■2『目標はなに?』

第10話『お疲れ様でした!』

 着替え終わった凛太と硝子は、二人で学校を出てアクアフロートの繁華街に向かっていた。あまり繁華街に縁の無い凛太はというと――


「すっげえー……これが都会の繁華街……。俺の地元とは大違いだなぁ」


 と、凛太は周囲をきょろきょろ見回していた。

 まるで宝石箱の中身をばら撒いたような明かりと、賑わう人混み。そして、道路の代わりに流れている水路。それらすべてが、凛太にとっては新鮮な


 だが、その意識は完全に、隣を歩いている硝子に向いている。


「あれ? 凛太くん、どこ出身だっけ」


 硝子は凛太の内心など感じ取っていないようで、朗らかに笑いながら、凛太の顔を覗き込む。その仕草は、まるで恋愛映画のワンシーンを思い起こさせ、凛太の心臓を締め付けた。


(かっ、かわいいー……ッ! くっそぉ! 都会に来てよかったなぁ!)


 凛太は涙が流れそうなほど感激をしていた。田舎にいたころは決してありえない光景だったからだ。彼に笑顔を向けてくれた女性など、母親以外にはいなかったから。


「お、俺は鹿児島の方なんですけどね。そこだと飲み屋街とアーケードくらいしかなくって」

「へえー。でも、鹿児島なら海も綺麗なんだろうなぁ。そこで走ってみたいなぁ」

「海はまあ、たしかに綺麗でしたけど。俺としては見慣れちゃって」

「そうだよねえ。毎日見てたんじゃない?」

「まあ、そうですね。海見ながらぼーっとするのは、映画見る次くらいに好きでした」

「凛太くんって、映画好きなんだ?」

「です。俺は映画も好きなんですけど、映画館っていう空間が好きで」

「へえ! ヘッドマウントディスプレイ派じゃないんだ。珍しいね」

「そうすかね? 俺は、映画館に向かう道すがらからワクワクしながら散歩するのが好きなんす。配信で見るのとはまた違う趣があっていいんですよ」

「そうなんだ。ここのところ映画館に行ってないなあ……。そうだ、今度、私も連れてってよ。久しぶりに」

「マジですかぁ!? 行きます! 行きます!」


 と、こんな他愛もない(凛太にとっては天国のような)会話をしながら歩いていると、硝子が立ち止まった。


「ここだよ、凛太くん。私が唯一、ご飯にお金使うお店。“元祖・ウナバラ屋”」


 凛太は、硝子の雰囲気から「おしゃれでご飯の量よりも見た目を重視している店」と思っていた。そこでおしゃれな雰囲気に浸りつつ、和やかに過ごすのだろう。と、思っていたのだが。


「……ここ、すか?」


 目の前にある店は、ビカビカとオレンジ色の明かりが看板を照らしていて、横の煙突からは煙がモクモクと出ている。

 それは、どう見ても焼肉屋であった。アクアフロートに似つかわしくない雰囲気が、かなり目を引く。


「そうっ。量、味、値段。全部いいよ!」

「い、意外っすね。なんかもっと、レストラン的なのに連れて行ってくれるのかと」

「私、ご飯にお金使わないんだー。それならスイジョーにお金使いたいし。外食は少しのお金で量がある方がいいの」


 男子高校生のような発言に、一瞬あっけに取られたが、しかし煙が渦巻く店内に引き戸をガラガラと引いて入っていった。

 凛太もその後に続いてく。

 カウンターと座敷のある焼肉屋ーーのようだったが、なぜかところどころにはラーメンを啜っている客もいた。


「ここは、焼肉屋……じゃないんすか?」

「ラーメンもあるんだ。私、ラーメンと焼き肉大好きだから、夢みたいな店なんだよねー」


 なんだか先程から、硝子の新しいところを見てばかりだ、と思いつつ、凛太と硝子は店員に案内された座敷に向かい合って座る。


「いらっしゃいませ高森さん。ご注文はいつものでよろしいですか?」


 品のいい笑顔を向ける店員に、硝子は「お願いします」と、彼女も笑顔を返した。


(いつもの、って……。しかも店員に名前を覚えられている……!? どんだけ通ってんだぁ?)


「で、お連れさんはどうします?」

「え、えーと……」

「ここは牛テールスープラーメンがおすすめだよ。お肉は好きなの頼んで」

「あ、そ、そすか。んじゃ。牛テールと、タン塩、カルビで」

「はいよー!」


 店員は「いつものと、牛テールラーメン、タン塩、カルビお願いしますー」と、カウンターの中へ呼びかける。


「さて……凛太くん。改めて」


 おしぼりで手を拭いていた硝子は、畳んでテーブルに置き、深々と頭を下げた。なぜかその仕草だけでも妙に品があり、頭を下げられた凛太がかしこまってしまう。


「ありがとう、水上部に入ってくれて。そして……勝って、部活として続けられるようにしてくれて……」

「いや、そんな。俺としちゃあ、当然のことをしたまでで。頭下げねえでくださいよ」

「そんなわけにはいかないよ。凛太くんは私の恩人なんだから」

「つってもなあ……」


 困ったように、凛太もおしぼりの封を開き、手を拭いた。気まずい今から、なんとなく目を反らしたかったのだ。別に硝子から頭を下げてもらいたかったわけではないし、自分にはその資格がないと、彼は思っている。

 なぜなら、硝子に近づきたい下心のみだったからだ。


「それにしても……今日の試合はよかったよ凛太くん。倉島さんはスピードのあるタイプってわけじゃなかったけど、でも初心者には追いつくの、かなり苦労したんじゃないかな。まだ凛太くんは、自分にあった走り方フォーム見つかってないみたいだし」

走り方フォーム、っすか?」

「スイジョーは普通の陸上とは違うからね。いろいろと自分好みの走り方があるんだよ。スケートみたいに水の上を滑るか、それとも地上みたいに水面を蹴るかとか。でも、凛太くんの脚力だと、蹴る方がいいかもしれないね。まあ、そこらへんは今後考えていこう」

「へえー……」


 そういえば、さっきの試合ではスケートみたいに走ってたっけな、と思い出す。ライドブーツで水の上に乗っていると、どうにもスケートをしているような感覚になるのだ。

 しかしそれでは、揺れる水を凛太は捉えきれない。


「次の練習は、凛太くんが一番水を捉えられる方法を考えるところからかなー。どうしようかなー、それとも、他のトリックを覚えてもらおうかな?」


 嬉しそうに、鞄からノートを取り出し、なにかを書き込んでいく硝子。どうやら、凛太の練習メニューを考えていたようで、そこにはたくさんの練習法と、その見込める効果、凛太のフィジカルデータと、そこから見いだされる未来の戦法など、受験生のノートよりもびっしりしっかり書き込んであったのだ。


「凛太くんが将来、どういう選手になるのか考えてたら、どうも筆が乗っちゃって。脚力が有名なトルク系のライダーだったら、マルク・ドノヴァンとか……もしくは、東野栄五郎とかみたいな走りになるのかなあ。でも、天性の脚力を持ってるのにテクニック系のライダーっていうのもいるからね! 凛太くんはどうなりたい?」


「んー……あんまし、ちまちましたのは向いてねえっぽいんで、あんまトリック重視じゃない方がいいっすかね。あ、つか、一つ聞きたいことがあったんすけど、いいすか?」

「うん、なになに?」


「スイジョー部って、何を目的に活動してんすか?」

「スイジョーが上手くなるためだよ」

「いや、まあ、大体の部活が究極そうだと思うんすけど、なんつーか。何を目指せばいいのかっつーか……。野球なら甲子園、ラグビーなら花園、みたいな。全国大会みたいなのってないんすかね?」


 すると、硝子は気まずそうに凛太から目を反らし、小さく息を漏らした。


「んー……実はね。スイジョーって、そういうのないんだよ」

「え」


 さすがに予想外だった凛太は、目を丸くして、言葉を紡ぐことができなかった。


「そう、なんですか?」

「うん。世界にはあるみたいなんだけど、日本ではまだマイナースポーツだからね……。アクアフロートはWCSが盛んな場所だし、周囲も海だからやってる人は結構いるけど、日本全体だと、あんまりいないから」

「なるほど……」


 まあ、たしかにアクアフロートに来るまで聞いたことなかったしなあ、と、凛太は不思議な納得感に包まれていた。

 そもそも、広い水のある場所でなければスイジョーはできない。それを全国大会という規模でしようなんて、相当の資金が集まらなければできることではないのだ。

 そんな細かいことを知らない、考えていない凛太だったが、なんとなくはわかった。


「んじゃあ……やっぱり、上手くなるしかないかあ」

「そうそう。それに、いつかは世界に行くかもしれないし……そこでスイジョーの大会に出てもいいんだから。あ、今度、御崎高校に練習試合でも申し込む? あそこはうちと違って、大所帯だから」

「ああ、そりゃあいいっすね。倉島さん以外ともやってみてえ」


 その時、割り込むようなタイミングで店員がやってきて、テーブルの上に続々皿を置いていく。


「おまたせしましたー。牛テールラーメン二つと、タン塩、カルビ。それから、いつもの高森さんセットね」


 そう言って、店員は凛太の頼んだラーメンと肉を置くと、硝子の前には山と積んだたくさんの肉が盛られた皿と、明らかに凛太のものよりも倍くらいあるラーメン皿が置かれる。


「ん? あれ、え? おぉ?」


 凛太は、自分と間違えたのかな? とか、そもそも俺頼んでねえよな? とか。

 いろいろ考えたが、何をどう考えても、硝子の前に彼女の腹部がまるっと隠れそうなほどの食事が並べられる理由がわからなかった。


「あ、あはは……。ちょっと恥ずかしいけど、スイジョーってお腹減るよね?」


 小さく、ぺろっと舌を出す硝子の頬は、赤く染まっていた。

 そしてそんな硝子の姿を見た凛太の心臓は、潰れたんじゃないかと思うほど、大きく跳ねる。


(ちょ、超カワイイ……! いっぱい食べる女子は好きだなぁ!)


 凛太にとって、どんな硝子であろうとも、それはすべてプラスになる。

 アクアフロートにやってきてよかった、と思いつつも、美味しそうにラーメンをすすりながら肉を焼く硝子を見ながら、牛テールラーメンをすすった。


 それは、とても深い牛の出汁が出た、とても濃厚なラーメンだった。


 スイジョーで疲れた体には、たしかに染みる。

 これからは部活終わりにこれ食べて帰ろう。そんな、これからの毎日のことを思い描くような味だ。

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スイジョー! 七沢楓 @7se_kaede

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