風雲『松尾城』―その2―

伊藤盛正(以下盛正):「今更、三成は何を考えて私を呼び出したのであろうか……。」


 慶長4(1599)年某日。父・伊藤盛景逝去に伴い大垣3万4千石を継承した伊藤盛正は、三成からの突如の呼び出しに困惑の色を深めていたのでありました。


盛正:(ただでさえ家康が好き勝手やっている。なるべく目立たないようにしていなければならないこのご時勢に。その家康から追い払われた三成と会っていたことでもバレようものなら……。)

(とは言え三成と境を接している手前。無下にも出来ぬし……。)


と渋々佐和山を訪ねた盛正に対し三成は


挙(三成):「これはこれは盛正殿。」

盛正:「三成殿。如何様な御用件で私を呼び出したのでありますか?」

挙(三成):「本日お越し願ったのはほかでもない。盛正殿にお願い事がありまして。」

盛正:「お願い事と申されますと。」

挙(三成):「盛正殿が治められております美濃西部と、私が管理しています江北の間に松尾山が御座います。」


【松尾山】

近江と美濃の間に跨るこの山には、かつて山城が築かれており、織田と浅井が仲違いをした際。信長が浅井から奪った城が松尾城。その後、信長家臣不破光治が越前に転封となるまで江北国境の重要拠点の1つとして機能するも、美濃と近江が共に織田領となったことに伴い……


盛正:「今は廃城となっているあの松尾山が何か……。」

挙(三成):「その松尾山の改修とその管理を盛正殿にお願いしたい。そのように考えております。」

盛正:「ん!!?亡き太閤殿下の遺命でもある城の破却令に背くことにもなりまするし、そもそも今。松尾山に新たな城を築く必要など無いように思われるのでありますが……。」

挙(三成):「いや私は松尾山に新たな城を造ろうと思ってはおらぬ。これにはな……。」


と盛正に松尾山改修の真の狙いを打ち明ける挙(三成)。


盛正:「……そのようなことでありましたか……。」

「確かに今後。全ての大名家に共通する切実な案件ではありますな……。」

挙(三成):「人工と費用についてはこちらで用意致します故。」


と伊藤盛正指揮のもと松尾山の改修がスタート。そこには大きな壁に砦。なにやら蜂の巣をイメージさせる建物に幾つかの石が並べられた池。やや急な坂道に一本橋。5つの穴を経て山頂に天守閣へと通じるその規模は1万坪を超えるスケール。その工事に駆り出されたのが秀次と蒲生の旧臣を中心とした中途採用組。もともと土木工事に長けた豊臣家臣団のこと。工事は順調に進み無事終了。雇用を生み出す公共工事としてはこれで十分なのでありますが、これでは挙(三成)の目的であります継続的な仕事を彼らに与えることは出来ません。そんな彼らに松尾山改修の労をねぎらいつつ彼らに対し挙(三成)が発した言葉は……。

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宇立挙39歳『佐和山蟄居中の石田三成に転生す』 俣彦 @k_matahiko

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