そ‘の’さん ジャパリの図書館 虚無闇堕ち版

「これでわたしたちも文字を読めるです」


 大きな本を抱えながら博士が言いました。

 その表紙には『じゃぱりずかん』と書いてあります。


「きのう、この本をながめていて気がついたです」


 図鑑を静かに床に置き、大きな表紙をめくりました。

 助手が横からのぞき込みます。


「この本にはたくさんの絵がのっているのです」


 ぱらぱらぱらぱら、しばらくめくると博士は手を止めます。


「このくだものはりんごです」


 そのページには赤くて丸い果実の絵が載っていました。


「そして、この絵の下に書かれているのが……」


 博士と助手が視線を落とした先には、丸々した字で『りんご』と書かれています。


「文字なのです」


 助手が静かに顔をあげ、博士の顔をまじまじと見ます。


「この本は絵といっしょに文字がかかれているのです。きっとこの文字が、絵にかかれた物の名前なのです」


「と、いうことは……」


「この本があれば、どうぐやたべものの名前を知ることができるです。文字が読めるようになるのです」


 文字が読めれば。


「かばんと同じように、自分で料理をつくれるのです……。じゅるり」

「好きな料理をつくれるのです……。じゅるり」




   ‘の’




「かばんはこれをすぷーんと呼んでいたのです」

「かれーを食べるときつかったのです」


 開かれた図鑑のページには、ゆるやかに曲がる銀色の棒が描かれていました。

 絵の下にはひらがなで『すぷーん』と書かれています。


「……この四つの文字にはどんな意味があるですか?」


 博士と助手はまだ知りません。

 ひらがなが、音を表わす文字であることを。


 けれど、助手は何かに気付きました。


「博士、もしや……」

「さすが助手です。気がついたですね」


 ”すぷーん”という名前のと、『すぷーん』という文字のは同じ。

 もしや、文字は名前の音を表わしているのでは……?


「博士、この四つの文字は……」

「……すぷーんの形と一致しているのです!」


 助手は博士をまじまじと見つめます。


 ……なんか思ってたのとちがう。


 ”すぷーん”という四つの音が、『すぷーん』という四つの文字に対応しているのでは。

 そんな思いをこらえながら、助手は聞きました。


「形と一致しているとはどういうことなのです、博士」


 博士は得意げに文字を指さします。


「見るのです助手。この四つの文字のを」


 まずは『ぷ』をさしました。


「二つめの文字のぐねぐねした感じ、すぷーんのくびれ具合と一致するのです」


 次に『ん』を。


「四つめの文字の右下、この反り返ったところも、すぷーんのものをすくう部分を暗示しているのです」


 そして『ー』。


「三つめは言うまでもなく、すぷーんの形そのものです」


「……最初の文字『 す 』は?」

「それは助手にかれーの禁断症状がでた時ねじ切ったすぷーんと同じように、くるんとしているのです」


 つまり……。


「文字の形は、物の形を表わしているのです……!」


 これがわかれば文字をマスターしたも同然なのです。

 博士は自信満々です。


 助手は無言で『じゃぱりずかん3巻 お野菜編』と書かれた本を開きました。


「見るのです博士、この文字はなんというたべものの名前ですか?」


 助手は絵を隠したまま文字をさしました。

 そこには『にんじん』と書かれています。


二番目と四番目の文字『 ん 』には見覚えのあるのです……。しかも、ほかの文字も何かをすくうような形をしているのです」


 つまりこれは……。


「すぷーんなのです……!」


「博士、これはたべものの名前です。すぷーんは食べ物ではないので」

「でもかれーを食べたとき口に入れたです」

「飲み込んではいないのです」

「頑張れば飲み込めるのです」

「それは……」


 助手は静かに手をどけます。

 その下から、赤くて細長いにんじんの絵が現れました。


「……文字の形が物の形を表わすというのは間違いなのです。私は助手をためしたのです。よくわかりましたね、助手」


「私はかしこいので」




   ‘の’




「ようやく気づいたのです、文字のルールに」


 博士はりんごのページを開いています。


「りんごという名前は三つの音からできています。そして、りんごの下に書かれた文字も三つ」


 助手はこくりとうなずきました。


「文字の数は、音の数といっしょなのです……!」


「さすが博士。ようやく気づいたのです」

「私はかしこいので」


 それだけではないのです。

 博士は別の図鑑を開きます。


 今博士が開いているのは『じゃぱりずかん11巻 おいしいデザート編』。


「これがろーるけーきと、その文字です」


 くるくるしたひらがなで『ろーるけーき』と書かれています。


「そして……」


 博士はもう一冊の図鑑を開きます。

 その表紙には『じゃぱりずかん278巻 千葉市近傍ラーメンマップ ドカ食い激太りスーパージャンキーコンプリート編』と書かれています。


「これがじろうと、その文字です」


 漢らしい毛筆で、躍動感あふれる『じろう』の三文字が書かれていました。


ーるけーきとじう……。どちらも”ろ”という同じ音があります。そしてどちらの名前にも、同じ文字が入っているのです」


 そうです。

 ーるけーきの一文字目と、じうの二文字目は同じ『ろ』という文字。


「つまり、この文字は”ろ”という音を表わしているのです……!」

「さすがです博士。私も気づいていました」


「われわれはかしこいので」

「われわれはかしこいので」


「ところで博士、じろうとは何です?」

「らーめんの一種なのです」

「らーめんは、おつゆにひたったひものようなたべものです。これはおつゆがみえないのです」

「……それでもいちおう、らーめんの一種らしいのです。ブタのフレンズが好んで食べると言われています」


 さて、これで博士と助手は文字が読めるようになったのです。


 ……と、思いきや。


「これは……?」


 助手が『ちぢみ』と書かれたページを開いています。

 その隣には別の図鑑。

 こちらは『たまごとじ』のページです。


「ちみとたまごと、どちらも同じ音があるのに同じ文字がありません」


「助手、これを見るのです!」


 博士の手元には『くりーむ』と『いか』のページ。


「『くりむ』の三つ目の音と『か』の一つ目の音は同じなのに、やっぱり文字が違うのです」


 文字は名前の音を表わすはず。

 それなのに、同じ音に別の文字が割り振られているのです。


「文字は音を表わしていない……?」

「このルールも間違ってたです……?」




   ‘の’




 助手と博士はたくさんルールをみつけましたが、まだ文字が読めません。


 文字は何かのルールを持っているようですが、どんなルールを見つけても例外が出てきてしまうのでした。


 博士と助手は落ち込んでいます。


「文字は難しいのです……」


 博士と助手が文字を読めるようになるまで、もう少しかかりそうです。


「……博士、少しくらい例外があってもいいと思うです。文字には意味のなさそうなルールがたくさんありますが、そこに目をつむれば理解できそうなのです」


 事実ふたりは、文字が音を表わすという仮説にたどり着いたのですから。


「それは考えたのです」


 しかし……。


「ヒトはかしこい生き物なのです。わざわざ無意味なルールをつけ足すとは思えないです」


 そして、博士はおそるおそる言いました。


「……無意味なルールがあるという事は、……?」




   ‘の’




『わたしの知っている未開の地方ちほーでは、司書たちは、書物の中に意味を求めるという迷信めいた空しい習慣をきらっている』


 ――ホルヘ・ルイス・ボルヘス『バベルの図書館』

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助手が博士にカレーうどん食べさす話 島野とって @shimano2016

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