夢現(ムゲン)のナルキッソス

神代零児

第1話 5人の戦乙女と震えるジュナ

『春は新生活の季節。新しい自分で素敵な恋、見付けちゃおう!』

 繁華街のショッピングモール。その外壁に備え付けられた巨大モニターから、流行りの若手女優が華やかな雰囲気で告げる、そんなテレビCM。


「いざ大学に入ってみたけど、別にそういうのは起こらないなぁ。てかさっきのCMの子、名前何て言うんだっけ?」

 一人の青年がモニターを見つめながら呟いた。


 切り揃えられた清潔感ある黒のショート・ヘア。薄手のパーカーと、スリムなジーンズに身を包む、まあまあの見た目をしている彼。足りていないのは覇気と、流行りへの敏感さ位か。


 休みの日には別に目的が無くても、ただ街の賑わう雰囲気が好きという理由で外には出る。今日もそうだった。

 CMが明けたモニターは、続けて昼のワイドショー番組を映し出していた。


『では先程予告した通り、今回はセレネ・コーポレーションが誇るナルキッソスについてお話を伺います。今回はなんと、優秀個体として名高いクレハさんにもお越し頂いてます!』


 ナルキッソス――自分にとっては雲の上、まるで住む世界の違う話だなとジュナは思う。モニターに興味を無くし、また違う場所をぶらつこうとモニターから目を離した。

「あっ……」

 振り返って歩き出した矢先に、向かいから来た誰かとぶつかった。


「ん……」

 若い女の子の声が発せられてジュナははっとする。視界が捉えたエアリーショート・ヘアが、可憐だと感じながら――

「すいません、大丈夫ですか?」

 同世代に見える彼女相手に即座に頭を下げるが、返事は彼女の隣から返ってきた。


「気を付けなよ、しょーねん」

 内巻きロング・ヘアの、同じくジュナと近い年頃の女の子だった。少し間延びした話し方で、そう諌めてくる。おっとりした雰囲気と、少しきつめの目つきとが混在していて、そんな彼女の印象にジュナは思わず言葉を失ってしまう。


「リョーコ、別にいいから。キミ、大丈夫だから気にしないで」

「イツキはサバサバし過ぎよ」


 ぶつかった方はイツキと言うらしい。サバサバとはリョーコの談だが、凛とした対応をしてきたイツキを、ジュナを格好良い子だなと感じていた。

「急ぐわよ」

 イツキはそう言って、引っ張るようにリョーコを連れて去っていった。


「あ……はは、まあ俺なんて男、そんなに相手しようとは思わないよね」

 またすぐ一人になってしまい、ジュナはガックリと肩を落としてしまう。

「あれ?」

 地面にブローチが落ちていた。可愛らしい、花模様のブローチ。


「これってまさか、さっきのイツキちゃんの!?」

 既に二人の姿は見えなくなってしまっている。

「あっちの方向って、無人区域だよな。……まさかとは思うけど」

『ええ。だからナルキッソスというのは、漠然としている人間の可能性を一つの形に定めた存在と言えますね』


 モニターから聞こえた聡明さを感じさせる声色。見上げるとそこには目を引くプラチナブロンド・ヘアに銀縁の眼鏡を掛けた異彩を放つ男性が映っていた。

 男性の名はクレハ。その顔と名前は世相に疎いジュナでも知っている。

「無人区域、ナルキッソス……」

 ジュナは息を飲んだが――


「どうせ何の目的も無かったんだ。行くだけ、行ってみても良いかもしれない」

 怖い物見たさという感情だったのだろうか。ジュナの一歩目はおぼつかなかったが、歩いていく内に段々とその速度を増していく。


 ナルキッソスという、今この国で強い意味を持つ単語は、彼女らを追い掛ける為の動機付けには一役買っていた。しかし別にそれに対しては、深く考えていた訳じゃない。


 怖い物見たさというなら相手が女の子だったという時点で、ジュナにとっては既にそうだったのだから。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 人の気配が消えた廃墟。周囲の建物群はどれもこれもが半壊していた。

 そこに立つ二人の女の子。


「ちょっとぉ、こんな数が来るなんて聞いてないぞっ! 責任者出てこいっ、イツキぃ、ハリーアップ!」

 ストレートワンレンボブ・ヘアの女の子が弾ける口調で文句を言いながら、手にはスパークを生じさせて一気に放つ。放たれたスパークは放射状の電撃となって、迫り来るミリタリージャケットの兵隊達を攻撃していく。


「そんな駄々っ子みたいな事言っても状況は変わらないわよ。もっと大人になりなさいな」

 ウェービーミディアム・ヘアの女の子がそう諌めながら、舞うように両手を振りかざす。すると何処からともなく螺旋状に水流が生じて、兵隊がこちらに向けて撃った銃弾を取り込んでいった。


「スズこそ、言い方が一々おばさん臭いぞっ」

「ハルカの口調は男臭いわね」

 二人はお互いに一触即発の空気を漂わせ、そんな彼女らの周囲では多くの兵隊が銃器を構えて取り囲んでいて、一触即発。二重に張られた一触即発は、しかしハルカとスズのボルテージを増していくのだ。


「この不利な感じ、でもビリビリ来ちゃうっ」

「たゆたう水は優しく、でも今は荒波のように」

 あくまでお互い自分の調子を崩さず、まるで楽しんでいる風にも見えるハルカとスズに対し、兵隊が叫ぶ。

 

「女二人とはいえナルキッソスだ。一気に叩け!」

 それを皮切りに連中が銃を構えて一斉に撃ち込んできた。それよりも前に電撃が走る気配を背中に感じたスズは、自分のを目の前に居る半数へと定める。


「ワンパターンな人達ね」

 スズは生じさせた水柱を盾にして、さっきと同様に襲い来る銃弾を受け止めた。


「ぐあああああ!!」

 ハルカは彼女が先に受け持った方の達を、彼らが銃弾を撃つより早くその電撃で平らげていた。

「やる事がまだるっこしいよ、あんた達。男ならぱぱっと動きな」


 スズの水柱は銃弾を受け切ると、やがて流動して大きな水の玉へと形を変える。銃弾を無効化された事に戦意を削られた顔をしている兵隊達に向けて、スズは人差し指をぴんと伸ばして掌を銃の形に見せた。


「私も、ばぁん」

 スズは色っぽい感じで銃撃音を口真似してから、水の玉を兵隊達へと送り出していく。

「なっ……が、がぼっ!?」


 兵隊達を水の玉が覆い尽くす。これでは呼吸する事が出来ない。

「がぼっ、ぼっ……」

「がぶぶぶぶ……」


「うふふ、これ位で良いかな」

 スズが指をぱちんと鳴らすと水の玉は弾けて兵隊達が次々と倒れ込む。全員中で気を失っていたのである。

「スズ、やる事がえげつないって」

「勝負の余韻に浸るのも乙なものなのよ」


 一時の静けさを得て、ハルカは改めて口を開く。

「こりゃあイツキとリョーコを待ってるより、このままあたしらだけで先行してた方が良いかな」

「そうね。同じ場所に留まってたらまた取り囲まれるかもしれないし、良いと思うわ」

「そっか。ただ、レンの事はどうする?」


「……信じましょう。無理して追い掛けてきたとか、そういうのを言い訳に出来る戦いじゃないもの。普通の兵隊相手にさえやられるようなら、この先どうしたって付いては来られないわ」


 スズはぐっと堪えるように言った。ハルカもそれを見て一つ溜め息を吐く。

「そーだな。あいつも一人のナルキッソスとして、あたしらと対等じゃなきゃいけないんだもんな。同情はレンだけじゃなくて、あたしらも殺す、か……」

 静けさは張り詰めた緊張感へとすぐさま形を変えていた。


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「無人区域、入っちゃったけど……」

 繁華街とは明らかに違う瓦礫だらけな廃墟の中で、ジュナは自分の鼓動をやけにうるさく感じていた。


「何ビビってるんだよ、俺は。別に危害を加えてくる相手も居ないっていうのに」

 ジュナは自分のそういう気弱な一面が嫌になる。


「仮に、誰か居たって……俺には興味を示したりしないさ、きっと」

 卑屈という訳では無かった。どちらかといえば、争い事が起きなければ良いんだという希望的観測。


 しかしそれはいとも簡単に砕かれる。

「はぇっ!?」

 突然目の前に人間が現れて、ジュナは素っ頓狂な声を上げてしまったのである。それでも、この時のジュナの反応を誰にも責める事は出来ないだろう。


「……邪魔です!」

 女の子の声、ジュナより少しだけ若いだろうか。カジュアルシックミディアム・ヘアが風によくなびいていた。本当に、さらさらと。

 彼女は、空から降ってきたのだから。


「うわっ!」

 寸での所でジュナは飛び退いて、彼女と体がぶつかるのを防ぐ事が出来た。

「ご、ごめん!」

「早く帰って!」


 まともな会話にも成っていない。お互い初対面だからなんて、そんな事を理由にするにも、彼女のこのコミュニケーションの取り方は酷過ぎる。

「ごめん! 俺、人を探してて、だから帰るのは無理なんだ!」


 それでもジュナは構わなかった。そもそもジュナは女の子との会話自体が不慣れだった。――だから会話の成立不成立を気にするという考えにも至らないで、自分の思いを真面目にぶちまける。


 イツキちゃんにブローチ渡さないと!――


 真っ直ぐさが過ぎる思いが、ジュナの発言を後押しする。

「唯の人間の男の子がこんな所に居たら、死んじゃうんだから!」

 女の子が逆上したように、年上である筈のジュナに高圧的に詰め寄ってくる。

「そ、その言い方って……やっぱり、ナルキッソス、なの?」


 ジュナは頭の片隅にちらついていた単語を、ほんの弾みで口走ってしまった。

「……!」

 彼女から平手打ちが飛んできて、頬に強い衝撃を受ける。

「つっ!」


 どういう日なんだよ、今日は!――


 ほんの少し前、イツキという女の子と街中でぶつかるという経験を果たして、今度は別の女の子からビンタされた。

 例え気弱な男でもそんな体験をすれば、心が熱くなる。


「だって空から落ちてくるなんて、何か特別な事しなきゃ出来っこないだろう!?」

「あなたがこんな所に来たりしなかったら、それを見る事だって無かっ――」


「捉えたぞ! 奴は風使いだ、間髪入れず撃て!」

 ジュナと彼女の視界の端に、ミリタリージャケットを着た誰かが映った。

 ジュナが振り返るより早く――

「風よ、切り払え!」


 彼女が手をかざして叫んだ。それと同時に彼女の手から激しい突風が巻き起こる。

 ガチィンッと甲高い金属音が鳴り続けていたが、ジュナにはそれがミリタリージャケットの兵隊が放った銃弾を、突風が払い落している音なのだと気付く筈も無い。


「ひぃっ!?」

 情けない声で悲鳴を上げる事しかジュナには出来なかった。唯の男の子なのだから仕方が無い。

 しかし風の勢いはどこか不安定でいて、僅かに切れ目が生じた隙に一発、銃弾が向かってきた。


「ああっ!!」

 すぐ傍の彼女が悲痛な叫びを上げた時、ジュナはかっと目を見開いていた。

「そんな!」

 突風は止み、銃撃自体は収まっていた。殆どの銃弾は地面に落ちていたのだが、ジュナにはそれは視界に入らなかった。


 ジュナは彼女のかざしていた腕に出来た一つの銃創から、血が赤々と流れ出ている様だけを見ていた。


 ナルキッソスの力で戦ってた? その彼女の気を、俺が散らせてしまった!?――


「あの少年は一般人か!? 総員、待て! そこの少年、ここは戦場になっている。死にたくなければ早々に立ち去れ!」

 どうやら兵隊であるらしいミリタリージャケットの一人、隊長格と思しき男がジュナにそう警告する。


「う、くっ……」

 ジュナの、生じた筈の熱い心はとっくに冷え切って、全身震えが走っていた。

「……邪魔なの。……だから、下がって!」

 苦悶の表情を浮かべながら彼女が突き飛ばしてきた。次の瞬間には、彼女は無事な方の腕を振り上げる。


 その先に大気の捻じれ、風の力が生じていくのがジュナにもようやく認識出来た。


 この子、まだ戦う気で居るんだ。こんな、怪我したっていうのに……


 掛ける言葉が見付からなかった。この子はナルキッソスで、自分は唯の人間。こんな日常では体験し得ない事も、彼女はまるで当たり前であるかのように受け容れているように見える。

その事実がジュナに重く圧し掛かってくる。

「ご……ごめんっ」


 何故そんな事しか言えなかったのだろう。ジュナは震えの止まらない体を強引に走らせながら、近くの瓦礫で出来た物陰に身を隠そうとしていた。足手纏いにだけはなったら駄目だ――そう思うのが、今のジュナにはやっとだった。

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