眠る前に
わたしが眠りについていた間に世界は少しずつ、確かに、ゆっくりな速度と大胆な変化でもって色を塗り替えた。ある人には美しく、ある人-一般とも言い換えられるある人「たち」-には不穏な色を落として。また眠るわたしの、次の醒はヒトにとって永い時を超える。わたしに流れる生命のテンポ、ヒトの言葉では時計とでも言おうか、それがヒトの奏でる生き死にに寄り添っていられるのはあと、何回かと考えぬことがないでもない。
大きな環で結ばれた「すべて」は、結ばれるがゆえに完全な融和を遂げない。すべての天秤の片皿には一人分の御霊が待ち、もう片皿に乗ることができるのはやはり同じく、一人分の塊に過ぎぬ。それが、唯、真摯に「生きる」ということである。沈みすぎても浮きすぎても、ヒトは生きすぎるか不本意にも散ってしまうか、どちらか。それでもわたしは、この短い節に顔を出す度、美しい均衡で揺れる天秤というものを殆ど目にしない。それは、とても愉快で、悲惨。
哀れなる光が瞬く地に、いつか正義の女神は星の鉄槌を降らすだろうか。いいや、きっとない。尤も、ヒトら諸共わたしが焼け尽くされるとしてもそれは大した問題ではないのだけれど、ヒトが自ら造りだし祀りあげた天秤の秩序、そんな矮小なものがどうしたと、彼女はおそらく言い放つからだ。いくらでも歪に揺れるがよい、それがお前らの美徳なのだろうと。
びゅ、と強い風が枝を揺らして、わたしは考えるのを止める。往く前に今生の人様を映してみようとは思ったものの、やはり上手くいかぬ。彼らはあまりにも複雑に生きすぎる。そうは思いながら、ひとひら、ひとひら飛来しゆく花弁に想いを篭めるわたしの方も昔より大分在りざまが複雑化している。
この花弁が行き着く先の手、その掌上で凡庸な散り際の桜として朽ちるだろう。それでよい、それが正解というものだ。
わたしは長生きする「眼」に過ぎぬ。次に目蓋を上げるときは、また怜悧な瞳で只只映し取るはずだ。すべてが、霞の幻へと還るよう。
春の紙片 言端 @koppamyginco
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます