けんきゅうじょ
九太郎
第1話
バンジージャンプというものがあるそうだ。詳しいことは知らないが、ある程度の高さから体につけられた紐を頼りに飛び降りるというものらしい。一体何を目的としているのか私にはわからないが、ミライは「まるでバンジージャンプみたいね」と言う。その声色が冷たくて私は少し惚けてしまう。
「バンジージャンプで、いざ飛ぶぞ!ってなっても怖くてすぐに飛べない人は多いの。いつまでも躊躇っていては他の人の順番が回ってこないからね、そういう時はパークのスタッフが『押しましょうか?』って言うの。誰かに背中をトンと押されて何十メートルも落下するのよ。怖くない?」
私にはその感覚がわからなかった。何かを待たせているつもりはなかったが、「押して」と言ったほうがいいのかと思ったので、そう口に出す。
言わなくていいの、ミライは言った。
私の体のどこにも紐なんて括り付けられていなかった。
トンと背中を押され四肢のない体が宙に舞う。
次に目を覚ました時、やはりそこにミライがいた。
「バンジージャンプはパークの中にあるの?」
いきなりそう言ってしまったのでミライはビクリと驚いて、手に持っていたマグカップからコーヒーが溢れた。
「パークの中にはないわ。その代わりトキやワシに運んでもらうアトラクションはあるわ」
「私でもいいの?」
「そうね。でもあなたはもっと別の役割があるんじゃないかしら。派手だし」
液体は熱かったのだろう。赤くなった手首を押さえたミライを見て申し訳ない気持ちになる。
「……わたし、バンジージャンプに挑む人の背中を押すスタッフって、きっと駅のホームや交差点の一番前でもごく平然と誰かの背中を押すことができるようになるんだと思っていたのだけれど、やっぱり、仕事だからできることみたいね」
そう言って私の手を握った。ごめんなさいと言ったがそんな悲しい顔をされたら何も言えない。
「ミライはバンジージャンプ、したことあるの?」
「わたしはないわ。怖がりだから」
「バンジージャンプはなんのためにするの?」
「さあ、なんでなのかしら。元々は通過儀礼だとか度胸試しだったと思うけど」
「怖いの?怖いのにわざわざやるの?」
「人間は恐怖ですらお金を出して買うもの」
「変なの。わかんないよ」
「でも、人間はそういう矛盾したことができる生き物よ」
「人間って凄いんだね」
「凄くないわ」そう言ってからミライは少し考え「いえ、凄くはないけれど、怖い生き物ね」と言い直した。
やはりその感覚は私にはないものだった。
私は幻獣科不死鳥のフレンズ、フェニックスである。
今、私たちはジャパリパークにある研究所の一室にいる。他に研究員や人間はいない。セルリアンの襲来によりパークは未曾有の危機に陥った。そんな中、ミライだけは最後までなんとかできないか研究を続けていた。
私はパークの目玉として生まれた。だがお披露目の前にセルリアンが発生してしまった。幻獣科のフレンズ化は成功率が低く、非常に貴重らしい。だから研究所以外の世界を知らない。ここを出たことがない。多分、ここを出ることもない。
そうやって廃墟じみたこの建物の中で一年以上もミライと過ごしている。ミライは毎日何かを研究したり、時々外に出てセルリアンをサーバルキャットともに討伐したりしている。
「目が覚めてよかったわ。ゆっくりしてね」
そう言ってミライは部屋を出て行く。枕元を見るとそこにはジャパリマンと水が置かれていた。私は上半身を起こしジャパリマンを齧る。とても美味しい。でもこれはフレンズ用の餌であり人間が食べるのに適していない。ここも何度かセルリアンの襲撃を受けているし、食料は殆ど残っていない。
ミライは“私”を食べている。
そうやってもう二ヶ月以上を過ごしている。幸い私は不死鳥のフレンズであったため、心臓が動いている限り一度炎に飛び込めば蘇ることができる。人間のメス十五歳前後のサイズである私を丸焼きにできる設備なんて幸い、この施設にはない。だからミライは調理室の燻製機を一部改造し大浴室にある給湯器にくっつけ簡易的な鉄釜を作りそこに火を焚いて私を燃やす。その燃料もここには無くなり始めているから、私の四肢や肋骨を切断し乾燥させ薪にしている。幸い、なんの問題もない。良い事ばかりで嬉しい。
ミライは私の腕や足を切り落とす時、いつも泣いてくれる。残された麻酔を使って痛みを奪っているし、結局蘇るのに何度だって泣いてくれる。わたしはこのパークを救わなきゃいけないから。もうここに来てくれる人はないから。諦められてるから。でもなんとかしたいから。そんなことを何度も何度も言って涙を流す。
ミライ、ミライ泣かないで。ミライは頑張ってるよ。パークはきっと大丈夫だよ。そんなことを思うのだが言葉にならない。おそらくこの麻酔は幻獣である私には効力が薄く、いつも中途半端にしか効かないからそうやって全てが中途半端にわかり、中途半端に思い、中途半端に痛む。
いつも四肢がなくなり意識もぼんやりしている時、鉄釜の真上にある窓からミライに背中を押して落とされる。なんとなくいつも「麻酔、あんまり効いてないんだよ」、そう言おうかと思う。
フレンズ化した動物たちは全て同一だが、人格までも同じなわけではない。もし私がセルリアンに襲われ元の不死鳥に戻ったり、別の個体がフレンズ化して今の私と全く同じ姿としてもそれらはもう私ではない。私とよく似た何かで、限りなく私に近く限りなく私に遠い何か。それがフレンズだ。
ミライはそれを魂の証明と言った。魂は一つしかなくそれが私である証明になり得る。
私は私でいたい。私のままミライの傍にいたい。そのためなら何度だって炎の中に飛び込む。何度だって蘇りミライの傍にいる。
それは突然のことだった。
私はいつもベッドで目覚める時、蘇る前のことを思い出すようにしている。そうやって魂が引き継がれていることを確認しているのだ。今回、ミライはあと少しだと言っていた。研究結果がじゃない。インスタントコーヒーの残りがあと少しだ、そう悲しそうに言っていた。まるでそれが何か全ての終わりであるようなそんな寂しそうな言い方だった。
何かが爆発するような巨大な音に目を覚ます。そして反射的にコーヒー、と呟いたがそこにミライはいない。本来目覚めるよりも早い時間なのだ。いつもならそこにいてくれるはずのミライがいなかった。
「ミライ」
私の呟きはさらなる轟音にかき消される。さらなる強烈な振動。まるで天地がひっくり返ったのではないかという衝撃に体が浮かび上がる。アスファルトの崩壊音が響く。きっと、セルリアンがここを襲っているんだ、そう思う。
ふらつく体に鞭を打ちベッドを飛び出し扉を押し開けた。廊下を駆け抜け研究室の扉を開く。そこにミライはいない。なんで!?と思う暇もなく別の研究室を開く。順に開いていくかと思うが時間が惜しい。
「ミライ!サーバル!」
そうやって叫びながら廊下を走る。どんどん土煙が濃くなり、同時に瓦礫が増えていく。どうやら玄関方面が壊されており、私が寝ていた休憩室など奥のスペースは無事だったらしい。そして玄関方面からサーバルの声が響く。
急ぐとそこにサーバルとミライが、そして超大型のセルリアンがいた。間違いない。こいつが研究所をぶっ壊したのだ。そして今、目の前には、瓦礫に潰され血を吐いて気を失うミライがいる。
「サーバル!」
私はほとんど反射的に叫んでいた。
「わかってるよ!」
サーバルがミライを押しつぶす瓦礫を両手で持ち上げぶん投げた。瓦礫の下の光景を見て絶句する。声が出ない。ミライの下半身が潰されて、まるで血の布団に包まれて眠るみたいだ。気を失いそうになる自分に鞭を打つ。落ち着け。落ち着け。
「ミライ!」
サーバルが叫んで慌てふためく。多分不死鳥とサーバルキャットとではより知能が高いのは不死鳥なんだろう。だからこういう自体に備えてミライはいくつかのことを教えてくれた。私はミライに近づき呼吸と脈を確認する。微弱だけどまだある。でも出血量が多すぎる。確か三分の一が流れ出たらもうお終いなんだ。ミライの体型から考えた血液量の三分の一、……どう考えても多すぎる!処置室まで間に合う!?間に合ってもそこに人間用の輸血用血液がストックされてたっけ。こういう時は、こういう時は、えっと、
『もしもの時はサーバルと一緒に逃げてね』
私は立ち上がる。
逃げる?そんなわけがない。私には鷹のような鋭い鉤爪はない。鷲のような嘴はない。ミライを掴んで羽ばたいたとしても、この状態ならミライが確実に生き残る保障はない。それなら。
「サーバル!ミライを連れて逃げて!」
「え!でも……」
「いいから!とにかくミライを安全な場所に連れて行って!連れて行ったら絶対に戻って来て!」
戻って来たら、その時、私は、サーバルにお願いをしよう。私はこのセルリアンに食べられる。そして元の動物に戻る。知能を失い言葉や理性を失った一匹の不死鳥に戻ろう。そしてサーバルは私を捕獲し、その血と心臓をミライに捧ぐのだ。フレンズ化ではない、純粋な不死鳥の血と心臓はミライの肉体を再生し命を蘇らせるだろう。今、私ができる最善はそれしかない。
「でも、でも!」
「いいから行って!」
羽を広げる。
なんてことはない。私はこのパークの目玉になるべき存在だったのだ。その神々しさと美しさはセルリアンですら魅了する。時間稼ぎにはもってこいだ。
不死鳥と言えど血と心臓を失ったら流石に生きてはいけないだろう。でもそれでいいのだ。私はそうやってミライの中で生き続ける。これからもミライの中で魂を燃やす。
人間の世界には火葬という文化があるらしい。死んだ人間を燃やして灰にして弔うのだ。もし何十年も先ミライが死ぬことになった時、そこから私は蘇ることができないだろうか。もし死んだ人間の遺灰から不死鳥が蘇ったら伝説にでもなるんじゃないだろうか。
ふふふ、なんだかとても楽しくなって来た。え、なんで私は笑っているんだろう。ああ、そうか。きっとこれが、怖い、って感覚なのかもしれない。足が震える、口の中がカラカラに乾く、背筋に力が入り、何もしていないのに息が切れる。それなのに口元は緩み笑みが浮かぶ。きっと怖いんだ。でも、ミライを助けるにはこれしかない。死ぬのは、きっと足や手を切り落とされるよりずっと痛くて怖いのかもしれない。でもやるしかない。
いつも通りだ。私はあの鉄釜の真上に立っているだけ。いつもと違うのは背中を押してくれるミライがいないだけ。それに目覚めないかもしれないだけ。
まるでバンジージャンプはみたいだね。覚悟を決めた。あとは一歩踏み出すだけ。踏み出せば嫌でも肝が座る。
けんきゅうじょ 九太郎 @999_taro
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