眼鏡娘の横恋慕

 今日もコンビニでバイト。

「いらっしゃいませー」


「あれぇ? こんにちは!」


 妖怪彼女の、ちょっと魔物な人間友達さん。


「あ、ええと高橋さん、でしたよね。こんにちは」

「ここでバイトされてるんですねー」

「はぁ、まあ。392円のお釣りになります」

「あ、どーもー」


 ん? 今なんか……お釣りを渡す手をさわっ、てされたぞ。


「がんばってください。また来ますね♫」


 黒髪眼鏡のその娘はにっこり笑うと、風のように去って行った。


 なるほど。魔物っちゃ魔物だ。


***


 妖怪彼女の人間友達、高橋さんが最近よくバイト先に来る。

 ほぼ二日おきくらいのペースで。


「いらっしゃいませー」

「あ、いるいる」


 彼女は人目を憚りながら僕に小さな包みを渡してきた。


「よかったら休憩の時に食べてください」


 ……うーん。こんなこと続けてたら、食べられるのは君だぞ。


***


 妖怪彼女の女友達、高橋さんの様子がおかしい。

 なんつーか……正直モーション掛けられてるっぽい。


「いいのよ」


 彼女は意外に普通に、さらっと言った。


「あの子は人間。その方がいいのかも。選ぶのはあなただわ」


 僕はムッとして言い返した。


「あのな。僕はもうとっくに選び終わってるんだ」


***


 妖怪彼女の女友達、高橋さんに好かれてるっぽい。

 二日とあけずに僕のバイト先にやって来る。それもいつも、とても楽しげに。


 と、思ってたら十日ばかり顔を見せない。どこかほっとしつつ、少し心配になった。

 もしかして病気かな?とか思ってたら。


「いらっしゃいませー」

「こんにちは」


 お、来た。元気は元気だったんだな。

 僕は少し安心した。


「あ! 私が来て、初めて嬉しそうにしてくれた」


 ……こいつ。妖怪より余程恐ろしい魔物なのでは。


***


 彼女と久々に一緒の休み。


 外は雨。レンタルDVDをだらだら観てる。


「お願い、なんだけどさ」

「何?」

「時々でいい。妖怪モードの君によっかからせて」

「……」

「僕の前だからってずっと人間でいないでいいんだ。巨大毛玉の君も好きだよ」


「……クッション料は取るわよ」


 うん……あの、具体的にいくら?


***


「こんにちは」


 バイト先にまた妖怪彼女の女友達、高橋さん。


「ああ、いらっしゃいませ」

「誤解されてるみたいなんで一応言っときますけど」

「はい?」

「私、彼氏います。とってもラブラブなんです」

「はあ」

「でも、もしいなかったら多分好きになってました。終わり!」


 彼女は顔を真っ赤にしながら小走りに出て行った。


***


 バイト仲間が急に辞めて、忙しい日々。


 帰宅してお風呂から上がり寝巻きに着替える。

 ミネラルウォーターを飲んで歯を磨くと僕は、毛玉モードの妖怪彼女にそっと寄り掛かった。


「ん……お帰り」

「起こしちゃった? ごめん」

「いいの。お疲れ様。……寒くない?」

「そうだな。少し」


 途端に彼女の毛はわさわさと長く伸びて僕を包んだ。


***


 彼女は今日はバイト。


 一人で部屋にいたら携帯に母から電話。


『もうすぐ誕生日やろ。郵貯にお金入れとくけん、なんか美味しいもんでも食べんね』

「ありがと。助かるわ」

『どうね大学は。彼女できたね?』

「おるよ。彼女」

『へぇ! どんな子?』

「えーと……怪物級のべっぴんさん、かな」


***


 臨時収入とバイト代でぽちった海外有名ブランドのヘアブラシが届いた。


 バイト明け。毛玉モードの妖怪彼女に寄り掛かりながら、猪毛のブラシを優しく掛ける。

「あら……新しいブラシ?」

「ん。君用に買っちゃった」

「幾らしたの?」

「2万6千円」


 その後、僕らは初めてケンカした。


***


「お母様があなたの誕生日にと入れてくれたお金でしょう? それを2万6千円もするブラシって……。きちんとあなた自身の物を買って、その旨お母様に報告して御礼申し上げるべきだわ。違う?」


 ……くっ。妖怪彼女から人間社会の義理と道理について正論で責められるとは……。


「……そうだね。確かにブラシ一本に2万6千円は一見高い」

「当たり前よ」

「けれどこのブラシを僕が残りの人生……60年余り君の毛髪を梳かすのに使い続けるとしたら? 年間では434円前後。このメーカーのブラシは一生物なんだ。しかも使えば使うほど程よく優しいブラシになる。格安だ」

「……」

「そして、僕の母だが」

「どうやって説明して、どう御礼をするつもり?」

「気を遣ってくれる君の気持ちはありがたい。けれど、僕が恋人に上等のブラシを買ったと知ったら喜ぶのが僕の母だ。

 僕に恋人がいることに安心し、僕が自分より恋人の為のものを買ったと知れば褒めてくれるだろう」

「……」

「ついては、『彼女も喜んでくれたよ、ありがとう』と母に言いたいんだけど」

「……いいわ。今回は誤魔化されてあげる。でも今後、私が関わることで高額の出費をする時は相談して。例え私に善かれと思っても」

「わかった。約束する」

「お母様にもきちんと御礼をね」

「うん。勿論」

「じゃあ、この話はこれで終わり」


「 ……ブラシしてもいい?」


 彼女は黙って毛玉に変じた。



***



 土砂降りの雨の夜。


 バイトから帰ると、びしょ濡れでドアの前に座りこんでいる女の子がいた。


「え!高橋さん? どしたの?」

「……彼氏に振られてしまって。その、なんとなく……会いたくなって」

 彼女は泣いてるようだった。


 むむ。ほんとかなぁ……?

 僕の部屋の電気は消えてる。彼女が居るかどうかは分からない。


 さあどうする? 僕!


「とりあえず……着替えと雨具は貸すよ。タオルも。ここで少し待ってて」


 ドアを開ける。

 まずい。いつものように、きちんとそろえて置いてある彼女の靴。

 奥で毛玉モードで寝てる……のか?

 電気は点けず着替えを持って玄関にもどる。


 すると外にいた筈の高橋さんがちゃっかり玄関の内側に。


「えーと、悪いんだけど……」


 言いかけた言葉を無視して、彼女は僕に抱きついた。

 咄嗟に僕が抱いたのは怒りだった。


 こいつ! 今迄の色々は全部ここに持ってく為の前フリか⁉︎


 前後のシチュエーションを踏まえれば、この流れを断ち切ってこの子を追い出せる男はそうはいないだろう。


(魔物っちゃ魔物なのよね。誰かの彼氏にばかり手を出すの)


 僕が高橋さんを振り解こうとした、まさにその瞬間、何かが部屋の奥で動く気配があった。


「私……今夜」

「待て‼︎ すぐに帰らせるから‼︎」


 高橋さんの言葉を遮った僕の叫びは無論彼女に向けたものではない。


 ざわ、と部屋の闇が濃くなった。


 いや、違う。


 生き物のように部屋の奥から壁を這って来る漆黒は信じられないほど密集した長い長い毛髪だ。

 アパートの廊下の電球が明滅し、ピンッと弾けるような音を立てて切れる。

 差し込む灯も消えて、部屋は真に深い闇に沈んだ。


 ぎゃっ、と高橋さんの悲鳴。


 暗黒にどうにか眼を凝らせば、四方から伸びた髪が彼女の四肢を引き、また同時に首を締め上げている。

 髪の束は段々太くなり、徐々に力も強まっているようだ。


「やめろ! 死んでしまう!」


 助けようと髪束に手を掛けた僕はまた別の髪束に弾き飛ばされ、本棚に背中から激しく激突した。

 真っ暗な部屋の中に大きな音が響き、小物や本が倒れた僕の上に降ってくる。遠のこうとする意識を首を激しく振って引き止める。


 その時、こん、と僕の頭に何かが当たった。


 ブラシだ。妖怪彼女との初めての喧嘩の原因となった2万6千円の高級ブラシ。

 僕は迷わずそれを手に取ると、部屋の奥の闇が最も深い所に飛び込んだ。


 どぼん、と水に浸かるように僕の体は闇に沈む。


 温かくも冷たくもない、息苦しいが息はできる不思議な感覚。

 僕は夢中で周りを探り、一房の毛を認めるとそっとブラシを掛けた。


 しゅる、という音がやけに大きく響いた。


 闇が僅かに身じろぎしたように思えた。

 真っ暗闇の中で、愛する彼女の黒髪を梳る僕の心持ちは、どこまでも穏やかだった。そう。幼子をあやす母親のように。


 しゅる……しゅる……。


 自分の手先すら見えない闇に、髪を梳る音だけが響く。


「大丈夫。僕はここだ。君と一緒だ。どこにも行かない。だから……だから……もう泣くな」


 しゅる……しゅる……。


 無心で妖怪彼女の髪にブラシを掛ける。


「聞こえてる?

 僕は今、心から幸せだ。

 このまま君に呑み込まれて君の一部になって、永遠に君の髪を梳かし続けたって構わない。

 僕の全ては、君のものだ」



『……ダメよ』



 闇に彼女の声が響いた。



『あなたは、あなたのままでいて』



 気がつくと暗いだけのいつもの部屋。


 巨大クッション状態の妖怪彼女。

 玄関口で女友達(人間)がへたり込んでむせ返ってる。


 ふう。とりあえず危機は脱した、か?


 僕は畳んで重ねてあった洗濯物の中からジャージとタオルを選びだすと、高橋さんに差し出しながら言った。


「大丈夫?」


 びくっと身を強張らせる高橋さん。ま、無理もないか。


「怖い思いをさせて悪かった。ちょっと事情が複雑でね」


 近づくと彼女は震えていた。


「僕に真剣なのなら大変申し訳ないんだけど、諦めてくれ。僕はちょっと訳ありで、その事情について人に干渉されたくない。多分それが君の為でもある。意味は、分かるね?」


 彼女は頷く。


「少し休んだら帰って。なるべく早く」


 彼女はタオルを掴むと玄関を飛び出して行った。

 ドアを閉めて施錠し、チェーンを掛ける。

 ああ……なんか疲れた。


 僕は上着を放り投げてベルトを緩めクッション状態の妖怪彼女に倒れ込む。

 背中が痛む。絹糸のような柔らかい艶やかな長い毛がふわり、と僕を包む。と思ったらいつの間にか僕は人間状態の妖怪彼女の胸に抱かれていた。


「……ごめんね」

「いいよ。気にするな」

「あの、私……あの娘があなたに抱き付いたのを見たら、かぁってなって……」

「怖かったよ」

「ごめん私、妖怪で」

「違う。僕らの関係が、この時間が、終わりになるんじゃないかって、怖かった」

「……」

「妖怪だからとか人間だからとか、僕らはそういうのもう通り過ぎてるんだ。


 僕は君が好きだ。

 君がなんだろうと。


 だから今日は、このまま、少し、眠らせ……て……」



***


 目を覚ますと次の日の昼下がり。


 あー、社会学概論ブッチした。休まず出てたのにな……ん? これは。

 味噌汁の匂い? そういやお腹減ったな。


「おはよ」

と、彼女。


「ああ……おはよ」

「講義あったよね? 迷ったけど起こさなかったわ」

「いや、いいよ。ありがと。ええっ⁉︎ そ……その髪! 切ったの⁉︎ 」

「思い切ってショートにしちゃった。……変?」

「いや可愛いよ。可愛いけども……妖怪状態の妖力や姿には影響ないの? 」

「そこは位相の異なる事象だから。影響はないわ」


 僕はなんかほっとした。


「あなたね。人間の私と妖怪の私と、どっちが好きなのよ」


「そんなの決まってるだろ。僕が好きなのは


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べっぴん毛玉セミロング 木船田ヒロマル @hiromaru712

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