笑顔ワルツ
魚有野ツキミ
第1話笑顔ワルツ
わたしが「わたし」だと気がついた時、わたしは独りぼっちだった。
それと同時に、自分がいなくなるのはそう遠い時ではない事も自覚した。
喉が渇いて、まるで力が入らない。
まわりはとても静かで、遠くから微かに水の音が聞こえる。
だけど、もう自分ではその水を飲めそうにはない。
ああ、苦しい。
どうしてこんな瞬間に、わたしは「わたし」に気がついたのだろう。
そんな事を思った時、ぱしゃん、と冷たいものが上から落ちてきた。
反射的に、わたしはそれが何であるかを意識するより早く、思い切り飲み込む。
生きようとするわたしの体が、わたしの意思とは別に、自然と反応したらしい。
上から落ちてきた冷たいものは、新鮮な水だった。
でも、どこから?
確かになんだか急に薄暗くなった気がするけど、雨にしては量が多すぎる。
まだ完全な復活までは時間がかかりそうだが、水のおかげでどうにか回復しつつあるわたしは、そこでようやく他に意識を向けることが出来た。
と、同時に驚いた。
金色の綺麗な二つの目が、私をじっと見下ろしていたから。
わたしを救ってくれた相手は、「ハシビロコウ」というらしい。
最初の出会い以降、彼女は頻繁に私の所に来てくれる様になった。
わたしの喉が渇いていることに気がつくと、すぐ水を持ってきてくれたりもする。
ここはあまり雨も降らないし、一番近くの川すら私には遠かったから、彼女の存在がどれだけ有り難いものであったことか!
独りぼっちのわたしにとって、彼女は唯一の「ほかのだれか」だった。
よくわたしのことを、見つけてくれたものだと思う。
的確に救いの手を差し伸べてくれたことを含め、彼女との出会いは本当に幸運だったとしか言えない。
彼女はよく、その美しい金色の目で私をじーっと見る。
最初はその視線の意図がつかめなくて少し怯えもしたけれど、今はなんだか恥ずかしい感じがして、少しくすぐったい。
そうやって見つめてしまうのは、ついしてしまう、癖みたいなものだと彼女はどこか申し訳なさそうに言った。
どうやら本人としても、そうしてしまう事をいたく気にしているらしい。
確かに彼女の視線はまるで射貫くみたいな力を感じるから、何も知らない相手にすれば戸惑うのも当然だろう。
わたし自身がそうであった様に。
でも、わたしはその目を、とても美しいと思った。
力を感じるのは、そのせいである、とも。
彼女自身は灰色や黒に近い色が多く、華やかな色合いではない。
でもだからこそ、その中で山吹色をした一房の髪はぱっと目を引くし、金色の瞳もより輝いて見える。
「そんなつもりはないのだけど、睨んでいる様に見えるみたい」だと、彼女は寂しそうに言ったけれど、そのツリ目だって彼女を美人に見せているとわたしは思う。
わたしは自分の顔を見たことがないから、よくわからないけれど、きっとわたしはそんな目をしていない。
色だって、一応は白いけれど、なんだかくすんだ様な色になっていて、綺麗とは言い難い。
だから、美しい彼女を見る度に思うのだ。
あの美しい金色とは言わない。
でもせめて、あの山吹色の髪みたいな色なら良かったのに、と。
彼女は決しておしゃべりではない。
でも、ぽつぽつと、私にだけ話しかけてくれる。
自分が勘違いされやすいこと。
出来ればもっと普通に仲良くなったりしてみたいこと。
ここに来るととても落ち着くこと。
彼女が自分のことを話す時、その表情は大抵明るいものではなかった。
けれど三つ目の話をした時の彼女は、微笑んでいた。
微笑みながら、言葉を続けた。
「あなたが話を聞いてくれて、嬉しい」と、確かに私をじっと見ながら。
その視線は彼女の言うところの「癖」のそれとは違って柔らかな視線で、表情と相まって、彼女はとても可愛らしかった。
彼女は自分は可愛いとか、そんな感じにはとてもなれないと言う。
でもわたしの知る彼女は、全くそんな風には思えなかった。
確かに、わたしがそうであった様に、最初は多少誤解して、怖さを感じることもあるだろう。
だけど、そんなのは間違いだと気がつくのに、そんなに時間はかからないはずなのに。
自分のどこそこが良くないからだと、彼女が引け目を感じる必要なんて全くないのに。
わたしも、彼女の様におしゃべり出来れば良かった。
そうすれば、何度だって言ってあげられるのに。
彼女がどれだけ美しいか。
彼女がどれだけ可愛らしいか。
わたしを見つけて、助けてくれることへの感謝のきもち。
そして私も、彼女と過ごせることをどれだけ嬉しく思っているのかを。
わたしも、言いたかった。
そしたら彼女は、もっと笑ってくれただろうか。
わたしは、名前もわからない様な、ただの花。
色々な偶然が重なって辿り着いた種が、一つだけ芽吹いた、そんな存在。
だからわたしは独りぼっちで、本当ならそのまま枯れて終わっていたはずだ。
どうしてわたしが「わたし」であることに気がつけたのかは、わたしにはわからない。
でも折角ならば、こう考えたい。
ハシビロコウという美しい彼女の心の、少しでも慰めになる為に必要なことだったのだと。
わたしは、言葉で彼女に応えることは出来ない。
でも、わたしは「わたし」に気がつけたから、出来ることが増えた。
その出来ることで、少しでも彼女を笑顔にしよう。
時間はかかるけれど、これからも美しくあり続ける彼女の為に。
* * *
ハシビロコウは、ゆっくりと目を開けた。
空は少し暗くなりかけていて、ちょっとした昼寝のつもりが、思いの外しっかりと寝てしまった事に気がつく。
ここでは何故だか、そういう事が多い。
何故だか妙に、心が落ち着く場所だからかもしれない。
この当たり一面に咲いた、小さくて白い花。
初めて見つけた時から、一目で彼女のお気に入りになった。
いつもの癖で、ふと目に入った花の一つをじーっと見つめてしまう。
そしてそれに合わせたかの様に風が吹いて、花を揺らす。
花が揺れる姿は、まるでもじもじと恥ずかしがっているかの様だ。
そう思うと小さな花がより一層可愛らしさを増した様で、ハシビロコウの口から「かわいい」という言葉が零れた。
するとまた強く風が吹いて、今度は花びらがハシビロコウを彩ろうとするかの様に舞う。
その光景を目にして、ハシビロコウは自然と笑みを浮かべながら、反射的に花びらを受け止める様に手の平を差し出す。
そしてその手の平に花びらが一枚、喜んでいる様にくるくる回りながら、ゆっくり落ちた。
笑顔ワルツ 魚有野ツキミ @hibarist
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