君の笑顔が見たいから

ここのえ九護

 ここはカサブランカ。モロッコ王国最大の都市。


 モロッコの首都ラバトの南西約90キロメートルに位置し、人口は415万人。名実ともにモロッコの交易と人の流れの中心地だ。


 今、俺はこのアフリカ大陸はカサブランカで、愛する妻のためにある料理を作っていた。いや、正確にはその料理を作るための材料を集めていた。



 その料理の名は、冷やし中華。



 カサブランカは決して熱すぎるという土地ではないが、決して涼しいわけでもない。乾期ともなれば雨は降らず、大地はひび割れ乾燥する。


  


 妻は、病気だ。



 重くはないが、病気だ。

 そんな妻が、俺にこう言った。


 

「あなた、私、冷やし中華が食べたい……」

「……わかった。必ず、食べさせてやるッッ!」


 

 ――俺は走った。

 妻に、愛する妻に日本の夏の風物詩『冷やし中華』を食べさせるために!


 


 カサブランカは交易の中心ッッッ! 冷やし中華の一つや二つ、必ずあるはず!

 そう踏んでいた俺の読みは、脆くも早々に崩れ去る。


 カサブランカ一のマーケットにも、ショッピングモールにも、どこにも冷やし中華はなかったのだ。ならば、Amazonに依頼するか? いや、それでは間に合わないッ!


 俺は考えたあげく、カサブランカで手に入る素材で冷やし中華を作ることにした。


 なに、細かく分解すれば小麦とつゆ。あとはせいぜいハムと卵だ。どうということはないッッ!


 だが、そう踏んでいた俺の読みは、再び打ち砕かれることになる。


 


「冷やし中華を作るなら、あんたに小麦は売れねえな」

「冷やし中華? Peッ! そんなもん作ろうなんてやつに、うちのハムは譲れねえ!」

「冷やし中華ぁ? とっとと帰んなぁぁ!」


 


 な、なぜだ――!?


 

 愕然とする俺の目の前で、無慈悲に裏返されるクローズの看板。


 なにかがおかしい。いつも愛想良く接してくれる肉屋の店主も、市場のおかみさんも、みんながみんなこの調子なのだ。


 途方に暮れ、いよいよもってAmazonかとうなだれる……。


 だがその時、うなだれる俺の前に、突然まばゆいばかりの光が射し、神々しい後光を背負った小柄な老人が現れたのだ!



「ふおっふおっふおっ……おぬし、本当に冷やし中華を作りたいのかのう?」


「あ、あなたはいったい……いや! 今はそんなことはどうでもいい! 作りたい、作りたいんです! 愛する妻が、俺の作る冷やし中華を待ってるんです! 何か知っているのなら教えて下さい! なんでも、なんでもしますから!」


 一も二もなく剥き出しの路面に頭をこすりつける俺を見て、老人は値踏みするような視線を向ける。そして暫く考え込むような仕草をした後、こう言ったのだ。


 

「このカサブランカには、ある伝説がある。雄大なアフリカの大地に伝わる、ある伝説がな――」



 朗々と響く老人の声。老人の話の内容はこうだ。


 


 ――はるか昔。アフリカの大地が危機的な大干ばつに襲われた時、ライオンとバッファロー。そして象は、どんな食べ物にでも姿を変える亀を創り出し、それを他の動物達に配ろうとした。だが、その話を聞きつけた強欲なハイエナが、ライオン達の目を盗み、その亀を全て独り占めして奪い取ってしまったのだという。もし、その亀をハイエナから取り戻すことが出来るのであれば、きっとその亀は、俺の探し求める冷やし中華にも姿を変えることができるであろう――と。


 

 最初は半信半疑だった俺も、すぐにその話しに飛びついた。なぜなら、亀が変身した冷やし中華、つまりすっぽん冷やし中華である。どうにもこうにもエナジーが充ち満ちている響きだ。きっと、妻も元気を取り戻すに違いない。


 俺は老人に自分がハイエナからその亀を取り戻すと伝えた。するとその老人は一度深く頷くと、俺に一枚の古ぼけた地図を手渡してくれた。


 

「お主の心意気、見事なり。その地図の場所に亀はおる。亀を手に入れられるか否か、それは、お主次第じゃ――」


 その言葉と同時、老人は現れたときと同じように、眩い閃光と共に忽然と消えてしまった。まるで、初めから夢の中の出来事だったかのように。


 が、夢じゃない。なぜなら、俺の手の中には老人から手渡された古ぼけた地図が、しっかりと握りしめられていたのだから。


 こうして、その日のうちに車を借りた俺は、すぐに目的地へと向かった。すでに日は傾き、夜が迫っていたが、構うものか。愛する妻の笑顔を見るためなら、俺はどんなことだってする――絶対にだ!


 


 ――そして、俺がその場所に辿り着いたとき、既に辺りは暗く、空には赤い満月が不気味に輝いていた――。


「ここが、亀を奪ったハイエナ共の巣――ってわけだ」


 ある程度距離のある位置に車を止め、静かに息を殺して地図の場所へと近づく。ハイエナは犬の仲間だったと思うが、耳も鼻もいいならこういう行為自体無駄だろうか。


 俺は一抹の不安を感じつつも、匍匐の姿勢で距離を詰めていく。小高い崖のようになっている位置へと回り込み、そこから暗視ゴーグルで目標地点を覗き込む。


 


「チッ……ハイエナ共め……いい気になりやがって」



 そこに映った光景は、沢山の小さな亀を囲み、手に持った棒で叩いて虐める二足歩行に進化したハイエナ達の群……。


 

 数は、ざっと見ただけでも30は居るだろうか。


 俺はちろりと乾いた唇をなめると、大きく深呼吸。そしてもう一度脳裏で最愛の妻の笑顔を思い浮かべる。カサブランカで俺の帰りを待つ、妻の笑顔を――。




 ――――――◆


 


「ハッハーーー! 亀ども、びびってやがる! オラッ! さっさと甲羅に隠れやがれ!」


「フッ……それくらいにしておけ。ジョン。そんなことばかりしているから、我々ハイエナのマイナスイメージがいつまで経っても消えないのだぞ」


「ハッハッハ! 違ぇねぇ!」


「「「ワッハッハッハ!」」」


 獲物の亀を囲み、祝杯を挙げるハイエナ達。まだ彼らは知らない。すでに自分達の立場が、狩る側から狩られる側へと変わっていることに――。


 嵐のような銃声。


 祝杯を挙げていたハイエナ達の一塊が、無数の弾丸の雨をまともに受けて血の海に沈む。


 だが、残されたハイエナ達の反応は速い。例えその見た目が人型へと変じようと、その優れた嗅覚、聴覚、即応性は失われてはいない。


 彼らは銃声の方向、もっと言えば、銃を発した主をすぐさまその目と鼻で捉える。崖上で二丁のサブマシンガンを構え、仁王立つスーツ姿の男――。


 うなり声と遠吠えを上げ、ハイエナ達が一斉に男に向かって飛びかかる。左右へのダッキングを繰り返し、闇夜の中では黒い影にしか映らないハイエナの速度。スーツの男はそれをみとめてすかさず崖上からダイブ。降下しつつ、接近するハイエナに向かってサブマシンガンを乱射。秒間数十発というトリガーハッピーが、黒い影の数を一つ、二つと減らしていく。


 代わりに現れるのは血しぶきの雨。空中で回避行動を取れない男に対し、ハイエナはその脅威の脚力で一斉に跳躍。男を八つ裂きにせんと、その獰猛な顎を露わにする。だが――。


 男は降下中の姿勢で背面の岩壁を蹴りつける。空中で鋭角に角度を変え、再度浮上した男は先程まで自身がいた位置に殺到するハイエナに、サブマシンガンの連射を浴びせかけていく。空中で射貫かれ、無防備な姿勢で砲火に晒されるハイエナ達を尻目に、男は地面へと着地、呆気にとられ、隙を晒す左右のハイエナをついでのように撃ち抜く。


 この時点で勝負は決まった。残ったのは、リーダーのみ。


「ま、待て! 亀はやる! だから、命だけは!」

「――わかった。さっさと消えろ!」


 骸と化した仲間には目もくれず、ハイエナのリーダーは男の横を通り過ぎ、そのまま一目散に――。


 


「馬鹿が! ここまでやられて逃げられるかッ! 死ねぃッ!」

「――と思ったよ。あんた、立派なリーダーだ」


  

 夜明け前の薄明かりの中、一発の銃声がアフリカの大地に響いた――。


   


――――――◆




「まあ! 本当に冷やし中華、作ってくれたのね!」

「ああ、なんたって君の頼みだ。絶対に食べて貰おうと思ってね」


 ――翌日、俺は妻と食卓を囲んでいた。料理はもちろん、冷やし中華。


 カサブランカの乾いた風が、白磁の窓から緩やかに差し込み、俺達二人を穏やかに包む。


「あなた、ありがとう! でも本当によく作れたわね。Amazon?」

「ははは! それは秘密さ」


 俺はそう言って、妻の額に口づけすると、青空広がる窓の外へと視線を向けて、昨日一日の出来事に思いを馳せる。


 そうだ。君のためなら、俺はなんだってできる。


 


 君の笑顔が、見たいから――。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

君の笑顔が見たいから ここのえ九護 @Lueur

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ