなん絶対話合わせてくれてるだけじゃん……」


 うん、私も彼に顔を合わせた途端そう訊かれたとき、まさか同じクラスだとは思っていなかったからびっくりしたのだ。そのせいで返答が遅れてしまったのは、今でもほんの少し申し訳なく感じる。


「その後もいっぱい話しかけたら、可愛い顔に似合わずきついこと言うくせに、ちゃんと最後まで聞いてくれるしさぁ」


 ちゃんと最後まで聞いてあげているのは、私だって一緒なのに。というか基本的に私に話しかけていることが多いのに、いつその女の子と話しているんだろうか。


「仲良くなってからデート誘ってみたら、来てはくれたけど全然意識してくれてなかったし。楽しかったけど。遊園地久しぶりだ、って嬉しそうだったの可愛かったけど……!」


 くっ、と拳を握って彼は「ごちそうさまでした」とフォークとナイフを置く。私が半分しか食べていない間に食べきってしまうのだからすごい。

 しかし私との最初の行き先も遊園地だったのは、デートのための予行練習だったんだろうか。話を聞くたびにそう思うのだが、うなずかれるのが怖くて聞いたことはない。

 食べ終わった彼は、私の相槌を聞きながら喋りまくる。パターン一に移行したようだ。食事に集中できるのはありがたいが、もやもやとしたものが自分の心に広がっていくのがわかった。

 ――嫌いだ。嫌いだ。きらい、だいきらい。


 それならなんで、私を好きになってくれないんだ。


「調理実習で手際よすぎて、思わず惚れ直しちゃったよね。エプロンと三角巾姿も超可愛かった……」


 私だって、料理は得意なのに。


 私と『彼の好きな子』は、本当に共通点が多い。だから私は、彼のことが嫌いなのだ。

 ――だってそれなら。私のことを好きになってくれても、いいじゃないか。

 いっぱい話しかけておいて、優しくしておいて、それがこんな、恋の相談をするためとかひどすぎる。こっちは彼のことを、好きになっちゃったっていうのに。

 私に似ているその子を好きになった新開君なんて、嫌いだ。


「……ってどう思う、理央ちゃん」


 質問をされて、はっとする。相槌は打っていたものの、全く聞いていなかった。どう思うって、何について訊かれたんだろう。

 ……考えたところでわかるはずもないし、もういいかなぁ、と思ってしまった。

 彼との友だち付き合いは、ここまでにしよう。少しでも彼の助けになれれば、とこれまで付き合い続けてきたが、さすがにそろそろつらくなってきた。


「ごめん、話聞いてなかった。でもちょっと言いたいことあるんだけど、言っていい?」

「あ、わり、俺喋りすぎてたよな!? うん、全然いいよ。言って言って」


 こくりと唾を飲む。……よし。


「ずっと思ってたんだけど、私とその子って本当に共通点ありすぎるよね」


 新開君は笑顔で固まった。


「……え、やっとそこに突っ込む?」

「うん? とにかく、それなら私を好きになってくれてもいいんじゃ、って思うんだ」

「……理央ちゃん待って俺ついていけねーかもしんない」

「私だって入試の日薬あげたし、私はその子と違ってちゃんと覚えてるし、」

「待って待って覚えてんの」

「話に聞くデート場所も、全部私と行ったところと被ってるじゃん。いい予行練習だったのかもだけど」

「…………」

「あと私だって料理得意だよ。新開君がいつも言うような、可愛いとかお人好しとかは当てはまらないし、そこまでアピールされて気づかないような鈍感でもないけど、でもやっぱり、共通点多すぎない? 今までずっと、それなら私でもよかったじゃん、って思いながら聞いてた」


 一年以上、言わずに耐えたことを褒めてほしい。


「……こんなに仲良くしてくれたら、好きになっちゃうよ」

 


 わなわなと震える新開君に、何かおかしなことを言ったかな、と首をかしげる。

 モテる彼にとって、告白なんてそう珍しいものでもないはずなのに。あ、私のこと友だちだと思ってたからかな。それは悪いことをしてしまった。まあ、反省も後悔もしていないのだけど。

 振られるのはわかっているから、どうせならさっさと振ってほしい。初恋はこじらせないほうがいいに決まっている。

 彼は思いきりうなだれる。長い長いため息に、大丈夫かな、と心配しながら見ていれば、がばっとその顔が上げられた。



「そこまで気づいててなんっで自分だって思わねーの!?」


 絶叫とも言える叫びに、数瞬その意味を反芻して。


「…………あっ、私か!?」


 そうだよ! と涙目で肯定され、私は真っ赤な顔で謝ることしかできなかった。



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鈍感なのは 藤崎珠里 @shuri_sakihata

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